間夫をされた怒りは理解できる:大阪地裁の法意識

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今年(2017年)の四月に、不倫行為(間夫)をした妻に怒りを覚えた夫が、妻に殴る蹴るの暴行を加えたあげくに死亡させた事件について、大阪地裁が執行猶予付きの有罪判決を言い渡した。有罪判決に執行猶予がつくのは、情状酌量の余地があることの現れであるが、大阪地裁としては、この夫が妻の不倫に激高したことには、それ相応の理由があるといえるし、その点については同情できる、すなわち間夫をされた怒りは理解できる、したがって執行猶予に値する、と判断したようだ。

この判決を聞いて、あれれと思ったのは、筆者のみではあるまい。いまどき妻の不倫に腹を立てて、そのあげくに殴り殺してしまうというのは、どう考えても異様なことである。徳川時代ならともかく、敗戦以前の時代においても、浮気した妻を殺したことで同情を買った男などほとんどいないのではないか。筆者は判例を洗ったわけではないが、少なくとも敗戦後にあっては、浮気された夫のほうに同情して、その罪一等を減じたというのは、ほとんど例がないのではないか。

妻に浮気されるのは、浮気される夫のほうにも理由がある、と考えるのが普通ではないか。それをこの判決は、妻に浮気された亭主のほうには責任のようなものを認めず、浮気した妻が一方的に悪いと言っているように聞こえる。夫には、妻に浮気されたことを耐え忍ぶ義理はない一方、妻は夫に対して貞操を守る義務がある、という考え方にこの判決は、どうも立っているような気がする。

翻って夫と妻の立場を逆転させて考えたらどうだろう。夫が浮気したことに激高した妻が夫に暴力をふるい、あげくに夫を殺したとしたら、いまの日本の裁判所は妻の情状を酌量して罪一等を減じるような意気な取り計らいをするだろうか。どうもそうは思われないと言うのが、誰もが抱くであろう感想ではないだろうか。

いまの日本では、女の浮気は白い目で見られ、そのような不届きな行為をしたものは社会から寄ってたかって排撃される。その一方で、若い女性を強姦して涼しい顔をしている男があちこちにいる。ことセックスがかかわる問題については、日本は、裁判官の法意識も含めて、敗戦以前とほとんど変わるところがないようだ。





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