四川のうた:賈樟柯

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賈樟柯が2008年に作った「四川のうた」はちょっと変わった映画だ。四川省の成都にある軍需工場が一つの歴史を終えて解体されようとしているときに、その工場に生涯をささげたり、あるいはそこに深くかかわった人たちを登場させて、その人たちと工場とのかかわりを回想させる。日本ではNHKの報道番組によくあるパターンだともいえるが、NHKはプロデューサーが前面に出て語るのに対して、この映画では登場人物に語らせることに徹している。その点ではドキュメンタリー映画と言ってもよい。話の内容にドラマ性は認められるが、ドラマではなく事実を語るのだから、ドキュメンタリーと言えるわけだ。

こういうタイプの映画は非常に珍しい。日本では新藤兼人が溝口健司の生涯についてかかわりのある人たちにそれぞれ語らせ、その中から溝口の人間性が立体的に浮かび上がるように工夫した。それとよく似ている作り方だ。新藤の映画は溝口という一人の人間の肖像を浮かび上がらせたのであるが、この映画が浮かび上がらせるのは、数十年の歴史を持つ企業、それも軍需産業の国営企業である。であるから一人の人間以上にその時代を色濃く反映しているところがある。それ故この映画を通じて観客は、一国営軍事企業とそこに働く人々の生き方を見せられるとともに、一時代の中国社会の断面を見せられることになる。しかしそれがいかにも中国らしいように我々非中国人には伝わってくる。

この企業は成都の中心部近くにありながら、周辺の社会とは断絶した一つの町を形成していた。従業員は企業の用意した住宅に住み、そこには生活に必要なあらゆるものが揃っているうえ、娯楽の場や学校まで揃っている。多くの社員はだから一生をこの企業社会から出ることなく、その内部で過ごすことができるのだ。

実際映画に登場して自分の生涯を語る人々は、殆どこの企業社会の中で暮らしてきたのだと語る。彼らの多くはこの企業がなくなることに悲しみを感じているが、その気持ちは彼らの境遇を考えればよくわかる。もっとも若者の世代になると、企業に自分を一体化する者は少なくなり、企業に縛られるのではなく、もっと自由な生活を望む者もいる。しかし彼らにしても生まれてからずっとこの企業社会内部で暮らしてきたわけで、そこに働いている両親を見ると、自分がいかにこの企業と深くかかわりあっているか認めないわけにはいなかいのだ。

こういう企業社会と言うのは、中国流社会主義の見本と言うべきものなのだろう。むかしソ連にはコルホーズとかソフホーズとかいったものがあって、そこで働く人々の生活を全面的に保証することをめざしていたが、それと同じような理念がこの企業にも働いているようなのである。いまでは中国は資本の自由化を推進しているが、大企業の殆どは国営企業であり、そこではこの映画に出てくるのと同じような光景が見られるようである。

それ故この映画は、或る意味でもっとも中国らしいところを取り上げて紹介していると言えそうである。筆者は現代の中国社会にそんなに詳しいわけではないが、この映画を見るとその一端を見せられているような気がする。

なお、この映画の中に出てくる中国社会はまだ貧しさの影を引きずっている。国営企業が比較的恵まれているにかかわらず、そこに貧しさを感じるのだから、それ以外のところでの貧しさは推して知るべしだろう。その一端を賈樟柯は前作の「長江哀歌」で紹介していたものだ。






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