審判の中の女性たち

| コメント(0)
カフカの小説の中に出てくる女性たちは、みな一風変わっている。小説の中に出てくる女性たちには、色々なパターンがありうるわけで、彼女らが多少常道から外れているからといって、別段不都合はないわけだが、カフカの小説の中に出てくる女性たちは、揃いも揃って常道からかなり外れた、ちょっといかれた人達なのだ。カフカの女性の中で、最もしとやかに感じられるのは、「変身」に出てくるグレゴール・ザムザの妹であるが、彼女さえ最後にはゴキブリになった兄の背中にリンゴを投げつけ、それが原因で兄を死なせてしまう。ところが、彼女はそのことに罪の意識を感じるどころか、自分たち一家の上に覆いかぶさっていた不吉な運命を、追い払うことができたことを、喜ぶ始末なのだ。

肉親の女性でさえこのように描くわけだから、カフカの小説の中に出てくる女性たちは、恋愛などとはほとんど無縁である。恋愛感情がないわけでない場面もあるが、それは一瞬の心の迷い程度に描かれる。といったわけで、カフカの小説の中の女性たちは、我々普通の人間が持っている、普通の女性像とはかなりかけ離れている。

批評家の中には、カフカの異常な女性遍歴の体験が小説の中に反映されていると見るものもある。カフカは、最初に愛し合ったフェリーツェ・バウアーと、二度にわたって婚約と婚約破棄を繰り返したのをはじめ、女性との恋愛が成就する体験を持たなかった。その理由はいろいろ憶測されているが、カフカには根本的に女性を愛する能力が欠けていたのではないかとの見方もある。それは極端として、カフカが女性に対して、普通の男が持つような自然な恋愛感情を持ち得なかった、ということは、幾分かは感じられる。

「審判」の中に出てくる女性たちも、一風変った女性ばかりであるし、彼女らとヨーゼフ・Kとのかかわり方も、普通の男女の関係とは、およそ異なっている。それは、一言ではなかなか言い表せないので、シチュエーションごとにわけて見て行きたいと思う。

まず、ビュルストナー嬢。この女性は、ヨーゼフと同じアパートに住んでいる。このアパートは、独立した住宅の集合ではなく、フラットごとに配置された部屋を間貸しするタイプのものである。日本で言えば、借間のようなものだ。それを大規模にしたようなものに、人々が顔を合わせて住んでいたはずだ。そこからヨーゼフの彼女への関心が生まれたようだが、それが形をとることはなかった。ところが、このアパートに見知らぬ男たちが踏み込んできて、ヨーゼフを尋問する。その尋問の場には、ビュルストナー嬢の暮している部屋も利用される。ヨーゼフは、その事態を利用して、ビュルストナー嬢と親密な関係になろうとするわけである。

ビュルストナー嬢の部屋が尋問に使われたのは、ヨーゼフの意思からではなく、役人たちのしたことなのだが、そもそもの原因がヨーゼフにあったことは確かなので、ヨーゼフは自分のために彼女に迷惑をかけたことを謝るという名目で彼女の部屋に押し入り、あまつさえ彼女に肉体の接触を強要するのだ。そんなヨーゼフに彼女は、「あなたのお申し出のなかに、私に対するどんな侮辱が含まれているか、そこをお気づきにならないのが不思議ですわ。でももうお帰りになってください。わたしを一人にしてください」と叫ぶのであるが、ヨーゼフはかまわずに彼女に体を押し付けるのだ。そして、「口にキスをし、それから顔中にキスをした。まるで咽喉がかわいたけだものが、ようやく泉の水を見つけ出し、舌でむしゃぶりついてゆくような様子だった」(辻瑆訳、以下同じ)

ヨーゼフがなぜこんな行為に及んだか、その理由について小説は一切触れていない。触れているのは、ヨーゼフがビュルストナー嬢の洗礼名を知らなかったということだ。洗礼名と言うのは、日本で言えば、その人の名前であるから、これを知らないと言うのは、親密な関係ではないということを意味する。そんな関係でヨーゼフは、女に恋人のような振舞いを要求するわけである。こんなことをされたら、どんな女でも尻込みするほかはない。

実際ビュルストナー嬢は、その後一切ヨーゼフを相手にしなくなる。ヨーゼフが手紙で逢引きを持ちかけると、自分のかわりに友人のモンターク嬢をさしむけて、次のように言わせる。「一般的にいって、お話し合いというものは承諾することでもなく、その反対のことでもないわけです。ただお話し合いをする必要がないと思う場合はありうるわけで、今の場合がまさにそれなのです」

こう言いながらもモンターク嬢は、何故かヨーゼフの唇を見つめるのだったが、それが何を意味しているのか、これも小説は語らない。

次に廷丁の妻。この女は、ヨーゼフが最初に出かけた法廷で見かけたのだが、二度目に行って見ると、一人で彼を迎えてくれた。どうもその態度がなれなれしい。女は出会いがしらにいきなり言うのだ。「私、あの演説は大変気に入りましたの。もっとも、伺ったのはほんの一部分だけですけれども、はじめのところは聞き損じてしまいましたし、終わりのところではあの学生といっしょに床の上に転がっていました」

実際この女は、始めて見たときは、ちびの学生と抱き合いながら床の上に転がっていたのだったが、その女がなぜか、初対面のヨーゼフに好意を寄せ、あまつさえ色目まで使うのだ。その色目にほだされたヨーゼフが女を抱こうとすると、女は俄に拒絶する。「もうだめなのよ。予審判事さんが私を連れに来させたの。あなたといっしょに行けないわ・・・このちびのお化けさんが私を放さないのよ」。そんな女の言葉を聞いたヨーゼフは、「そしてあなたは、放してもらいたがってはいないんだ」と言って、学生の肩に手をかけるのだが、学生はその手にパクッと歯で噛み付いてきたのだ。

こんなわけで、廷丁の妻は去ってしまい、ヨーゼフは彼女からなんらの利益を引き出すことができなかった。ヨーゼフが彼女の相手をしたのは、彼女が好きだからというより、彼女に何らかの利用価値があると思ったからなのだが、彼女はそんなヨーゼフの思いに応えることなく姿を消してしまう。

次にヨーゼフの前に現われるのは、弁護士の家にいた看護婦だ。レーニというこの看護婦は、弁護士のもとを訪れた依頼人の商人とねんごろな関係にあるらしいのだが、ヨーゼフを見ると、俄然彼に性的な関心を抱き、なにかとまとわりついてくる。ヨーゼフのほうも、まんざらでもなく思って、彼女を抱いたりする。何故彼女がヨーゼフに異常な関心を抱くのか、その理由を弁護士が説明してくれる。この女は、刑事被告人をみると、自分のことのように同情し、あまつさえ抱きしめたくなるというのだ。そんなわけでヨーゼフも彼女に抱かれるのである。だからといって、そこから何かが生まれてくるというわけでもない。実際、ヨーゼフは何人かの女にアタックをかけたにしては、それらが何かの実を結んだということがない。

そこでヨーゼフはうそぶくのだ。「どうもおれは女の助力者ばかりつのっているぞ・・・第一にビュルストナー嬢、次に廷丁の細君、最後にこの小さな看護婦だが、どうもこの女はおれにたいしてわけのわからぬ欲求を抱いているようだ。まるで処を得た場所はここしかないとでもいわんばかりに、おれの膝の上にのってるじゃないか」

結局ヨーゼフ・Kは、女性たちからなにか有益な助力をえられないままに、ついに死刑執行人たちから刑を執行される段取りとなる。そして刑場である野原に引っ張っていかれる途中、ビュルスタナー嬢を見かけるのだが、彼女はヨーゼフのことなど全く気にもとめないで、立ち去ってしまうのである。

(この小説には、別に三人の少女たちも出てくるが、彼女たちは、女性というよりは中性的なイメージで描かれているので、ここでは取り上げなかった)






コメントする

アーカイブ