戦争と映画その五

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 ポーランド映画:ポーランドにとっては、ドイツもソ連も侵略者だった。しかし敗戦後はソ連圏に繰り入れられたこともあって、ソ連を表立って批判する映画は作れなかった。1956年にアンジェイ・ワイダが「地下水道」を作ったが、これは表向きは対独戦を描きながらも、ソ連に対する批判も含まれていた。この映画はワルシャワ蜂起を描いたものだが、この蜂起が失敗した根本的な原因は、ソ連側がわざとワルシャワを見殺しにしたというふうに受け取られていたからだ。ワルシャワ蜂起を描くこと自体、ソ連への批判だったわけだ。
 また、2007年には「カティンの森」が作られたが、これはソ連によるポーランド軍幹部の大量虐殺をテーマにしたものだ。こうした映画が今世紀にもなお作られるということは、ロシア人とポーランド人がいまだに和解できていないことを表している。

 中国の戦争映画:中国にとって第二次大戦は対日戦争だった。対日戦で死んだ中国人はおよそ1000万人とされている。それほど中国人にとって、日本との戦いは激しかったわけだ。その中国では戦後長い間政治的な混乱が続き、本格的な映画はなかなか作られなかったので、対日戦争を描いた優れた映画も長らく現れなかった。中国映画が世界的な注目を浴びるようになるのは、改革開放路線が始まった1980年代以降のことで、ぼちぼち対日戦争を描いた傑作も現れた。張芸謀はその旗手と言うべき存在で、「紅いコーリャン」とか「金陵十三釵」といった対日戦争をテーマにした映画を作った。
 紅いコーリャン:1987年公開の「紅いコーリャン」は、ノーベル賞作家莫言の原作だが、日本兵が中国人を強要して、同じ中国人の皮をはがせようとするシーンが出てくる。人間の皮をはぐといえば、村上春樹の小説「ねじまき鳥クロニクル」のなかで、ロシア人に教唆されたモンゴル人が日本人の全身の皮を剥ぐさまが強烈だったが、この映画の中では、日本人が中国人の頭の皮を剥がせようとしているわけである。また 2007年公開の「金陵十三釵」では、南京を占領した日本兵から、少女たちが強姦されないように、娼妓らが進んで身をささげるところが描かれている。こうした映画が作られるということは、日中両国の間でいまだ本当の和解ができていないことを物語っている。

5 アメリカの戦争映画
 アメリカの第二次大戦への参戦は、真珠湾攻撃が引き金になった。それまでアメリカは、大戦を基本的にはヨーロッパの出来事と受けとっていた。アメリカの国土が攻撃されたわけではなく、したがって国土防衛というスローガンに現実味がなかった。また、アメリカは第一次大戦には参加したものの、国をあげて戦ったわけではなかったし、伝統的に戦争好きの体質がなかった。それ故、政治の指導者たちも、国民を戦争に動員する大義を見いだせなかったという事情がある。ところが真珠湾攻撃は、国家の防衛という大義に道筋をつけてくれた。ルーズヴェルトはこの機会をすかさず生かして、対日戦争を宣言すると同時に、ヨーロッパ戦線への介入も決定した。
 アメリカは国土が戦場になったことがないし、第二次大戦でも国土に攻め入られたことがない。したがって、普通の国のように国土防衛を戦争の大義とすることがむつかしかった。国民を戦場に動員する大義としては、国土防衛のほかに強力な大義、それも市民の日常生活に密接な関連をもつ大義が必要だった。民主主義の防衛がそれにあたる役割を果たした。アメリカが戦う相手は、いずれも全体主義勢力である。相手が勝てばその全体主義が世界を席巻し、アメリカ人が大事にしてきた自由が損なわれる恐れがある。したがってアメリカ人は、自由を守るための戦いに身を捧げるべきなのだ。こうしてアメリカ人にとって、第二次大戦はきわめてプロパガンダ的な性格の強いものになった。プロパガンダという点では、ドイツも日本も、優秀な民族としての自分らが世界を支配下におくという大義はあったが、国民にとっては、相手を倒さねば自分が倒されるという切羽詰まった危険があった。ところがアメリカには、そういう危険はほとんどなかった。それ故アメリカの場合には、戦争を遂行するうえでの理念的な大義が非常に大きな役割を果たしたのである。
 アメリカの戦争映画は、戦争をめぐってアメリカが抱えるこうした事情を強く反映している。戦時中の戦意高揚映画は、全体主義国家の非人道性と民主主義の価値について強調するものがほとんどだし、戦後には、アメリカが勝ったことで民主主義が守られたと強調し、そのなかで戦士の果たした役割をたたえるものが多い。

 戦時中の戦意高揚映画:アメリカは自国が戦場にならなかったこともあって、ほかの国のように、国土を防衛する神聖な義務を国民にストレートに訴える内容の映画は作られなかった。アメリカ映画が専ら作ったのは、全体主義国家の非人道性を告発し、彼らの世界支配を許さないという決意を強調するものだった。それも、アメリカを舞台としたものはほとんどない。そのかわりイギリスはじめ同盟国を舞台にしたものが多い。
 ミニヴァー夫人:ウィリアム・ワイラーが1942年に作った「ミニヴァー夫人」は、イギリスを舞台にして対独戦を画いている。なぜイギリスなのか。イギリスはアメリカにとってはかけがいのない国であり、それがドイツの攻撃にさらされている。もしイギリスが負けたらナチス・ドイツの価値観がイギリスをも席巻し、アメリカにとって重要な国がドイツのようになってしまう。それを防ぐためにも、アメリカはイギリス側に立ってナチス・ドイツをやっつけなければならぬ。そういう素朴ともいうべき訴えかけが、この映画でなされているわけである。とくにこの映画は、ダンケルクで孤立したイギリス兵の救出に一般のイギリス人が手を貸すことをテーマにしているが、そういう姿を見せることで、アメリカ人の参戦意欲を高める意図があったのだと思う。
 カサブランカ:ハンフリー・ボガートを永遠の二枚目にしたとされるこの映画は、一見戦争映画には見えないが、立派な戦意高揚映画なのである。ボガートは、ナチスに追われる恋人を救うのだが、そのボガートをアメリカに、恋人を同盟国に置き換えれば、自分たちアメリカ人もこの映画の中のボガートのようにかっこよく振る舞おうではないか、とのメッセージが込められているわけである。
 誰が為に鐘は鳴る:これはスペイン内戦をテーマにしたヘミングウェーの小説を映画化したものだ。ヘミングウェーに戦意高揚の意図があったかどうかは別として、この映画には十分その意図が感じられる。これはスペインのファシストと戦うアメリカ人の物語なのだが、そこのところが「カサブランカ」と同じく、アメリカ人にとっての戦意高揚効果を持つ所以なのである。

 戦後のアメリカ映画:アメリカは自国が戦場となることなく戦勝国となった。そんなこともあって、比較的気楽な立場から、戦勝国としてのアメリカの果たした役割を自慢する内容の映画が大量に作られた。アメリカ人が特に好きだったのは、ノルマンディー上陸作戦後のヨーロッパ戦線でのアメリカ兵の活躍とか、真珠湾での仇をとってやっというたぐいのものである。
 我らの生涯の最良の年:なかにはシリアスなものもある。「ミニヴァー夫人」でアメリカ人の戦意高揚をねらったワイラーが、戦後いち早く「我らの生涯の最良の年」を作って、復員したもと兵士たちの困難な社会復帰をテーマにした。アメリカの徴兵制度には中途半端なところがあって、すべての若者が戦場に駆り出されたわけではなかった。そのことに不公平があるところに、戦場で命を賭けて戦った兵士たちが、復員後ふさわしい尊敬を受けず、かえって社会から疎外されるという不条理をこの映画は描いている。こういう内容の映画は、世界的に見て非常に珍しいと言える。
 プライベート・ライアン:ノルマンディー上陸作戦とそれに続く西部戦線の戦いはアメリカ人の最も好んだところで、これをテーマにした映画やテレビドラマが数多く作られた。その代表作は、スティーヴン・スピルバーグの「プライベート・ライアン」だろう。大義のために命を捨てるアメリカ人の勇気が強調されている。
 父親たちの星条旗:対日戦をテーマにした映画の代表としては、クリント・イーストウッドの「父親たちの星条旗」とその姉妹編である「硫黄島からの手紙」が上げられる。前者はアメリカ側の視点から、後者は日本側の視点から、それぞれ硫黄島の戦いを描いたものだ。この映画の特色は、単純な勧善懲悪ではなく、日米両国の戦いぶりを、公平な視点から見ていることである。アメリカの戦いぶりには稚拙なことろもあったし、日本側も勇敢に戦ったという、両者を公平に見る視点がこれらには感じられる。
 第二次大戦が終了すると、それにつづいて冷戦が本格化し、朝鮮戦争が勃発した。したがってアメリカの映画界としては、第二次大戦を十分に反省するいとまもなく、新たな戦争に直面したわけだ。また、1960年代にはベトナム戦争の泥沼にはまり込んでゆく。ベトナム戦争は、大義なき汚い戦争だとの意識が市民の間にひろがり、これを反映して、反戦映画が多く作られた。そんなこともあってアメリカでは、戦争を真剣に考える映画というのは、ほとんどがベトナム戦争に取材した作品となった。
 そんなわけでアメリカ人は、第二次世界大戦においてアメリカが果たした役を十分に掘り下げるいとまをもたなかった、といって過言ではないと思う。





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