島田虔次「朱子学と陽明学」

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朱子学と陽明学はとかく対立する面が強調されがちだったが、実は深い絆で結ばれているというのが中国史家島田虔次の見方である。陽明学は朱子学の内在的な展開であり、「朱子学は、必然的に陽明学にゆきつくべき運命にあった」というのである。

朱子学と陽明学との関係を、島田は二つのキーワード「性即理」及び「心即理」によって説明している。性といい、心といい、中国思想の核心となる概念で、人間の心は性と情との統一体であるという考え方をあらわしている。その人間の心のうち、性というのは理窟にかかわる部分をいい、情とは文字通り感情の部分をいう。この二つのうち、朱子は性を強調して「性即理」の立場に立った。それにたいして陽明は、性のみならず情をも含んだ心を強調して「心即理」の立場に立った。それゆえ朱子学が理知的に傾くのに対して、陽明学は情意を重んじるようになるが、その根本においては相通じていると島田は見るわけである。

しかし、朱子学と陽明学には無視できない相違があるのも事実である。その最大のものは、陽明学には存在論が欠けているということである。朱子学は壮大な存在論を展開した。それは「理気説」と呼ばれる。世界はすべて気が展開して生成する。気が質量だとしたら理は形相にあたる。この二つのものが結びついて、個々の事象や物体が生じるのである。その場合に、気は直接働くのではなく、一旦陰陽両面の働きに分かれる。陰とは気が弱い状態をさし、陽とは気がさかんな状態をさす。この陰陽相互の働きから木火土金水の五行が生まれる。そしてこの五行がさまざまに結合して、世界の構成要素である物体や事象が生成する、とするのが朱子の「理気説」の特徴である。この簡単な説明から、朱子の存在論というか、世界観が、中国伝統の易の思想を踏まえていることがわかる。

朱子の存在論にはもうひとつ大きな特徴がある。体用の論理を採用していることである。体用の論理とは、因果関係ではなく、本体と現象という具合に事象をとらえる。比喩的にいうと、因・果の関係が風と波との関係であるのに対して、体・用の関係は水と波との関係にあたる。このように因果関係を軽視することから、朱子学には造物主による創造という観念がない。因果論をつきつめると、この世界にはそれができた原因がなければならないことになるが、朱子学は因果関係にとらわれないので、誰かによる世界の創造という観念にはとらわれない。世界はおのずから生成するという具合に考える。

体用の論理は、中国特有の考え方ではなく、仏教から影響を受けたのだろうと島田は言っているが、しかし火のないところに煙は立たないの譬えどおり、それを受け入れる土壌がなければ、深く根付くこともないわけで、中国にはもともと、そういう傾向があったのだろう。それをヨーロッパ的な一神論と比較して、汎神論的な世界観ということができる。ヨーロッパ的な一神論は、世界を造物主たる唯一神によって創造されたものと見るわけだが、汎神論的な世界観にあっては、世界はおのずから生成するということになる。

朱子学には格物致知という考え方がある。これはヨーロッパ的な意味では認識論に属し、中国的な意味では修身とか学問の方法論を意味する。格物致知というのは、ものごとの道理を極めることで、世界の正しい認識を得るとともに、自分自身が聖人の域に達することができるという、実践的な意味合いを持たされた概念である。そこには朱子学らしい理知的な態度がうかがえる。知の獲得こそが、世界の把握をもたらすのであって、君子は理知的な姿勢で知の獲得に努めれば、おのずから正しい世界把握と正しい生き方を実現することができると考えるのである。

これに対して陽明学は、聖人の道は、単に知的な能力のみによっては得られないと主張する。それにはある種の情熱が必要である。その情熱とは、人間の心のなかの感情の部分から湧き出て来る。したがって、聖人たらんとすれば、自らの感情を鼓舞して、困難ではあるが正しい道に向って努力せねばならない。知行合一という陽明学のキーワードは、そうした意気込みをあらわしたものなのである。

陽明学は、人間の感情を重視した結果、その流れの中からは、実践を重視する思想家が輩出した。陽明学左派と称される一派はその典型であって、李卓吾はそのチャンピオン的な存在である。このほかにも、清末には多くの志士を輩出し、世界改革の実践に邁進した。日本でも、陽明学の流れから、社会の改革を標榜する人物が輩出したことはよく知られている。

ところで、現代中国の思想界では、中国思想の流れを大きく三つに分類するのだそうだ。ひとつは伊川・朱子の「性即理」をもとにした客観唯心論、ひとつは陸象山・王陽明の「心即理」をもとにした主観唯心論、そして張横渠・王船山の「気」一元論をもとにした唯物論。この三つの流れのうち、唯物論を最高の思想とするのが、今日の中国における主流の立場だという。





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