リバー・ランズ・スルー・イット(River runs through it)ロバート・レッドフォード

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ロバート・レッドフォードの1992年の映画「リバー・ランズ・スルー・イット(River runs through it)」は、禁酒法時代のアメリカの地方都市における宗教的に敬虔な家族を描いたものだ。禁酒法時代におけるアメリカの宗教的雰囲気を描いた作品といえば、「エルマー・ガントリー」や「ペーパームーン」がある。「エルマー・ガントリー」は、リバイバル(信仰復興運動)の指導者をテーマにし、「ペーパームーン」はアメリカ人の信仰を商売のタネにする抜け目のない人間を描いたが、この映画は名もない庶民の家族の宗教的な感情を、控えめに描いている。

1980年代のいわゆるレーガン時代は、アメリカで宗教的な感情が高まった時代だといわれる。レーガンの登場自体がそうしたアメリカ社会の雰囲気に後押しされた面もある。そうした雰囲気が、「大草原の小さな家」のような、庶民の宗教的感情を取り上げた作品を大ヒットさせたのだと思われる。この「リバー・ランズ・スルー・イット」はアメリカの地方都市に住む家族の宗教を介した絆のようなものを描いている点で、「大草原の小さな家」に通ずるものがあり、そうした意味でレーガン時代の余韻を感じさせる作品である。

この映画の中の家族の父親は、プロテスタント系教会の牧師で、熱い信仰心に支えられている。彼の二人の息子たちは、父親の背中を見て育ち、二人とも宗教的な感情が豊かである。この家族にはもうひとつ絆がある。それはフライ・フィッシングだ。渓流の水につかりながら疑似餌をつけた糸を投げ込み、大きな紅ますを豪快に吊り上げる。その感触がこたえられなくて、父子はフライ・フィッシングに熱中する。映画は彼らのフライ・フィッシングと宗教的な感情を縦軸にして、それに長男の恋愛とか、次男の独特の生き方をヨコ軸に絡ませ、淡々とした物語を展開してゆく。物語の面白さもさることながら、映し出されるモンタナの自然の美しさが見る人を捉える。

長男のノーマン(クレイグ・シェイファー)は東部の名門大学ダートマスに学び、六年ぶりに故郷の町に帰ってくる。一方次男のポール(ブラッド・ピット)は地元の大学を卒業してやはり地元の新聞社に記者として勤めている。この二人が、少年時代から育んだ兄弟愛をもう一度確かめようとするように、一緒にフライ・フィッシングを楽しんだり、怪しいところで密造酒を飲んだりする。ノーマンは、パーティで見かけた女性に一目ぼれをする一方、ポールはインディアンの娘と付き合っている。インディアンは白人たちの差別の対象だ。そんな差別に対してポールは体を張って対抗するのだ。

モンタナの大自然を背景にゆったりとした時間が流れたあと、ノーマンはシカゴ大学の教授に迎えられることになる。それをきっかけにノーマンは好きな女性にプロポーズする。一方ポールのほうはやくざ者と喧嘩をしたあげく、拳銃の尻で叩き殺される。喧嘩の原因は触れられないままだが、ポールのそれまでの生きかたを知っているものには推測がつくというふうに伝わってくる。息子の死を聞かされた父親も、息子が勇敢に死んだことを確かめて、自分の気持を落ち着かせるのだ。

こんなわけでこの映画は、ドラマティックな物語展開はあまり感じさせない。最も強く伝わってくるのは、家族の間の敬愛と信頼といった感情だ。それこそこの映画を、ある種の宗教映画にしている所以だといえる。なお、この映画は、実在の人物の回想記を下敷きにしている。映画の中で出てくるノーマンがその回想記の作者だ。

ロバート・レッドフォードは60年代から70年代にかけて、「明日に向かって撃て」や「スティング」などに俳優として出演し、人気を博していたが、80年代以降は映画の監督もするようになった。この映画は彼の監督としての代表作である。






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