霞と春雨:万葉集を読む

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春といえば霞というくらい、春霞は春を象徴する事象だ。万葉集にも春霞を詠った歌は多い。中でも、巻十春雑歌冒頭を飾る七首の歌々は、いずれも霞に春の訪れを感じ取ったものとして、非常に余韻に富んだものである。これらは柿本人麻呂歌集からとったと詞書にある。次はその七首の冒頭の歌。
  ひさかたの天の香具山このゆふべ霞たなびく春たつらしも(1812)
天の香具山にはこの夕べに霞がたなびくのが見える、春がきたらしい、という趣旨の歌で、非常に伸びやかで柄の大きさを感じさせる歌である。このことから茂吉は、人麻呂本人の作かもしれないと言っている。

次は七首のうちの二番目の歌。
  巻向の檜原に立てる春霞おほにし思はばなづみ来めやも(1813)
これは前歌を受けた形で、この夕べに春霞のたった景色を詳細に詠ったものだと茂吉は解釈している。巻向は三輪山の西麓にある。一方前の歌で出てくる天の香具山はその南西、今の橿原神宮の東側にある。ここでの風景の布置が、巻向の更に彼方に天の香具山を見ているのだとすれば、その視点は両者を結んだ線の、巻向より先の延長部分にあるということになる。おそらく三輪山あたりになるのではないか。だとすればこれらの歌は、一種の国見歌といえなくもない。歌の趣旨は、巻向の檜原に立った春霞を、ぞんざいに思ったならわざわざここまで見にくることもない、というもの。春霞を見たくて、わざわざここまでやってきたのだ、という気持ちが読み取れる。

次の歌は、七首のうちの七首目。
  子等が名に懸けのよろしき朝妻の片山ぎしに霞たなびく(1818)
子等以下の二句は朝妻にかかる枕詞。朝妻は金剛山の北側にある低い山で、そこの片山ぎし、つまり山麓に春霞がたなびいていると詠ったものである。これも柄の大きさを感じさせる歌だ。なお、子等が名にかけのよろしきには、朝妻という名があなたには相応しいというニュアンスを込めている。

次は、暦の上での春と霞の訪れとの関係を戯れのようにして詠った歌。
  昨日こそ年は果てしか春霞春日の山に早立ちにけり(1843)
暦の上では昨日年が変ったばかりというに、早くも春霞が春日の山に立ち込めていることよ、と言う趣旨。暦の上で年が明けることを、戯れのように詠ったものしては、古今集冒頭の春の歌が有名だが、万葉集にもこんな歌があったわけである。

次は、春霞に恋の思いを重ね合わせる歌。
  さにつらふ妹を思ふと霞立つ春日もくれに恋ひ渡るかも(1911)
さにつらふ、は妹の枕詞。頬がほんのり赤いことをいう。その妹を思うと、霞がこめた春の日が暗くなるほどに、我が恋心も暗く思い焦がれるのです、と詠ったもの。切ない恋を霞に重ね合わせて詠うのは、非常に珍しいことだ。

春の自然現象としては、霞と並んで春雨も万葉集ではよく詠われた。次はその一つ。
  春雨に衣はいたく通らめや七日し降らば七日来じとや(1917)
これは女が男に向けて詠んだ歌だ。あなたは春雨が降るために会いに来られないとおっしゃるが、春雨が降ったとて衣がいたく濡れるわけでもありますまい。そんなことをいうなら、七日春雨が降りつづいたら、その七日の間は来ないというつもりなのですか、といって、不義理な男を攻め立てているわけである。

次は、春雨に鶯を重ねあわせたもの。
  春の雨はいやしき降るに梅の花いまだ咲かなくいと若みかも(786)
春になってこんなに雨が降っているのに、梅の花はまだ咲かない、まだ若木のせいだからかしら、といった趣旨。春雨と梅の花はセットなのに、春雨だけが降って梅の花が咲かないのはおかしいと不平を言っているのだろうか。

次は、梅のかわりに桜を春雨に重ね合わせたもの。
  春雨のしくしく降るに高円の山の桜はいかにかあるらむ(1440)
春雨がこんなにさかんに降っているが、高円の山の桜はどんな様子だろうか、もう咲いただろうか、という趣旨。これも春雨が降れば、その頃には桜も咲くはずという季節感を盛り込んだものといえよう。






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