柳田国男の方法

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柳田国男の学問の方法の著しい特徴は、その実証性にある。つまり柳田の学風を一言で言えば実証的な精神に裏打ちされた科学的な方法を重んじるということなる。実証的な方法は、科学には欠かせないものなのだが、日本の学問の伝統においては、必ずしも徹底されたわけではなく、非実証的で思弁的な方法がまかり通ってきた歴史がある。そういうわけなので、欧米の学問の基準からすれば、柳田の実証性は当たり前のものとして映るが、日本の学問の現場においては、かなり際だって見えるのである。


ここでは、柳田国男の代表作「海上の道」に即しながら、柳田の学問をつらぬく実証的な精神について分析していきたい。

まず実証的な方法の特徴について予備的な定義を行っておこう。実証的な方法とは、ある事柄について、その根拠を事実を基にして帰納的に証明し、それによって得られた結論を前提として、もろもろの現象を演繹的に説明することを特徴とする。帰納によって事柄の根拠を解明することを上向法と言い、その根拠に基づいて個々の現象を説明することを下向法と言う。この両者が相まって、実証的な方法が成り立つ。従って、事柄の根拠を帰納的手続きなしに前提したり、個々の現象を根拠からの演繹なしに説明したりするのは実証的な方法とは言えない。しかして科学というものが実証的な方法によって支えられているとするならば、そのようなやり方は科学的とは言えないわけである。

柳田国男は、こうした実証的な方法によって、さまざまな事柄を科学的に解明しようとした、と言うことができる。

ところで、科学者がある事柄について研究しようとする場合、たいていの場合、彼にはそれを研究してみたいという動機のようなものがある。それを普通問題意識と言う。科学者は、あることについて問題意識を持った上で、それについての自分なりの考えを仮説という形で押し出す。その上で、それに関連する現象を集めて、それらを材料にして帰納的な手続きを行い、そこから仮説の信憑性を確かめる。こうして確かめられた仮説はその信憑性によって、仮説から説明原理へと高まる。説明原理とは、個々の現象を説明するさいの根拠となるものである。その根拠を別の言葉で原理とか前提とか言う。

科学としての実証的な方法とは、このような手続きに支えられたやり方なのである。

さて、「海上の道」に具体的に入って行こう。この研究における柳田国男の問題意識は、日本人はどこからやってきたか、というものである。それについて柳田は、日本人は南の海のほうから、「海上の道」を通ってやって来た、という仮説を立てた。その仮説を確証するために、柳田はそれを裏付けるようなさまざまな現象を集め、そこから帰納的な手続きを経て仮説を証明しようとする。その場合の柳田の姿勢はきわめて謙虚であって、仮説を裏付ける現象の範囲とか、それに基づく帰納とかが、果たして仮説の実証を裏付けるほどに十分なものかどうか、たえず意識している。いい加減なところで妥協すると、非科学的な態度に陥ってしまうと、常に自戒していたのである。

柳田国男の面白いところは、この仮説を思いついたきっかけが、日本の各海岸に打ち寄せられた漂着物、とりわけ南の国に生えているという椰子の実を見たことだとしていることである。柳田のこの経験からあの島崎藤村の有名な詩が生まれた。柳田と藤村とは若い頃から親しい間柄で、柳田が藤村に語った椰子の実の話を、藤村が早速詩にしたのである。

それはともかく、柳田は日本人の祖先が遠い南の方から海上の道を渡ってやって来たという仮説を証明するために、膨大な規模の現象に注目する。「海上の道」というこの研究書に収められているのは、その仮説の証明に役立ちそうなさまざまな現象とか事柄への言及なのである。

一方柳田は、一応日本人の祖先が南の海のほうからやって来たと仮定すれば、さまざまな事柄がうまく説明できるとも言っている。これは仮説を一応確証された前提と仮定した上で、さまざまな現象をそこから演繹的に説明するやり方である。このやり方は一応、仮説が確証されたということを前提としているのだが、柳田の場合には、自分の立てた仮説に対して謙虚なので、そう簡単にはそれを絶対的な前提などとは言ったりしない。いつまでも仮説の身分にとどめておく。それゆえ、彼の行う演繹の手続きは、絶対的な前提から出発した疑いえない推論というものではなく、あくまでも蓋然性の高い仮説に基づいた暫定的な説明だということになる。ここにも柳田の謙虚な姿勢が感じられる。

柳田国男が日本人の祖先が南の海の方からやってきたと強く主張するようになった背景には、江上波夫の騎馬民族説への対抗心がある。江上は北方からやってきた騎馬民族が日本人の祖先だと主張したのだが、そう前提すると説明できない事柄が多すぎる。そこで柳田は、日本人の祖先が北方からやってきたと前提すれば説明できない事柄を集めるとともに、そうした事柄も日本人が南方からやってきたと仮定すれば見事に説明できるという事例を多く集め、そうした事例を帰納的に処理することで、自分の仮説の信憑性を補強しようとする。

このように柳田の学問の方法は、あくまでも事実に基づいて推論しようというもので、強い実証的な精神に貫かれている。

ここでは以下、柳田国男の実証的な姿勢をよくあらわしている部分に光を当て、彼の学問の方法的な特徴をあぶりだしてゆきたい。






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