平成三十年を迎えて

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平成もついに三十年目を迎えた。来年は五月に改元が予定されているので、一年まるまる平成なのは今年で最後ということになる。この節目の如き年に、筆者も満七十歳になる。正直この年まで生きるとは、十年前には思っていなかったので、ありがたいことなのか、情けないことなのか、よくはわからぬが、とりあえず命のあることを実感している次第だ。何事も命あってこそ、だ。

今年は戌年だ。例によって熊楠先生の十二支考をひもといて、犬にまつわる話を調べてみた。すると外の動物に比べて犬を論じる先生の筆鋒は鈍いように伝わってくる。先生もしかしたら犬が好きでないのかもしれぬ。勝海舟は若い頃に犬に睾丸をかまれて以来、犬が嫌いになった一方性欲が強くなったということを誰かから聞いたことがあるが、熊楠先生もそれに似た経験があるのかもしれぬ。先生の精力絶倫ぶりはよく知られたことだ。

それでもいくつか面白い話を紹介されている。まず寿命の話。ルーマニアの伝説には、犬の寿命が二十歳になったわけを語っているものがある。それによると当初神様が犬に割り当てた寿命は四十年だったが、犬としてはつらい生涯をそんなに長く過ごすのは忍びないと言って、せいぜい半分の二十年に短縮してくれるように願った。すると脇から人間が口を出して、残りの二十年を是非自分に賜りたいと申し出た。人間はもともと三十年の寿命だったが、犬から横取りした二十年の外に、ロバや猿の寿命も加えて百歳の寿命を持つようになった。

さて二十年の寿命をもらった犬であるが、あまりぱっとしない生き方に甘んじたようで、犬を巡る威勢のよい話はどこの国にもあまりないようである。日本には桃太郎伝説のなかに犬が出てきて活躍するが、これは犬が主役ではなく桃太郎が主人公で、鬼は桃を怖がるという俚諺がもとになっているらしい。

犬が大活躍する話としては日本書紀に、日本武尊が信濃の山中で白鹿に苦しめられたが、白犬に導かれて無事信濃を抜けて美濃に出ることができたということを載せている。

犬はまた、人間同士を争わせるタネになると考えられ、白井権八の人殺しもダンテが巻き添えをくったゲルフ党とギベリン党の抗争も犬の喧嘩がきっかけだった。その犬がどのように鳴くか。これは民族ごとに違う鳴き方に聞こえるようだが、日本の場合にはもともと「びょう」と鳴いていたことは、狂言の柿山伏にも出てくると先生は言っている。筆者はこれを、犬の遠吠えをあらわしたのだろうと考えているが、家人は違う考えをしているようだ。家人によれば遠吠えはオオカミがするもので、犬はしないと言うのだ。

犬の話はこれくらいにして、今年の筆者の抱負を語れば、今年はひとつ小説でも書いて、それをライフワークにしたいと思っている。小説の内容は、追ってこのブログで読んでいただきたいと思うが、とりあえずその抱負を家人に告白したところ、案に反して激励してくれた。いわく、直木賞をとるつもりでがんばりなさい、と。

こんなわけで今年も、気宇壮大とまではいかないが、自分なりの目標をたてて、それの実現に向かって歩んでいきたいと思っている。読者各位には、旧年に増してご声援をいただけるよう、是非お願いしたいと思う。






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