誰が為に鐘は鳴る

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ヘミングウェーは、スペイン内戦の早い時期から共和国政府側に立って参戦し、ファッショ勢力と戦った。その体験から生まれたのが「誰が為に鐘は鳴る」である。この小説は、ファッショ勢力と戦うアメリカ人の義勇兵を主人公にしているが、この主人公には多分にヘミングウェーの自己像が投影されていると考えられる。この義勇兵は非常に魅力的な男に描かれているが、ヘミングウェー自身もマッチョでしかも正義感の強い男だった。彼はすでに十代の頃、第一次世界大戦に際してイタリア戦線に衛生兵として従軍したが、それもまたドイツ・オーストリアの抑圧的な勢力から民主主義を守ろうとする気持ちに出たものだった。

小説は、アメリカ人の義勇兵が共和国政府側に立って、ファッショ勢力の軍事作戦を妨害するために橋を爆破する使命について描いている。彼は自分の任務を遂行する助太刀として、地元の男どもと協力するのだが、その男たちと一緒にいた一人の女性マリアと深い恋に陥る。その恋と、作戦の遂行とが同時並行的に描かれ、最後には瀕死の負傷をした義勇兵が仲間を逃したあと、死を覚悟しながら自分一人で敵に立ち向かうところで終わっている。

この簡単な筋書きからもわかるとおり、この小説には、民主主義と全体主義との戦いという政治的な要素が色濃く働いている。言ってみれば、反ファシムズプロパガンダ的なところがある。ヘミングウェー自身どこまでそれを意識していたかはわからぬが、受け取りようによっては、かなり政治的なメッセージを読み取ることができる。それが映画の形をとると、プロパガンダ的な要素はいっそう強まるわけだ。

映画化されたのは1943年のことで、すでに連合軍側に参戦していたアメリカ国内はもとより、世界的な規模で、この映画は反ファシズムのプロパガンダ映画として受け取られ、連合軍側の指揮を大いに高めた。そう言う意味で、戦意高揚映画として機能したわけだ。ヘミングウェー自身も、それについては異存はなかっただろうと思われる。彼自身は、共和党政府側に立ってスペイン内戦にかかわったわけであるし、スペインのファッショ勢力を心から憎んでいたはずなので、自分の小説が反ファッショのプロパガンダに役立てられることについては、異論のありようもなかったはずだ。

この映画の魅力は、なんと言ってもゲーリー・クーパーの男らしさだ。そのクーパーに、世紀の美女と言われたイングリッド・バーグマンが一目惚れする(無論役のうえで)。クーパーのような男なら、バーグマンならずとも、どんな女だって、またどんな男だって惚れ込むに違いない。意思が強く、いかなる事態にも動じずに、自分の任務をわきまえ、その成功に向けて多くの人間たちを引っ張ってゆく。こういうタイプの男は、日本にはなかなか見られない。

ヘミングウェー自身は、実際に死ぬことはなかったが、死にそうになるほどの負傷をした。彼が負傷して病院に担ぎ込まれたときには、世界中から進歩的な芸術家たちが見舞いに駆けつけたものだ。この映画の中のクーパーは、死を覚悟して敵を迎え撃つことになっているが、前後の事情からしておそらく生き伸びることはないだろうと思われる。つまり彼は、信義のために自分の命をかけたのである。

題名の「誰が為に鐘は鳴る」は、ジョン・ダンの説教から採られた言葉である。曰く、「それ故私はあなたがたに言いたいのだ。あえて知ろうとするには及ばない、誰がために鐘は鳴るのか、と。それはあなた自身のためにも鳴っているのだから」。ダンは、個人が教会と分かちがたく結びついていることを、この言葉で表現しているのだが、ヘミングウェーは、個人が民主主義の大義の為に死ぬことの意義について語っているわけだ。






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