林望「習近平の中国」

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林望は、2012年1月に朝日新聞の北京特派員として赴任し、以後四年半中国を見続けてきた。その間に林が見た中国とは、習近平が権力基盤を固め、彼の強力な指導の下で、中国が国力を高めてきた時期にあたる。そうした中国を林は、「習近平の中国」と呼ぶわけだ。

中国の躍進を支えたのは、経済力の拡大だ。中国はいまや世界第二の経済大国として、世界経済のみならず、世界政治にも強い影響力を及ぼすようになった。そうした中国の国力の高まりを背景にして、習近平は「中国の夢」について声高に語り始めた。中国の夢とは、単純化していえば、かつて中国が世界の中心として君臨していた頃の栄光を取り戻すということだ。近年の中国共産党の歴史認識の特徴は、かつて世界の中心だった中国が、十九世紀の後半から二十世紀の前半にかけて(日本を含めた)帝国主義諸国に侵略され、国家としての威信を失った。その失われた威信を取り戻し、かつての栄光を取り戻すこと、これが中国の歴史的使命だと主張するものだ。その主張は、中国の躍進する経済力に支えられているわけだが、習近平はその経済力の一層の拡大を追求しながら、中国の栄光について語ることをやめない。

その習近平を林は、「毛でもあり、鄧でもある」と言っている。毛は毛沢東のことで、中国共産党の伝統的イデオロギーをさす。鄧は鄧小平のことで改革開放路線をさす。習近平はこの二つをともに追及することで、欧米とは異なった国家構想を実現しようとしている、と言うわけである。それ故習近平の国家構想は、共産党がかじ取りをしながら、中国を強大な国にしていくということになる。

共産党主導の国家であるから、そこには欧米流の民主主義はあまり入り込む余地はない。民主主義とか立憲主義とかいうものは、中国の憲法に規定されたものではあるが、実際の政治運営ではほとんど考慮されない。中国では国民あるいは市民のことを人民と言うが、その人民はあくまでも、共産党の指導の客体であって、政治の主体にはなり得ないと考えられている。共産党が人民の幸福のために働くこと、それが中国流の民主主義だということになる。

そんなわけで、共産党の存在意義はひとえに人民の生活の向上・安定と、中国の国家威信の発揚という点に集約される。それ故共産党は人民を豊かにしなければならないという使命を、本質的なものとして背負い込んでいる。人民を経済的に豊かにできなければ、自分たちの正統性を主張できないわけだ。

その使命を、共産党はこれまでよく果してきた、というのが林の基本的な見方だ。中国はこれまで、すさまじい勢いで経済成長を続けてきた。いまでこそその成長のスピードは下がったものの、まだまだ年率6パーセント台の成長を続けている。この趨勢が今後も続けば、10年単位でGDPが倍々になる計算だ。その勢いには恐るべきものがある。

経済成長の結果、中国には分厚い中間層が形成された。本来ならこの層が、中国の政治を保守的な立場から支えるというのが、これまでの大方の見方だ。国家社会から恩恵を受けている層は、基本的にはその受益者として、国家と自分自身とを同一の紐帯で結ばれていると感じるものなのだ。

ところが、本来愛国的になってしかるべきこの中間層が、かえって利己的な動きを見せている、と林は分析する。その象徴的な例は海外移住だという。2000年から2014年の間に、アメリカに移住した中国人は100万人を超え、カナダでは2011年の段階で54万人、2015年の段階で48万人に上ったという。これらの人々は本来なら、中国の発展の受益者として、中国の発展を支えるべき立場にあるはずなのに、自分の個人的な利益を追求して、海外に移住している。

このへんは、中国人の国家意識を歴史的に検討しないとよく見えてこない問題だと思うのだが、少なくとも、中国人には伝統的に国家への帰属意識、つまり愛国心が欠けていると片付けてすむことではないだろう。彼らを海外移住に駆り立てるなにかの事情が、現代の中国にはあるのだと 考えるのが妥当だろう。

日本とのかかわりについて言えば、現在日中間の最大案件になっている尖閣諸島問題にはかなり深い根がある。東支那海も南支那海ももともと中国の海であったものが、中国の弱みにつけこんで日本が占領したと言う歴史的経緯がある。中国が対日戦争に勝った結果、それらは当然中国にもどるべきであったが、これもまた歴史的な事情によって実現しなかった。それは中国の国力が弱かったからだ。世界に強い影響を持つに至ったいま、中国は強い国力を背景に、正当な権利を主張すべきである。というのが中国側の基本スタンスだ。これはなかなか変わる見込みがない。それ故日本としても、腰を据えた対中対応が必要になるというわけである。





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