核兵器保有国と非保有国の橋渡しをするとは?

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慣例に従って長崎の原爆平和記念式典に参加した安倍晋三総理が、何故あなたは被爆国の首相として核兵器禁止条約に署名しないのかと、被爆者の代表者たちから質問されたときに、その質問には答えないで、次のように言った。日本としては、核兵器保有国と非保有国との橋渡しをすることが大事だ、と。

核兵器保有国と非保有国との橋渡しをするとはどういうことか。橋渡しとは、互いに離れている者の間に橋を架けて、相互に歩み寄るようにすることを意味すると思うのだが、いまの世界の情勢を踏まえれば、核兵器保有国と非保有国とが歩み寄るとして、それはどのような条件のもとでか?

その条件については、すくなくとも国連の場では、核兵器は巨大な悪であって、その使用は未来永劫にわかって禁止されねばならないということが示されたわけだ。だから、この方向に向かってすこしずつ両者(核保有国と非保有国)が歩み寄る努力を重ねるというのが常識的な理解だと思うのだが、安倍晋三総理はどうもそうは考えていないらしい。

安倍晋三総理は、日本はアメリカの傘の下に入っていることで、日本の安全が保障されていると主張している。ということは、アメリカによる核兵器の使用を前提にしているわけだ、核兵器は張り子のトラではないのだから、使うことが前提でなければ、何の意味もない。それゆえ安倍総理は、核兵器が悪であり、その使用を未来永劫に禁止しようとは、口が裂けても言えないと考えているのだろう。

ところで、核兵器禁止条約が国連で122か国の賛成を得たことに見られるように、今や核兵器は究極の悪であるという理解が世界規模で進みつつある。そうした状況を踏まえれば、核兵器保有国とその庇護を受けている(とされる)日本のような国にとって、核兵器が悪であるという理解が人類共通のものになるのは何としてでも避けたいところだ。

こんなわけだから、核兵器の保有国は、色々と手を伸ばして、核兵器を悪であると決めつけるような運動を牽制しているというのが実情だ。そういう状況のなかで、日本として、核兵器保有国と非保有国との間でどんな橋渡しができるのか。

安倍晋三総理としては、核兵器保有国にも非保有国にも最低の共通理解として、核兵器は悪ではないというコンセンサス作りをすることが自分に課せられた役割だと考えているように伝わって来る。核兵器は悪ではないのだから、仮に日本が三度目に原爆を落とされても何も文句は言いません、と言うことになるのだろうか。





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