神に帰依する人々と神に取り憑かれた人々

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一昨日(一月三十日)のこのブログで、トランプの登場を促したアメリカの福音主義者たちについて触れたが、宗教運動が政治を動かす事例は今回のトランプの登場に限らず世界の至る所で起きてきたし、また起きる可能性がある。日本の安倍政権の登場もある意味ではその一つの例と言える。

安倍政権を支えているのは復古主義的な右翼運動であると指摘されているが、その運動を思想的に支えているのは日本会議と言われるものだ。これは菅野完の分析によれば宗教団体生長の家を母体としており、特異な宗教観を持った人たちからなるとされる。その運動は今のところ社会の一部分にとどまっており、国民を大規模に動員するまでにはいたっていない。その点では国民を大規模に組織しているアメリカの福音主義とは異なるが、政権に巨大な影響を及ぼしている点では似ている。

それ故アメリカのトランプと日本の安倍政権は、特異な宗教運動を支持母体としている点共通しており、どちらも宗教的で原理主義的な色彩が強い。

トランプの場合には、その原理主義は実際の政治をも動かしているが、安倍政権の場合にはそこまではいかない。だいだい一方をトランプという個人名で言及し、他方を安倍政権という抽象名詞で言及しているのは、安倍晋三という人間にトランプのようなカリスマ性がないからだ。カリスマ性のないところには、そんなに大した力はわき起こらない。したがって安倍政権は言葉では過激なことを言いながら、やっていることは比較的微温的なものばかりだ。

カリスマ性という点では、トランプはことあるごとに神の名を持ち出すことで、自分に宗教的なオーラを帯びさせ、そのことで自分を人々の目に神がかって見えるように努めているようだ。自分は神に帰依している、したがって自分のすることを神はよみしたもう、そう訴えることで福音主義者たちの心の琴線に直接働きかけようとしている。

一方安倍政権は自分では神がかったふりはしない。神がかっているのは彼らの周囲にいて彼らを支える人々だ。その中核に日本会議がいるわけだが、日本会議にとどまらず伝統的な宗教団体も安倍政権を支えている。日本の近代史上安倍政権ほど宗教色の強い政権はなかった。

ところで神への帰依といい、神がかりと言い、同じ神という名前で呼んでいても、内実はかなり異なる。トランプの神は一神教の非妥協的な神であるのに対して、安倍政権の神は八百万の神である。八百万の神であるから八方美人になれると見えて、かなり柔軟で妥協的なところがあるのが特徴である。だから神に取り憑かれたといっても、その神以外には何も見えなくなるというわけでもない。そこがトランプの神と違うところだ。

とはいえど、宗教運動が政治を動かすのはあまりよいこととは言えない。





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