進歩と反動:竹内好

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竹内好が「アジアにおける進歩と反動」という文章を書いたのは1957年のことだが、その当時は日本ではいわゆる逆コースが定着し、他の東アジア諸国では反動政権がはばをきかせつつあった。そんな時代状況を踏まえて「進歩と反動」という言葉が独特の意味を持っていたのだと思う。竹内はこの「進歩と反動」をどう考えるべきか、自分なりに筋道をつけようとして、この文章を書いたのだろう。

進歩と反動という具合に、反動を進歩と関連づけて論じようとすると、どうしてもそこに価値観が忍び込んでくると竹内は言う。進歩はよいことで、その反対である反動は悪いことだという価値観である。その背景には、人間の歴史というものは、単線上を一直線に進んでいくものだとの認識が働いている。その進行に添って前へ進んでいくのはよいことであり、逆にその流れに逆らうのが反動で、したがって悪いものだとの認識がそこにはある。

しかし反動には、価値観を離れた中立的な意味合いもあると竹内は言う。動に対する反動という力学的な意味である。これは作用に対する反作用という単純な力学的事実をさしているのであり、価値観は含まない。力学は、作用と反作用、動と反動は等量であると教えている。動があればそれに見合う量の反動がある。したがって動が大きければ大きいほど、それに比例して反動も大きくなる。動が小さければ反動も小さくなる。

この考え方を人間の歴史にも適用することが出来る。そうするとフランス革命や清教徒革命のような大きな動の後には、テルミドール反動や王党派の返り咲きなど大きな反動が来る。それに対して、小さな事件の後に来る反動はちっぽけな規模しか持たない。そういう考え方をすることができる。

だが我々は、動と反動を価値観からは中立な力学的観点から捉えることはしたがらない。やはりそこに価値観を忍ばせてしまう。価値観が忍び込んでくると、反動はやはり悪いことだということにされてしまう。反動という言葉はどうしても価値観を伴わないではいられないのである。したがって、たいていの人は反動と呼ばれることを嫌う。それは自分が進歩に背を向けた頑固者、わからず屋、旧弊墨守と思われるのが心外だからである。

こうした思い込みは、「歴史が進歩の方向へ一方通行であるという考え方、つまり、進歩史観が本になって」出てくる。しかしそうした進歩史観は、もともとアジアにはなかった。進歩史観というのは近代ヨーロッパで生まれたものである。中世以前のヨーロッパでも、キリスト教的な終末意識に支えられた直線的な時間概念というものはあったようだが、それが進歩という観念と結びついて、歴史は一直線上を未来に向かって進歩するという観念が確立するのは近代以降のことである。したがってヨーロッパ的な進歩史観というのは、歴史的には非常に新しいものということになる。

ヨーロッパにとってさえ新しいのだから、ましてアジアにおいては推して知るべしである。アジアには、もともと進歩史観などはなかった。それはヨーロッパからもたらされた。進歩史観がなかったのであるから、悪いものとしての反動という考え方もなかった。反動の概念があったとしたら、それは力学的な意味に近い反動である。その一例として竹内は中国の「一治一乱」という言葉を取り上げている。これは一種の循環史観であって、「治があれば乱があり、戦争が終われば乱が来る。治と乱は交代する」。つまり、人間の歴史というものは、未来永劫に渡って治と乱との繰り返しである。そこには進歩はなく、あるのは循環である。

同じ事柄が永久に循環するという思想はヨーロッパ人のニーチェも提起したことがあるが、ヨーロッパではニーチェの思想は受け入れられず異端扱いをされてきた。ところがアジア、すくなくとも中国では、それが当たり前の考え方だったわけである。

ともあれ以上を要約して竹内は次のように言っている。アジアには「進歩という考え方は、元はなかった(同時に事実もなかった)。西洋から受け入れた。この点はアジア全体に共通である。ところがその受け入れ方に、日本と中国とでは違いがある」。竹内はこう言って、中国と日本との進歩と反動に対する考え方の違いを明らかにしようとつとめるわけである。

この小論のなかでは、その目論見は十分には展開されていない。しかし、前後するいくつかの文章を読むと、自ずと明らかになってくる。日本は西洋流の進歩の考え方を表層において受け入れ、したがって何の抵抗もなく西洋と同じ考え方をするようになったが、中国の場合には、その受け入れには抵抗が伴った。従って日本のように簡単に西洋流を採用するというわけには行かなかった。中国は自分たちの伝統を踏まえた上で、それにいわば接ぎ木するような形で西洋的な考え方を取り入れた。その相違が進歩に対する考え方にもあらわれている。日本は西洋と同じく単純な進歩史観が支配するようになったのに対して、中国ではそうはならなかった。中国では、一治一乱に見られたような伝統的な歴史意識と接続するような形で進歩というものが考えられた。どうもそう竹内は捉えているようである。






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