素晴らしき哉、人生(It's a Wonderful Life):フランク・キャプラ

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どんなにつらくても、努力すれば必ず報われる、何故ならこの世界は神の意志によって動いており、その神が努力する人を見捨てることはありえないからだ。こういう考え方を、ほとんどのアメリカ人が抱いている。そこにアメリカ人の根本的に楽天的な性格を感じ取ることができる。フランク・キャプラはそうしたアメリカ人の楽天性を、暖かいタッチで描き続けた映画作家だが、「素晴らしき哉、人生(It's a Wonderful Life)」はそんなキャプラの映画世界を代表する作品である。アメリカ人のほとんどは今でもこの作品を愛しており、この映画を見ると、生きていることの素晴らしさを心から実感するのだと言われている。

この映画は、善良な一アメリカ人が、人々の幸福のために身を粉にして働き続けたにかかわらず、ふとしたことから窮地に陥り、自殺するほかはないと思いつめた時に、神が彼の窮状を憐れんで、見習い天使を派遣し、彼を窮状から救い出すという物語だ。要するに神は努力する人を嘉し給うと言うアメリカ人好みの価値観を前面に押し出した作品である。

主人公の善良なアメリカ人をジェームズ・スチュアートが演じている。この俳優は我々日本人にとっても非常に好感のもてるキャラクターで、善良さを全身であらわしているような雰囲気がある。そんな彼が、善良なアメリカ人を演じ、それが思いがけず窮地に陥って自殺するほかはないと思いつめた時の表情は、深く同情をそそるところがある。

その彼のともに神によって遣わされた見習い天使は、自分の手で直接彼を救うわけではない。彼を救うのは彼自身なのだ。天使はそれに手がかりを与えたに過ぎない。その手がかりとは、彼に対して、彼が生きて来た世界とは全く違う世界を示してやることだ。その場違いな世界で彼は絶望し、できうれば今まで自分が生きて来た世界に戻りたいと感じる。その時彼は、自分自身を救い出しているのである。

何故彼が自分自身を救えたかといえば、それは彼がそれまでに人々や世界に対して貢献してきたことに、人々や世界が感謝で応えたからだ。彼の破滅のもとになったのは、経営する企業の資金を紛失したことなのだが、その資金に相当する金額を、彼の世話になった人々が、寄付という形で与えてくれるのだ。こういう、人々の善意は自分自身の善意の賜物だという主張は、「スミス都に行く」においても強調されていた。アメリカ人はこうした善意のやりとりが非常に好きなようだ。

スチュアートが資金を紛失したのは、彼の商売敵である町の実力者に盗まれたというのが実相なのだが、映画はそのことを特に強調しない。スチュアートは最後までそのことを知らないのだ。これが日本映画だったら、悪人の正体を暴露し、相応の罰を受けさせないではすまないところだ。だがキャプラはそんなことにはこだわらない。人間の善意の偉大さにくらべれば、一部の人間の悪意はとるに足らないという考えがあるからだろう。

この映画のもう一つの見どころは、家族についてのアメリカ人の考えが反映されている部分だ。映画はスチュアートが幼馴染の女性と恋に陥り、彼女と共に暖かい家庭を築き、その家庭が壊れそうになると、一家が団結して守ろうとする。人々から多額の寄付を集めるのは妻のメアリーであり、絶望したスチュアートを慰めるのは子どもたちなのだ。要するに家族が愛によって強く結ばれていれば、どんな困難も克服できる、という思想がこの映画を筋の通ったものにしている。






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