山の人生:柳田国男の山人論

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「山の人生」は「遠野物語」の続編のようなものである。「遠野物語」では岩手県の遠野地方に伝わっている説話や伝説、昔話などを収集していたものを、エリアを全国に広げて大きな規模で収集したものだ。ただし収集の対象となった話は、ほとんどが山とそこに住む人々とに関するものだ。山に住む人々には色々なタイプがあり、また人とは言えない生きもの、例えば天狗とか河童とかいうものも含まれるが、そうした者たちと平地の人々との関わり合いを主な対象としている。題名の「山の人生」には、そうした姿勢が反映されているわけである。

柳田は何故、山に生きる人々にこだわったか。柳田は晩年、日本人の起源が海の彼方からやって来た人々だと考えるようになり、その仮説を裏付けるために、南西諸島から東北地方にかけておびただしい量の一次資料を集めて歩いた。ところが若い頃には、「遠野物語」を始めとして、山の生活に深い関心を寄せていた。柳田は「遠野物語」では、山と人との関わり合いに注目していたに過ぎないが、この「山の人生」においては、山に住む者こそが日本の原住民ではないかとの思いを抱くようになったのではないか。

その思いは、「海上の道」に見えるように、まず問題意識があって、そこから仮説を立て、その仮説を実証するために資料にあたるという方法とは全く逆の道筋から現れ出たものだったようだ。柳田は「遠野物語」の方法を拡大適用して、日本全国から山に住む人々の情報を集めて、それらを比較分析するうちに、日本にもともと住んでいた原住民というべき人々が、平地の人々に圧迫されて山に逃れ、そこで暮らすようになったのではないか。全国に伝わる山人(山に住む人々)にかかわる話は、そうした日本の原住民と後から来た日本人との接触を物語っているのではないか。柳田は全国を歩いて山人にかかわる資料を集めるうちに、そう思うようになったようである。

柳田が山に住む人々の例として最初に持ちだすのは「サンカ」と呼ばれる人々だが、これは山中に小集団を作って採集生活をし、ときおり里に出てきて平地の人々と簡単な交流をすることがある。この人たちの起源はわからないが、どうも大昔からそのようにして暮らしていたらしい。また、特に東北地方に多いマタギという狩猟民も、平地の人々とは違う種族と考えられていたようだと言って、柳田は山に住むある種の人々が、平地に住む人々とはそもそも異なった種族の可能性があることをほのめかしている。

サンカやマタギは集団を作って住む人々だが、孤立して暮らしている人々は、これも山人と言って、ずっと多くのケースが報告されている。そのなかには、もともと平地の人とはかかわりなしに生きていた、いわば違う種族としての山人もいるし、またいわゆる神隠しなどによって、もともと平地に暮らしていた人が山で暮らすようになったケースもある。後者の人々のなかには、神がかりを伴なう者もいて、そういう者は平地の人々に宗教的な感情を起させる場合もある。

神隠しについていえば、柳田はかなりの紙数を割いてその例を取り上げている。中でも多いのは女の神隠しや、子どもの神隠しであるが、大部分に認められるのは、精神障害との関連だ。女の場合には、産後の発狂から山の中に入ってしまったとか、子どもの場合には一種の精神病から失踪してしまう例がある。柳田自身子ども時代に精神障害の傾向があって、それがもとでいわゆる神隠しに近い状態になったことがあると自白している。

人間臭い姿をした山人(山男や山ははなど)の他に、天狗や河童など明らかに人間とは違ったものが、山人と同じように語られる場合がある。その中で天狗は、超人間的な能力の持ち主として表象される場合が多い。天狗といえば山伏姿のイメージが重なるが、山伏は修験道と結びついており、したがって比較的新しいものだ。ところが柳田は、天狗の起源はそれよりもっとずっと古いと受け取っているようだ。天狗もやはり、日本の原住民だった山人たちがその起源だったのではないか。

天狗というものは、日本中の山の中に住んでいる。鼻が長いとか体が大きいとかいったイメージがあるが、その体の大きさだけを取り出すと、巨大な人間、つまり巨人のイメージになる。巨人にかかわる話は日本全国に流布していて、柳田はそれらを丁寧に収集しているが、それを読むと、日本には低地に住んでいる普通の日本人と、山の中に住んでいる巨人族と、二つの種族から成り立っていると思われるほどだ。

面白いことに、巨人としての山人は至極単純な人間だとされ、普通の人間に危害を与えるものとしては思われていないことだ。無論人間が騙したりすると怒ってひどいこともするが、基本的には穏やかで素直な性格を持つものとして受け取られている。また平地の人間の中には、山人の人のよさに便乗して、労役をさせるものもいる。こうなると山人は、単に好奇の目の対象にはとどまらず、異種族間の文化的接触の一例としての側面が目立ってくる。

ともあれこの著作から伝わってくるのは、日本の各地には、山人と称されるような、平地に住む普通の日本人とは異なった人々が山を生活の舞台として暮らしており、それらの人々と普通の日本人との間には、昔から一定の交流があったということだ。柳田は、そうした山人が、もともとこの国に住んでいた原住民であって、それが低地の人々に圧迫されて山の中へと移動していったのではないかと推測しているようである。ようである、というのは、その推測をことのついでにさらりと表現するばかりで(たとえば「山人と名づくるこの島国の原住民」というような表現)、正面から取り上げてはいないからである。






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