ロシアとの共謀は罪ではない:トランプの苦し紛れの言い訳

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モラー特別検察官の捜査が本丸に入りつつあるのを目にして、トランプが苦し紛れの言い訳をしだした。自分はロシアと共謀したつもりはないが、仮に共謀したとしても、それは罪ではないというのだ。こういう言い訳を聞かされると、最近日本でも似たようなことが起ったのを思い出す。日本では、セクハラ疑惑で批判された部下をかばうために、上司の某財務大臣が、セクハラは罪ではないといって、あたかもセクハラを推奨するようなことを言った。今回のトランプの言い訳もそれに似ている。ロシアとの共謀は罪ではないのだから、それをしたからと言って、とやかく言われることはないというわけである。

これに対しては、大方の良識者たちは懐疑的である。たしかに合衆国の刑法典には、ロシアとの共謀を罪とする規定はないが、しかし、外国と共謀して合衆国の不利益になるよう陰謀した場合には、合衆国への反逆の罪として裁かれる。トランプ陣営がこの自明な法理を無視して、ロシアとの共謀を矮小化しようとするのは、彼らが追いつめられたことを物語っている。そういった皮肉な見方が大半だ。

だいたいトランプは、当初民主党やヒラリーを攻撃する材料として、彼らの外国との共謀をあげ(根拠も示さずに)、それが罪に当たると言って騒いでいた。ところが自分自身にロシアとの共謀の疑いがかかると、今度は、自分は絶対にロシアと共謀していないと強調した。そして今となって、もし自分がロシアと共謀していた事実が明らかになったとしても、ロシアとの共謀は刑法上の罪ではないのだから、自分は裁かれるいわれがないと言い出したわけだ。

昨今は、抑圧的な指導者が世界規模で輩出し、その連中がやりたい放題のことをするようになった。やりたい放題のなかには言葉の濫用も含まれる。彼らは自分たちの無理筋の行為をごまかすために、言葉を恣意的に使って、非論理的なことを論理的に見せかける努力をしている。それは、日本でもアメリカでも例外ではなく、いまでは世界規模で、言葉は客観的意味よりも主観的な都合によってどのようにも言いこめられるようになってしまった。





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