ジュラシック・パーク:スティーヴン・スピルバーグ

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スティーヴン・スピルバーグの映画「ジュラシック・パーク(Jurassic Park)」は、現代の地球によみがえった恐竜が人間を襲うという恐怖を描いた作品である。ホラー映画である点では「ジョーズ」の系列に入り、異世界の生きものと人間との関わりを描くと言う点では「E.T.」と同じ系列に入る。同じ異世界の生きものでも、地球外の生きものとは共存していたのに対して、過去の遺物とは言え、同じ地球の生きものとは共存できないというのは、スピルバーグなりの批判意識のあらわれかもしれない。

カリブ海の孤島に恐竜のテーマパークを作った大金持ちがいた。その大金持ちが、恐竜の世界的権威や、その他科学の権威を集めて、自分の事業にお墨付きをもらおうとする。彼らの同意を得るために、大金持ちはテーマパーク内を案内する。そこには大勢の恐竜が住んでいたが、それらが図らずも彼ら人間に襲いかかる。恐竜は何人かを食い殺したほか、主人公の恐竜博士やたまたま同行していた子どもたちに襲いかかる。彼らは必死に逃げ回り、最後には危機を脱出し、島外に逃れ去るというような筋書きである。

そこで、なぜ恐竜が現代の地球によみがえったかが問題になるが、化石に閉じ込められていた蚊が過去に恐竜から吸い取った血からDNAを抽出し、そのDNAをもとに恐竜のクローンを作ったということになっている。この映画が作られた頃は、DNAによるクローン動物の生成が話題になっていたので、スピルバーグはその話題を映画のなかに取り込んだのだろう。こうした技術は21世紀の今でも確立されていないので、あくまでもスピルバーグの空想をもとにしたアイデアである。

ともあれ、この技術を用いて、多くの種類のかなりな数の恐竜が現代によみがえった。その恐竜を集めてテーマパークを作るというアイデアはなかなか魅力的である。なかにはそのアイデアをよからぬ目的に悪用しようとするものも出てくる。テーマパークがうまく機能せず、その結果恐竜どもが暴れ出すのは、こうした悪意のもたらしたものなのだ。

映画では、孤島のなかに、大勢の恐竜が生息する巨大な空間が作られ、そのなかをコンピュータで制御されたサファリカーが遊泳するということになっているが、その制御システムが破壊されたことで、恐竜たちが思わぬ行動をするようになる。そして恐ろしいことに、肉食の恐竜たちが、人間どもに襲いかかるのである。映画は、その恐竜と人間との戦いを描く。戦いと言っても、恐竜のほうが圧倒的に強く、子どもを含めた人間はただただ恐竜の歯牙にかからないよう逃げ惑うばかりだ。逃げ損なったものは、恐竜の歯牙にかかって食われてしまうのである。

そんなことで、この映画の醍醐味は恐竜に恐れおののきながら逃げ惑う人間の恐怖を描くところにある。その点は、巨大人食い鮫と戦いながらも、恐怖を感じてはいない「ジョーズ」の登場人物たちとは違う。共通するのは、人食い鮫も肉食恐竜も、かなり高い知性をもっていて、人間をパニックに陥れる能力を持っていることだ。とくにこの映画のなかの肉食恐竜は、あたかも人間を脅すことを楽しんでいるように、あの手この手を使って人間を追い詰める。まるで恐竜が人間をハンティングしているかのようだ。

そんなわけでこの映画は、恐竜にハントされる人間の恐怖をテーマにした、ちょっとえげつないホラー映画と言える。現実世界の人間はつねにほかの生きものをハントする立場にあるが、たとえ空想の世界でも、たまにはハントされる立場に立つのも悪くない、そうスピルバーグは言っているようにも聞こえてくる映画である。






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