裸の日本人:佐藤忠男の日本人論

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佐藤忠男は映画評論家である。その佐藤が「裸の日本人」と題して、彼なりの日本人論を展開して見せたのがこの本である。裸の日本人というから、偽らぬ本当の姿の日本人を描いたということなのだろう。映画評論家の行う日本人論だから、映画を材料にしながら日本人を分析したものかといえば、必ずしもそうではない。映画や芝居にふれた部分もあるが、ほとんどは佐藤自身の経験を通じて浮かび上がった日本人の姿がここには描かれている。いわば佐藤の目から見た裸の日本人の姿がここには描かれていると言ってよい。

佐藤の日本人としての経験の原点は軍隊生活と敗戦だったようだ。佐藤は小学校を出るとすぐに海軍の予科練に入り、そこで軍隊生活をした。彼にとって軍隊生活は結構快適だったようだ。少なくとも自分の気風に合っていたようである。脱走したくなるほど辛いことはなく、むしろ自分というものに誇りを持つことが出来た。もし日本が戦争に敗れなかったら、ずっと軍人を続けていただろうと思われるほど、軍隊は佐藤にとって居心地がよかったようだ。

その佐藤が十四歳で敗戦を迎えた。佐藤にとって敗戦はショッキングだったようだ。もっともショッキングだったのは、敗戦までは神のような存在として教え込まれていた天皇が、支配者マッカーサーの前では、僕のように従順になったことだ。それを見た佐藤は、こんな間抜けな感じの人物が、なぜ我々の象徴でありうるのか、という嫌悪さえ感じたと言う。

そんなわけで佐藤は、軍隊生活で身につけた社会の見方がすべて否定されたばかりでなく、およそ人間というものに信頼を感じることができなくなった。その場合の人間とは日本人のことである。佐藤は敗戦を挟んで日本人が見せた振舞いの中に、とんでもない落差を感じて、日本人は信用するに値しないと思うようになったようだ。十四歳の少年にしてみれば、無理のない反応だったと言えよう。

後がもっとも驚いたのは、敗戦を挟んで、昨日までは鬼畜米英と叫び軍歌を歌っていた連中が、今日は浪花節の森の石松をうなり、敗戦の事実にはいっこう無頓着なことだった。あるいは昨日まで天皇への絶対忠誠を叫んでいた連中が、今日は民主主義を云々している。十四歳の少年にとっては、それは欺瞞ということをこえて、精神の無内容を意味したようだ。

何故日本人はこうまで無内容なのか。それを問うことから佐藤の自己形成のやり直しは始まった。敗戦の時に十四歳だった佐藤は、まだ自己を再形成するための十分な柔軟性をもっていた。その柔軟性を以て、社会の見方や人間関係のしのぎ方を学び直さねばならない。実際佐藤はその学びを通じて自己を再形成し、新たな視点から世の中を見るようになったようである。

佐藤がまずたどりついた日本人像は、権威主義的で横のつながりのない、ばらばらで孤独な人間像だった。その孤独な人間像は、自分の帰依する組織の中においては居心地のよさを感じるが、組織を離れて一人になると、自分のよりどころを感じることが出来ず、何ごとにも不安を感じ、人間同士が連帯できない孤独な生き方に陥る。つまり日本人は組織の一員としてしか自分の存在の根拠を感じることが出来ず、一人になると互いに関わりをもてない孤独な生き方しか出来ないということになる。

佐藤が軍隊に入ったのは、中学校の入試に失敗したということもあるが、軍隊に入れば自分のよりどころを得られるという期待もあったからではないか。自分ひとりではなかなか自信が持てず、そのことで疎外感を感じていた佐藤が、軍隊に入れば、組織の一員としてのアイデンティティを持つことが出来る。そう考えて、軍隊生活を選んだのではないか。実際佐藤は軍隊の一員としてのアイデンティティを持つことが、子どもながらに出来た。佐藤は軍隊に居心地のよさを感じることができたわけだ。

しかしその軍隊での生活は、よくよく振り返ってみれば、あまり褒められたものではなかった。そこには自由で主体的な人間像はまったく存在の余地がなく、一人ひとりの兵士はあくまでも組織の歯車のようなものだった。しかもその組織のあり方は、非常に権威主義的なものであって、兵士一人ひとりの自主性がまったく意味を持たない世界だった。兵士は上のものには卑屈になり、下のものには横柄になる。これは下士官に典型的に見られるもので、佐藤はそれを下士官根性と言っている。下士官は将校に向かってはつねに卑屈に振舞い、下級兵に向かっては、上の権威を笠に着て尊大に振舞う。こういう人間関係のあり方は、丸山真男が抑圧の委譲と称したものと非常に似ている。佐藤は佐藤なりに丸山と同じようなことを考えていたわけである。

こうした軍隊での独特の人間関係は、徳川時代における武士のそれと非常に似ていると佐藤は言う。「武士の場合は、一生涯、主人に対する忠誠によってのみ生活を保証され、出世もさせてもらえるという仕組になっている。だから彼らにとっては、権威とは畏怖すべきものであると同時に、誇りでもある。権力に刃向かえば命はないが、いったん、これに自分のマゴコロをあずけてしまえば、その権威の代行者として、百姓町人に号令することができる。だから彼らは、権威者におのれのマゴコロをあずける儀式のとき、つまり、主人に平伏してなにがしかの言葉をかけてもらえるとき、いちばん幸福に思う」

このように、組織のうちでは権威主義的に振舞い、その組織を離れると、自分のよりどころを失って孤独な存在となる。これが日本人の裸の姿である、というのが佐藤の行き着いた結論だったようである。

一人になった時の日本人の孤独なありさまを、佐藤はいろいろな角度から見ている。たとえば、中国人と比較した場合の日本人の連帯感のなさ。中国人は、同僚が困難な状況に直面すると、仲間意識を持って助けてやろうとする。その例として佐藤があげるのは、中国人による日本人殺害のケースだ。その日本人は真っ裸のまま背中を突き刺されて死んだのだが、それは中国人女性をレープしている最中に刺されたのであった。そこで日本側は周りの中国人にむかって犯人を差し出せと迫ったが、中国人はみな適当にそれを無視した。これは中国人のなかにある連帯感の現われであって、日本人には決して見られない。日本人ならこの場合、どういう反応をみせるか、佐藤は言及していないが、すくなくとも犯人をかばおうとするような行動は取らないだろうとみている。

こうした日本人の他人への無関心は、いろいろなところで見られる。たとえば電車の中で一人の乗客がならず者によって困難な目に遭わされていても、乗り合わせた日本人はみな見て見ぬふりをする。これはさまざまな場面で検証できることであり、日本人の連帯感の希薄さを物語っている。そう佐藤は言って、日本人が互いにかかわることなく孤独の城に閉じこもりがちな傾向を指摘する。

そうした日本人の連帯感の希薄さは、安部公房も指摘したところだ。安部は満州で、日本人が互いに同僚の不幸に無関心だったことを指摘し、日本人の連帯感のなさについて語った。

一方では組織内での権威主義的な振舞い、一方では組織を離れたときの個々人の孤独と連帯感のなさ、これは盾の両面のようなものなのだろう。

ここから言えることは、日本人は役柄の明確に決まっていることには容易に適応できるが、役柄の不明確なことがらには、尻込みするということだ。佐藤は、日本人の俳優は、男は兵隊、女はパンパンをやらせるとすごくうまくこなすと言っているが、それは兵隊もパンパンも、行動様式がパターン化されていてわかりやすいからだというのである。





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