劣化する日本の官僚たち

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安倍政権が所謂働き方改革の目玉である裁量労働制の拡大について、法案の撤回に追い込まれた。安部首相はこの間ずっと強気だったが、何故急に撤回に追い込まれたのか。法案の趣旨説明の根拠とされるデータがあまりにもでたらめで、これを根拠にしている限り国民の不信を買う一方だと判断したためだろう。

このデータは厚生労働省が作成したもので、働き方改革を議論する場である労働政策審議会に提出されていた。労政審の委員はこのデータにもとづいて法案のたたき台になる考え方をまとめたわけだが、そのデータそのもののでたらめぶりが明らかになったことで、法案審議の土台そのものの信憑性が疑われることとなった。厚労省の官僚たちは、働き方改革の法案をまとめたい一心で、でたらめのデータに基づく資料を作成し、その資料をもとに労政審を誘導したのではないか。つまり厚労省の官僚たちは労政審をだますことで法案のたたき台をまとめたのではないかと、疑われるようになったわけだ。

こうなってはさすがに鉄面皮の安倍総理でも、強引に通すのはまずいと判断せざるを得なかったのであろう。おそらく今頃は厚労省の官僚たちに腹を立てているはずだ。

しかし厚労省の官僚たちは何故こんな姑息なことをしたのだろう。そこには政権に対する忖度が働いたのだろうと推測される。安倍政権が裁量労働制や高度プロフェッショナル制度に前のめりになっているのを見て、どうにかそれを側面援護したい、そう思ってやったところが、思わず勇み足になったということだろう。

官僚の忖度という点では、いわゆる「もりかけ」問題における財務省の官僚とか文科省の官僚とかによる安倍晋三総理個人に対する忖度が世間の批判をあびたところだ。財務大臣などはこの批判の焦点である前理財局長を有能だと強弁しているが、いまでは官僚の有能とは、政権のために尽くす度合いを言うらしい。実際、この理財局長はご褒美として国税庁の長官に抜擢された。理財局というのは財務省の中では傍流で、理財局長はその傍流を歩んできたものが最後にたどり着くポストだった。それが慣例を破って国税庁の長官に抜擢されたことは、政権に対する忠誠度が評価されたということだろう。

どうも最近の官僚人事を見ていると、万事この調子の情実人事がまかり通っているようである。これでは日本の官僚たちは国民のために働いているといった意識を持たなくなり、もっぱら自分の出世のために政権にゴマをするということになりかねない。官僚の劣化もここに極まれりといったところだ。これは日本の国家としてのあり方にとっては、実に嘆かわしいことである。

かつて英国の政治学者ハロルド・ラスキは名著「議会・内閣・公務員制」の中で、政治家が官僚をどううまく使うかによって、国は良くなったり悪くなったりするという趣旨の文章を書いたことがあったが、日本の場合には官僚が政治家の顔色を伺い、政治家が官僚の忖度に安住している限りは、国が良くなる見込みはない。日本という国にとっては重ね重ね嘆かわしいことである。





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