異母兄妹の恋:万葉集を読む

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万葉の時代には異母兄妹間の恋はタブーではなかった。当時の子どもは母親のもとで育てられたので、母親が違えば互いに会うこともなく、他人同士だったという事情も働いただろうが、天皇家からして異母兄弟婚が盛んだったので、世間でもタブー視されなかったと思われる。ただ、同母兄妹間の恋はさすがに強く忌避されていた。天智天皇と間人皇女とは同母兄妹間で恋をしあった例として有名だ。天智天皇の即位が異常に遅れたのは、このことが影響したのだと推測されている。

天武天皇の子どもたちには、異母兄妹間で恋しあった例が多い。まず、穂積皇子と但馬皇女の恋。穂積皇子は天武天皇の第五皇子で、母は蘇我大蕤娘。但馬皇女は天武天皇の皇女で、母は氷上娘。この二人が深く愛し合い、その愛の気持を但馬皇女が詠った歌が万葉集に三首収められている。順次鑑賞したい。

  秋の田の穂向きの寄れる片寄りに君に寄りなな言痛くありとも(114)
これには、但馬皇女、高市皇子の宮に在す時に、穂積皇子を思ひて作らす歌一首、という詞書がある。高市皇子は天武天皇の第一皇子で、母親の身分が低かったので皇太子にはなれなかった。その皇子と、異母妹である但馬皇女とが結婚していた。つまり、但馬皇女にとっては、夫も愛人も異母兄だったわけである。歌の趣旨は、秋の田に実った稲穂が片方になびくように、わたしもあなたのほうへとなびきたい、たとえ人のうわさがつらくとも、というもの。皇女には立派な夫があるわけだから、他の男への愛はやはり辛いうわさとなって自分に跳ね返ってくるわけである。

  遣れ居て恋ひつつあらずは追ひ及かむ道の隈廻に標結へ吾が背(115)
これには、穂積皇子に勅して、近江の志賀の山寺に遣はす時に、但馬皇女の作らす謌一首、という詞書がある。志賀の山寺は天智天皇が立てた崇福寺のこと、そこに天武天皇の勅旨として派遣されたのだろう。一人去った愛人を、残された但馬皇女が恋しく思って作ったのがこの歌で、趣旨は、あなたに遅れてひとりで恋しがっているよりは、いっそ追いかけていきましょう、だから道の曲がり角にしるしをつけておいてください、いとしいあなた、というもの。

  人言を繁み言痛み己が世にいまだ渡らぬ朝川渡る(116)
これには、但馬皇女、高市皇子の宮に在す時に、竊かに穂積皇子に接ひ、事既に形はれて作らす歌一首という詞書がある。夫である高市皇子の宮で穂積皇子と密会したことが露見したということである。歌の趣旨は、人のうわさがあまりにも辛いので、いままで渡ったことのない朝の川をわたりました、というもので、いとしい人に会うためには、朝の川をわたるのも厭わないという女の一途な気持を感じさせるものだ。

以上は巻二に収められた但馬皇女の歌であるが、巻八には、穂積皇子の歌二種とそれに応えた但馬皇女の歌一首が収められている。まず穂積皇子の歌二種のうちの一首、
  今朝の朝明雁が音聞きつ春日山黄葉にけらし吾が情痛し(1513)
歌の趣旨は、今朝の夜明けに雁の鳴き声を聞いた、春日山は黄葉したらしい、それと同じように私の心も(愛のために)苦しい、というもの。これに応えた但馬皇女の歌は、
  言繁き里に住まずは今朝鳴きし雁に副ひて去かましものを(1515)
噂のうるさい里になど住んでいないで、今朝鳴いたという雁とともに、どこかに飛んでいってしまいたいものです、という趣旨だ。

ついで、弓削皇子と紀皇女の恋。弓削皇子は天武天皇の第六皇子で、母は天智天皇の子である大江皇女。紀皇女は天武天皇の皇女で、母は蘇我大蕤娘。紀皇女は、軽皇子(文武天皇)の后であったが、弓削皇子との不倫のために后の位を剥奪されたという説もある。ともあれその紀皇女を、異母兄の弓削皇子が思いしのんだという歌が、巻二に四種収められている。それらを一括してあげる。
  吉野川行く瀬の早みしましくも淀むことなくありこせぬかも(119)
  我妹子に恋ひつつあらずは秋萩の咲きて散りぬる花にあらましを(120)
  夕さらば潮満ち来なむ住吉の浅香の浦に玉藻刈りてな(121)
  大船の泊つる泊りのたゆたひに物思ひ痩せぬ人の子故に(122)
一首目は、吉野川の流れのように、私たちの恋もよどみなく流れて欲しいという趣旨、二首目は、あなたに恋い焦がれているよりは、秋萩が咲いて散るようにぱっといきたいものですという趣旨、三首目は、夕方には潮が満ちるでしょうから、住吉の浦で玉藻を刈りたいものですという趣旨で、玉藻が紀皇女をさしていることは言うまでもないだろう。四首目は、波のたゆたうように物思いに耽っているうちに、すっかりやせ細ってしまいました、あなたのゆえに、という趣旨。四首とも、紀皇女に対する弓削皇子のつらい恋の思いを語っている。

一方、紀皇女の歌は巻八の比喩歌の冒頭に収められている。
  軽の池の浦廻行き廻る鴨すらに玉藻の上にひとり寝なくに(390)
軽の池で泳いでいる鴨でさえ、玉藻の上に一人寝することはないというのに、このわたしはあなたなしで一人寝しているのです、という趣旨で、明示はされていないものの、弓削皇子への切ない思いをこめたものと受け取ることができる。

このほか巻二には、大迫皇女、石川郎女、柿本人麻呂などにかかわる恋の歌が収められているが、それらは別稿で言及しているので、重ねて繰り返さない。






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