月を詠む:万葉集を読む

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中秋の名月という言葉があるとおり、秋の月見の風習が我々現代人にはあるが、万葉時代にはまだ月見の風習はなかった。月見の風習が中国から日本に伝わったのは、平安時代に入ってからのことだ。それゆえ、万葉集には、中秋の名月をことさらに詠ったものはないし、月が専ら秋と結びつくということもなかった。万葉集には月を詠んだ歌が多いが、それらは、季節を問わず、また満月に限られていない。そんなわけだから、ここでは、特に秋の季節感との結びつきにこだわらず、月を詠んだ歌を鑑賞したい。

まず、巻一にある額田王の歌。
  熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな(8)
斉明天皇が新羅討伐のため九州に向かう途中、四国の熟田津に滞在したときに、随従していた額田王が作った歌とされる。趣旨は、熟田津で船出しようと月を待っていると、潮も満ちてきた、いざ漕ぎ出でよう、というもの。熟田津は現在道後温泉のあるあたりで海岸ではないが、万葉時代には海岸だったのだろう。そこで月を待つ、というのは潮が満ちるのを待つ意味だと斎藤茂吉は言っている。四国あたりでは、満月が東の空に出る頃に丁度満潮になるという。そこから、月が出るのを待つとは、満潮になるのを待つということを意味し、歌の趣旨は、満潮になったのを機会に船を漕ぎ出そうということになる。この歌は、女性の詠んだものだが、新羅征伐に向かう人々に、決起を呼びかける勇壮な雰囲気が伝わってくる歌だ。

次は、中大兄皇子の歌。
  海神の豊旗雲に入日さし今夜の月夜さやけくありこそ(15)
これは、大和三山を詠った長歌の反歌という位置づけだが、原注にもあるとおり、大和三山の反歌とはいえないところがある。趣旨は、海浜に立って海を眺めていると、海上にかかった雲に入日がさしている、今夜も月の光で明るくなりそうだ、というもの。豊旗雲とは、豊かな旗のような形をした雲というほどの意味。そこに入日があたって明るくなっているイメージが伝わってくる。入日があたれば明るい月夜になると思われていたのだろう。

次は、柿本人麿の有名な歌。
  東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ(48)
これは軽皇子(文武天皇)が阿騎野に宿られて父日並知皇子を追想されたときに、随従していた柿本人麿が詠んだ歌四種のうちの一首。趣旨は、東の野に陽炎が立つのが見え、西の空を振り返り見れば、あたかも月が落ちかけている、というもの。はじめに東のほうを見ていた作者が、ふと西を振り返ると月が傾くのが見えた、というのは、この月は三日月だったのだろう。

次は、天武天皇が崩御したときに、皇后(持統天皇)が詠んだ歌。
  北山にたなびく雲の青雲の星離り行き月を離れて(161)
北山にたなびく雲の、青い雲のなかに、星が移り、月も移ってゆく、と言う趣旨。青い雲というのは、青空をいうのであろう。その青空を、星も月も移り行き、月日が過ぎてゆく、という趣旨だと思われる。月がうつろうさまに、時間の流れを読むのは、万葉時代も同じだった。

次は、柿本人麿泣血愛慟歌のなかの歌。
  去年見てし秋の月夜は照らせれど相見し妹はいや年離る(211)
泣血愛慟歌は、妻が死んだときに人麿が詠んだ二首の長歌と四首の短歌からなる。この短歌の趣旨は、去年一緒に見た秋の月の夜は、今年も同じように月が照っているが、一緒に見た妻はますます遠ざかってしまった、というもの。

次は、湯原王が娘子に贈ったという歌。
  月読の光りに来ませあしひきの山きへなりて遠からなくに(670)
月の光をたよりにわたしのところに来なさい、山がへだてて遠いというわけでもないのだから、という趣旨。男から女に向かって、このように自分のところへ来るように呼びかけるのはめずらしいのではないか。普通は、男が女のもとを訪ねるものだ。この歌に対する娘子の答えも載っている。「月読の光りは清く照らせれど惑へる心思ひあへなくに」(671)

次は、女のもとから去った道筋に男が見た月を詠った歌。
  春日山おして照らせるこの月は妹が庭にもさやけくありけり(1074)
春日山のあたり一帯を照らしているこの月は、あなたの庭にも清く照っていることよ、という趣旨。月の光を通じて、別れてきたばかりの恋人との結びつきを確認しているのであろう。

次は、海上に浮かぶ月を詠ったもの。
  海原の道遠みかも月読の光少き夜は更けにつつ(1075)
海上はるか遠いせいか、月の光がおぼろげに感じられるままに夜が更けてゆく、という趣旨。海上に上っている月が、かすんで見えるということを詠っているのだろうが、このようにかすんで見えるのは、海から漂い出す霞のせいだろうと、いぶかっているように聞こえる。

次は、旅の道でみた月を詠ったもの。
  家にして我れは恋ひむな印南野の浅茅が上に照りし月夜を(1179)
家に帰ってからも思い出すことだろう、この印南野の浅茅が上に照り渡った月を、と言う趣旨。旅の道で見た月の印象が非常に強かったので、家に帰っても忘れないだろうと、その印象の強さを強調しているのだろうと思われる。






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