民主主義と正義(三)

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5 シュミットによる自由主義批判
 議会主義と、その基盤となる自由主義についてこのように整理したうえでシュミットは、自分自身の立場を明らかにする。それを簡単に要約していうと、権力の集中と国家の役割の拡大というものである。

 シュミットは、権力の分散に強い拒否感を表明する。権力の分散は、国家の力を弱めるというのがその理由である。権力の分散を主張するものは、それによって民主主義が強固になると主張するが、民主主義とは本来権力の分散と密接不可分なものではない。むしろ反対である。民主主義というものは、フランス革命がそうだったように、立法権に至高の権力を与えるものであるし、その立法権も一院制であることを本来の姿とする。なぜなら、民主主義とは、統治の主体と客体とが同一であることを意味しており、そういうものとして、権力の主体である民衆の代表、つまり議会に権力を集中するのが民主主義の本来の姿だからである。行政は、議会の意思を執行するための委員会なのであり、司法は、立法府が決定した法的な意思を担保するための機関にすぎない。権力を分割して、それを相互にけん制させるやりかたは、民主主義の本来の姿ではない。それは自由主義的な理念を反映したものなのである。ところがこの自由主義を、シュミットは強く排斥する。その理由が、自由主義が国家を弱体化させるとする見方にあることは、上述のとおりだ。
 自由主義が、国家の弱体化を狙っていることは、自由主義的な国家観の代表としての多元的国家論によく現われている。シュミットは、多元的国家論を主張したハロルド・ラスキを最大のライバルに見立て、その国家の相対化についての主張を強く反駁する。国家は、ラスキがいうように、数多くある集団とか結社とかと同並びの相対化された機関ではなく、経済や文化を含めて、すべての人間生活がそれを通じて保証され、発展してゆくための条件となるものである。その意味で国家は絶対的な存在なのである。個々の人間が先にあって、その後に国家ができるのではない。個々の人間が生まれた時には、国家は既に存在している。国家は人間の生存の前提条件となるものなのだ。それ故、ラスキのように国家を相対化し、軽視するものは、人間の生存と発展の条件を損なうものなのだ。
 議会についての自由主義的な議論は、議事の公開とか、熟議を通じての少数意見の尊重とか、とかく悠長なことを言うが、これもシュミットの排斥するところである。自由主義者たちが熟議と言うところをシュミットは空疎なおしゃべりと言う。熟議といえば聞こえはいいが、その実おしゃべりにうつつを抜かして何も決められないでいるに過ぎない。シュミットは「政治的ロマン主義」という書物の中で、空疎なことがらにうつつをぬかし、延々とおしゃべりすることをロマン主義の特徴だとし、議会においてこれが行われると、それは政治的なロマン主義の現れとなって、空疎なおしゃべりが政治の本質と取り違えられることとなるのを強く批判している。政治の場で要請されることは、国家として緊急に必要なことについて、正しい決定を迅速に行うことなのだ。
 以上シュミットが自由主義的な議論に敵対するのは、それが国家として必要な決定なり行動なりを麻痺させることとなるからだ。シュミットにとっては、政治というものは、国家として必要な政策を迅速に決定することにその本質がある。そのために最もふさわしい政治形態は独裁である。独裁は、一人の人間が政治の方向について決定するわけであるから、もっとも迅速な判断が期待できる。だが、その独裁は国民の意思に基礎づけられている必要がある、とシュミットは見た。でなければ、ただの専制政治に堕してしまうからだ。現代という時代にあっては、どのような政体も、国民の支持に基礎付けられていなければ、正統性を主張できない。ところが、独裁もまた、国民の意思によって基礎づけられる。シュミットは委任独裁を考えていたようだが、その委任独裁を民主主義の一つの成果として位置付けることができると考えた。独裁と民主主義とは、シュミットにあっては矛盾しあわないのである。独裁と矛盾するのは自由主義である。自由主義は、権力の集中を嫌う。だから、独裁とは相いれない。自由主義と独裁とは正反対なのだ。だがどちらも民主主義と結ぶつくことができる。民主義的な議会主義もありうるし、民主主義的に選ばれた独裁もある。これがシュミットの最もシュミットらしいユニークな考え方だ。

6 シュミットの思想の背景
 シュミットが以上のように考えた背景事情としては、当時のドイツが置かれた状況があった。ドイツは第一次世界大戦の敗者として、連合国から過大な要求を突き付けられ、内部には内乱の危機を抱え、国家存亡の秋に直面していた。そういう状況の中で、ドイツ人が民族として生き延びるためには、国家を強大化し、その国家を通じて再起をはかるしかないといった認識も当然なりたったわけだ。シュミットはそういう考え方のチャンピオンだった。それ故彼にとっては、国家を強大化するための方策、すなわち権力の集中とか国家の役割の拡大とかいったものが期待されたわけである。そこからシュミットの国権主義が現れ、その国権主義が独裁の希求にまで及んだのである。
 もっともシュミットの構想した独裁は、あくまでも国民の意思に基礎づけられる必要があることから、理論上は委任独裁にとどまった。ところが歴史の実際は、ヒトラーによる主権独裁の登場を許し、それについてシュミットも一役買わされることとなった。理論上は、委任独裁と主権独裁を区別できても、実際上は両者の区別は容易に乗り越えられてしまう。なぜなら独裁者の暴走を、誰も止めることができないからだ。
 主権独裁ということでは、イタリアのファシズムがその先駆者となったが、これについてシュミットは、ほとんど評価していない。その理由をシュミットは、イタリアのファシズムだけは、理論上も実際も民主主義の支配を無視したことだとしている。シュミットはあくまでも、民主主義の枠内で、政治的な議論をしているつもりなのであり、どのような政体も、民主主義を無視しては成り立たないと考えていたわけである。そんな民主主義にとって、自由主義との結びつきは国家にとって不幸であり、独裁は、それが委任独裁として国民の自由な意思に基礎づけられているかぎり、容認されるべきものだったのである。





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