2019年9月アーカイブ

美空ひばりが死んで30年になるそうだ。そのひばりを小生はこよなく愛しているが、それは母親の影響だった。小生の母親はひばりの大ファンで、食事の時間も惜しんでひばりの歌を聞いていたものだった。ひばりの歌を聞くときの母親の顔は仕合せそのものだった。その母親の顔を見るのが好きで小生は、ひばりのことも好きになったというわけである。そのひばりを、AIの技術を使って今に蘇らせようというプロジェクトが進んでいて、その成果をNHKが披露するというので、小生は胸を高らせながらテレビ画面に見入ったのだった。

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モネは、1866年の官展のために用意してきた「草上の昼食」を未完成のまま放棄し、かわりに恋人カミーユを描いたこの絵に取り掛かった。等身大のこの巨大な肖像画「カミーユ(Camille ou femme à la robe verte)」を、モネはわずか四日間で完成させた。そして早速官展に出展したのだったが、結果は大成功だった。モネはこの絵によって、一躍時代の旗手として躍り出たのである。

最後に日本人の死生観について触れたい。日本人の死生観は、古代日本人の抱いていた死生観に、仏教、道教、修験道などの死生観が加わって、やや複雑な様相を呈しているが、その基本は、霊魂崇拝である。日本人本来の考えによれば、人間は肉体と霊魂が結びついてできている。その霊魂は、肉体から遊離しやすいもので、実際しょっちゅう遊離している。遊離した霊魂は各地を旅するわけだが、その旅先で見聞きしたことを、のちに肉体と一緒になって意識を取り戻した時に、周囲のものに語って聞かせたという話はあちこちに残されている。霊魂が遊離すると人間は気絶した状態に陥るのだが、霊魂が戻って来ると、意識がもどる。だから人々は、霊魂が戻って来るのを期待して、人が死んだとしても、すぐにはそれを受け入れない。ある程度の期間が過ぎても意識が戻らないと、それは霊魂が飛び去ったのだと観念して、初めてその人の死を受け入れたのである。そんなわけで、古代日本人の死についての観念は、死を瞬間的な出来事としてとらえるのではなく、緩慢に進行するプロセスと捉えたものだった。

トランプがウクライナの大統領ゼレンスキーに対して、最大の政敵であるバイデンを標的にして、自分の再選に都合のよいように、バイデンを犯罪者に仕立て上げるべく捜査介入をするよう圧力をかけた、いわゆるウクライナゲート事件が、下院による弾劾調査手続きの開始に発展した。トランプはこれまでにもさまざまな疑惑に包まれてきたにかかわらず、ことごとく乗り切って来た。それが今回はいよいよ弾劾の手続きに直面する可能性が高くなったわけだ。ことの影響度からいえば、ロシアゲートのほうが上回っていると思われるのだが、そのロシアゲートがうやむやになって、ウクライナゲートが脚光を浴びることには、なにか理由があるのか。一外国人である小生には、いまひとつわからないことが多い。

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モフセン・マフバルバフの2014年の映画「独裁者とその孫」は、ある独裁者の没落をテーマにしたものだ。この映画の中の独裁者が、具体的に誰かモデルがいるのか、それとも架空のモデルなのか、気になるところだ。というのも、イランの歴史には独裁者が君臨したことがあるからだが、この映画の中の独裁者は、イランの歴史上の独裁者とストレートには結びつかない。映画自体も、これは知られざる国での出来事だと断っている。

ニューヨークでの国連総会にあわせて設定されていた日米貿易協定。この結果について安倍政権はウィンウィンといって、さも日本側にも利益があるようなことをいっているが、日本側が一方的に譲歩させられたということは、中身をよく読んでみれば、中学生でも気が付くことだ。日本側からアメリカに与えたのは畜産物などの関税をPPT並みの水準におまけしてやること。一方アメリカが日本に与えたものは、無いに等しい。安倍政権は、もしかして仕掛けられるかもしれない日本からのアメリカ向け自動車輸出への制裁が、今回はかけられなかったことを以て、日本側の成果のようなことをいっているが、それは現在ないものが、今後もないままになったというだけの話で、日本側が新たに獲得したものでは、毛頭ない。

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前の部分で出て来た唐櫃から逃げ出した妖怪たち。右端は、狼と黒犬の妖怪。その前を行くのは五徳の妖怪である。五徳とは、火鉢の真ん中に、熾火の上にかぶせるように置かれたもので、これに鍋や薬缶をかけて湯を沸かしたり、簡単な料理を作ったりした。昭和時代の中頃までは見慣れた道具だったが、いまはほとんど見ることがなくなった。この五徳は、火をおこすための筒をくわえている。仕事熱心な五徳というべきである。

「燃え上がる緑の木」の実質的な主人公はギー兄さんである。そのギー兄さんは、宗教的な人間として描かれている。もっとも本人の意識には、自分はたしかに魂のことに打ち込んでいるが、それは必ずしも常識的な意味での宗教ではない、という思いが強い。しかしそんな本人の思惑とは離れたところで、彼を宗教指導者として仰ぐ人々が集まって来て、それが宗教団体のような様相を呈していく。語り手であるさっちゃんという女性は、そうした動きを脇に見ながら、自分の恋人でもあるギー兄さんの気持に寄り添うのだが、さっちゃんの場合には、ギー兄さんを宗教指導者としてではなく、魂のことに悩む一人の人間として見ているところもある。しかし、ギー兄さんの起こす奇跡の数々を、やや感情を込めて書くところなどは、キリストの事跡を福音書という形で書いた、あの使徒たちを思わせる。この長大な小説は、或る意味、一人の宗教指導者の事跡を、福音書風に伝えているものと言えなくもない。

「表現の不自由展」をめぐって一騒ぎがあり、その再開が計画されていた矢先、文化庁が「あいちトリエンナーレ」全体を対象に、交付決定していた補助金を全額取消すると決定した。その理由として文化庁は、主催者が当該催しにかかる進行状況などを、補助金交付者たる文化庁に報告しなかったのはけしからぬと言っているそうだが、実際は「表現の不自由展」に安倍政権が強い拒絶反応を示したことにあることはミエミエだ。かりに文化庁の言うとおりだったとしても、それはそれで問題がある。こういう性質の展覧会に、国がこまかく介入するのは、それこそ検閲と言われて仕方がないのであって、法治主義を尊重すべき政府のやることではない。

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クロード・モネが、彼の画業の出発点ともいうべき「草上の昼食(Le déjeuner sur l'herbe)」を描いたのは、1865年、二十代半ばのことだった。彼はこの絵を、恋人のカミーユと友人のバジールとともに出かけたフォンテンブローの森で、彼らをモデルにした下絵を描いたうえで、それをパリのアトリエで完成させようとした。できたら翌年の官展に出展するつもりだった。しかし完成を途中であきらめてしまった。理由は定かではない。もし完成していたら、4.6×6.0メートルという途方もない大きさになるはずだった。しかし遺された未完成品は、その部分図が二点であった。

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モフセン・マフバルバフは、アッバス・キアロスタミと並んで、イラン映画を代表する監督である。キアロスタミは、イラン革命以前から活動していた巨匠だが、マフバルバフは、革命後に登場し、現代イラン映画をけん引する存在となっている。キアロスタミが、ゆったりとして拡散的な傾向が強いのに対して、マフバルバフは、畳みかけるような躍動感ある映画作りが特徴である。

次いでソクラテスは、自分に対して直接に訴求したものらに反論する。「メレトスという、善良な自称愛国者」たちである。彼らの訴求の理由は、「ソクラテスは犯罪人である。青年に対して有害な影響を与え、国家の認める神々を認めずに、別の新しい鬼神のたぐいを祭るがゆえに」というものだった。それに対してソクラテスは、手の込んだ反論を展開するのである。

第二次大戦で日本が被った人的被害は、ドイツのそれよりも詳細にわかっている。日本政府は1963年に戦没者を定義し、支那事変以降に戦争に関連して死亡した日本人としたうえで、その総数は310万人だったとしている。そのうち、軍人軍属は230万人、外地での一般邦人の戦没者30万人、内地での戦災死者50万人である。

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テオ・アンゲロプロスの1991年の映画「こうのとり、たちずさんで」は、国境がテーマである。国境というものを、日本人はあまり自覚することがないが、陸地で接しあっているヨーロッパの国々では、日常的に意識される。とりわけ、なにかのことで戦争とか動乱が起ると、難民が発生したりして、国境管理の問題が表面化し、一気に人々の意識に上る。この映画はそうした国境にかんする意識をテーマにしたものだ。時あたかもユーゴズラビアが解体し、民族紛争が激化するきざしを見せていた頃だ。ギリシャにもそうした動きが波及して、難民問題などを通じて、国境の問題がクローズアップされたということだろう。

旧友松子が死んで一年が経った。そこで残されたものとしては一周忌の墓参りをしたいと思い、山子が代表をつとめて、未亡人に墓の所在等をたしかめたところ、不案内なものにはなかなか行き当らないでしょうといって、一緒に行ってくれることになった。そんなわけで、彼岸の前日の日曜日に、桜木町の駅で待ち合わせをした(山子夫妻、落子、小生そして未亡人)。墓地は根岸霊園といって、本牧方面にあるのだが、交通の便が悪く、桜木町からバスでアクセスするのがよいというのだ。

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白い幕の前で二人の女が座っている。右側の女は鉄漿をつけている最中で、左手の女が頭の上に鏡をかざして協力している。その鏡をのぞきながら、鉄漿の具合を確かめているわけだ。

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クロード・モネ(1840-1926)は美術史上、印象派の開拓者と位置付けられている。印象派は近代絵画の最初の波を代表するものであるから、モネは近代絵画の開拓者とも言える。近代絵画を切り開いた芸術家としては、エドゥアール・マネが第一に挙げられるが、モネはこの名前がよく似て、年もあまり違わない画家とともに、近代絵画の偉大な先駆者としての役割を果たした。

死の問題は宗教の領域と深いかかわりがある。宗教というものは、大きく二つの領域からなっている。一つは、自分が生きている世界がどのように生じ、何処へ向かっていくのかについての見方、いわば世界観ともいうべきことからなる領域だ。もう一つは、自分自身の存在についての疑問にかかわる領域、いわば死生観ともいうべきことからなる領域だ。死の問題は、死生観の中核をなす。

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大島渚の1999年の映画「御法度」は、大島にとっての最後の作品だが、この中で大島は、新選組における男色を描いた。大島には男色趣味はなかったと思うが、その大島がなぜ男色をテーマに選んだのか、よくわからないところがある。根っからの男色者でない大島が男色を描くと、たとえばデレク・ジャーマンのような男色者の男色表現とはかなり違って、いささか差別的に見える。この映画の中で、男色行為はいかがわしい行為だという偏見に彩られているし、したがって男色者も変態者と見られている。じっさい、この映画のなかの男色者たちは、風紀を乱す不心得者として、粛清されてしまうのである。

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右手は前画面に続く黒布の妖怪で、その左手には龍頭の紺布妖怪が対面している。紺布妖怪の背後には、傘の妖怪が杖をついて歩いており、その前には、トカゲ馬に乗った草鞋の妖怪がいる。

大江健三郎の小説にはかならず語り手が出て来て、誰かに向って親しく語りかけるという形をとる。その誰かは、「同時代ゲーム」におけるように、同じ小説の登場人物ということもあるが、大体はその小説の読者である。語り手は、だいたいが男だったが、「静かな生活」で初めて女性を語り手にした。しかしその語り手は、大江の長女に設定されていたので、完全なかたちでの女性のナレーションションとは言えないところがあった。父親は自分の娘を女とはなかなか見ないものだ。

福島原発事故の責任をめぐって強制起訴された東電の旧経営陣三人に対して、東京地裁で無罪判決が出た。これまでの経緯を踏まえれば、無罪判決が出ることは十分に予想されたことだが、小生はその理由に吃驚させられた。判決理由は、刑事責任をめぐる伝統的な解釈を踏まえたものというよりは、それを大きく逸脱して、これまでの刑事責任論を根本から覆すようなものだといえる。いわば犯罪者に御墨つきを与え、今後同種のことがらについては、責任逃れの方途を広くしてやったようなものだといえるのである。

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ジュゼッペ・アルチンボルド(Giuseppe Arcimboldo 1526 - 1593)は、ルネサンス後期のマニエリズムを代表する画家である。ミラノの画家の息子として生まれ、若い頃には教会のための宗教的な作品を手掛けたが、三十代半ばでウィーンの宮廷画家となり、フェルディナント一世以下三人の王に仕えた。彼の作品としては、風変わりな人物画が有名で、それらはある種の隠し絵として、多くのファンを持っている。

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小津安二郎の1957年の映画「東京暮色」は、前年の「早春」と翌年の「彼岸花」に挟まれたかたちの作品で、小津としては「東京物語」を頂点とする一連の家族ものの後に位置するものだ。小津の家族ものには、伝統的な家族が崩れゆくことへの哀愁のようなものを感じさせるところがあり、その点ではもともと暗い要素を含んでいたのだが、「東京暮色」ではその暗い部分が、極端に前景化して、見ていていささか憂鬱になるくらいだ。

弁明を始めるに先立ちソクラテスは、自分が弁明すべき相手は二通りあると言う。一つは今回自分を訴求したアニュトス一派だが、そのほかにもう一つ、「すでに早くから、多年にわたって」自分を訴えている連中だ。その連中は、もっと手ごわい連中であって、「諸君の大多数を、子供のうちから、手中にまるめこんで、ソクラテスというやつがいるけれども、これは空中のことを思案したり、地下の一切をしらべあげたり、弱い議論を強弁したりする、一種妙な知恵をもっているやつなのだという、何ひとつ本当のこともない話を、しきりにして聞かせて、わたしのことを讒訴」していたのだという。

ドイツの敗戦はヒトラーの自殺によって決まった。それほどヒトラーの力が圧倒的だったということだ。ドイツは、よくも悪くも、ヒトラーと運命を共にしたわけである。一方日本のほうは、天皇の一言で敗戦が決まった。そういう意味では、日本も天皇という個人と、よくも悪くも、運命を共にしたと言えなくもないが、それがあまりきっぱりした印象をもたらさないのは、天皇がその後、戦争責任を取ることがなく、つまり退位することもなく、余生を無事に過ごし、まるで戦争などなかったかのように、自然な生を終えたこともある。

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高嶺剛は沖縄の石垣島出身ということもあって、沖縄に拘った映画を作り続けた。その映画のスタイルは、沖縄の民話を意識しながら、沖縄の人々の暮らしぶりを幻想的に描くというものだった。1989年の作品「ウンタマギルー」は、そうした高嶺の代表作である。この映画は、本土復帰直前における沖縄の人々の暮らしぶりを、沖縄県西原町に伝わる民話「運玉義留」を織り交ぜながら、幻想的な雰囲気の映像に仕上げたものである。

雑誌「世界」の最新号(2019年10月号)が、「日韓関係の再構築へ」と題した特集を組んでいる。いまや、日本のメディアでは反韓・嫌韓が流行現象となって、韓国を罵ることが当たり前となっている中、日韓関係の再構築を云々する言説は、とかく攻撃にさらされやすい。なにしろ政官民が一体となって隣国韓国を侮辱してやまないのだ。そんな中で、こういう特集を組んだ「世界」編集部の勇気を評価したい。

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右は琵琶の妖怪で、琴の妖怪をひっぱっている。琵琶の妖怪の胴体は、赤鬼のように赤い。琵琶には色々な種類があるが、これは四弦琵琶。その琵琶が琴をひっぱっているのは、捨てられた同士の誼からか。

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パオロ・ヴェロネーゼ(Paolo Veronese 1528-1588)は、ティントレットと並んで、後期ルネサンスのヴェネツィア派を代表する画家である。ヴェローナで生まれたことからヴェロネーゼと呼ばれるが、本名はパオロ・カリアーリという。ヴェローナの画家アントニオ・パディーレのもとで修業し、1553年25歳のときに自立した。

死と苦痛は暴力と深いかかわりがある。この三者が最も深く結びつくのは戦争においてである。戦争は暴力そのものの爆発といえる。戦争においては正義や理性がないがしろにされるとレヴィナスはいったが、まさに戦争こそは暴力の爆発として、人間性を踏みにじるのだ。正義とか理性といったものはその人間性を土台にしている。それが根こそぎにされるわけだから、正義とか理性などというものは、暴力の前では無力なのだ。

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中国は長らく外国映画の上映を禁止していたのであったが、改革開放政策が始まった1979年にその禁止を解いた。その時に最初に上映されたのが、高倉健主演の「君よ憤怒の河を渡れ」であった。中国語で「追補」と題されたこの映画は、大変な人気を呼び、実に八億人の中国人が見たという。主演の高倉健と中野良子は一躍人気スターとなり、高倉君は後に日中合作映画「単騎、千里を走る」で主演したほどだ。

台風15号の進行経路にあたっていた千葉県では、大規模な停電が発生し、五日目の今日になっても、いまだに20万近い世帯で解消されていない。中には、復旧するまでにあと二週間かかるところもあるなどと、信じられない情報が飛び交っている。

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青鬼の前を行くのは赤鬼。大幣を持っている。赤鬼と青鬼は、節分の行事でセットで出て来ることが多い。鬼にはそのほか、黄、緑、黒もあり、それぞれが人間の五つの煩悩を体現しているとされる。ちなみに赤鬼は、貪欲をあらわしている。

「燃え上がる緑の木」の三部作を書き終えた時、大江健三郎は60歳になったばかりだったが、この小説を最後にもう長編小説を書くことはやめようと思ったというから、この小説を自分の作家としての集大成と考えていたのだと思われる。自分の生涯の集大成と言うからには、大江のそれまでの作家としての営みの成果を集約したものが、この作品には盛られているということだろう。実際この作品にはそう思わせる要素がある。一つには、四国を舞台に展開してきた、彼一流のユートピアへのこだわりがこの作品には見られるし、また障害のある子供を始め、自分自身の家族へのこだわりもある。この二つの要素は、大江のそれまでの作品を貫く太い水脈のようなものであった。その要素を大江は、この作品のなかで融合させ、一つの大河として提示したと言えるだろう。

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ティントレット(Tintoretto 1518-1594)は、ルネサンス後期のヴェネツィア派を代表する画家である。ティントレットは染物屋の息子を意味するあだ名で、本名はヤコボ・ロブスティという。ティツィアーノのもとで修業し、1540年頃に独り立ちした。その画風は、ティツィアーノのメリハリある色彩感に加え、情熱的でダイナミックな人物描写に特徴がある。

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小林正樹の1962年の映画「切腹」は、落ちぶれた浪人の武士としての意地を描いたものだ。徳川時代の初期、寛永年間の話である。この時代は、藩の取りつぶしや改易が頻繁に行われ、その度に主家を失って浪人となる武士が輩出した。かれらはもとより生業もなく、生活の糧を得られないので、困窮のどん底に陥る者が跡を絶たなかった。そこで、諸藩の屋敷の玄関先に出没しては、ゆすり・たかりを働く者も多かった。そこで、食いつめて生きることに絶望し、切腹して死にたいので門先を貸してほしいと申し出、相手を驚かせて金品を巻き上げるようなことが流行っていた。この映画は、そんなゆすりまがいのことをする浪人を主人公にして、武士の意地を描いているのである。

プラトンの著作「ソクラテスの弁明」については、既に別稿において、その概要と解説とを披露したところだ。今度はもう少し踏み込んで、テクストを逐次的に読み込みながら、この著作の全容について明らかにしたいと思う。とりあえずタイトルを「ソクラテスの弁明を聞く」としたが、それはこの著作が、文字通りソクラテスの弁明から成り立っているからであって、それを読むことはまさに、「ソクラテスの弁明を聞く」ことになるからだ。あるいは、「ソクラテスの弁明読解」とすることもできよう。

終戦後ドイツは、米英仏ソの四か国に分割占領された。シュレスヴィヒ・ホルシュタイン、ニーダーザクセン、ノルトライン・ヴェストファーレンがイギリスによって、ヘッセン、バイエルン、バーデン・ヴュルテンブルグの北部がアメリカによって、ラインラント・プファルツ、ザールラント、バーデン・ヴュルテンブルグの南半分がフランスによって、旧東ドイツ諸県がソ連によってそれぞれ占領され、ベルリンは、米英仏ソの四か国によって分割占領された。こうして戦後のドイツは、国土をバラバラに分割占領されたうえに、やがて西側と東側との冷戦を反映して、国家としての統一を果たせず、東西に分裂してしまうのである。

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小泉堯史の2000年公開の映画「雨あがる」は、黒澤明が脚本を書いた。だから黒澤らしい雰囲気を感じるところがある。この映画は、安宿にしけこんだ貧しい庶民たちの生きざまを描いているのだが、その描き方に黒澤の作品「どん底」や「ドデスカデン」と共通するところがある。もっとも、こちらの方は、筋立てや人間描写に緊張感がなく、全体に緩いという印象を受ける。主演の寺尾聡とその妻宮崎美子が、どちらも茫洋とした感じで、いまひとつ締まりがないこともあるからだろう。

台風15号が関東地方を直撃し、各地に大きな被害を出した。この台風は、関東を襲ったものとしては、十数年ぶりの巨大台風で、被害の発生が事前に想定されたので、JRはじめ鉄道各社が、計画運休を実施した。関東での計画運休は、昨年も台風24号に際して行われたが、それは当日の正午前後に、その日の夜の終電を早めに前倒しするというものだった。今回は、前日のうちに、始発を午前八時以降に先延ばしすると発表した。

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百鬼夜行絵巻は、鬼や妖怪をテーマにしたもので、おどろおどろしたものたちが集団で夜行するさまを描いている。室町時代から徳川時代にかけて多くの絵巻が作られ、明治以降にも、河鍋暁斎による百鬼夜行絵巻とか、水木しげるの妖怪漫画が作られた。日本人の原像の一つとも言うべきイメージの世界を表現したものである。

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コレッジオ(Correggio 1489?-1534)は、北部イタリアのモデナ近くの村コレッジオで生まれ、主にパルマで活躍した。コレッジオとは生地にもとづくあだ名で、本名はアントニオ・アレグリという。少年時代、マントーヴァの画家マンテーニャのもとで学んだらしい。初期のかれの作品には、マンテーニャの強い影響が指摘される。

大江健三郎の短編小説に「死に先立つ苦痛について」と題する作品がある。人間は死を恐れるが、死それ自体は体験できるわけではない。体験できるのは死に先立つ苦痛であって、その苦痛があまりにも激しいものであるために、死それ自体も激しい苦痛を伴うものだと思い込むのだ。しかし、死と苦痛とはやはり別物であり、我々は死そのものを恐れる必要はない。小説のなかの登場人物は、このように考えて、苦痛を最低限に抑えながら、死を迎えようとするのである。

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レニングラードをめぐる攻防戦は、スターリングラードにおけるのと並んで独ソ戦最大の山場になったものである。レニングラードは、ソ連の軍需産業が集中していることと、地理的な条件からして、ドイツにとっては対ソ連戦の重要拠点と位置付けられ、独ソ戦の最初のステージから、最大の戦場となった。ドイツが、独ソ不可侵条約を破ってソ連に侵攻するのは1941年6月のことであるが、その最初の段階でレニングラードが攻撃の対象となった。ヒトラーは、レニングラードを地上から殲滅すると豪語し、大規模な軍を差し向けた。ただし多大の犠牲を払って攻略するという戦略はとらず、周囲から孤絶させて、住民を餓死させるという戦略をとったために、攻防戦は長期化し、1941年9月8日から1944年1月8日まで、実に900日にわたる長さとなった。その間にソ連側の蒙った損害は、公式発表でも67万人、一説には100万人を超える死者を出したとされる。

南蛮屏風

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近世初期には、長崎にやってきた南蛮船をテーマにしたいわゆる南蛮屏風が多数作られた。数十点現存するそれらの南蛮屏風のうち、これはもっともすぐれたもので、保存状態もよい。構成は、左隻に南蛮人の、おそらく中国における行楽の様子を描き、右隻に、長崎に到着した南蛮船を、人々が迎える様子を描いている。

「静かな生活」は、大江健三郎の義兄にあたる伊丹十三が、そのままのタイトルで映画化していて、小生は原作を読む前にそちらを見たのだったが、その際に、これは原作に必ずしも忠実ではないのではないかとの印象を持った。その理由というか、根拠は二つあった。一つは、別の小説、例えば「性的人間」のプロットの一部が使われていること、もう一つは主人公である少女が、悪い奴に強姦されそうになるシーンがあること。いくら小説とはいえ、自分の娘だと世間に向って表明しているものが、強姦されそうになるところを書くというのは、人間としてどうかという思いがあり、それで大江の原作にはそんなことが書かれているはずがないと、勝手に思い込んだ次第である。

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ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio 1488/90-1576)は、ヴェネツィア派最高の画家である。ルネサンス美術は、フィレンツェで始まり、ローマを経てヴェネツィアに中心地が移っていったのだが、ティツィアーノはそのヴェネツィアの美術を一躍最高レベルまで高めたのだった。ティツィアーノの画風の特徴は、華麗な色彩感覚にあり、以後のヨーロッパ絵画に多大の影響を及ぼした。長命だったこともあり、膨大な作品を残している。

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アレクサンドル・ソクーロフの2005年の映画「太陽」は、昭和天皇の敗戦前後の言動をテーマにしたものである。ロシア人の監督によるロシア映画であるが、昭和天皇を始め出て来る人間はほとんどが日本人であり、その日本人を日本人の役者が演じ、かれらのしゃべっている言葉も日本語である。だから、これがロシア映画とわかったうえで見ていないと、まるで日本映画を見ているような錯覚に陥る。もっともこの映画は、昭和天皇を始めとした日本人を、戯画化したところがあるので、こんな映画を日本人が作ったら、観客たる日本人から袋叩きにされたであろう。

岩田靖夫はギリシャ哲学が専門のようだが、レヴィナスにも関心があるようで、レヴィナスについての本も書いている。「神の痕跡」と題した本は、副題に「ハイデガーとレヴィナス」とあるとおり、ハイデガーとレヴィナスとの関連が主なテーマだ。この本は、ハイデガーとレヴィナスとの関連を見るには必読の書だと、レヴィナス学者の熊野純彦が書いていたので、その二人に深い関心を持つ小生は、是非もなく読んでみる気になったものだ。

第二次世界大戦で被った日独両国の損害を見てみよう。まず人的損害。ドイツの死者については、最終的な正確な数字は確定していないようである。それには、敗戦前後における混乱で、民間人を含めた大勢のドイツ人が、ソ連に連行されたり、あるいは行方不明になったりして、正確な数字が追求できなかったという事情が働いている。日本の場合には、多少の入りくりがあるが、ほぼ310万人が死んだとされているのに比べれば、ドイツの場合にはその倍以上の人間が死んだと言われながら、詳細は明らかではない。

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ヴィム・ヴェンダースの2015年の映画「誰のせいでもない」は、日本人にとっては理解しがたい内容の作品である。交通事故で小さな子どもを死なせた男が、法的には何の責任を負うこともなく、また死んだ子の母親からも責められることもなく、自分自身良心の呵責を感じている様子にも見えない。彼は作家なのだが、自分が犯したことよりも、自分自身の職業的な成功のほうが大事、というふうに伝わって来る。こういう話は、日本人には理解しがたいものだ。日本では、過失の程度が軽い場合にも、小さな子を交通事故で死なせた人間が無罪放免になることはほとんど考えられないからだ。

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二曲一隻のこの屏風絵は、寛永年間に流行した婦女有楽図の一つ。右側の第一扇には四人の女が描かれ、左側には禿に語り掛けられる男が描かれる。この男が本多平八郎ではないかと言われ、以後本多平八郎姿絵と呼ばれて来た。

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アンドレア・デル・サルト(Andrea del Sarto 1486-1531)は、フィレンツェ派の最後の巨匠であり、その弟子からはマニエリスムの画家を多く輩出した。自分自身もマニエリスムへの移行を用意したと評価される。後期ルネサンスを代表する画家の一人である。

死について2

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ハイデガーは、人間が有限な存在であることに着目した。有限な存在とは、死すべき存在であるということだ。人間には誕生があり、死がある。始まりと終わりとで区切られた存在、それが人間なのである。そこから時間の観念が生じる。時間というものは、有限な存在について初めて意義をもつ観念なのである。もしも人間が、誕生する以前から存在し、死を超えて存在し続けるとしたら、つまり永遠に存在し続け、誕生することもなければ、死ぬこともないとしたら、時間という観念は生じないだろう。時間の観念は、ある一定の限定された存在のあり方から生じて来るのであって、限定されていない存在のあり方からは生じようがないのだ。もし私が、永遠に死なないとわかっていたら、時間を気にする根拠はどこにもない。時間というものは、人間が自分自身に向けた気遣いのようなものなのである。

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アトム・エゴヤンの2015年の映画「手紙は憶えている」は、ナチスのホロコーストをテーマにした作品である。アルメニア起源のカナダ人であるアトム・エゴヤンが何故ナチスの犯罪を描いたのか。この映画の制作にはドイツ資本も加わっているので、ドイツ側からのアクセスがあったのか、よくはわからないが、ホロコースト映画としては一風変わっていて、ナチスの犯罪を糾弾するというより、ホロコーストに名を借りて、風変わりなミステリー映画に仕上げたといった趣の映画である。

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