2019年8月アーカイブ

湯女図

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元和から寛永にかけて、京都では湯女が流行った。湯女とは、湯屋で働く女のことで、当初は客の垢を流したり髪を洗ったりしていたが、そのうち酒席にはべったり、容色を売るようになってゆき、風俗を乱すとして取り締まりを受けるようになった。その代りに男の三助があらわれたというわけである。三助なら昭和の頃まで存在したものだ。

「治療塔」は、副題に「近未来SF」とあるとおり、SF小説である。大江がSFを書くのはこれが初めてだが、SFの狭義の意味ではそういうことになるものの、大江にはもともとファンタスティックな面があるので、読者としては大した違和感は持たずに読める。大江はこの小説ではもう一つ実験をしていて、それは女性を語り手にしていることだ。大江の文章はどちらかといえば男性的なほうなので、というのは骨格がしっかりしていて、論理展開に無理がないという意味だが、そういう文体の大江が、女性に語らせるというのは、かなり思い切ったやり方だと思う。大江は前作の「人生の親戚」で、初めて女性を主人公に据えたのだったが、それでも語り手は男性だった。男性の眼で見た女性を描いたわけだ。大江はそれに飽き足らず、女性の視点から小説を書いてみたいと思ったのだろう。もっともあまり成功しているとは思えないが。

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<ラファエロは1508年にローマに移住し、それ以来1520年に死ぬまで、ローマを根拠地にして活動した。かれをローマに呼び寄せたのは、時の教皇ユリウス二世であり、ヴァティカン内の自らの居室をフレスコ画で飾るという注文を出した。これに対してラファエロは、大規模な工房をあげて、この注文に取り組んだのであった。
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アラン・J・パクラの1982年の映画「ソフィーの選択」は、ナチスの絶滅収容所をテーマにした作品である。アウシュヴィッツを生き延びた女性が、自分の過酷な体験を物語るというのがメーン・プロットだが、その体験は彼女にとっては、克服できないトラウマとなり、最後にはそのトラウマに押しつぶされるようにして自殺してしまう。なんとも陰惨で、救いのない人生を描いており、大方の観客は、後味の悪い脱力感にひきこまれるはずだ。
合田正人はレヴィナスの翻訳者として、レヴィナスの主要な著作をほぼ網羅する形で、日本に紹介してきた。小生も「レヴィナス・コレクション」や「存在の彼方へ」といったレヴィナスの著作を合田の訳で読んだ次第だ。「レヴィナス・コレクション」はともかく、「存在の彼方へは」はかなり難解な書物で、読解するのに非常に難儀した。それがレヴィナス自身の文章に起因するのか、それとも合田の訳に原因があるのか、小生には断定できないが、熊野純彦訳の「全体性と無限」も、難解という点ではひけを取らなかったので、おそらくレヴィナス自身の文章に主な原因があるのだと思う。その難解な文章を合田は、よく訳しているといってよいかもしれない。

日独伊の枢軸同盟のうち、ムッソリーニのイタリアがまず降伏し、ついでナチス・ドイツが降伏した。イタリアの降伏は複雑なプロセスを経た。1943年7月25日に、国王と軍が共同してムッソリーニを失脚させるクーデターが起き、バドリオが政権を握ったうえで、同年9月に連合国に無条件降伏したのであったが、バドリオにはイタリア国民全体を代表するような実力はなく、降伏手続きは混乱した。そうこうするうち、ムッソリーニは9月中にドイツ軍によって救出され、北イタリアを根拠地とするドイツの傀儡政権の長に担ぎ上げられる。こうしてイタリアは、二重権力状態に陥り、内戦へと突入していった。この内戦では、ムッソリーニをドイツが応援し、反ムッソリーニ勢力と連合軍が協力しあうという構図となったが、最終的にはムッソリーニの側が敗れた。ムッソリーニが、イタリア人群衆によって吊るされたのは1945年4月28日のことであり、この日を以てイタリアが全面的に降服した形となった。

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「シャーロック・ホームズ」シリーズは、小生が子供の頃はよく読んだことを覚えているが、いまでも人気は衰えず、世界中で読み継がれているそうだ。映画ドラマにも相性がよくて、これまで大変多くの映画が作られた。なかでも、バジル・ラズボーンをホームズ役にした1940年代半ばの映画のシリーズものは、もっとも洗練されているとの評判である。これは、日本では公開されなかったが、英米では大ヒットしたそうだ。

フランスで行われた今年のG7サミットは、従来恒例だった共同声明の作成・発表を見送った。アメリカのトランプと、ヨーロッパ諸国の指導者との間で意見の隔たりが大きく、一致した見解をまとめることができなかったためだ。それにはトランプの一国主義が作用している。トランプは、昨年も一国主義の立場から、カナダが中心に作成した共同声明に異議を唱えたが、今年はその作成自体をボツにさせたわけだ。

舞踊図

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六曲一隻の小屏風「舞踊図」は、それぞれの扇面に扇を手にして舞う女性の姿を配したものだ。ひとりひとり違ったポーズで、画面に変化をもたらしている。その変化は、女性たちがまとっている衣装の模様でも表現され、女性たちはそれぞれに多彩な衣装を披露している。一方、彼女らの持っている扇は、いずれも白い面に墨絵をあしらったものだ。
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ラファエロ・サンティは、日本では単にラファエロとして知られる。ダ・ヴィンチ、ミケランジェロと並び、ルネサンスの三代巨匠と呼ばれる。この三人のうちでは、ラファエロが一番若かったので、彼にはダ・ヴィンチやミケランジェロの影響を指摘できる。しかし、ラファエロにはラファエロの魅力があり、それは優美さと典雅さといってよい。

死について1

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人間にとって何が切実かといえば、死より切実なことはないであろう。ところがこのことについて、西洋哲学の伝統においては、まともに論じられたことがなかった。宗教においても、あまりかわらない。一見して宗教は、死の問題と真正面から取り込んだというふうに思われがちだが、宗教が死を取り上げるのは、死そのものというより、死をめぐる周縁的な領域のことに過ぎなかったのではないか。たとえば、魂は死後の世界でどう生きるかとか、キリストの死後の復活とかいったものである。死をそのものとして、いわば死の内部から、これに取り組んで来たとは言えない。

Japan Times の電子版に、日本企業とミャンマーとの経済的な結びつきについて、批判的な記事が載っていた。日本人が書いたものだが、なかなか鋭いところをついている。日本企業が、ロヒンギャの問題を全く考慮にいれないで、ひたすらミャンマーの軍閥を応援しているのは、政治的にも道義的にもまずいのではないか、といった趣旨の記事だ。

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ビリー・ザ・キッドは、ワイアット・アープやバッファロー・ビルと並んで、アメリカ西部開拓時代の英雄である。英雄とはいっても、強盗や殺人を繰り返した男なので、アンチ・ヒーローと言うべきだろう。かれが、アンチ・ヒーローとはいえ、なぜ英雄視されるようになったのか、その理由は、日本の鼠小僧と共通したところがあるらしい。鼠小僧は、強きをくじき弱きを助けるところに、人気の秘密があったが、ビリー・ザ・キッドにもそういうところがあったのだろう。サム・ペキンパーの1973年の映画「ビリー・ザ・キッド/21才の生涯(Pat Garrett and Billy the Kid)」は、そんなビリー・ザ・キッドをテーマにしたものだ。ビリー・ザ・キッドを描いた映画は、数えきれないほどあるといわれるが、この映画はそのなかでも最高傑作と言われるものだ。

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松浦屏風は、平戸藩主松浦氏に伝わって来た。作成されたのは、やはり徳川時代初期寛政年間だろうと推測される。左隻に十人、右隻に八人の女性を配し、それぞれにポーズをとらせている。ポーズには、「琴棋書画」図を参考にして、三味線、囲碁盤、硯と筆、カルタなどを組み合わせ、遊びの感覚をあらわしている。また女性たちの衣装は、みな華やかなもので、この当時の女性たちの好みを表現するものになっている。衣装の模様を強調しているところは、後に盛んになる誰が袖屏風への移行を指摘できる。

小生は、本を読むについて、それにあとがきが付されていれば、あとがきから読むのを習性にしているので、大江健三郎の新潮文庫版の小説「人生の親戚」についても、まずあとがきから読んだ次第だ。筆者は精神分析家として知られる河合隼雄で、次のような趣旨のことを書いていた。人生の親戚という題からは、まず漱石の道草を思い出した。道草の主人公は、縁が切れたと思っていた養父に思いがけず再会し、それ以来しつこく付きまとわれて嫌な思いをする。その嫌な思いを道草という小説は書いているのだが、その嫌な思いを道草の主人公は、人生の親戚である養父からあじわわされる。この道草の主人公と同様に、誰もが人生の親戚を持っているものだ。だいたいそんな趣旨のことを河合は書いていたので、それを読んだ小生は、大江のこの小説も、道草の主人公が持ったような人生の親戚をテーマにしているのかと思ったものだが、本文を読んで見ると、どうもそうではない。これは人生の親戚といったものではなく、一人の女性の人生そのものを描いているのである。

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ミケランジェロはフィレンツェのメディチ家と深い関係があった。そのことから、メディチ家出身のクレメンス教皇から、メディチ家の主要人物4人の霊廟の制作を命じられた。その霊廟は、サン・ロレンツォ聖堂に付属させる形で作ることになり、ミケランジェロはその建物の設計と、霊廟を飾る彫刻の作成を請け負った。それが今日フィレンツェにあるメディチ家礼拝堂と、それを飾る彫刻群である。

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西部劇ばかり作って来たサム・ペキンパーにとって、1971年の作品「わらの犬」は、はじめての現代劇だが、これは暴力描写が得意のペキンパーの映画のなかでも、とりわけ暴力的な作品だ。その暴力は、ほかの作品の暴力より一段度を超した印象を与える。西部劇の暴力は、だいたい拳銃を通じて行われるので、ある種メカニックな印象を与えるが、この映画の中の暴力は、棍棒とか鉄棒とか、いわば人間の身体の延長を通じて行使されるので、露骨に人間的な暴力といった観を呈しているのだ。

あいちトリエンナーレの一環として催された「表現の不自由展」が、脅迫や恫喝に屈する形で、主催者自ら中止したことをめぐって、さまざまな言説が流れている。それを分類すると、大きく二つにわかれる。ひとつは、表現の自由といえども自ずから限界があって、今回の催しはその限界を大きく逸脱していたのだから、中止になったことは当然だというもの。もう一つは、表現の自由は、憲法が保障する基本的人権の中でももっとも中核的なもので、いかなる事情があろうとも、これが踏みにじられることがあってはならない。今回の中止の事態は、その表現の自由を踏みにじったものといわねばならない、というものだ。この二つを両極端として、様々な言説がなされている。

熊野純彦の「レヴィナス入門」は、レヴィナスの三冊の書物、すなわち「存在することから存在するものへ」、「全体性と無限」、「存在するとは別の仕方で あるいは存在することの彼方へ」を取り上げながら、レヴィナスの思想の特徴とその偏移の様相をわかりやすく紹介している。わかりやすいと言っても、レヴィナスの思想そのものにかなりわかりにくいところがあるので、おのずと理解の限界はあるのだが。しかし、その難解なレヴィナスの思想の偏移を、わかりやすいフレーズを使って腑分けしているので、読んでいるものとしては、なんとなくわかったような気分になる。

海上自衛隊の護衛艦いずもが空母に改修されることにともない、その甲板に最初に発着するのは、米軍の戦闘機F35Bになる見込みだと聞いて、小生はいささか吃驚した。いくら同盟国だとは言え、自国の中核的な軍事力を、まず他国の使用に供するという発想が理解できない。これでは日本の軍事力は、アメリカを喜ばすためにあるようなものだ。どうぞ米軍のお役にたててくださいと、へりくだっている印象が伝わって来る。

日本とドイツは、色々な面で似ていると指摘される。どちらも、19世紀の半ば以降に近代国家の仲間入りをし、驚異的な発展をとげて、遅れて来た帝国主義国家として幾多の戦略戦争を戦った結果、先進帝国主義国家群に撃退されて、一度は瓦礫の山に埋もれた。しかし、その後、さらに驚異的な発展をとげて、再び大国として返り咲いた。今日では、日本とドイツは、まぎれもなく世界の大国である。そんな具合に似ているところの多い日本とドイツだが、違っているところもある。ドイツは、ヨーロッパの盟主としての立場を強固に築き、近隣諸国から信頼されているのに対して、日本はかつて戦争に屈したアメリカにいまだに従属する一方、東アジアでの存在感はあまり芳しいとはいえない。それどころか、孤立しているといってもよいくらいである。「日本は東アジアの孤児である」とは、よく聞かれる言葉である。

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「昼下がりの決斗」は、西部劇の名手サム・ペキンパーが1962年に作ったもので、彼の西部劇の特徴をよく見せたものだ。ペキンパーの西部劇は、良心的な拳銃使いが、粗暴なガンマンを相手に、ひと働きするというのが定番で、そういう筋書きの西部劇を、かれはテレビ映画として夥しい数の作品を作った。この「昼下がりの決斗」は、そうしたテレビ西部劇の延長にあるもので、迫力には欠けるが、一応楽しめるようにはできている。もっともこの映画は、興行的には失敗で、製作費の回収もできなかったそうである。

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彦根屏風は、彦根藩主井伊家に伝わってきたことからそのように呼ばれるようになった。作成されたのは徳川時代初期寛永年間と推測されている。表装されていない状態で、三重箱に保存されてきた。

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ミケランジェロは、ルネサンスを代表する美術家であり、また人類史に屹立する巨人だといえる。画家としてはダ・ヴィンチと並び称されることがあるが、彫刻や建築をも含めた総合的な芸術家としては、ダ・ヴィンチをしのぐと言ってよい。彼は史上最大の彫刻家としての名声に相応しいし、また建築の分野でも著しい業績を上げた。

今日のヨーロッパ人の文化は、ギリシャ文化とキリスト教文化を二大源流にしていると言ってよい。この二つの文化はかなり異なったものだ。ギリシャ文化を担ったギリシャ人は、人種的にはガリア人に近いと言われているから、ガリア人が属しているヨーロッパ人種に共通した文化を体現していたと思われる。それに対してキリスト教文化のほうは、ユダヤ人の中から生まれてきたもので、ユダヤ文化と共通する部分が多い。ということは、今日のヨーロッパ人の文化は、ヨーロッパ固有の文化にユダヤ起源のキリスト教文化が重なることによって形成されたと言える。この二つの文化のうち、キリスト教文化のほうが圧倒的な影響力を持ったので、いわばヨーロッパ人がキリスト教文化に染まることで、今日のヨーロッパ文化を形成したと言える。

初代宮内庁長官田島道治が残していた記録が公開された。それは「拝謁録」と総称される田島の私的なメモで、宮内庁長官に就任して以来五年あまりにわたり、昭和天皇とかわした会話の内容を詳細に記している。そこに何が書かれていたか、そういう問題意識に立って、NHKが二晩に渡って特集番組を組んだ。それを見たことで小生は、昭和天皇が自身の戦争責任をどのように考えていたか、認識を深めることができた。

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小泉堯史の2008年の映画「明日への遺言」は、大岡昇平の小説「ながい旅」を映画化したものである。原作は、一BC級戦犯の裁判をテーマにしている。東海軍司令官だった岡田資が、名古屋空襲中に捕虜になった米兵たちを簡易裁判で有罪にし、斬首して処刑したことが、戦争犯罪に問われた事件だ。岡田自身はこの裁判の結果絞首刑になったが、法廷で米軍による無差別空襲の非人道性を指弾し、また罪を一人でかぶるなど、人間として高潔な態度を終始とったことを、大岡なりの視点から評価した作品だ。映画は大岡のそうした意図を、よく表現し得ていると思う。

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京都の四条河原は、室町時代から徳川時代にかけて、芸能のメッカのような様相を呈し、河原に設けた舞台で様々な芸能が催された。この四条河原図屏風は、そうした四条河原での芸能の様子を、観客の表情ともども克明に描き出したもので、単に風俗画であるにとどまらず、芸能史の研究にも貴重な手掛かりを与えてくれる。

「キルプの軍団」という小説の題名は、ディケンズの小説「骨董屋」と関連がある。その小説の中にキルプという名の悪党が出て来て、それが小説の主人公である少女を迫害し、ついには死に至らせてしまう。その邪悪な人間の名を冠した連中が、大江のこの小説のなかでも悪行を働くというわけである。

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ジョルジョーネ(Giorgione 1477-1510)は、ヴェネツィア派を代表する画家で、非常に大きな影響力を及ぼしたとされるが、三十代の若さで死んだこともあり、残っている作品は多くはない。その中には、真偽の明らかでない作品も多く、一説には真筆と保証できるものは六点しかないともいう。

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赤目四十八滝とは、三重県の山中にある大小多くの滝の総称だそうだ。そこへ小生は行ったことがないが、この映画「赤目四十八滝心中未遂」で見る限り、なかなか見どころの多いところらしい。この映画は、そこを心中の舞台に選んだ男女の恋を描いているのだが、その恋というのが、なんとも言われず物悲しいのだ。

主体性をめぐるレヴィナスの議論はかなり錯綜しているように映る。というのもレヴィナスは、主体性を受動性と結びつけて論じるからだ。普通、主体性の対立概念は客体制であり、受動性の対立概念は能動性である。であるから主体性と受動性とは違ったカテゴリにーに属するといってよく、論理的には、主体性と受動性が結びつくことには破綻はないはずなのだが、それでも奇異な感を与えるのである。それは、哲学の伝統の中では、主体性が能動性と結びついて来た歴史があるからだろう。

徳川時代後期の思想家海保青陵は、新井白石と荻生徂徠を並べて称賛し、次のように言った。「凡そ近来の儒者、白石と徂徠とは真のものを前にをきて論じたる人、世の儒者とははるかにちがうてをるなり」(稽古談)。「真のもの」の意味は、空疎な理屈ではなく、真実すなわち現実的なことがらというほどの意味である。つまり海保青陵は、白石と徂徠とを実証的で地に着いた学問をした人として、並べて称賛していると考えられる。

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吉田大八の2014年の映画「紙の月」は、不倫にのめりこんで男に貢ぐあまり横領を繰り返した銀行員の話である。同じようなことが実際の事件としてあったので、それに触発されたところもあるのだろう。また、中年女が若い男に入れ込むことはよくあるようなので、これを見た観客には、思い当たるところがあるに違いない。

中央公論最新号(2019年9月号)が、「新・軍事学」という特集を組んで、その一環として「今なぜ徴兵制を論じるのか」という座談会を掲載している。参加しているのは三人で、そのうちの一人(女性)が先日公刊した本をきっかけにして、今なぜ徴兵制を論じるべきなのかについて議論している。それを読んだ小生は、聊かの同意をすると同時にかなりの違和感を抱いた。

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この図屏風は、歌舞伎の祖出雲の阿国を描いたもの。阿国は、一座を率いて四条河原などでやや子踊りとか歌舞伎踊りを披露していた。その踊りが後に歌舞伎に発展したといわれる。慶長八年には北野天満宮の能舞台を借りて常設の興行を始めた。この図柄は北野天満宮での興業の様子を描いたもので、おそらく慶長八年に近い時期に制作されたと考えられる。

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ドメニコ・ギルランダイオ(Domenico Ghirlandaio 1449-1494)はミケランジェロが最初に師事した画家として知られている。当時の多くの画家同様、ギルランダイオとはあだ名で、花飾りという意味。父親のトマーゾが花模様の髪飾りを作っていたことから名づけられた。本名はドメニコ・ビゴルディという。

根拠の問題は因果的な思考につきものだ。根拠についての問いは、ある事柄がなぜそうであるのかについて問うことだが、その何故とは、結果についてその原因を問うことと同義だからだ。それゆえ因果的思考を追求した西洋哲学にあっては、根拠の問題は中核的な問題だったのだ。因果関係についての問いは、論理的な問いとして論理学の問題となる。したがって根拠律は論理学の重大な要素となる。論理学上の問題としての根拠をめぐる議論は、一つの法則として結実し、根拠律という概念を生み出すのである。

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題名の「百円の恋」からは、百円くらいにしか値しない恋といったイメージが浮かんでくるが、この映画のなかで描かれている恋は、別に金がどうのこうのというものではない。安藤さくら演じる女主人公が、ひょんなことから百円ショップに努めることになり、そこを舞台にして彼女の恋が展開する、ということらしいのだ。

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花見鷹狩図屏風は、左隻に武士たちの鷹狩の様子を、右隻に庶民の花見行楽の様子を描き分けたもので、桃山時代の風俗の一端をあらわしている。作者は、雪舟の後継者を自認していた雲谷等顔。等顔の画風は謹直なことが特色と言われるが、この作品にも線の描き方を始め、等顔らしい謹直さがうかがわれる。

大江健三郎は、自分の小説「キルプの軍団」に自分で注釈をつけて、これは少年が大人になるうえで経験しなければならぬ通過儀礼(イニシエーション)を描いたものだと書いた。興味深いのは、その少年というのが、高校生になった大江自身の次男だということだ。大江は、障害をもって生まれて来た長男については、「個人的な体験」以来、ずっと小説のなかで取り上げ続けてきたのだったが、次男について取り上げることは、主題的な形では一度もなかった。その次男を、高校生という微妙な時期に焦点を合わせて、初めて小説の主題的なテーマにしたのが、この「キルプの軍団」という小説なのである。しかもこの小説は、当該の少年自身の語ったこととして語られる。ということは、彼のイニシエーションが、第三者の目から見た形で語られるのではなく、少年自身の体験として生々しく語られるということだ。

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サンドロ・ボッティチェッリ(Sandro Botticelli 1445-1510)は、日本人には人気の高い作家で、ダ・ヴィンチやミケランジェロとならんでルネサンスを代表する芸術家として知られる。ボッティチェッリは、小さな樽と言う意味のあだ名で、本名はアレッサンドロ・ディ・マリアーノ・フィリペーピという。フィリッポ・リッピのもとで修業し、25歳の時に画家として自立した。

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東陽一の2010年の映画「酔いがさめたら」は、アルコール依存症がテーマだ。アルコール依存症になった男が、そのことが理由で妻子に去られたのだが、その妻子の励ましを受けながら立ち直ろうとするものの、アルコール依存症とは別の病気、癌で命を落とすところを描いている。その描き方がやや違和感を抱かせるように感じるのは、主人公のアルコール依存症患者の人格が、かなりゆるく描かれているためだろう。この男は、自分自身に甘えがあるのだが、その甘えを別れた妻子までが助長している。また、かれが治療のために入院した精神病院のスタッフや患者たちも、かれを励ます役割を果たしていて、これで立ち直れないようでは、どうしようもないと感じさせるからだ。実際、かれは癌で死ぬことになるわけだから、何のために治療を受けたのか、腑に落ちないと思わせるところが、この映画にはある。

語ることと語られたこととの対立は、共時性と隔時性の対立とならんで、「存在の彼方へ」における主要な概念セットである。だが、共時性と隔時性の対立ほどには、語ることと語られたことの対立はわかりやすいとはいえない。というか、この両者が対立関係にあるとは、俄には思えないので、我々はレヴィナスが、これらを対立させることの理由がなかなかわからない。語ることの結果語られたことが生起するのではないのか。語ることと語られたたこととは、一つの事態の連続した様態であって、そもそも対立関係にはないのではないのか。そのような疑問が浮かんでくるのである。

吉川幸次郎といえば中国文学者として一時はその世界をリードした碩学だが、その吉川が荻生徂徠伝を書いている。岩波版日本思想体系の荻生徂徠の巻に解説の形で乗せた文章「徂徠学案」である。解説とはいえ、原稿用紙にして270枚の分量にのぼり、ちょっとした徂徠論にもなっている。

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東陽一の2004年の映画「風音」は、沖縄戦がテーマである。沖縄戦といっても、戦争シーンが出て来るわけではない。沖縄戦そのものを描いているのではなく、それが後日に及ぼした影響のようなものに言及しているだけである。それも、直接的な影響ではない。何故なら、この映画に出て来る人々は、沖縄戦そのものを全くと言ってよいほど意識していない。沖縄戦の残した遺産とでもいうべきものに、心の一部を捉われているようなのだ。

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犬追物図は、武家風俗の画題として、桃山時代以降好んで描かれた。十数点が現存するが、そのなかで最も古く、また作品として優れているのは、常盤山文庫所蔵のこの図屏風である。六曲一双の図屏風で、左隻には、大繩の外に出た犬を追っているところが描かれ、右隻には、馬場の中央に引き立てられた犬を、大繩沿いに並んだ騎馬武者が待機するところを描いている。

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アンドレア・デル・ヴェロッキオ(Andrea del Verrocchio 1435年頃-1488年)は、レオナルド・ダ・ヴィンチやボッティチェッリの師匠として有名である。彫刻家が本業であるが、絵の制作でも才能を発揮した。その名ヴェロッキオは、若い頃のパトロンであるフィレンツェの有力貴族ヴェロッキオ家に由来するという。本名はアンドレア・ディ・ミケーレ・ディ・フランチェスコ・チオーニであると。

超越は、無や無限と並んで、西洋哲学における重要な概念であるが、日本人にはいまひとつピンとこないものがある。その理由は、この概念がキリスト教の神と深いかかわりがあるからだろう。キリスト教の神は、我々の生きている世界を、無から創造したということになっている。ということは、キリスト教の神は、世界の外部にあって、その世界を無から作ったということである。この世界の創造者として神は、いまでもこの世界から超越した存在である。超越というのは、この世界の外部にあって、この世界に属するものとは異なった次元にあるという意味なのである。だから我々は、直接神に接することができない。神に接することができるためには、我々自身がこの世界を超越しなければならない。パスカルはじめ超越を語る人々は、みな神を思いながらこの言葉を語っていたのである。

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東陽一の2003年の映画「わたしのグランパ」は、筒井康隆の同名の小説を映画化したもの。思春期の少女と、その祖父の交流を描いている。祖父は13年ぶりに刑務所から娑婆に出て来たことになっている。その祖父が、いじめられている孫を励ましたり、不良少年たちを更生させたり、悪人たちと戦う姿を、少女は見ながら、次第に強い人間に成長していく過程を描いている。そんな少女が成長した姿を見送るように、祖父は最後に死んでしまう。それも川でおぼれた小さな女の子を救った後で、自分自身が溺れてしまうのだ。そんな祖父の死にざまを、孫の少女は自殺願望の実現だったのではないかと解釈する。

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京都蓮華王院三十三間堂を横一列に配しためずらしい構図の図柄である。描かれた年代は、方広寺南大門があるところから、慶長五年(1600)以降と思われる。色調や人物描写の特徴から見て、土佐派の作品であろう。土佐光信のものとする見方もある。

ある小説のなかで大江健三郎は、重い障害がある自分の息子が、自分が死んだ後でも生きていくのに迷わぬよう、生き方の定義のようなものを残してやりたいと書いていたが、「生き方の定義」と題したこの書物がそれなのだろうと思って、手に取って読んだ次第だった。ところがこの書物は、冒頭の章で息子の生き方に多少の言及をしたのみで、その後の章では、必ずしも息子の生き方にストレートに役立つような内容には触れられていない。むしろ大江自身の生き方について、自分自身に言い聞かせているふうなのである。もっとも、親としての大江の自分自身の生き方へのこだわりを見せられれば、息子としてもいくばくかの参考になるのかもしれないが。

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ジョヴァンニ・ベッリーニ(Giovanni Bellini 1430頃 - 1516)は、ヴェネツィア派美術の先駆者である。ヴェネツィア派はフィレンツェ派と並んで、イタリア・ルネサンス美術を牽引した。柔和で華麗な色彩が特徴である。ジョヴァンニ・ベッリーニは、画家の一族に生まれ、父ヤーコボ、兄ジェンティーレも美術史に名を残した。
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1979年の日本映画「もう頬づえはつかない」は、東陽一の出世作になった作品であり、またユニークな女優桃井かおりが初めて主演した作品だ。若い女性のセックスライフともいうべきものを描いたこの映画は、同じような体験を共有している女性たちを中心にして大いに反響を呼び、一種の社会現象まで起こしたと言われる。その割に、ドラマチックな内容ではない。むしろほとんど物語らしさのない退屈な作品というべきである。にもかかわらず大きな社会的反響を呼んだのは、そこに日本人の新しい生き方が反映されていたからではないか。

レヴィナスは「存在の彼方へ」の中で、彼の後期思想を彩るいくつかの概念セットを持ち出している。「共時性と隔時性」という概念セットは、そのもっとも中核的なものである。共時性はともかく、隔時性とは聞きなれない言葉だ。共時性にしても、哲学のキー概念として使われることはなかった。隔時性はレヴィナスの造語であり、その新しい言葉との対比において、共時性という言葉も、蘇るようにして新たな意味を付与されたのである。

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