ヌーダ・ヴェリタス(Nuda Veritas):クリムトのエロス

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「ヌーダ・ヴェリタス(Nuda Veritas)」とは文字通りには「裸の真実」ということだが、それが「人間の裸体の真実」という意味なのか、あるいは「本然の真実」という意味なのか、それとも両方の意味を兼ねているものなのか、俄には判断できない。おそらく両方の意味を込めているのだろう。

真実とか正義といった観念を寓意の形で絵にしたものは、ヨーロッパの絵画の歴史では珍しくない。たとえば、ジュール・ルフェーブルの「真実」という絵では、裸の女性が光り輝く球体を高く掲げている姿が描かれているが、この光り輝く球体が真実の寓意だと解釈されている。クリムトも、その例を参考にした気配がある。

もしそうだとしたら、この絵の中の女性が右手で持っている光る球体が、真実の寓意化されたものなのだろう。この球体は鏡と思われる。鏡はヨーロッパでは真実のシンボルとされてきた。

裸体の女性が正面を向いた図柄は、ヨーロッパでは、ルフェーブルの絵も含めて、珍しいものではなくなっていたが、芸術の後進国であったオーストリアではまだ一般受けするものではなかった。ましてこの絵の中の女性は、陰毛をつけている。陰毛というのは、エロティックな気分を掻き立てるものだ。

女性の裸体は、陰毛を省くことで中性化され、エロティックな要素が薄められる。だからアングルの時代から、陰毛のない女性の裸体が広範囲に受け入れられてきたのだ。ところが、この絵の中の女性は、陰毛というタブーを破ることで、絵画芸術上のタブーまで破ろうとしたわけである。

女性の足元には蛇がまきついているが、これもまたエロティックな雰囲気を伴っている。蛇はアダムとイブに智慧を授けたという意味で真実とかかわりが深い動物だが、人類にセックスの楽しみを教えたという点ではエロティックな存在でもあったわけだ。

上部にはシラーの言葉が引用されている。それは、「おまえが、自分の行為と芸術で万人を喜ばすことができないなら、少数の者を喜ばせよ。多くの人を喜ばせるものは、ろくでもないものだ」というものだ。この言葉でクリムトは、芸術とは真の理解者のためだけにあるべきものだと宣言しているわけである。

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これは女性の上半身の部分を拡大したもの。女性は長い髪にひなぎくの花を飾っている。また背後にはつる草のモチーフを配し、装飾的なイメージを高めている。つる草の茎及び上下の文字盤は金箔で表現されている。このことで絵の装飾性が一層高まっている。

(1899年 カンヴァスに油彩 252×56cm ウィーン オーストリア劇場博物館)






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