2018年4月アーカイブ

井上達夫と小林よしのりの対談「ザ・議論」の二つ目のテーマには、主に近代日本の対アジア政策と先の大戦についての戦争責任が取り上げられる。井上はこれをセットにして、日本はアジアに対する侵略責任を認めなければならないと主張する。日本はアメリカを相手にバカな(無謀な)戦争をやったのではなく、アジアに対して不当な戦争を仕掛けたと認めるべきだと言うのである。そうしてこそはじめて、日本はあの戦争に対して批判的な態度をとることができるし、自分もアジアに対してひどいことをしたが、アメリカはそれ以上に日本にひどいことをしたと批判することができるというわけである。

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ロートレックは、ジャンヌ・アヴリールをフィーチャーしたポスターを何枚か制作した。このポスターは最後のものだ。ほぼ二年半ぶりのポスター制作だった。このポスターをロートレックは、リトグラフの技術を応用しながら、石の代わりに鉛板を使った。三枚の鉛板に四色の顔料を使って製作したのである。

学海先生の明治維新その廿四

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 学海先生は新聞会の人々とは懇意にする一方、留守居組合の連中には相変わらず愛想をつかしていた。職務の一環だから付き合わざるを得なかったが、彼らの愚劣さを見たり聞いたりする毎にほとほとうんざりさせられるのであった。そんな留守居のなかでも松代藩の北沢冠岳とは気が合うところがあって、仕事を離れた付き合いをするようにもなった。この人のことを学海先生は、
「北沢氏は文学ありて詩を作れり」とか
「此人、学問ありて当世の議論をよくす。留守居中の翹楚なるべし」とか言って褒めている。学海先生は学問があってしかも文学をよくするものを自分が付き合うにふさわしいと思う傾向が強かったのである。

あ・うん:降籏康男

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降籏康男の1989年の映画「あ・うん」は、向田邦子脚本の人気テレビドラマを映画化したものだが、一見して締まりのない作品である。これは原作がそうなのか、あるいは降籏の演出に理由があるのか、原作を見ていない小生にははっきりしかねる。ただこの映画の役を演じさせられた高倉健にとっては、イメージをこわされかねない危険がある。

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これは生首を咥えた幽霊を描いたもの。幽霊はふつう一人で化けて出てくるというのが相場で、このように人間の生首を咥えているのは珍しい。しかもこの幽霊は男である。幽霊と言えば、お岩さんとか番町皿屋敷のお菊さんのように女の幽霊が圧倒的に多く、男の幽霊は非常に珍しい。しかもそれが生首を咥えているとあっては、幽霊と言うよりは妖怪といったほうがいいかもしれない。

荷風の女性遍歴その四

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馴染を重ねたる女一覧表十三番目の関根うたは、荷風が生涯に愛した女のなかでは、若い頃に入籍した八重次を別にすれば、最も深く馴染んだ女だったと言える。浮気者の荷風にしては珍しく四年間も関係が続いたし、別れたあとでもたびたび会っている。そして老いてなお、折につけてはその面影を慕い続けた。荷風がこれほど思い入れを持った女は他にはなかなか見当たらない。

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ロートレックは自転車が大好きだった。自分自身は身体的なハンディキャップのために乗り回すことができなかったが、自転車競技場に頻繁に足を運び、自転車を見物するのを趣味としていた。その自転車は、1888年に現在のような空気タイヤが開発されたことで新たな段階に入り、1890代には空前の自転車ブームがヨーロッパ諸国に沸き起こった。

居酒屋兆治:降籏康男

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降籏康男の1983年の映画「居酒屋兆治」は、高倉健の魅力を最大限に見せるよう作られた作品だ。時代遅れの居酒屋を舞台に、そこに集まってくるさまざまな人間たちがそれぞれ自分の人生の影を引きずりながら互いに支えあって生きているといった、或る種のヒューマンドラマを集約したような映画だ。同じような映画としては黒澤の「どん底」や「ドデスカデン」があるが、黒澤の作品がやや時代がかっているのに対して、降籏のこの作品はどこにでもあるような居酒屋と、どこにでもいるような人間が出てくる分、観客に親しみやすさを感じさせる。

アナクシマンドロスは、タレスと並んでギリシャ最古の哲学者とされる。ギリシャ最古ということは、ハイデガーにとっては人類最古の哲学者ということになる。何故なら、哲学はギリシャ人から始まったからだとハイデガーは考えるからだ。「アナクシマンドロスの言葉」と題した小論は、アナクシマンドロスの有名な言葉の解釈を通じて、哲学がそもそものはじめから存在への問いとして始まったことを明らかにしようとするものだ。その問いを、アナクシマンドロスと数千年を隔てたハイデガーが受け継ぎ、存在について十全な形で解明を与える手がかりとすること、それがこの小論の目的であると言ってよい。

学海先生の明治維新その廿三

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 学海先生は紀州屋敷をほぼ十日おきごとに訪ねては竹内孫介はじめ新聞会の人々と情報交換を行った。留守居組合の連中とよりもこの人々と交際していたほうがよほど有益な情報が得られた。交際は会議形式のものを超えて、私的な飲み会にまでわたった。そういう席では酒が入ることもあって、普段話題に上らぬようなことまで話すことができた。

駅 STATION:降籏康男

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降籏康男は高倉健と組んで多くの東映やくざ映画を作ったが、1978年に東映を退社してフリーになってから、やくざ映画以外の作品に意欲を持った。高倉もやくざ映画で埋もれることに俳優としての限界を感じていたので、そうした降籏に共感して、彼の映画に引き続き出続けた。1981年の作品「駅 STATION」は、彼らの最初の本格的なドラマ映画である。

今では古典的な著作となったスウィフトの政治的パンフレット「貧民児童の有益活用についての穏やかな提案」は、今日の日本にも参考にできるものを多く含んでいる。ただしストレートに適用できるわけではない。あのパンフレットは、スウィフトが生きていた時代のアイルランドに存在していた膨大な数の貧困児童に着目し、これら児童が両親や社会の重荷になっている事態を前に、いかにしてそれを解決し、両親や社会の負担を減らすばかりか、当の児童の幸福をも増大させるかことができるか、研究・提案したものであった。しかし今の日本が直面しているのは、貧困であれそうでない場合であれ、児童の過剰ではない。むしろ児童が少ないことが問題になっているくらいである。いまの日本が直面している問題とは、老人の割合があまりにも多いことに根ざしている。さよう、今の日本においては、老人の割合がこれまでに地球上に存在した如何なる国に比較しても異常に高く、それに比べて若者や児童の割合が異常に低いのである。これを人口の逆三角形化現象と呼ぶ向きもあるし、無子高齢化と呼ぶ向きもある。

幽霊図:河鍋暁斎の妖怪画

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河鍋暁斎は妖怪画を多く描いたが、その中には幽霊を描いたものも多い。親しくしていた五世尾上菊五郎が幽霊の絵を集めており、それを見せてもらう一方、自分にも描いてほしいと頼まれたりして、幽霊に興味をもったこともある。その幽霊の描き方だが、これには徳川時代に流行した幽霊の芝居とか、それ以前から伝統的に伝わってきた幽霊のイメージが働いたものだと思われる。日本人が持ってきた幽霊のイメージは興味深い研究課題たりうるが、暁斎の幽霊画はそれにひとつの材料を供するものだと思う。

憲法学者の井上達夫はリベラルを自称し、漫画家の小林よしのりは本物の保守を標榜しているそうだ。その二人が対談して、意気投合した様子がこの「ザ・議論」という本からは伝わってくる。普通の理解では、リベラルと保守は相互に相いれない対立概念だと思われているから、それぞれを体現した両者が意気投合することは奇異に映る。しかしよくよく考えてみれば不思議ではない。

狂った牝牛:ロートレックのポスター

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「狂った牝牛(La vache enragée)は、アドルフ・ヴィレットが1896年に刊行したイラスト入りの月間風刺雑誌。「狂った牝牛を食う(manger la vache enragée)には、世の中を笑い飛ばすという意味もあるので、風刺雑誌にこう命名したという。その雑誌には当時の人気漫画家であるアドルフ・ローデルが編集者として加わっていた。

学海先生の明治維新その廿二

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 四月二十一日、学海先生は三年半ぶりに川田毅卿を訪ねて歓談した。代官職を拝命して江戸を去ること三年、戻ってきたときには毅卿は国元の備前松山に出張していて会えなかった。それが最近江戸に戻ったというので学海先生は欣喜雀躍して訪ねたのだった。なにしろ弘庵翁の塾で机を並べ寝食をともにした仲だ。年は毅卿のほうが四つほど上だが、隔てなく心を割って付き合える。刎頸の友と言ってよい。その毅卿の顔を見ると学海先生の顔は思わず綻んだ。

永遠の人:木下恵介

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木下恵介の1961年の作品「永遠の人」は、実に暗い印象の映画である。テーマは戦前の日本の農村における身分差別だ。この身分差別のおかげで、許婚がいながら地主の倅から強姦された女が、泣き寝入りして、その嫁となったものの、この男を生涯憎み続ける一方、かつての許婚を思い続けるといったストーリーだ。いまではこんなストーリーはあり得ない話だが、戦前の日本では珍しいことではなかった。そういう思いを込めた映画だ。

最近アメリカはロシアに対して厳しい制裁をかけているが、トランプはプーチンとの個人的友好関係の維持に熱心なようだ。3月20日には、ホットラインを通じてプーチンと親しく対談し、その中で、なるべく早くプーチンをホワイトハウスに招待したいと言った。プーチンもそれに応えて、トランプをクレムリンに招待したいと言ったそうだ(RIAノーヴォスチ通信による)。

人物三長図:河鍋暁斎の戯画

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それぞれに長い特徴を持った三人の人物を配した図柄。書物を読む長い頭の男を中心に、足の長い男がその長頭のてっぺんあたりをカミソリで剃り、手の長い男が頭を布巾で拭いている様子が描かれている。これも何を寓意しているのかよくわからない。つまらぬ詮索は抜きにして、純粋に図柄の面白さを楽しんだほうがよいのかもしれぬ。

荷風の女性遍歴その三

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馴染を重ねたる女一覧表の九番目は大竹とみである。この女のことを荷風は一覧表の欄外に書き、しかも
「大正十四年暮より翌年七月迄江戸見坂下に囲ひ置きたる私娼」
と言う具合にごくさりげなく書いているのみであるが、日記本体にあたると、荷風のこの女への執着には相当のものが感じられる。それはこの女が美形だったことによる。この女を荷風は、自分が生涯に出会った女のなかで最も美しいとまで言っている。

安倍晋三は死に体モードに入ったか?

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一時は破竹の勢いを誇り、自民党総裁三選も間違いなしと思われていた安倍晋三が、ここに来て急速に勢いを失ったばかりか、破滅に向かって進み始めたような印象を与える。最近のNNNの世論調査で支持率が20パーセント台になったのがそれに拍車をかけて、小泉前首相などは安倍の三選はないばかりか、安倍政権は長くはもたない。早ければ今国会の終了とともに終わりになるだろうと言った。それに呼応する形で、自民党内には安倍後をにらんだ駆け引きが本格化してきた。そういう光景を見せられると、安倍政権の終焉もあながち夢ではないと思わされる。

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ロートレックは、ロンドンで興行しているダンス・グループ「マドモアゼル・エグランティーヌ一座」から、ポスターの注文を受けた。注文の内容は、一座の四人の花形ダンサーである、マドモアゼル・エグランティーヌ、ジャンヌ・アヴリール、クレオパトラ、ガゼルの四人が並んでカンカン踊りを踊っているところを描き、レタリングとしてこの四人の名前を、上に述べた順序に並べ、そこにパレス・シアターの文字も加えて欲しいというものだった。

女の園:木下恵介

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木下恵介の1954年の映画「女の園」は、京都のさる女子大学を舞台に、学校当局の封建的な指導に反抗する女子大生たちの戦いのようなものを描いている。この戦いは中途半端なものに終わるようなので、何かすっきりしないものを感じさせるが、女子大生の中からこういう運動が起きたこと自体日本の歴史上画期的なことだった、ということをアピールしたかった映画と考えてやればよいだろう。

先日親しい友人たちと昨今の日本のメディアについて話していたところ、日本の新聞は、いわゆる西山事件を契機にして権力に対して卑屈になり、権力を刺激しそうな記事を自主規制するようになったという話が出た。あれがきっかけで新聞社全体が権力の攻撃にさらされた上に、経営まであやうくなっていったことを目にして、権力と正面から対立するのはうまいいき方ではない、そういうふうに新聞各社が思うようになった。日本のこれまでの状況からすれば、新聞が権力と立ち向うなど、朝夢のごときものと受け取られてきたわけである。新聞は自ら直接権力に立ち向う代わりに、週刊誌にそれをやらせた。そして週刊誌の報道によってある事件が国民の関心を引くようになったところで、おもむろに権力追求の戦線に加わる。それが自己保身を踏まえた日本の新聞のやり方だった。そんなふうな議論になったものだ。

ハイデガーのニーチェ講義第八講は「存在の歴史としての形而上学」と題しているように、ニーチェを正面から論じてはいない。また、それまでの講義録とちがって文章がこなれていない。そのため非常に読みづらい。これは、この文章が覚え書きにとどまっていることのせいであろう。読みづらいばかりか、ハイデガーの言いたいことがよく伝わってこないきらいがある。そこを我慢して読むことで、何が得られるだろうか。

メディア論を聞く

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四方山話の会四月の例会は、浦子がメディア論を話すことになった。小生は三日前から春風邪を引いていて体調が悪かったので、欠席しようかとも思ったのだが、浦子のメディア論を聞いてみたいし、また会終了後に一部有志とロシア旅行の打ち合わせを予定していたこともあって、雨中病身をおして駆けつけた次第だった。会場についてみると、この宵の出席者は小生の他、柳、浦、石、福、岩の諸子合せて六名であった。この外、六谷子が来るはずだったが、弓仲間が急死して来られなくなったそうだ。何でも弓を引いている最中に死んでしまったというので、運命の矢を射るつもりが逆に射られてしまったといって、皆でその男の不運に同情した次第だ。

学海先生の明治維新その廿一

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 学海先生の江戸留守居役への転身について書いていた頃、東京都の夏の定期人事異動があって、小生は教育委員会から財務局へ異動した。異動先は管財部というところで、用地買収価格の査定や公有財産の売却価格を決定する部署だった。金にからむ職というのはいろいろ気を遣うと聞いていたのであまりうれしくない辞令であったが、勤め人は自分に与えられた職に不平を言ってはならぬという鉄則があるので、辞職を覚悟していない限りは唯々諾々と従うほかはない。小生もまたその例に漏れなかった。

カルメン純情す:木下恵介

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「カルメン純情す」は「カルメン故郷に帰る」の続編ということになっている。映画のエンディングで「第二部」と書いてあるところからも明らかだ。第一部では、頭の足りないストリッパーが久しぶりで故郷へ帰って巻き起こす騒動が描かれていたが、こちらはその数年後に、ストリッパーのカルメン(高峰秀子)が男に惚れるところを描いている。題名にある「純情す」とは、うぶな女が男に惚れる気持ちを表わした言葉のようだ。第一部で彼女のストリッパー仲間だった女(小林トシ子)は、子どもを背負って彼女の前に現れる。この女は男に惚れたあげく、子どもを抱えたまま捨てられてしまったのだ。そんな友達を見るにつけ、カルメンはしっかり生きてゆこうと決心するわけなのである。しかし頭の足りないこととて、決心はなかなかスムーズに実現しない。あげくの果ては、恋に破れて意気消沈してしまうのである。

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このポスターには「国際ポスター展」というレタリングが付されており、実際1895-96年に開催された同展覧会のポスターとして使われたのであったが、ロートレックはこのポスターをそういうつもりで作ったわけではなかった。このポスターには込み入った事情があったのである。

耳長と首長:河鍋暁斎の戯画

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「耳長と首長」を描いたこの一枚は、「天狗の鼻切り」とともにエドワード・モースが日本滞在中に収集した暁斎の戯画九点のうちの一枚。真ん中に長い耳の男が、その右手に首の長い男が描かれている。長い耳には小人たちがぶら下がり、長い首の上の頭には飛び出た目の上で小さな男が望遠鏡で耳長をのぞき込んでいる構図だ。

学海先生の明治維新その二十

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 留守居役というのは、各藩が江戸屋敷に配置し、藩を代表して幕府や他藩とのさまざまな連絡・交渉にあたる職である。藩によって聞役とか公儀役とも称された。いわば藩の外務大臣といったところである。外務大臣とはいっても、交渉相手は幕府や他藩の渉外担当であるから、そんなに大げさなものではない。とは言っても藩を代表しているわけであるから責任は重い。時には藩主に代って重要な判断をしなければならないこともままある。留守居が失敗をしたことで藩が重大な危機に見舞われたこともあるらしい。忠臣蔵で浅野内匠頭が窮地に陥ったのは留守居役の手違いから来たとの指摘もある。だから息を抜けない仕事である。 

北京の自転車(十七歳的単車):王小帥

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2001年の中国映画「北京の自転車(十七歳的単車)」は、一台の自転車をめぐって、田舎から北京に出て来た少年と、北京の胡同で暮らす貧しい少年とが繰り広げるかなりウェットなドラマである。二人とも自転車に対して異様な執着をするのだが、そうした執着は今の日本人には殆ど理解できない。しかし2001年頃の中国人にとっては、自転車はまだ高値の花で、ましてや田舎から出て来た貧しい少年にとっては、命の次に大事なものだとの印象が伝わってくる。それにしてもこの映画の中では、自転車はまだ大通りを所狭しと走っている。そんな映像を見ていると、今日の北京の繁栄ぶりを見ている者には、これがわずか20年もたたない頃のことだとはなかなか実感が湧かないのではないか。

自衛隊は21世紀の関東軍か?

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モリカケ問題と並んで安倍政権の頭痛の種になっているのが自衛隊の日報問題だ。こちらはモリカケ問題のような疑獄性はないように思われるが、事態の深刻性は比較にならない。なにしろ防衛庁が組織をあげて、国民に対して欺瞞的な行動をとってきたのである。野党の諸君はこれをシビリアンコントロールの問題と位置付けているが、問題の本質を全く理解していないと言うべきである。シビリアンコントロールとは、軍(自衛隊)が政治の監視を受けることを意味するが、今回明らかになったのは、軍(自衛隊)が政治の監視を無視しているばかりでなく、国民全体を愚弄していたということだろう。

天狗の鼻切り:河鍋暁斎の戯画

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天狗といえば長い鼻がトレードマークだが、天狗の鼻が何故長くなったかはよくわからない。ましてその長い鼻を切られる天狗の話は聞いたことがない。そんな根拠の不確かなことを、暁斎らしいユーモアを込めて描いたのが、「天狗の鼻切り」と題するこの一枚だ。

荷風の女性遍歴その二

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馴染を重ねたる女一覧表五番目の女は米田みよといって、新橋花家の抱え芸者であった。この芸者を荷風は大正四年十二月の大晦日に五百円で親元身請けして、翌年の正月から八月まで浅草代地河岸の家に囲い置き、その後神楽坂に松園という待合を営ませること三ヶ月にして手を切ったという。荷風がこの女と懇ろとなったのは八重次と結婚生活の最中のことであり、この浮気がもとで八重次が荷風のもとを去ったとされている。しかし八重次はその後も荷風と会っており、そのことで荷風は焼け棒杭に火がついたと言って、照れている。

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メイ・ミルトンはイギリス人のダンサーで、メイ・ベルフォールとは仲良しだった。それでベルフォールのためにポスターを作ってやったリートレックは、ミルトンのためにも作ってやらざるを得なかった。ロートレックには心のやさしい面もあったのだ。

鬼が来た!(鬼子来了):姜文

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2000年の中国映画「鬼が来た!(鬼子来了)」の「鬼」とは日本兵のことである。鬼のような日本兵が中国人を迫害して、罪のない人々を無残にも殺し尽くす。その非人間性をテーマにしたものだ。この映画を見ると、中国人がいかに日本人を憎んでいるか、肌で伝わってくる。それはあるいは無理のないことかもしれない。中国政府は先の大戦、それは中国にとっては抗日戦争だったわけだが、その戦争で1000万人の中国人が死んだと公表している。そしてその大部分は日本軍によって殺されたとなっているから、中国人が日本人を憎む気持に無理はない。その憎しみは、戦後半世紀くらいでは到底消えるものではないというわけであろう。

ハイデガーはデカルトを、ライプニッツやカントと並んで非常に高く評価している。その理由は、デカルトが存在を人間の思惟の作用としての表象性によって根拠づけたことで、ヨーロッパの形而上学の伝統であったキリスト教的な思弁から我々を解放し、それによって哲学を真に人間中心主義へと転換させたことにあると見ている。ハイデガーは言う、「デカルトの思惟によって問題となっているのは、全人間性とその歴史を、キリスト教的人間の思弁的信仰真理の領域から、主観のなかに根拠づけられた存在者の被表象性へと置き移すという事柄なのであり、この被表象性の本質根拠から、いまやはじめて人間の近代的支配的地位は可能となるのである」(薗田宗人訳、以下同じ)

学海先生の明治維新その十九

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 学海日録は慶応三年正月朔日に再開され、以後明治三十四年二月十七日までほぼ中断無く書き継がれた。したがってこの期間については先生自ら書いた話を読むことができるわけで、史伝作者としては非常に都合がよいわけである。しかし先生の言葉をそのまま掛け値なしに受け取ってよいものかどうか、それは別の問題だろう。やはりそこには曇りのない目で先生の言い分を検証する批判的な態度が要請されると思う。

唐山大地震

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2010年の中国映画「唐山大地震」は、1976年7月28日に起きた唐山地震をテーマにしたものである。この地震はマグニチュード7・5の直下型大地震で、中国政府の公式発表で25万人の死者を出したと言い、実際にはその二倍から三倍の死者が出たのではないかと憶測されている。いづれにしても20世紀最大の被害を出した地震であった。映画はその地震によって引き裂かれた家族とその再会を描いている。

枯木寒鴉図:河鍋暁斎の鳥獣図

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「枯木寒鴉図」と題したこの絵を暁斎は、明治十四年の第二回内国勧業博覧会に出品した。それについてちょっとしたエピソードがある。この絵は、実質的な最高賞であった妙技二等賞牌をもらったのだが、それに気をよくした暁斎は売却価格として百円の値段をつけた。すると鴉一羽に百円は高いと悪口を言われたのであった。だが、暁斎は、これは自分の画業の集大成であるといって譲らなかった。結局この絵は、日本橋の菓子屋栄太郎の主人が言い値で買ってくれたので、暁斎は大いに面目を施した。

中野好夫「スウィフト考」

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久しぶりにスウィフトがらみの本を読む気になったのは、筒井康隆の「断筆宣言への軌跡」を読んだのがきっかけだ。この本の中で筒井は、自分の持味はブラックユーモアだと言っており、そのブラックユーモアが災いしてさまざまな波風を立てつづけ、挙句の果ては「断筆宣言」をする羽目になってしまったと書いていた。それを読んだ筆者は、日本には筒井のようなブラックユーモアの使い手は非常に珍しく、その意味では国民的な財産にも等しいから、こういう人間が自由にブラックユーモアを振りまけるようにしてやりたいと思ったものだった。

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「ルヴュ・ブランシュ」は、スケートの記事を売り物にした雑誌で、アレクサンドル・ナタンソンが編集していた。そのアレクソンドルの兄弟タデ・ナタンソンの妻が、当時スケートリンクの女王として名をはせていたミシア・ナタンソンだった。このポスターは、ミシアをフィーチャーして雑誌の宣伝を狙ったものだ。

学海先生の明治維新その十八

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 学海日録は文久三年十月朔日の記事を最後に二年以上中断する。そのためその時期については先生の史伝に必要な資料が極めて少ない。あっても先生の個人的な動向や考えまではわからない。そこで小生はこの穴をどう埋めるか、大いに迷った。先日のように先生自身が小生の前に現われて、その時期のことについて語ってくれることが最も望ましいのは言うまでもないが、しかし先生がいつ現われるかはわからない。それを待っていては執筆の動機が弱まってしまうかもしれない。そこで利用できる資料をもとにして、足らないところは想像で補い、とりあえず書き進めることを決断した次第であった。史伝とはいえ小説であるから、多少事実と齟齬をきたしても、読者諸兄には大目に見てもらえるであろう。

罪の手ざわり(天注定):賈樟柯

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賈樟柯は、いくつかの人生をオムニバス風に結びつけて一編となすような作品作りが好きなようだ。2013年につくった「罪の手ざわり(天注定)」もそうした作り方をしている。この映画には四人の人物をめぐる物語が、相互にかかわりなく展開される。人物の間に共通の出来事も起らないし、人物同士に共通した性格も見られない。まったく無関係な人々がそれぞれ無関係に生きているところが脈絡もなく展開されるだけだ。

月に狼:河鍋暁斎の怪異画

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人間の生首をくわえた狼が、満月のかすかな光を踏みながら岩を伝って歩く、なんとも言えないすさまじさを感じさせる絵だ。暁斎は妖怪とか幽霊を多数描いたが、このようなすさまじい図柄の絵はそうはない。その意味で、暁斎の作品の中でも出色のものと言える。

荷風の女性遍歴その一

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断腸亭日乗昭和十一年一月三十日の条に、帰朝以来馴染を重ねたる女の一覧表なるものが載せられている。これは明治四十一年に数年にわたる欧米滞在から帰国したあと、この日までに荷風が馴染を重ねた女十六人について簡単なコメントを付したもので、女の数は十六人にのぼる。この数だけでも荷風がいかに女好きだったかがわかるというものだ。荷風はここに記された以外にも多くの女たちと情交を重ね、その中から創作のエネルギーを汲み取った。なにしろ荷風が生涯に書いた文章のうち小説の部類に入るものはことごとく男女の情交をテーマにしている。荷風はその材料やら構想をそれらの女たちとの触れ合いから汲み出した。したがって女への執念が薄れるとともに、荷風の創作意欲も失われたのである。

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メイ・ベルフォールはアイルランド人で本名をメイ・イーガンと言った。ミュージック・ホールのダンサーをしていたが、ジャンヌ・アヴリールやメイ・ミルトンに比べると、印象が地味で、どちらかというと冴えない感じの女性だった。それ故ロートレックが、ポスターばかりか他の絵画分野でも彼女を好んでモデルに使うのを、親しい友人たちはいぶかったものだ。

四川のうた:賈樟柯

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賈樟柯が2008年に作った「四川のうた」はちょっと変わった映画だ。四川省の成都にある軍需工場が一つの歴史を終えて解体されようとしているときに、その工場に生涯をささげたり、あるいはそこに深くかかわった人たちを登場させて、その人たちと工場とのかかわりを回想させる。日本ではNHKの報道番組によくあるパターンだともいえるが、NHKはプロデューサーが前面に出て語るのに対して、この映画では登場人物に語らせることに徹している。その点ではドキュメンタリー映画と言ってもよい。話の内容にドラマ性は認められるが、ドラマではなく事実を語るのだから、ドキュメンタリーと言えるわけだ。

女は土俵に上がらせてはならない?

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先日舞鶴での大相撲の巡業中、地元の市長が挨拶の途中土俵の上で倒れた。その時何人かの女性たちがすばやく土俵に上がって、倒れた市長に応急処置を取ろうとした。ところがそれを見た行司が、女の人は土俵から下りてくださいと叫んだ。その様子は、現地にいて目撃した人がYOU-TUBEで流したこともあって、あっという間に全世界に拡散した。その結果、世界中から寄せられた大方の反応は、日本はいまだに男尊女卑がまかり通っている野蛮な国だというものだった。

ハイデガーのニーチェ講義第五講は、「ヨーロッパのニヒリズム」と題してニーチェのニヒリズム論を取り上げながら、ヨーロッパ哲学の歴史に一瞥を与えている。ハイデガーの講義には寄り道が多いとの印象を持つのだが、この講義は特にそうで、議論はあちこちに拡散する。だいたいニーチェのニヒリズム概念の説明に当たっても、ニヒルつまり「無」という言葉の語源解釈を持ち込んだりして、それがニーチェのニヒリズム概念とどんな関わりがあるのかと、読者の首をひねらせるところがある。そのほかにも、プロタゴラスとデカルトの比較とか、アプリオリを巡る議論とか、本題であるニヒリズムを大きく逸脱するかに見える議論も含まれている。まあ、ハイデガーを読む醍醐味は、闊達に展開する議論の広がりを堪能できることにあると言っている人もいるくらいなので、これはかえって読書の興味を高める要素だと言えないこともない。

学海先生の明治維新その十七

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 江戸を離れて佐倉に引っ込んでも、学海先生には天下の情勢についてかなりの量の情報が入ってきた。先生はそうした情報に接するにつけても、この国が未曽有の困難に直面しつつあることを感じないではいられなかった。
 兄の貞幹が六月五日に所用で佐倉に来た。その際先生は兄から、長州藩が諸外国の船舶に砲撃を加えたという話を聞いた。これは長州藩による攘夷政策の一環として文久三年五月に起きた外国船砲撃のことをさす。これにかかわる情報が学海先生にはかなり詳細に伝わっているのである。

長江哀歌:賈樟柯

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賈樟柯は、陳凱歌や張芸謀に続く中国映画第六世代を代表する監督だ。2006年公開の映画「長江哀歌」はその彼の名を世界的なものにした。

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「暁斎楽画」は鳥獣草木を描いたシリーズで、乾坤の二巻からなる。鶏と獺をモチーフにしたこの絵は、坤巻の中の一枚。互いににらみ合う鶏と獺を描いている。鶏は鑑賞用の派手な種類、獺のほうはいまや絶滅してしまったとされる日本獺を捉えている。

筒井康隆「断筆宣言への軌跡」

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筒井康隆が断筆宣言をしたのは1993年というから、もう四半世紀も前のことである。筆者は筒井の熱心な読書ではなかったが、それでも「文学部唯野教授」くらいは読んでいて、そのユーモアのセンスは認めていた。その彼が持ち前のブラックユーモアが原因で「日本てんかん協会」との間で争いになって、それがもとで断筆宣言をしたと聞いた時には、文学の外部からの圧力に屈したのかと思ったものだが、この「断筆宣言への軌跡」を読んでみて、そんなに単純なものではないということが、改めてわかった。

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コンフェッティとは、お祭のときに景気づけにばらまかれる小さな色紙片のことだ。そのコンフェッティ制作会社から依頼されて作ったのがこの小さなポスター。依頼したのはベラ・ブラザースというイギリスの会社だ。その会社の経営者が、ウェストミンスター・アベイの向かいにある王立水族館で、ポスター展を催した。そのポスター展の花形になったのがこのポスターである。

学海先生の明治維新その十六

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 文久三年四月二十五日、学海先生は政事堂に呼び出されて人事の辞令を受けた。大木楠右衛門に代って代官職に任じ加俸を賜るというのである。代官職というのは、藩の管内をいつくかに区分し、その地域の司法・行政全般を取り仕切る職である。いわば藩の支庁の最高責任者であり、藩士にとっては最も名誉ある職の一つだった。その職に身分低くしかも非才の自分が任命されるというのは先生が思ってもみなかったことで、まさに青天の霹靂だったに違いない。その驚きを先生は、
「此命は余の驚きのみならず、一藩みなその新奇におどろく。余、久しく読書に頭をうずめて世事にあずからず。豈おもはんや、かかる命をかふむらんことを」と表現している。
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陳凱歌の2008年の映画「花の生涯 梅蘭芳」は、伝説の京劇俳優と言われる梅蘭芳の生涯を描いたものである。梅蘭芳は大戦中に一貫して抗日の姿勢を貫いたことで、中国人には節制のある人物として人気があるが、その生涯を描いたこの映画は、日本人にとっては面白くない作品だと言えよう。日本人をあまりにも非人間的に描いているからである。

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