海南小記:柳田国男

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柳田国男は、大正九年の十二月から翌年二月にかけて九州東部から琉球諸島へかけて旅をした。「海南小記」はその折の紀行文というべきものである。柳田は大正八年の暮れに役所勤めをやめて在野の学者生活に入っていたが、その新たな門出を飾るものとして、日本各地を旅した。それはフォークロアの旅といってよかった。これらの旅を通じて日本各地に残されている風俗や伝説のたぐいを収集し、それをもとに自分なりの民俗学を確立したいという意図が働いたものと思われる。


「海南小記」がカバーしている旅は、豊後、日向、大隅の九州東海岸地方、及び奄美諸島と沖縄諸島であり、果ては石垣島に及んでいる。この旅を通して柳田が心がけたのは、各地に伝わる風俗や伝承を収集し、それを相互に比較することで、何らかの共通性が見られないかをさぐることであった。その結果柳田がとりあえずたどり着いた考えは、沖縄に伝わる風俗や伝承の多くに本土との共通性が見られるというものであった。風俗で言えば、竈神をまつる風習は沖縄を含めた日本全国で共通するし、また石敢当というものを立てる風習は、沖縄諸島で見られるほか、東京以西の本土各地にも見られる。また、言葉の共通性も指摘できる。たとえば、聞きたいを沖縄ではチチブシャンと言い、ないだろうをネランハジと言うが、ブシャンは欲しい、ハジは筈の古い形で、本土ではすでに変形してもとの形が残っていないのに対して、沖縄ではいまだにそのままの形で残っていると柳田は推測している。

女の黥などは沖縄地方だけに見られる特異な風習のようにも思われるが、必ずしもそうとは言えない。本土には女が鉄漿を塗る風習があるが、これは沖縄の黥に対応する風習で、身体の一部に装飾を施すことで、女の社会的な位置づけを示す表徴としての意味合いを持たされていたのではないか。そういう意味では、この両者は共通した一つの根から別れた姉妹のようなものだと柳田は推測するのである。

この黥のことを沖縄ではハチジとかハジキとか言っているが、これはハッツキ(針突き)が音韻転化したものだろうと柳田は言っている。これは女の手の甲に施されていて、文様は島ごと、集落ごとに異なっている。それを見ればどこの出身か一目でわかるそうである。

宗教の面で柳田がもっとも注目するのは、ノロとかユタとか言われる巫女が沖縄では大きな社会的役割を果たしていることである。沖縄諸島では、宗教行事の主催者は女である。この点では、基本的に男の神主が宗教行事の主催者をつとめている本土とは異なるが、何故そうなのかについて、柳田は突っ込んで考えてはいない。日本本土でも太古には女性が宗教行事に重要な役割を果たしていたことは、柳田の時代にも広く知られていたと思われるから、柳田がこの問題をまともに取り上げていたら、面白いことがらがたくさんわかったのではないか。

以上、本土と沖縄には風俗や言葉の上で共通するところが多く、両者が同じ文化を共有していることを確認したうえで、柳田はどちらがより古いのかを問題にしている。本土のほうが古くて、それが南進して沖縄に伝わったのか、それとも沖縄の方が古くて、それが北進して本土のほうに伝わったのか。

この疑問に対して柳田は、後者のほうを答えとして採用する。柳田は、同じような風習でも、本土のそれよりは沖縄の方が「物の始めの形に近く、世の終りの姿とはどうしても思われぬ」と言って、我々日本人の祖先がまず沖縄の島々にやってきて、そこで繁栄するうちに、次第に北のほうに進出していったのではないかと推測する。

柳田は言う。「北で溢れて押出されたとするには、平家の落人でもないかぎりは、こんな海の果までは来そうにもないが、南の島にまず上陸したとすれば、永くはいられぬからどうかして出て来たであろう。そうして取り残された前の島の人を、必ずしも想い出すことはなかったかもしれぬ。かりにこの推測があたっていたとすれば、我々はまことに偶然の機会によって、遠い昔の世の人の苦悶を、僅かながらもこのあたりの島から、見出し得たことになるのである」

この見方はやがて補強されたうえで、「海上の道」で全面的に展開されることになる。つまり日本人の遠い祖先は、遥か南の海上からまず沖縄の島にたどりついて、そこを拠点として北上し、やがて日本列島全域に広がって行ったという仮説を、柳田は精力的に展開するのである。

しかし柳田は、一方では、日本列島には異なる起源の人種が混在しておって、原日本人ともいうべき人種と、新しくやって来た人種との間で葛藤が生じ、その結果原日本人は新日本人に圧迫される形で山中に逃げ込み、それらが山人となったとする仮説を併せ提出していた。

そこで海上の道で示された仮説と、山人の仮説との間で、一定の緊張関係が生じることとなるが、それを解く作業は、少なくともこの「海南小記」の段階では、視野に入ってきていない。






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