2019年7月アーカイブ

四方山話の会七月の例会には、前回に続き赤子が出席し、自分の半生について語るというので、楽しみに出かけて行った。会場はいつもの通り新橋の焼鳥屋古今亭。定刻ちょっと前について見ると、座席が六人分用意されてあり、小生が腰かけると満員になった。ところが幹事役の石子の姿が見当たらない。どうしたことかといぶかる間もなく、その石子があらわれて、全部で七人になった。小生と石子のほか、六谷、梶、赤、浦、小の諸子である。

荻生徂徠の著書「学則」は、学問論というか、学問をする上での心得のようなことを記したものだ。学則の即とは、学問をする上でのっとるべき規則というような意味である。その規則を徂徠は七つの項目にわたってあげている。それらを読むと、徳川時代における、学問についての標準的な考え方がわかるようになっている。徳川時代の学問とは、宋学を中心とした儒教の体系であったから、徂徠の学問論も、おのずから儒教について語るというふうになっている。何故、儒教だったのか。その理由に触れると長話に渡るが、要するに儒教の名分論が、徳川時代に安定化した封建的な身分関係によくフィットしたからだと思う。

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是枝裕和の2018年の映画「万引き家族」は、一種の社会現象といえるようなブームを巻き起こした。カンヌでパルム・ドールをとったということもあるが、なによりもこれが、今の日本社会を如実に映し出しているからであろう。今の日本社会は、かつて言われたような総中流社会ではなく、アメリカ流の格差社会である。金持ちと貧乏人とが、勝ち組と負け組とに截然と別れ、負け組は野良犬のようなみじめな生き方を強いられる。そうしたあり方は、今の日本社会に生きている人のほとんどにとって他人事ではなく、いつかは自分の身に降りかかってくるかもしれない。この映画に出て来る家族は、そういう惨めな人々なのだが、そうした人々に、この映画を見た観客は明日の自分を見たのではないか。それがこの映画が、ある種の社会現象を引き起こした原因だと思う。

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洛中洛外図屏風舟木本は、永徳作の上杉本と並んで、洛中洛外図の最高傑作である。初期の洛中洛外図屏風とは異なって、左右両隻の図柄が一定の視点から描かれている。すなわち、両隻をつなぐ中心部に鴨川の流れを配し、右隻には洛東の光景を、左隻には洛中の光景が描かれている。そして両隻の右端には秀吉の象徴方広寺大仏殿を配し、左端に家康の象徴である二条城を配して、一つの連続した画面の中に、この両雄がにらみ合うような布置を展開しているわけである。この二つのものを象徴として極端に大きく描いているおかげで、京都の町はかなり歪曲して表現されている。

トランプの激しい人種差別攻撃は、ボルティモア選出の黒人議員カミングズに向けられ、トランプはカミングズなみならず、彼を連邦議員に選んだボルティモアまで、口汚く攻撃した。ボルティモアは不潔な町で、鼠だらけであり、まともな人間の住むところではないというのだ。これは、坊主憎けりゃ袈裟まで憎しのたぐいなのだろうが、罵られたボルティモアの人びとは心穏やかではないだろう。人種差別主義者としていまや自他ともに認めるトランプだが、なにしろアメリカ合衆国の大統領なのだ。その大統領からこんなふうに罵られたら、誰でもいい気持ちがするはずはない。

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アンドレア・デル・カスターニョ(Andrea del Castagno 1419-1457)は、フィレンツェ郊外の村カスターニョ・ダンドレアに生まれた。彼の呼び名は、生地の名前から来ているらしい。もっとも生前は、アンギアーリの戦いで絞首刑にされた市民を描いたことで、首くくりのアンドレア(Andrea degli Impiccati)と呼ばれたようだ。

無限は、無と並んで、哲学上の由緒ある概念として長らく思索の対象となって来た。無限をどうとらえるかは、有限な存在としての人間にとっては、ある意味生き方の根拠にかかわることである。有限な存在として、有限な命を生き、有限な生涯を終えるというだけならば、人間が生きていることにいかほどの意義があるだろうか。それゆえ人間は、どこかで無限につながっていたいと思うように出来ているようである。無限とかかわりがあると思えれば、自分の命にもなにがしかの永続する意味がある、そう思えるようである。

五木寛之と立松和平の対談「親鸞と道元」を読んでいたら、2008年の9月に日本の新聞史上初めての出来事があったと五木が言い出した。それは、朝日の一面トップに「自殺者十年連続三万人を越える」という見出しが出たということだった。なぜそれが珍しいかといえば、自殺の記事というのは、縁起が悪いということもあって、社会面の端のほうに小さく載るのが普通で、一面トップで扱われるようなものとは思われていなかったからだ。それが一面トップを飾るに至ったのは、自殺の問題が深刻化していることのあらわれなのだろうと、その五木の発言からは伝わって来た。

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2008年公開の映画「エレニの帰郷」は、テオ・アンゲロプロスの遺作となった作品だ。かれは「エレニの旅」に始まる20世紀シリーズ三部作の構想をもっていたが、これはその二作目。三部作とはいっても、一作目と二作目では、筋書きの連続性はないようなので、それぞれが完結した話と言えそうである。テーマは、ギリシャを含めたヨーロッパ現代史ということらしい。

今日7月27日は土用の丑の日だ。夏の土用の丑にあたる日は、昔からウナギが出て来るのが日本の食卓のならいだったが、この日の我が家の食卓にもうなぎの蒲焼が出て来た。うなぎの蒲焼は小生の大好物なので、大いに楽しみながら食った次第。若い頃には、頻繁にうなぎを食ったものだが、最近は値が上がったこともあり、そう頻繁には食えなくなった。だから夏の土用の丑の日くらい、腹いっぱい食いたいものだと思う。

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これは徳川黎明会に伝わる豊国祭礼図で、豊国神社所蔵のものとほとんど同じ構図の図柄である。岩佐又兵衛作と伝えられている。上の図は左隻。方広寺の大仏殿を背景に、いくつかの円陣にわかれて群舞がなされる様子が描かれている。その描き方には、狩野内膳のものより躍動感が感じられる。

「ヒロシマ・ノート」と並べ論じられることの多い「沖縄ノート」を大江健三郎が書いたのは、1969年1月から1970年4月にかけてだ。この頃、アメリカのアジア政策に大きな変化がおこり、それを踏まえて佐藤・ニクソン会談が開かれ、沖縄の返還が具体的な日程にのぼりつつあった。ところがこの返還は無条件返還ではなく、米軍基地付きしかも核兵器つき返還だということがミエミエだった。そういう状況に対して、大江なりに抗議したというのが、このノートの性格である。大江は、このノートを通じて、沖縄の人たちの怒りを代弁しているわけである。その怒りは、「ヒロシマ・ノート」にみなぎっていた怒りよりも、強くかつ深い。

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ピエロ・デラ・フランチェスカ(Piero della Francesca 1412-1492)は、トスカナのボルゴ・サンセブクロの靴職人の子として生まれ、商人になるための教育を受けた。画家としての活動を始めるのは、三十歳以降である。画法の勉強は、フィレンツェの画家ドメニコ・ヴェネツィアーニに師事したが、フィレンツェ風の画法とはかなり違った画風を見せた。

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テオ・アンゲロプロスの2004年の映画「エレニの旅」は、ギリシャ現代史を生きた一女性の過酷な運命を描いた作品だ。ギリシャの現代史は、戦争と内戦で彩られていたわけで、多くの不幸な人間を生んだ。この映画の主人公エレニも、そうした不幸な人間の一人だ。その不幸は、女性にとっては、自分の力ではいかんとも為しがたい運命として、彼女に襲い掛かる。それに対して彼女は、なすすべもないままに、ただ絶叫するだけなのだ。この絶叫を聞きながら映画を見終わった観客は、なんともいえない脱力感にとらわれるに違いない。とにかく、迫力あるアンゲロプロス作品のなかでも、もっとも迫力に富んだ傑作といってよいのではないか。

レヴィナスの第二の主著といわれる「存在の彼方へ」は、原題を「Autrement qu' être ou au-delà de l'essence (存在するとは別の仕方で、あるいは存在の彼方へ)」といい、存在するとは別の仕方で生きることの意義について論じている。しかし、存在するとは別の仕方で生きる、とはどういうことか。人が生きているとは存在していることと同義ではないのか。生きていながら、存在するとは別の仕方をとるということがありえるのか。この問いは、存在するとは別の仕方でを、存在しないこと、つまり非存在と同義とする偏見から発している。レヴィナスによれば、存在するとは別の仕方でとは、かならずしも存在しないことを意味しないようなのだ。

日頃率直な物言いで人気を博している北野タケシが、いま話題になっている芸人の闇営業問題で、芸人を抱えている事務所の対応を批判した。タケシの言い分によれば、芸人というものは猿回しの猿のようなもので、その猿が粗相をしたからといって、猿を責めるのは大人げない。責めるなら猿回しのほうと責めろというのだ。タケシが猿回しというのは、芸能事務所のことである。たしかに、今回の問題で、芸能事務所の対応には、頭をかしげるところが多かった。タケシが腹を立てるのももっともだと思う。

弁名下巻は、人性、天命、陰陽といった事柄についての徂徠なりの定義を提出している。人性といい、天命といい、陰陽といい、人間性の本質とか世界のあり方についての認識をテーマにしたものだ。その認識を世界観と言ってもよい。どんな教説も一定の世界観を前提としており、その世界観を踏まえて統治とか人倫とかを語ることができる。そうした考え方に立ったうえで徂徠は、聖人・君子がよって立つべき世界観の内実を、徂徠なりに解釈したというのが、この部分の意義なのだろうと思う。

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テオ・アンゲロプロスの1998年の映画「永遠と一日」は、ある老人の一日を描いたものである。その老人は癌が悪化して明日入院することになっている。そのことを老人は、旅に出ると言う。だから映画を見ている者は、どこか遠くへ旅するのだろうかと勘違いするのだが、老人にとっては、もしかしたら再び病院から出られぬかもしれない予感があるので、帰らざる旅に譬えているわけだろう。

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慶長九年(1604)の八月に、豊臣秀吉の七回忌の臨時祭礼が豊国神社で催された。その祭礼の様子を描いた図屏風が、すくなくとも三点伝わっている。上はその一点。豊臣秀頼が片桐且元に命じて、豊臣家恩顧の絵師狩野内膳に描かせたものである。狩野内膳は狩野松栄の弟子で、豊臣家の隆盛期に大いに活躍した。この祭礼図は彼の代表作である。

無覚先生:今回の参院選は与党が勝つだろうというのが大方の予想で、どこまで勝ち進むかが焦点だったと思いますが、結局は、いわゆる改憲勢力が三分の二に届かなかった。これをどう見るかというのが、今回の選挙結果についての評価のポイントになるのではないか。三分の二を失ったことを以て、安倍政権に厳しい審判が下されたと見るのか、それとも与党で過半数を上回ったことを以て安倍政権は健闘したと見るのか。

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フィリッポ・リッピ(Filippo Lippi 1406-1469)は、修道士の出身だったが、俗名で呼ばれているのはわけがある。かれは50歳の頃、フィレンツェ郊外プラートのサンタ・マルゲリータ修道院の司祭に任命されたのであるが、そこの修道女であったルクレツィアに懸想し、彼女を修道院から連れ出して、結婚してしまった。このことで破門になりそうになったが、メディチ家のとりなしで、波紋を逃れ還俗することができた。そんなことから、自由奔放なイメージがある。

無について

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哲学は存在についての問いから始まったが、その時から無は哲学の最大級のテーマでありつづけて来た。何故なら無は、存在の否定として、存在と不可分だからだ。否定は、人間の知的な能力のうちでも、もっとも基本的な能力をあらわすものである。人間があるものを認識する時は、それを肯定する作用とならんで、否定する作用が、根本的な働きとして動くからだ。それゆえライプニッツは、何故無ではなく存在があるのか、その根拠がある、という言い方で、無と存在とが一対の双子の概念であることをあらためて確認したのだった。

野党的気性

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先日トーマス・マンのゲーテ論を読んでいたら興味深いくだりがあった。ゲーテは野党の立場には決して立たなかったし、野党に理解を示したこともなかった、というのだ。ここで野党と言われているものは、意識的に主流派に対立するのを好む連中を言う。ゲーテはそういう連中を軽蔑して、自分はつねに主流派に与したいと考えた。それはゲーテのエリート意識から来ている、社会のエリートに属する者は、常に支配的な立場に立つものだし、また自分が恩恵を受けていると感じる体制の現状を肯定するものだ。支配層はいつでも保守的だった、そうマンは言うのである。

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ユリシーズはギリシャ語ではオデュッセーアといって、もともとは古代ギリシャの壮大な叙事詩の題名である。ホメロスのその叙事詩は、英雄オデュッセーアの海の放浪を描いたものだが、現代のホメロスとも称されるテオ・アンゲロプロスは、1996年の映画「ユリシーズの瞳」のなかで、一人の男の陸の放浪を描く。男が放浪するのはバルカン半島諸国で、時期は1994年、ユーゴスラビアが解体して、大規模な民族紛争が勃発していた時だ。

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これは月次風俗図屏風第五扇。初夏の風俗を描いたもので、上は加茂の競馬、下は庶民の衣更。加茂の競馬は、もともとは神事であるが、この時代には、庶民にとっての得難い娯楽ともなっていた。衣更は旧暦四月一日と十月一日になされた。これは四月一日の衣更を描いたもので、人々が反物屋に出入りして、夏の涼しい衣装を求めるさまが描かれている。

大江健三郎は、日本人作家としては珍しいほど政治的な発言をする。その傾向は作家として出発した頃からあった。彼の関心とかコミットメントは色々な方面にわたっているが、最も早くから彼の関心の中心点となったのは核問題だ。「洪水はわが魂に及び」などは、核問題をテーマに据えたものだし、そのほかにも、色々な機会をつかまえて核問題への自分のこだわりを表現した。「ヒロシマ・ノート」と題したエッセーのようなものは、そのひとつの成果である。

MMT(現代金融理論)の提唱者ステファニー・ケルトン女史が来日し、日本経済にアドバイスしている。MMTというのは、財政赤字の拡大を容認する理論で、主流派の経済学者からは異端視されている。財政赤字を恐れず、どんどん公債を発行し、それを日銀が買うことで、積極財政を推進すべきだというのが、彼女の主張の要点だ。彼女の言うことが仮に正しければ、日本は膨大な国債の堆積を気にすることはなく、これからもどんどん赤字国債を発行し、積極的な財政運営をするべきだということになる。しかしながらそんな、打ち出の小づちのような都合のよいものがありうるのか。

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パオロ・ウッチェッロ(Paolo Uccello 1397-1475)は、ルネサンス時代の芸術家のなかでは変わり種である。生前は高い評価を受けていたが、ルネサンス後一旦評価が下がり、20世紀になって再び高い評価が復活した。そのわけは、同時代の他の画家のように、リアリズムを徹底したわけではなく、幻想的ともいえる、非リアルな画風のためだった。

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ロード・ムーヴィーの傑作は数多くあるが、これほど心を揺さぶられる作品もないのではないか。というのもこの映画は、幼い姉弟を主人公にしており、かれらのいじらしい目的が大人の共感を呼ぶ一方、かれらの体験する苦悩が、惻隠の情を呼び覚ますからだ。実際この姉妹は、小学校六年生くらいの女の子と、小学生にもならない幼い男の子なのだが、その幼い子供たちが、たった二人だけで、ギリシャからドイツまで、父親を捜しに行く旅に出るのだ。

トランプのレーシズムはいまに始まったことではないが、最近は人種差別的言動が一段とヒートアップしている。先日は、非白人の女性国会議員四人に対して、自分がそこからやってきた国へ帰れと言った。それがあからさまな人種差別だというので、下院が非難決議をしたところ、下院が民主党優位であることを引き合いにして、民主党のペテンだと罵って平然としている。また、自分を批判するメディアに対しては、フェイクニュースだといって取り合わない。

「存在論は根源的か」と題するレヴィナスの小論(1951)は、根源的な知とはなにかをめぐる議論である。「この根源的な知を欠くとき、哲学的、科学的認識ばかりか日常的認識を含む、ありとあらゆる認識が幼稚なものになってしまう」(合田正人訳、以下同じ)とレヴィナスは言う。その根源的な知とは、哲学の伝統にあっては、存在論であった。存在論とは、存在者が存在しているという事実の了解を含むもので、その存在の事実はこのうえもなく明証的な事実と考えられる。こうした存在についての根源的な知は、人をして哲学の源泉に遡らしむ。

弁名は弁道と並んで二弁といわれ、荻生徂徠の思想をもっともコンパクトに表現したものである。弁道は道を弁じるという意味であったが、弁名のほうは名を弁じている。名とは、儒教的な概念をさしていう。荻生徂徠が、その名を弁ぜんと志したわけは、弁名の序文のなかで触れられている。それによれば、儒教の諸々の概念が、古と今とでは大いに変化してきている。概念の名称である名と、概念の本来的な内実である物とが乖離しているというのである。その理由は、今言が古言を正しく反映していないからだ。それ故、儒教概念の正当な内実を知ろうとすれば、古言に遡って、その本来の意義を解明しなければならない。その任に相応しいものは、日本と中国とを通じて自分・荻生徂徠しかいない。それ故自分は、中国の古に遡ることで、儒教的な概念をその本来の意義において解明しようとするのである。こういった徂徠の意気込みによって、この弁名という書物は書かれたのである。

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テオ・アンゲロプロスの1986年の映画「蜂の旅人」は、ギリシャの蜂飼いをテーマにした一種のロード・ムーヴィーである。蜂飼いとは、蜂を飼育する一方、果樹の受粉の季節になると、各地の農場を廻って、蜂を放ち受粉を手助けする仕事をいう。アメリカの農場では、この蜂飼いたちが大活躍し、彼らなしには農園経営がなりたたないと言われるくらいだ。近年、ミツバチたちが原因不明のまま激減して、大きな社会問題になったことは記憶に新しい。

日韓関係がかなりもつれている。ある意味戦後最悪の状況になっており、もはやもつれを通り越して危機的な険悪さを感じさせられる。いまにも戦争が始まってもおかしくないほどだ。というより、物理的な武力によらないとはいえ、経済的な武器で相手を叩きのめそうとする日本の態度は、経済戦争というかたちの戦争をしかけていると、国際社会から見られているのではないか。何故こうなってしまうのか。

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月次絵はやまと絵の伝統的なジャンルの一つだったが、室町時代の末期になると、そこに風俗を描いた月次風俗図が生まれた。本図はその代表的なもので、室町時代末期に作られたものと思われる。製作者は、土佐派系の地方絵師ではないか。もともとは十二か月分あったと推測されるが、現在は八曲一隻の図屏風として伝わっている。岩国の吉川家が伝えて来た。

老衰が死因の三位になったそうだ。厚生労働省の人口動態統計によれば、日本国内で2018年に死亡した人のうち、一位のがん、二位の心疾患についで、老衰が第三位、割合にして8パーセントを記録したという。何を以て老衰と定義するかというと、他に死亡の原因がない、いわゆる自然死をさす。自然死する人のなかで、90歳を超えた人について、老衰というらしい。

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フラ・アンジェリコ(Fra Angelico 1390?-1455)はあだ名であり、本名はグイド・ディ・ピエトロといった。フラは修道士という意味であり、アンジェリコは天使のようなという意味である。この綽名は、ヴァザーリが「美術家列伝」のなかで使って以来普及したもので、生存当時はフラ・ジョヴァンニと呼ばれていた。

イロニーは非常に幅広い内容をもった概念であり、さまざまな意味合いに使われてきた。それを大雑把に分類すると、哲学的な意味合いと文学的な意味合いとに区分できる。この二つの意味合いでのイロニーという言葉は、ギリシャ時代から使われて来た。哲学的なイロニー概念はソクラテスにおいて、文学的なイロニー概念はソポクレスを頂点としたギリシャ悲劇において、それぞれ典型的な形で展開された。

安倍政権が事実上の移民受け入れ政策をとったことに伴い、既存の外国人労働者の実態に関心が集まった。技能実習生などの名目で受け入れている外国人労働者が、非常に劣悪な環境に苦しんでおり、その実情はまさに、日本企業による外国人の労動搾取、あるいは奴隷労働だとの批判を招く中で、今後日本が受け入れる移民労働者がどのような待遇をうけることになるのか、関心が集まるのは、ある意味自然なことだ。こうした関心に答えるかのように、NHKが、主にベトナムから受け入れた技能実習生らの実体をルポルタージュ取材した番組を流した(7月13日のNHKスペシャル)。

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テオ・アンゲロプロスの1984年の映画「シテール島への船出」は、「旅芸人の記録」以来の、ギリシャ現代史に題材をとった作品の延長にあるものだが、いささか凝った作り方をしている。ギリシャ現代史を正面から描くのではなく、裏面から描いているといったふうなのである。戦後の内戦時にソ連に亡命した男が32年ぶりにギリシャに戻って来るが、自分の故郷の村で隣人たちから非難され、大事にしていた農作業小屋を焼かれた挙句に、ギリシャ当局から国外追放という仕打ちを受けて絶望するというような物語になっている。

ハンセン病患者の家族への国の責任と賠償を認めた熊本地裁判決に、安倍政権はこの判決に服し、控訴しないことを表明した。このこと自体は、小生にも評価できる。ハンセン病の問題は、患者本人ばかりでなく、家族も又塗炭の苦しみを味わってきたことを思えば、報われて当然だろう。その責任の大部分が、この問題を放置してきた国にあることを考えれば、政府が判決に服すのは当然のことだ。だが安倍晋三総理は、「極めて異例の判断だが、あえて控訴を行わない」という言い方をして、どこか恩着せがましい印象を振りまいている。どうせ謝るなら、もっとすっきり謝った方がよい、と感じたのは小生のみではあるまい。

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洛中洛外図は、六曲一双の屏風図形式のものが多く、現存するものは百点以上にも及ぶが、その中で良質なものは三・四十点である。室町時代の後期、十六世紀の前半から徳川時代の初期頃にかけて盛んに制作された。その殆どは京都の町と郊外の光景を描いている。それを仔細に見ると、近世初期の京都の街並みの様子や、そこで暮らしていた人々、とくに庶民の暮らしぶりとか風俗がうかがわれるので、歴史資料としても貴重である。

この小説の中で大江健三郎は、自身のダンテへのこだわりを、主にギー兄さんを通じて表現している。ギー兄さんは、ダンテの「神曲」を読み続け、ほとんど暗記するほどであって、人生の節目節目に「神曲」の一節を思い出しては、それを生きる指針としている。それほど「神曲」には、今の時代の、しかも日本人という異教徒にとっても、心を励まし叡智をさずけてくれるものがある。そのように大江は、ギー兄さんを通じて、読者に呼びかけているようである。

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マサッチオ(Masaccio 1401-1428)は、ロレンツォ・モナコらのゴシックの雰囲気を残した装飾的な画風が流行っていた15世紀初期のフィレンツェにあって、ブルネレスキから受け継いだリアルな表現に拘った画家だ。画家生命は非常に短かったが、後世に大きな影響を及ぼした。

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「アレクサンダー大王」は、ギリシャ史に拘り続けたアンゲロプロスの大作だというから、これもギリシャ史に取材した作品なのか、ギリシャ史に暗い小生にはわからないし、また、この映画でアンゲロプロスが何を言いたかったのか、その意図もよくわからない。とにかく、不思議な映画である。

いま進行中の日産問題については、色々な見方があるだろう。小生などは、日産の内紛に検察が民事介入したと考えている。その理由には、国際的な背景もあるだろう。また訴追の理由としては、刑事事件の外見をまとってはいるが、基本的には個別企業の内紛に、検察が介入したという構図だと思う。自分たちの企業が、外国資本によって全面支配されることを恐れた日本人経営者たちが、検察を抱き込んだ形で、巻き返しを図ったというのが、正直なところではないのか。

レヴィナスは、時間を死と関連付けて論じている。その点はハイデガーに似ている。ハイデガーも、時間は人間が有限であることに根差しており、その有限性は死によって区切られているという言い方をしていた。そのハイデガーにとって、時間は現存在としての人間、それも孤立した人間の問題であって、死ぬべき存在としての人間の個人的な事柄だった。ところがレヴィナスにとって時間は個人的な問題ではない。「時間は孤立した独りの主体の産物ではなく、主体と他者との関係そのものである」(「時間と他なるもの」合田正人訳、以下同じ)

弁道は、徂徠思想の要点を簡潔に記述したもので、同じく徂徠の思想を記述した弁名と並んで二弁などと称されている。享保二年(1717)頃に書かれ、写本で流通していたが、その後徂徠の意思に拠って弟子たちが決定稿を編纂し、元文二年(1737)に刊行された。

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テオ・アンゲロプロスはギリシャの現代史に取材した映画を多く作った。彼の映画の作り方は、かなり象徴的な面があって、筋の展開よりも、人間の表情とか自然の描写に重きを置いているので、ギリシャ史に暗い人にとっては、わかりにくいところがあるかもしれない。しかも、長大な作品が多いので、見る人によっては忍耐を強いられるかもしれない。

日本の絵画の歴史の中で風俗画が本格的に作られるのは室町時代末のことだ。京都の町並の様子や人々の風俗を詳細に描き入れた洛中洛外図が数多く作られた。その代表的なものは狩野永徳の洛中洛外図で、これはあの信長が上杉謙信との誼を求めてプレゼントしたことで有名だ。当時の権力者である信長が、プレゼントとして選んだのが、同時代の日本人の風俗を描いた作品だったというのが面白い。俺は日本じゅうの人間たちの暮らしを、この手中に握っているのだと言いたかったかのようだ。

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ロレンツォ・モナコ(1370?-1425)のモナコとは修道士という意味で、かれの本名はピエロ・ディ・ジョヴァンニといった。修道士と綽名で呼ばれたのは、1391年にフィレンツェのカマルドリ修道会に入ったため。後年は脱会して画業に専念したが、相変わらずモナコと呼ばれた。

前稿で因果的思考と対比させて隠喩的思考について述べた際に、隠喩的思考は文学的あるいは詩的な思考だと言った。文学的とか詩的とかいう言葉を使ったのは、隠喩的な思考は因果的思考と違って、論理性ではなく言葉のもつ創造力に訴える点があることに注目したからだった。論理が人間の思考を正確に表現するのに欠かせない道具だとすれば、創造力はそれとは別の能力である。その能力を高めることを意図した学問に修辞学=レトリックというものがある。

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1956年の映画「宮本武蔵 完結篇 決闘巌流島」は、稲垣浩による戦後版宮本武蔵シリーズの第三作目である。佐々木小次郎との巌流島における決闘をテーマにしている。その佐々木小次郎を、二作目に続き鶴田浩二が演じているのだが、その鶴田が剣豪というよりは優男というイメージで、小次郎とはこんな優男だったのかと思わせられる。

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月下渓流図屏風は、海北友松最晩年の作で、友松水墨画の究極の境地を描いたものとされる。現在はアメリカのネルソン・アトキンズ美術館が所蔵しており、日本では見られない。

大江健三郎は、自分が深く心酔した芸術家へのこだわりを作品のなかで表現してきた。ブレイクやマルカム・ラウリーといった作家が、比較的早い時期の大江の作品のなかで、強いこだわりを以て言及されてきたが、「懐かしい年への手紙」では、イェイツとダンテが取り上げられる。イェイツについては、それ以前の作品でも言及したことがあったが、ダンテについて本格的に言及するのは、この作品が初めてだろう。

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ドナテッロ(1386?-1466)は、若年の頃ブルネレスキとともに彫刻制作に携わったことがあり、ブツネレスキから大きな影響を受けた。その影響とは、人物をリアルに表現することにあった。ドナテッロはルネサンス時代の彫刻家のなかで初めてリアルな人物像を制作した作家として、以後のルネサンス美術に大きな影響を及ぼしたのである。

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1955年の映画「続宮本武蔵 一乗寺の決斗」は、稲垣浩が三船敏郎をフィーチャーして戦後に作った宮本武蔵三部作の第二作である。吉岡一門との死闘をテーマにしたものだ。

中央公論2019年7月号に、今年87歳になる五木寛之と83歳になる横尾忠則の対談が載っていた。「生涯現役をめざして」というタイトルのとおり、死ぬまで元気に生きようという決意を互いに述べ合ったものだが、その秘訣、つまり死ぬまで元気でいる秘訣は、上手にボケることだそうだ。小生も含めて大部分の人間は、それも高齢者といわれる身分の人間は、自分だけはボケたくないと思っているだろうから、これは蒙を啓かれるような言葉だ。上手にボケたほうが、ボケないで頑張っているより、なにかと便利だと言われれば、あるいはそうかもしれないと思ったりする。

レヴィナスの小論「ある(Il y a)」は、存在としての存在、存在者とは切り離された存在、存在一般をめぐる議論である。しかしそのような議論が可能なのだろうか。存在とは、哲学史の王道においては、つねに存在者と切り離されることはなかった。存在とは存在者の存在なのであって、存在者から切り離された存在などというものはナンセンス、つまりは意味を持たないと考えられて来た。たしかに、プラトン以来の伝統においては、イデアは具体的な個々の存在者とは切り離された存在一般としての意味を持たされてはいたが、それは個々の存在者の原因となる限りで意味をもつのであって、個々の存在者と全く切り離されてきたわけではない。ところがレヴィナスは、個々の存在とは切り離された存在としての存在を議論しようというのである。この問題についてのレヴィナスの合言葉は、<存在者が存在する>ではなく、<存在が存在する>である。

「太平策」は、信憑性も含めて問題の多い書物とされてきたが、丸山真男が一応考証を試みて、信憑性の確認と執筆時期の推定を行った(「太平策」考)。それによれば、「政談」よりも早い時期に成立し、内容的には「政談」と重なる部分が多いが、「政談」のほうがより個別的・具体的であるのに対して、「太平策」はより原理論的ということになる。とはいえ、「比較的短編であるにもかかわらず、そのなかに学問の方法論、教育及び学習法から、教学の本質、さらに元禄・享保の政治・社会状況から政策論まで、きわめて広範なテーマが盛込まれている」

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稲垣浩は宮本武蔵が好きだったと見えて、何度も映画化している。戦時中の四部作と戦後の三部作がその代表的なものだ。戦後版の三部作は、当時人気上昇中の三船敏郎を武蔵に据え、三国連太郎を相棒の又八にしたもので、三船の野性的な荒々しさを生かした作品だった(三国は、内田吐夢のシリーズでは沢庵坊主を演じている)。

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先日親しい友人たちと能登に旅した際、淡路人形座で人形浄瑠璃を見た印象について、このブログで紹介したところだが、その後、NHKの番組が文楽の舞台を放送したので、それを見た。文楽を見ることは滅多にないのだが、淡路の人形浄瑠璃に刺激される形で見た次第だ。

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六曲一双のこの図屏風は、左隻が三酸図、右隻が寒山拾得図である。三酸図は、桃花酸を舐めて顔をしかめている三人の隠者をテーマにしたもの。正式には三聖吸酸図という。三聖とは蘇東坡、黄山谷、仏印禅師人をさすが、この三人でそれぞれ儒教、道教、仏教をさし、三経一致を表わすとされる。
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フィリッポ・ブルネレスキ(1377-1446)は、ジョットより一世紀のちに活躍した芸術家であり、ジョットをルネサンスの先駆者とすれば、ルネサンス芸術の本格化を告げる人というべきである。初期ルネサンスの最初のランナーと位置付けられる。彼の業績は、主として建築の分野で成果を上げたのであるが、その活動の初期には、絵画や彫刻の分野でもめざましい業績をあげた。彼の影響は、絵画においてはマザッチョを通じて、彫刻の分野ではドナテルロを通じて、後世に伝えられた。

人間の思考の基本的かつ最小の単位は判断である。思考は判断の積み重ねからなっていると言ってよい。その判断の様相とか形式を対象にした学問が論理学である。論理学はアリストテレス以来の伝統をもち、さまざまな角度から研究されてきたが、今日主流の論理学は記号論理学といわれるものである。これは論理を形成する判断をいくつかのパターンに形式化し、それを記号に置き換えたうえで、その記号の組み合わせを通じて人間の思考の特徴を考察しようとするものである。

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