石油化学業界の業況を聞く

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四方山話の会七月の例会は、梶子が石油化学業界の業況を語ることとなった。連日続く猛暑の中を、いつもどおり新橋の焼鳥屋古今亭に赴く。途中駅前の通りで縁日が開かれており、大勢の人が繰り出して生ビールなどを飲んでいる。幟を見ると新橋こいち祭とある。地元商店街の納涼の催しらしい。

会場には梶子のほか、岩、小、浦、石、福、六谷及び小生の計八名が集まった。梶子が用意してきたレジュメを配る。石油化学メモと題された十ページの、なかなか凝ったものである。上の写真はその一部。これを見ただけでも、梶子のレジュメが学問的な香気を漂わせていることがわかるだろう。ちなみにこの表は、我が国における物質フローをあらわしたものだそうで、梶子によれば、右の図のように扁平なほど環境的に効率的な物質代謝が行われているのだそうだが、浅学な小生にはその理屈がよく飲め込めなかった。他の連中は感心しながら梶子の話を聞いていたから、飲み込めていたのだろう。

とにかく十ページにもわたる詳細なレジュメを用意したほどだから、梶子の説明も詳細にわたった。小生などは、その詳細な説明から、梶子がどんな話をしているのか、全体像をつかむのに苦労したのだったが、他の連中は、これも納得して聞いていたから、おそらく全体像を理解しながら、梶子の詳細の説明を受け入れていたのだと思う。

小生なりに、梶子の話の全体像を描くと、どうも日本は科学産業の分野では、他の先進国から何歩も遅れたということらしい。その理由は、日本は国が率先して産業化を行ってきたが、その眼が鉄やエネルギーといった基幹産業分野に集中し、科学分野とくに石油化学分野までは眼がゆき届かなかったことにあるようだ。日本の石油化学はコンビナートを舞台に集約されてきたが、この方式はドイツやアメリカの集中方式と比べて非効率で、とても太刀打ちできないのだと言う。もっとも、日本の石油化学には諸外国との競争という視点は欠落していて、もっぱら内需頼みだったということだ。しかしこれからはそうはいかない。世界に打って出なければ、諸外国との競争に負けて、産業として立ち行かなくなるだろう。これからはグローバル化の時代なので、石油化学産業もグローバル化しなければならない。今般の武田による外国企業買収などは、そうしたグローバル化への意志を示したものだと、梶子は考えているそうである。

だが、世界と競争するといっても、日本の石油化学産業はあまりにもたち遅れており、同じ土俵ではグローバル企業に立ち向かえない。そこで日本の石油化学産業に期待されることは、総合的な展開をめざすのではなく、特定分野に特化した一点集中型の企業展開である。その点、自分の会社などは、ナフサに特化して、いまやこの分野では世界一流の地位を築きつつある。やりようによっては、まだまだ生き残る可能性は十分にある、というのが梶子の考えだった。

小子は石油元売り企業にいたので、梶子の企業は製品の供給先にあたっていたわけだが、小子が若かったころには、石油化学企業といえばエチレン系の企業が中心で、ナフサ系の企業などは全く相手にしていなかったそうだ。それが今では、ナフサのような分野で日本企業が世界を相手に戦っている姿を見ると、時代の変遷を感じざるを得ない。第一、今では石油関連の企業は非常に人気がない。だから偏差値の高い学生も集まらなくなっている。我々の世代では、石油産業を始めいわゆる素材産業と言われるものが非常な人気を誇っていた。実際この場にいる八人の中でも、三人までが素材産業に就職したではないか。それがいまではどうだ。そういう様を見るにつけ、時代の流れの無常さを感じるよ、と小子は言うのだった。

国家と産業とのかかわりが話題に出た所で、議論は次第に国家のほうへと傾いて行った。そこから現代社会における民主主義の可能性というような問題にも議論が広がった。いったい現代の日本で、民主主義は本当に可能なのか。日本のみならず、世界的にも、民主主義への懐疑が巻き起こっている。アメリカにもトランプのような人間が出て来たし、抑圧的な政治は世界規模で広がっている。

そこで、最近NHKが放送した、中国における人権弁護士の不当逮捕などが話題に上った。あの番組は中国共産党による言論弾圧を批判的にとりあげていたものだが、こうした国家による人権無視とか抑圧が世界的な規模で広がっているのではないか。そんな意見まで出たから、ますますみな、現代における民主主義のあり方に脅威のようなものを感じたようであった。中には、民主主義というのは、特定の時代の特定の状況に適応した制度であって、永久不偏な価値をもつものなどではないといった、シニカルな意見もあった。

こんな具合で今夜はかなり政治的な議論となった。政治好きは我々四方山会の面々に共通する特徴のようだ。そのうち、卓上に飲み物がなくなったので、浦子が仲居にビールを註文した。その時に、後でいいから急いでほしい、というようなことを言ったので、小生が、後でいいから急げとは何事か、と指摘すると、浦子は心外だといった表情を呈した。

次回は久しぶりに、白山にある梶子の会社のお座敷で行うこととなった。前回はすき焼きを食わせてもらったが今回は何がいいかというので、しゃぶしゃぶをお願いしようということになった。また、コメンテーターには石子を指定し、農業のことでも語ってもらおうということになった。

散会後、石、岩、浦の諸子と柳通りに面した小さなバーに入り、ジャック・ダニエルスを飲みながら、ロシア旅行の打ち合わせを行った。ヴィザは取れたかね、と聞くと、みな無事に取れたと言う。石、浦の両子は、直接ロシア大使館に赴いて手続きしたそうだ。ヴァウチャーはどうしたかと聞くと、そんなものは求められなかった、パスポートと写真だけ持って行って、その場でOKだったというから、流布している情報とは随分違うなと思った。流布している情報では、ヴァウチャーとかなんだとか色々と面倒なことを要求されることになっている。おそらくワールドカップ対策として、手続きを簡略化したのかもしれない。ともあれ全員無事ヴィザが取得出来て一安心だ。

また、現地でタクシーを快適に利用するために、スマホのタクシー配車アプリを活用したいから、スマホを持っている同人は使い方を研究しておいてくれと事前にメールで通告していたところだが、石子のほうは、スマホの使い方自体がわからないので勘弁してくれと言うし、岩子のほうは、俺に向かってそんなこむつかしいことを要求するのが間違っていると、これはとんだ権幕だ。そんなわけで、これについても、小生が何とか工夫しなければならないようだ。





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