戸坂潤「日本イデオロギー論」

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戸坂潤は、戦前のマルクス主義哲学者としてはなばなしい論戦を張った人だ。その鋭い時代批判が官憲の怒りを買い、それがもとで獄死した。そんなこともあって戦後の日本では不屈の思想家として尊敬を集めたりもしたが、マルクス主義が「失墜」したあおりを受けて、今では一部をのぞき読まれることはなくなった。しかしマルクスの言葉ではないが、鼠のかじるにまかせておくのはもったいない人だ。彼の思考のスタイルには鋭い批判意識が込められているので、その方法を見習うだけでも意味があると言える。

マルクス主義を標榜する大方の哲学者と同じく、戸坂もユニークなまたは体系的な思想を展開したわけではない。彼の活動のスタイルは、マルクス主義的な概念装置を駆使して時代の状況を鋭く批判することにある。その最大の原理は、言葉の語義的解釈を以て現実の説明に代替させるのではなく、現実の中から内在的な原理を見出して、それを以て現実を説明するばかりでなく、現実を変革することが肝要だとする点にある。要するに思想の本質的な役割は現実の変革にあると考えるわけだ。彼が官憲に危険人物扱いされたのは、この現実変革への情熱が官憲の当面の雇い主である日本の支配層の恐怖を買ったためである。幸徳秋水も又支配層の恐怖を買ったために官憲によって陥れられた。

「日本イデオロギー論」は、戸坂の時代批判がもっとも鋭く発揮された本である。ここで戸坂が対象としているのは、同時代の日本に流通しているさまざまな思想傾向のことである。それを戸坂は広義には日本主義、自由主義、唯物論、つまり当時の日本で流通していたほとんどの思想をカバーする意味で使っているが、狭義には日本主義に代表される日本ファシズムを「ニッポン・イデオロギー」と名付け、その批判を最大の眼目としている。自由主義の批判もしてはいるが、自由主義の固有の欠点を批判するというより、それが結果的に日本ファシズムを助長する限りにおいて取り上げるといった趣が強く感じられる。

戸坂が日本主義と名付けた思想動向は、戸坂がこの批判を展開した1930年代に旺盛を誇り、マルクス主義に集約される唯物論思想は無論自由主義的な議論も強い抑圧を受けるようなありさまだった。だから自由主義は日本主義に迫害されるという点において唯物論と利害を同じくしたいたわけで、戸坂はその限りで日本主義の攻撃から自由主義を擁護する姿勢を示している。

その日本主義であるが、これは雑多な思想の寄り集まりで、思想としてのまとまりがないばかりか、個々の思想、たとえば日本精神主義とか、日本農本主義とか、日本アジア主義といった思想動向の内部にも、確固とした思想体系が見られるわけではない、と戸坂は喝破している。唯一の共通点は、それらの思想が日本ファシズムに寄与しているという点だが、その日本ファシズムの思想としての特徴もあまり明らかではない。ファシズムという点ではドイツやイタリアのファシズム運動と共通するところを持つ一方、日本のファシズムとしては日本的なユニークさを持っている。そのユニークさを戸坂は、日本の資本主義のもつ封建的な残渣に求め、日本ファシズムの日本ならではの特徴はこの封建的な残渣に淵源していると見ている。

この本の中では、日本主義と自由主義のそれぞれ代表的な思想動向が取り上げられているわけだが、日本主義のほうは上述したような理由であまり思想としての実体がないので、戸坂の批判の眼目は西田幾多郎や和辻哲郎といった自由主義的な思想を展開した人に向けられている。自由主義者の批判をする場合の戸坂のスタンスは、語義的な解釈を以て現実の説明には代えられないという考え方だが、西田にも和辻にもこうした傾向が強くみられると戸坂は批判する。とくに和辻の場合がそうで、彼の説は語義的な解釈で現実を説明しきったと錯覚しているところがあると批判している。その批判の要点については、別の小文で触れたことがあるので(「戸坂潤の和辻哲郎批判))、ここでは西田に対する戸坂の批判の要点を見ておきたい。

戸坂は西田哲学の基本的な特徴を「無の自覚的限定」の思想に求めている。無の自覚的限定というのは。無としての意識が自己を自覚的に限定することによって有が生み出されるとする考え方だと戸坂はしてしたうえで、それは意識の産物である観念によって現実を基礎づけるという点で逆立ちした考え方だと批判する。そのうえで、西田の哲学は、現実ではなく意識の産物について云々して悦に入っているという点で、本質上ロマン派的な哲学だと総括している。このロマン派的な哲学は文化的自由主義を代弁するものとして、当今の知識人の支持を得たわけだが、これが場合によっては反動的な「宗教復興」などのよりどころとされることもあるので、気をつけなければならぬと戸坂は注意する。

和辻や西田への批判を含めて戸坂がここで展開しているのが同時代の思想状況へのジャーナリスティックな批判意識だ。こういう批判意識は従来の大学を足場にしていた講壇哲学からはなかなか生まれてこない。戸坂がこうした批判意識を学んだのは、おそらくマルクスからだろうと思われる。マルクスが壮大な資本主義批判の体系を築きあげる傍ら同時代についての常に新鮮な問題意識を失わず、世界史の節目節目で時事的な評論活動をしていたことはよく知られている。戸坂はそんなマルクスの姿勢から多くを学んだのだろう。「日本イデオロギー論」というテーマも、マルクスの「ドイツイデオロギー」を意識したものに違いない。「ドイツイデオロギー」がもっぱらマルクスの同時代人たるフォイエルバッハ以下の自由主義者に批判の矛先を向けていたのに対して、戸坂は同時代のあらゆる思想動向に目配りをしているわけだ。

こうした戸坂のような姿勢は今日でも学ぶに値するものがある。とりわけ政治的な反動に伴って思想の分野でも反動の動きが強まっているということでは、今日の状況は戸坂が生きていた時代に非常によく似ている。そういう時代だからこそ、戸坂のような鋭い批判意識が求められるわけだが、思想をめぐる状況を見ると必ずしもそうはなっていない。一昔前なら箸にも棒にも引っからなかった粗雑な反動思想が無人の荒野を行くが如くに幅をきかし、それを有効に批判する者がいないために、政権のお墨付きを受けたこれらの反動思想こそが今日のもっとも進んだ優れた思想であるかのような捉え方が幅をきかせている。泉下の戸坂がこうした状況を見たらため息をつくに違いない。自分は何のために命をかけて戦ってきたのか、と。





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