高湯温泉につかる

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山子夫妻及び落、松の両子と福島の高湯温泉に遊んだ。隣の土湯や会津の温泉には、このメンバーで行ったことがあるが、高湯は結構名高いにかかわらず、まだ一度もいったことがないので、今年はここで硫黄の湯につかろうと思った次第だ。ここはまた、徳川時代の初めころから、湯治場として栄えたところでもあるので、先日行った小川温泉とは、古い湯治場としてまた違った風情を楽しめるかなと思ったのだった。

今回は二台でドライブということになり、小生と落子が新宿から松子のベンツに乗り込み、東北自動車道を走って、山田夫妻の車と久喜のサービスエリアで合流した。日曜で高速道路が混んでおらず、11過ぎには福島についた。当初の予定では、福島市内のレストランで昼食のつもりだったが、市内は休日で込んでいるだろうからというので、高湯温泉に向かう途中の信夫温泉の旅館で食おうということに変えた。

ところがナヴィゲータの案内が齟齬をきたし、高湯温泉に向かう一歩道を行かずに、土湯温泉に向かう道を行ったために、信夫温泉にたどり着くことができない。そこで土湯温泉の適当な旅館で定食でも食おうということにした。筆者は鳥の照り焼き定食というものを食った。ビールを飲んだのはいうまでもない。運転手の松子には気の毒なので、彼の分の勘定を落子と小生が払うことで、多少の誠意を示した次第だ。

土湯温泉から高湯温泉には山を一つ越えていかねばならぬ。車はジグザグの道を揺れながら進んだが、小生はあらかじめ酔い止めの薬を服用していたので、酔わずにすんだ。年をとってからというもの、子ども時代に逆戻りして、乗り物に酔いやすくなってしまったのだ。おかげで先日アヒルたちと乗鞍高原をバスで横断したときには、すっかり酔っぱらってしまい、折角の夕餉に箸がつかないありさまだった。

土湯と高湯の真ん中あたりに浄土平がある。今日は休日とあって、大勢の観光客が押しかけ、その人々が、極楽浄土をめざす罪人たちの行列のように見えたものだ。

高湯温泉は、山奥に何軒かの旅館が点在するひなびた雰囲気の場所で、これといった見どころがあるようには見えない。一応渓流らしいものがあるらしく、絶えず水の流れる音が聞こえるのだが、それは渓流というより小さな沢のようなもので、景色に色を添えるとまではいかない。昔の湯治客も、この水の音を耳にしながら、硫黄の湯を浴びたのであろう。

その高湯温泉の旅館には三時ごろについた。安達屋といって、400年の歴史を誇る古い旅館だそうだ。まずは大浴場につかった。ここの湯は硫黄泉だが、底が見えないほど白濁してはおらず、匂いもそんなに強烈ではない。昨年熟女たちとつかった日光湯元の硫黄泉よりずっと柔和な印象を受ける。この硫黄泉はとりわけ婦人に効用があるそうで、山子夫妻は二人でひと風呂を借り切って湯を楽しんだという。残りの三人は、頭を並べて鼻歌交じりに湯を楽しんだところだ。

夕食は、山の中の宿とあって、もっぱら山の幸を振舞われた。山菜や木の実を中心に、生き物としてはイワナやシャモの肉が出た。それを串刺しにして、炭火で焼いて食うのだ。シンプルな料理ながらなかなかのものであった。

食後我々の部屋に集まり、焼酎やバーボンウィスキーを飲みなおした。山子の細君はともかく、皆すっかり年を取ってしまって、互いに世事を論じ合うという具合にはならず、至極穏やかな会話に終始した次第だ。なお、飲むのに一区切り入れて、もう一風呂つかりにいったのは言うまでもない。そんなわけで、十時過ぎには寝てしまった。





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