失はれた地平線(Lost Horizon):フランク・キャプラ

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フランク・キャプラの1937年の映画「失はれた地平線(Lost Horizon)」は、欧米版桃源郷物語といってよい。また竜宮城物語にもいささか似ているところがある。現世の人間が山奥の理想郷に遊び、再び人間世界に戻ってくると言うのは、陶淵明を始め中国人が好きなテーマだ。また、久しぶりに人間界に戻ったものが、一気に数十年も年をとるというのは日本の浦島太郎を思わせる。ちょっと違うところは、その桃源郷が自然のものではなく、どうやら人工的に作られたことになっているところだ。しかもそれを作ったのが欧米人であるベルギー人の牧師になっているところが、いかにも欧米人らしい。地球上の事柄は、何につけてもすべて欧米人の支配下にあるといった文明論的な思い込みが感じられる作品である。

桃源郷の名はシャングリラといって、チベットかパミール辺りの山の中にあることになっている。そこに五人のヨーロッパ人が迷い込む。というよりつれてこられる。この五人はどうやら中国東部にある架空の街バスクルで、戦争による混乱を回避するために上海に飛行機で脱出するのだが、その飛行機が何者かにハイジャックされて、深い山の中に不時着する。するとそこへ不可思議な人々がやって来て、彼らを桃源郷に連れて行くのだ。

五人のリーダー格であるロバート・コンウェイ(ロナルド・コールマン)はイギリスの外交官だが、文学的な才能もある。その才能を発揮して警抜な言葉を著書の中で披露しているのだが、それを一人の女性が読んで感銘を受け、是非自分のところに迎えたいと思う。その女性の住んでいる処というのがシャングリラという名の理想郷だったわけだ。その理想郷には精神的な指導者としてのラマ僧がいて、コンウェイと面会するのだが、その話のなかでシャングリラの歴史を語って聞かされる。その上でラマ僧は、自分はすぐにも死ぬ運命にあるから、自分の死後、シャングリラのことはあなたにゆだねると言われる。

シャングリラにはソンドラというチャーミングな女性もいることだし、住民も穏やかでつきあいやすいとあって、コンウェイはシャングリラに骨を薄めようかとも思う。しかし同行の四人、特に弟のジョージがイギリスに帰りたがる。そこで弟の熱意に負けてシャングリラを脱出するのだが、その途上で弟の恋人が数十歳の老婆に変身し、弟も雪崩に巻き込まれて死んでしまう。恋人が老婆に変身したのは、浦島太郎と同じ理屈で、シャングリラでは止まっていた寿命の流れが一気に回復したためだった。

こうしてシャングリラを脱出して現世に舞い戻ったコンウェイだが、どうしてもシャングリラのことが忘れられず、何度も再訪を試みる。だがなかなかその場所にたどり着くことが出来ずに何度も失敗を重ねた結果、最後にはとうとうたどり着くことができる。映画はそのさいのコンウェイの喜びの表情を映しながら終わるというわけである。

こんなわけでこの映画は、現世と理想郷との往来をテーマにしながら、現世の醜悪さを強調している面もある。とりわけ人間同士が戦争をいうかたちでいがみあい、殺し合うことについての痛烈な批判もうかがえる。シャングリラはそうした現世の醜悪さに対するアンチテーゼのような意味合いを持たされているようだが、それがなぜかチベットの山奥らしいところに設定されているのは、当時の欧米人のオリエンタリズムのあらわれなのだろう。日本人も含め東洋人がこの映画を見ると、欧米人たちの独りよがりなエスノセントリズムを感じさせられる。






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