もののけ姫:宮崎駿

| コメント(0)
miya05.mononoke.jpg

もののけと言うと、昔話に出てくる妖怪のことが想起されるが、この映画のなかでもののけ姫とよばれているのは、妖怪ではなく山犬に育てられた人間の娘のことである。そのもののけ姫が人間を敵として戦う。その戦いに一人の少年が巻き込まれて、もののけ姫と人間との板挟みになる。そんな話を、この映画は描いている。

もののけ姫が人間を敵視するのは、人間が自分たち動物仲間のかけがいのない環境である森を破壊しているからだ。森の破壊者は、鉄の精錬を目的としており、そのためにおびただしい材木を必要とする。鉄の精錬というのは、巨大なエネルギーを要するのだ。その人間に歯向かった動物は当然のこととして殺されるが、その動物の霊が怨霊となって、この世に災いを引き起こす。映画ではその怨霊を祟り神と呼んでいる。少年はその祟り神によって祟られ、余命いくばくもない運命に見舞われる。その呪いを解くには、獅子神と呼ばれるものの力が必要だ。そこで少年は、獅子神と逢うべく、森の中に踏み込んでゆき、そこでもののけ姫に出会うというわけなのだ。

こんなわけでこの映画は、動物たちの怨念を主なテーマにしている。その怨念が祟り神となるわけだが、そうしたたたり神の伝統は、日本の昔話のなかに連綿と受け継がれてきた。そうした祟り神は通常、怨念を抱きながら死んだ人々、たとえば菅原道真とか平将門の亡霊であるわけだが、この映画の中では、動物たちの呪いが怨霊としての祟り神の形をとるわけである。

動物たちが憎んでいる人間は、鉄の精錬所を運営しているえぼし御前という女である。この女は大勢の人間を精錬所に集め、そこで鉄の精錬を行っている。えぼし御前は、動物たちの抵抗をうるさく思い、動物を扇動している獅子神を殺そうとする。そのえぼし御前たちの精錬の拠点たたら部落を、地元の大名が傘下に収めようとしている。また、じこ坊という怪しげな坊主が、獅子神の首を狙う。というわけで、様々な利害が絡み合って物語が展開してゆくのである。

少年あしたかは、基本的には少女もののけ姫を一番大事に思っているが、一方ではたたら部落の人々にも同情している。一番望ましいのは、双方が歩み寄ることなのだが、それはできない相談らしい。人間たちは獅子神を殺そうとするし、もののけ姫は動物たちの代表としてえぼし御前を殺そうとする。少年としては、その両者の板挟みになって、つねに危うい境地に臨むというわけである。

結局獅子神は亡び、えぼし御前は深手を負い、たたら部落は破滅する。人間と動物との闘いはとりあえずは引き分けに終わったわけだ。その戦いの廃墟の上に立って再興を図ろうとする人間たちにあしたかは寄り添うことにする。一方もののけ姫は、仲間の動物たちと暮らすことを選ぶ。二人は再会を約して別れ、そこで映画も終わる。

こんなわけでこの映画は、人間も動物も、どちらが勝ったというわけでもなく、また真に和解したわけでもなく、中途半端なままに終わってしまうのであるが、そのことで何を訴えたかったのか、今ひとつわからないところがある。たしかに理屈としてはわからないのだが、アニメ映画としてはわかりやすい。






コメントする

アーカイブ