政治的人間としての大江健三郎:懐かしい年への手紙

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大江健三郎は、政治的な発言を積極的に行うタイプの作家である。その発言は、戦後民主主義の擁護という動機に支えられている。その動機を大江は、戦時中の幼い頃の体験やら、戦後俄かに盛んになった言論の状況から固めていったようだ。自伝的な作品「懐かしい年への手紙」には、登場人物たちの行動を通して、大江の政治的な傾向が表現されている。

大江の政治的なスタンスは、権力への反抗ということにあるようだ。大江のアナーキスティックな傾向は、そこから生まれているのだろう。この小説のなかでは、幼い語り手が、戦時中の国民学校において、教師から暴力を振るわれる場面が出て来るが、その暴力は、「いよいよ本土決戦のアカツキに、天皇陛下が死ねとおおせられたならば、どういたしますか」との問いに、期待された答えを返さなかったために振るわれたのであった。それに対してギー兄さんは、天皇陛下がこんな山奥までやってきて、数多くの子供たちの中から、わざわざKちゃんを選んで呼びかけることはしないだろうといって慰めてくれるのだが、それに対して幼い語り手は、その可能性は十分にあると答えたのだった。幼い語り手は、天皇陛下の脅威を、幼いなりに自分のものとして感じていたわけだ。

その脅威を感じる心が、大江少年に権力への反感を育ませたらしい、とこの小説からは伝わって来る。権力は、大江少年にとってはなによりも、自分への身体的な脅威の源泉として、嫌悪を催させるものだったわけである。だから、大江の反権力意識は、強いられて吹き込まれたものであって、なにかの信念にもとづいて積極的に表出されたものではない、というふうに伝わって来る。

成人して作家となった語り手は、政治的な意見を時事評論という形で発表するようになったが、そんな自分の行動を、語り手は次のように解説している。「戦時を山村の子供としてすごし、戦後には新制中学世代として民主主義教育を受けた年齢の者の発言というのが、僕の時事的なエッセイのすべてをつらぬく主題だった」

そんな語り手の行動を、ギー兄さんは、あぶなかしいものを見る目で見つめていた。ギー兄さんは次のように言って、若い語り手に忠告するのだ。「Kちゃんの政治との接触は、近い将来、無邪気なKちゃんの魂に相当な傷を残すにちがいないと思います。これから自分としては四国の森のなかで、しだいに戦闘性を露骨にしている右翼の行動隊や、国家権力の機動隊によって薙ぎ倒される、議事堂周辺の無邪気な群衆のなかの、さらに無邪気な青年作家の安否を気遣いつつ暮す、そういうことになるのじゃないでしょうか?」

もっとも、実際に薙ぎ倒されたのは青年作家である語り手ではなく、かれに忠告したギー兄さんだったわけだが、それについて触れる前に、青年作家が体験した政治的な攻撃について語ろう。安保闘争があった年に、右翼の一少年が社会党の委員長を刺殺する事件がおきたが、その事件をめぐって、大江は二編の小説を書いた。「セヴンティーン」と題するもの、及び「政治少年死す」と題するものだった。前者は、一人の少年がいかにして右翼的な心情をやしない、それを安保反対を叫ぶデモ隊に向けて暴力的に表現したか、その心理的な過程を少年の独白というかたちで描いたものだ。後者はその少年が自殺するに至る心理的なプロセスを描いていた。これが右翼を刺激し、大江自身が右翼の攻撃に直面したのは無論、大江の作品を出版した会社も右翼の攻撃の対象となり、謝罪広告に追い込まれた。すると、それまでの右翼からの攻撃に加えて、大江は左翼からも攻撃されるようになった。出版社にゲタを預けて敵前逃亡したというのである。

そんな大江=語り手の行動を、ギー兄さんは冷めた目で観察し、次のように批評する。「そして今度は小説をきっかけに右翼とのイザコザが起り、Kちゃんこそ自業自得としてもさ、きみの家庭が右翼行動隊の標的となっているのならば、オユーさんの心理的な重荷はたいへんなものだろう。Kちゃんには、子供の時から、追いつめられた状態でのクソ度胸があり、感じやすい日頃の軽挙妄動とは裏腹に、「跳ぶ」のひっくりかえしだがね、そうしたところでは落ち着いてしまう」

このギー兄さんの批評は、無論大江自身の自己イメージを反映しているのであろう。ともあれ大江としては、この事件から大いに学んだところがあったようだ。かれは、自分の無知が、必要以上に事態をこじらせたと感じたようなのだ。だから、後日大江が四国に帰る途中に神戸に立ち寄り、妻の家族が住む家を訪れた際に、妻の養父から、敵から逃亡してきたのかと嫌味を言われても、反論しなかったのである。

さて、ギー兄さんに降りかかった災難というのは、これもまた語り手と深いかかわりがあった。語り手は、安保騒動のさなかに中国旅行にでかけてしまったのだが、その間に、国会議事堂周辺で反政府デモが高揚をみせた。その様子を見ていたギー兄さんは、どういうわけか、そのデモ隊にオユーさんが加わっているにちがいないと思い込み、もしそうなら、彼女が右翼の暴力団とか国家権力の機動隊にひどい目に合わされる恐れがある。そこで自分が盾となってオユーさんを護ってやらねばならぬ、そう思い込んで、四国の山の中から東京へ直行し、ただちにデモ隊の渦のなかに身を投じたのである。

その結果ギー兄さんは、右翼の暴力団によって頭をカチ割られ、瀕死の重傷を負った。地面に倒れたギー兄さんは、怒りの感情に襲われた。「右翼の暴力団に殴られて倒れたこと自体への怒り、そしてデモ隊の人びとと警官の不人情への怒り、そして無益にもかれらに協力を求める新劇女優に依存している自分への怒り。やっと学生たちに面倒を見られることになってからも、いったんデモ隊に関わる規制範囲外の大通りへ運ばれてから、学生たちが通りすがる車を停めては病院へ乗せて行ってくれるよう頼むのへ、次々と断られるその仕方によって、怒りはなお燃えつづける薪をあたえられた」

語り手の無分別を批判していたギー兄さんが、自分自身も無分別を発揮してひどい目にあったわけだが、それは、語り手の妻たるオユーさんを護りたいという無私な思いから発していた。そんなわけだから、ギー兄さんの憤怒にはどこか尊いところもあるのだが、いずれにしても、このまま「本当に死ぬのであれば、こう憤怒したままではまずい」と反省する心の余裕をギー兄さんはもっていた。その余裕を以てギー兄さんは、「いまある怒りを無意味なものに感じさせる個所を、ダンテから思い出す」ことに注力したのだった。

こんな具合で、この小説のなかでは、安保闘争が大江の問題意識を大きく掻き立てたということになっている。それ以前に大江がもっともこだわっていた政治的イシューは核問題だったわけだが、安保問題は核問題に劣らず緊急な政治的意義をもつものとして、大江の前に突然あらわれたのであろう。大江には、時事的な政治課題に向き合うという、ある意味のナイーブさが感じられるのである。






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