天空の城ラピュタ:宮崎駿

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1986年公開のアニメ映画「天空の城ラピュタ」は、スタジオ・ジブリとしての最初の劇場映画である。題名のラピュタからは、スウィフトの小説「ガリヴァー旅行記」の一章が想起されるが、名称を借りただけで、内容的には何のつながりもない。筋書きは、宮崎駿の純粋のオリジナルである。

内容としては、宝探しを兼ねた異世界探検物語といったものだ。宝探しをしているのは二組の悪党、一つは人のよい海賊たち、もうひとつは政府の機関ということになっている。どこの国の政府かは明示されない。それらの動きに一組の少年少女が巻き込まれる。少女のほうは、宝探しの標的であるラピュタへの接近の手がかりを持っていると思われ、それがもとで、悪党たちに狙われるのだ。これに対して少女と仲良くなった少年が、自分の命を懸けて少女を守ろうとする。その必死の努力が、このアニメのミソである。

そんなところからこのアニメは、世界中に流布している騎士物語のパターンを思わせる。騎士物語というのは、美しい淑女のために、騎士が命を懸けて戦うというのが典型的なパターンになっている。このアニメも、そのパターンを踏まえているように見えるので、欧米の観客にもわかりやすく、それが国際的な成功につながったのだと思う。

こういうパターンの話は、日本の伝統的な説話の中には存在しない。だから、宮崎は、西洋の騎士物語を参考にしながら、自分なりの騎士物語を創造したのだと思う。近頃の日本人は、西洋流の説話にも通じるようになったので、こういう、いわばバタ臭い作品でも、抵抗なく受容できたのだろう。このアニメは国内でも大したヒットになった。

面白いのは、二組の悪党のうち海賊のほうが、少年少女たちの味方につくことだ。アニメの筋としては、なにもそんな展開になる必要もなかったわけだが、宮崎はこの挿話を入れることで、物語全体にある種の潤いを加えようとしたのだろう。騎士が立ち向かう相手が、根っからの悪党ばかりでは、殺伐になるばかりだ。

少年の活躍ぶりが、アニメの技術を動員して、華やかに描かれる。この作品は、そうした細部を見るだけでも楽しい。宮崎のアニメに出てくるヒーローたちは、だいたいが超人的な能力の持ち主ということになっているが、このアニメのように少年がその能力を保持していると描かれるのは、ある種の痛快さをもたらしてくれる。観客はこのアニメを見て、気分がすっきりするのを感じるだろう。鬱気味の人でも、気分が晴れる作品だ。






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