高島俊男「李白と杜甫」

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高島俊男は中国文学者であるが、その中国文学と日本語との関係をユニークな眼で見ている。日本語が中国文学の巨大な影響を受けたことは、歴史的・地政学的な見地からして、ある意味必然なことであったが、それは日本語にとって必ずしもいいことばかりではなかった。中国語と日本語とでは、根本的に異なる言語であるのに、その異なる言語を表記するために作られた漢字を、日本語に取り入れたことで、日本語は非常におかしな事態を多数抱えることになった。もし日本人が漢語というものに接していなかったら、日本人は日本語をあらわすために自前の文字を発明したであろうし、しかがって漢語を用いずに抽象的な表現をするようになったであろう。しかしなまじ漢語を便利に使いこなしてしまったために、そういう可能性をつぶしてしまった。そこで日本人はいまだに日本語の表記にあたって不自然をせまられているばかりか、外国語である漢字を後生大事にしていることは滑稽でさえある。そのように主張している。

日本人の漢字に対する敬意は、昔ほど強くはなくなったが、それでもやはりいまも根強く残っている。中国文化の華ともいうべき漢詩についても、愛する人々は多い。だからこそ高島俊男が今風の漢学者として多数のファンを擁していられるわけだ。漢学者であるから、漢字やそれで書かれた漢詩を手放しで崇拝するかといえば、上記のように日本人の漢語の使い方についてはシニカルであるし、漢詩の味わい方についても批判的だ。日本人は、本来外国語である漢詩を、あたかも日本語の変体のように受け止めて、日本語の詩を読むような気持で読んでいるが、これは非常に奇妙なことだ。他の言語の詩を味わうときには、自然な日本語に翻訳して味わうのに、漢詩ばかりは奇妙な方法を用いて、あたかも漢詩が日本語で表記された詩であるかのように扱っている。これは非常に不自然なことなので、高島としては、漢詩といえども他の外国語の詩と同様に、自然な日本語に翻訳すべきだという堅い信念を持っているようである。

「李白と杜甫」という本は、高島が最初に書いた本格的な漢詩論だというが、高島は上記のような信念に基づいて、李白と杜甫の詩を、いわゆる訓読書き下し文ではなく、普通の日本語に翻訳しながら、読者と共にそれを読むという体裁をとっている。それでもなお、翻訳に並べて原詩をさしはさんでいるし、場合によっては訓読文を併せ載せてもいる。やはり日本における漢詩受容の長い伝統を一気に無視するわけにいかないのだろう。筆者なども、原詩を無視して翻訳文だけを示されたら、到底李杜を読んだ気にはならないだろう。萬里悲秋常作客百年多病獨登臺は、「萬里悲秋常に客と作り、百年多病獨り臺に登る」、と読んでこそ味わいが深まるのであって、これを、「萬里の果てで迎える悲しい秋にはいつも旅人であり、生涯病気がちの身で一人高いところに登る」、とだけ示されたのでは、杜甫の杜甫らしさを半分も味わうことができぬ。

こんなわけでこの本には多少の問題があるのだが、それをさしひいても読む価値はあると思う。それはやはり李杜に対して高島の抱く愛情のようなものがしからしめているのだろう。中国文学史上のこの二つの巨星を、高島は多角的な視点から比較し、彼らの詩がなぜ千年以上の間中国人の心を捉えつづけたばかりか、海を隔てた日本人の心まで動かしてきたのか、その秘密のようなものについて、熱い言葉で語っている。それを簡単に言い表すことはできぬが、二人共に、人間としてのスケールが大きかったということだろう。そのスケールの大きな人間性が彼らの詩を通じて、後世に生きている世界中の人々に訴えかけるということではないのか。

人間としてのスケールの大きさを共通項とすれば、二人を差別化する要素はなにか。これについて高島は、巌羽の所説を引用しながら次のように言っている。「李白には一二の妙所があってそれは杜甫には言えない。杜甫には一二の妙所があってそれは李白には作れない。李白の飄逸豪放は杜甫の及ばぬところであり、杜甫の沈鬱雄勁は李白の及ばぬところである。李杜二公の優劣を定めることはできない」

この優劣定めがたい二人が、同じ時代を生きて、短い間ながらも親しく交わり、心を通じ合った。そこに高島は文学史上の奇跡を感じるとともに、人間同士の触れ合いの暖かさを感じもするわけである。その感じを我々読者が、一端なりと享受できることは、高島の筆の冴えによるものである。






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