芽むしり仔撃ち:大江健三郎

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大江健三郎は一部の日本人から蛇蝎の如く忌み嫌われているが、その理由がこの小説(芽むしり仔撃ち)を読むとよくわかる。大江はこの小説、それは彼の初期の代表作と言ってよいが、その小説の中で、今でも一部の日本人が固執している「美しい日本」神話に水を浴びせかけているのだ。大江がこの小説の中で描いている日本人は卑劣で狂暴な人間たちである。その卑劣で狂暴な人間たちが、自分たちの力を振り回して弱い者をひねりつぶす。ひねりつぶされたものたちには、抵抗するすべもない。ただ巨大な力におしつぶされ、場合によっては家畜のように屠殺されるのだ。

こういう構図は決して異常なものではない。それどころか今の日本でも同じようなことが日常的に起きている。力の強いものが弱いものを迫害し、弱い者はその迫害に対して有効な反撃をすることができずにただ耐え忍んでいる。これは学校におけるいじめや企業社会におけるパワハラなど、社会のいたるところでいまだにはびこっている。日本人と言うのは互いに助け合う美しい国柄の民族という神話とは裏腹に、卑劣で狂暴な人間がはびこっている、それが日本社会だ。そうした社会像の典型的なあり方を大江はこの小説の中で描いた。いわば告発の書である。そうした告発に対して、一部の日本人が激しく反応するのはある意味自然な眺めと言ってよい。

強者が弱者を迫害すると言ったが、この小説の中で迫害されるのは子どもたちであり、予科練の脱走兵であり、朝鮮人である。そのうち子どもたちは感化院の入所者で、空襲を避けて山の中の村に疎開してきたということになっている。それ故、この子どもたちを含めて、この小説の中の弱者たちはみな社会からのはみ出し者という位置づけになっている。その彼らを迫害するものは、疎開先の村の住人たちであり、また脱走兵を追求する憲兵や警察である。いわば権力とそれにつながった者らが、権力に逆らう者たちを迫害するという構図になっている。権力が絡んでいるから、その迫害は極めて凄惨な色合いを呈する。権力には生殺与奪の権能も付与されているからだ。だから迫害されるものの多くは、命を奪われることになる。その奪われ方は、強い者が寄ってたかって弱い者に襲い掛かり、彼らの身体をずたずたに引き裂くと言った残忍な形をとる。卑劣で狂暴な日本人の本性がそこに現われていると言った具合に。

大江は、「人間の羊」や「見る前に跳べ」においては日本人の卑小さとかみじめさを描いたのだったが、それがこの小説の中では一転して卑劣さとか凶暴さを描いている。卑小さと卑劣さとは相通じるものがあるが、みじめさと凶暴さとは一見反対のイメージを帯びている。しかしながらよくよく考えるとこの両者にも相通ずるものがある。日本人というのは、自分が強い立場に立つと弱い者に対して居丈高になり、逆に弱い立場に立つと強い者に屈従する。要するに強弱所を変えながらも同じ心性がそこには働いているわけだ。それはおそらく日本人が個人として自立していないことの現れなのだろう。だから日本人はつねに自分を集団の中での位置づけに対応してしか自己イメージを結べない。その集団が対外的に強い立場に立てば弱い者を相手に狂暴に振る舞うし、集団内部での自分の立ち位置に応じて、強い者には媚びへつらい、弱い者には尊大に振る舞うのである。

小説の語り手である僕は感化院の入所生である。その感化院が入所生を山の中の一部落に疎開させる。こうして僕を含めた何人かの入所生が山の中の部落に連れて来られる。しかし僕らはあるところに閉じ込められる。僕らを連れて来た役人が別の入所生を後発組として迎えにいっている間、村の連中によって厳重に監禁されるのだ。こうして僕らは役人が別の入所生を連れて戻ってくるまでの間、自分らだけで村の連中と向き合うはめになるのだが、その間にさまざなな事柄に遭遇し、その挙句に僕はたった一人の弟を失い、自分自身も村人によって屠殺されそうになるのだ。されそうになる、というのは、僕はこの小説の語り手であって、自分自身の死を小説の中で語ることができないからだ。しかし文脈からして僕が村人に屠殺されることは間違いない。屠殺されるのは僕だけではない。脱走した予科練生も村人たちや憲兵によって屠殺される。彼の場合には百姓に竹槍で腹を突かれ、そこから内臓がはみ出るような怪我を負わされて屠殺される。僕の場合には、おそらく鍛冶屋が持った金属によって狂暴に叩き殺されることになろう。

彼らは何故屠殺されねばならなかったか。それは彼らが権力に盾ついたからだ。予科練生の脱走が権力への反抗と見られるのはわかる。権力に反抗した者には、おそらくまともに生き続けられる選択はなかったのだろう。だから屠殺されても文句が言えないかもしれない。しかし僕の場合には別に権力に反抗したわけではない。卑劣な大人たちに向かって自分の気持を正直に言ったまでだ。しかもその言い分には十分な理由がある。にもかかわらず僕は屠殺されねばならなかった。それは僕が弱い者の立場にあり、しかも強い者の機嫌を損なったからなのだ。というのも僕が死を宣告されたその現場には、強い者としての村人と、弱い者としての子どもたちとの他には誰も居合わせず、強い者は弱い者に対して安心して暴力を振るえる環境にあったからだ。つまり第三者の目を気にしないでいられるときには、しかも弱い者からの反撃を考慮する必要のないところでは、強い者は弱い者に対してやりたい放題のことができる。こうした構図は今の日本社会でも基本的には変わっていないと思う。

僕が村人、とりわけ村長の憎しみを買った理由は、村人のひどい行為に対して僕が見て見ぬふりをすることを拒んだことだ。僕らに対して村人はいくつかのひどいことをした。村に疫病が蔓延する可能性が高いと判断して、僕らを子供だけで村に置き去りにしたこと、しかも堅固な建物の中に監禁したままでだ。村に取り残された少女が思い病気にかかった時僕が治療を要請したにかかわらず、医者がそれを拒絶して彼女を死に追いやったこと、村の出口にバリケードを築き僕ら子供らが外へ出られないようにしたこと、それは場合によっては子供らを全員死なせることにつながったかもしれない。そして予科練の脱走兵を竹槍で突き殺したことなどである。

こうしたことについて村長は僕ら子供たちに向かって何も無かったことにしろと言った。その脅しに他の子どもたちは、朝鮮人の子どもも含めて屈従したが一人僕だけは反抗した。みんな事実通りにしゃべってやると反論したのだ。それに対して村長は烈火の如く怒り、次のような言葉を吐く。

「いいかお前のような奴は、子供の時分に絞め殺したほうがいいんだ。出来ぞこないは小さいときにひねりつぶす。俺たちは百姓だ、悪い芽は初めにむしりとってしまう」

それにしても大江はなぜこんなことを小説のテーマに選んだのだろう。この小説の最大のテーマは日本人の卑劣さと凶暴さということにあるが、サブテーマとしては戦時中の児童疎開を描くということもある。児童の集団疎開については、この小説が書かれた時点でぼちぼち体験者自身の証言が出始めていたが、それらのほとんどはマイナスイメージの暗いものだった。教員への不信とか疎開先の集落の人々への恐怖とかである。この小説に出て来る集団疎開は普通の子供ではなく感化院の入所生ということになっているので、彼らに対する風当たりは普通の子の比ではなかっただろう。当時の日本の大人社会は、普通の子どもに対しても抑圧的に振る舞ったのであるから、曰く付きの子どもを相手にしたら、この小説の中でのようなひどいことが行われても不思議ではないのかもしれない。

いずれにしても読んで気の滅入るような作品である。そこには人間不信と言う形で、日本人への問いかけがなされている。それを一部の日本人は自分たちを含めた日本人一般への侮辱と受け取ったわけであろう。






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