ジョルジュ・ルオー:キリスト者の幻視

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(ジョルジュ・ルオーの自画像)

ジョルジュ・ルオーは、20世紀最高の宗教画家と言われる。彼の絵は深い宗教性を感じさせるのであり、それを見る者を宗教的な恍惚にいざなう。彼のそうした宗教的な芸術表現は、14歳で弟子入りしたステンドグラスの職人としての修行に根差していることはよく言われる。というのも彼は生来敬虔なキリスト教信者であったわけではなく、カトリックに入信したのは1892年、21歳のときであった。その彼がキリスト教をテーマにした宗教的な作品を多く描くようになったのは、ひとつには少年時代のステンドグラスの修行と、生まれながらでなく自分の意思によって選び取った信仰の賜物と言ってよいのではないか。

ルオーの画家としての教育は、国立美術学校におけるクラシックな美術教育によってはぐくまれた。要するに彼は、伝統を背負った形で美術界にデビューしたわけである。といっても、彼の受けた美術教育は一風変わったものだった。国立美術学校で彼は、ギュスタヴ・モローの指導を受けたが、モローは彼に枠にはまった教育ではなく、かなり型破りで、彼の個性を尊重するような教育を施した。そのおかげでルオーは、自分のもつ個性的な才能を、十分に伸ばすことができた。

とはいっても、今日ルオーの絵の特色といわれるものを、画家としてデビューしたときから身につけていたわけではない。彼がいわゆるルオー風の絵を完璧に確立するのは、1920年代の半ば、すでに50歳を過ぎてからだった。では、それ以前にはどんなスタイルの絵を描いていたか。

ルオーが画家としてのデビューを飾ったのは、サロン・ドートンヌを通じてだった。この展覧会は1903年に始まったが、ルオーはそれに2点の作品を出品して以来、続けてこの展覧会に出品した。この展覧会は、マティスやドランなどのフォーヴィズムの拠点となったので、ルオーも一時期フォーヴィズムの流れに位置づけられたこともあった。だがルオー自身は、自分をフォーヴィストとは思っていなかったし、マティスらとは、美術学校の同窓生ということ以上に、共通点は持たないと明言していた。

しかし、初期の、つまり1900年代初めの頃のルオーの絵は、ドランらフォーヴィズムを思わせるようなところがないわけではない。マティスほど明るい色彩は感じられないが、独特なフォルムと大胆な色づかいは、従来の絵画の常識を大きくはみ出したものには違いなかった。

ルオーの絵は、すでに初期のころから宗教的な色彩の強いものだった。彼が描いたのは、キリストに背を向けた世界の悩みである。娼婦やサーカスなど、一見キリストとは縁のないように見えるテーマも、キリストに背を向けた世界の悩みとしてルオーは捉えるのである。キリストの迫害とか、娼婦やサーカスといったこうしたテーマは、その後生涯を通じてルオーの追求するところとなる。

初期のルオーの絵は、非常に暗い印象がする。構図的には、すでに後期のルオーらしさを感じさせるが、色彩が暗いために、同じ画家の手になるとは思えぬほど、違う印象を与える。今日いわゆるルオーらしさとして親しまれている画風をルオーが確立するのは、1920年代の半ばである。以来ルオーは、揺るぎのない技法を用いて、自分の生涯をかけたテーマであるキリストの内面の世界を描き続けるのである。

ここでは、そんなルオーの作品のうち、いわゆるルオーらしさのあふれている作品、それは時折ルオーの幻視を表現したものだと言われるが、そうした作品群を鑑賞したいと思う。(上の絵は、1925年の自画像「見習い職人」)






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