2019年11月アーカイブ

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雪村の初期作品としては、いくつかの動物図がよく知られている。これはそのうちの一点。茶色の絹本地に、水墨と岩絵具で、兎、芙蓉、竹を精緻に描いている。水墨は輪郭を描くほか、影をつけるのにも使っている。その輪郭線の内部を、岩絵具で丁寧に塗っている。芙蓉の花の色は胡粉で表現している。

大江健三郎には、小説の中で自分の愛読している詩人や小説家を取り上げ、作中人物を通じて自分なりの感想やら意見を述べる癖がある。「取り替え子」においては、オーデンとランボーが取り上げられる。オーデンについては、以前にも何度か言及したことがあり、「見る前に跳べ」という小説では、オーデンのある詩のタイトルをそのまま小説のタイトルにしたのでもあったが、ランボーを本格的に取り上げるのは、これが初めてだ。小説のモチーフが伊丹十三の生き方にあることを考慮すれば、ランボーは相応しい選択だったといえよう。ランボーのある意味ノンシャランな生き方は伊丹に通じるものがあるし、また「地獄の季節」の最後を飾る詩「Adieu」は、伊丹の死を暗示しているようにも思えるからだ。

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モネは1881年にヴェトゥイユを去ってポワシーに移った。自分の息子たちのほか、アリス・オシュデとその娘たちを伴なって。モネとアリスは、もはや離れられない関係になっていたようだ。そのポワシーに滞在中、モネは家族を伴なってノルマンディーに創作旅行に出かけた。「崖の上の散歩(Le promenade sur la falaise, Pourville)」と題したこの絵は、その折のものだ。

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ウィトゲンシュタインは、20世紀を代表する哲学者の一人であり、多くの哲学者がそうだったように、同性愛者であった。それをやはり同性愛者であるデレク・ジャーマンが取り上げて、その半生を映画化したのが、1993年の作品「ウィトゲンシュタイン」である。

ソクラテスは、それまでの話から一転して、今度は、自分を恋していない者よりも、自分を恋している者に身をまかせるべきだという話をするわけだが、その理屈として持ち出すのは、狂気がかならずしも悪いことではなく、むしろ良いことだとする主張である。自分を恋している者に身をまかせるべきではないという主張は、そういう者は狂気にとらわれているのであって、その狂気は悪いものだという前提に立っていたわけだから、その前提を崩せば、そういう主張は成り立たないというのである。

日独憲法比較

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日独両国の憲法を比較して、まず指摘しなければならないのは、改正の有無である。日本国憲法は、1947年の施行以来一度も改正されたことがない。一方ドイツの基本法は、1949年以来すでに50回以上改正されている。この相違は何を意味するのか。日本国憲法が安定しており、つまり国民大多数から支持されておるのに対して、ドイツの基本法は、不安定ということを意味するのか。かならずしもそうは言えない。日本国憲法は、自民党政権によって敵視され、国民はつねに改正へと誘導されて来た。ということは、政権党と国民多数との間で、憲法をめぐる一種の闘争のようなものがあることを念じさせる。それに対してドイツの基本法をめぐっては、日本のような対立はない。50回以上行われた改正を見ると、講和時になされた防衛権の明示、東西ドイツの統一に伴う必要な改正を除けば、おおむね技術的な細部にかかわるものがほとんどだった。というのもドイツの基本法は、日本の憲法と比較して、条文の数は二倍半もあり、極めて技術的な規定が多い。したがって、抽象度の高い日本の憲法に比較すると、改正の必要度が高いという事情がある。

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エドワード二世は、イギリスの歴史上最も劣悪な王といわれる。その理由は、優柔不断で指導力がなかったこと、同性愛に耽溺し、愛人を不当に優遇して人心の離反を招いたことだ。その挙句、天涯孤立の境遇に陥り、ついには妃であるイザベルに殺されてしまった。そんなエドワード二世の半生を、シェイクスピアのほぼ同時代人で、これも破天荒なスキャンダルをまき散らしたことで有名なクリストファー・マーロウが劇に仕立てた。それをデレク・ジャーマンが映画化したのがこの作品だ。ジャーマンのことであるから、エドワード二世の言動のうち、同性愛の部分に関心が集中しているきらいがあるが、これはマーロウの原作もそうなのであるか、原作を読んでいない小生には判断できない。一応原作を無視して映画に光を当ててみたい。

ネタニヤフが収賄罪など三つの罪状で起訴された。これに対してネタニヤフは強い対抗心を見せている。イスラエルの法律では、首相を含め公職者は、起訴されたら職を辞任しなければならない決まりになっている。しかしネタニヤフには、そんな法律を守る気はないようだ。自分に対する起訴をクーデタだと決めつけ、起訴した連中を逆に起訴してやると息巻いている。クーデタに対する対抗(カウンター)クーデタを起してやるというわけだ。

雪村の世界

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雪村は雪舟と並んで室町時代の日本の水墨画を代表する画家である。雪村に私淑してその名の一部を借用したほど尊敬していたが、雪舟と会ったという記録はない。雪村が生まれたのは雪舟より六十四年もあとのことであり、雪舟が死んだとき雪村はまだ二歳だったのである。にもかかわらず雪村は、雪舟の絵をこよなく愛し、自分も又その画風にあずかろうと願って雪村と名乗ったのであろう。

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カミーユが死んだ後、モネは残された二人の子供とともにヴェトゥイユの家に住み続けたのだが、同じ家に同居していたオシュデの妻アリスと急速に親密になった。アリスは夫のエルネストが仕事でパリに滞在しても、モネの二人の息子の面倒を見ると言って、ヴェトゥイユの家に残った。この絵は、そんなモネの周辺を描いたものだ。

カッバーラーは、ユダヤ教の神秘主義的部分である。これに井筒俊彦は、本質実在論の第二タイプ元型的本質論の一つの有力な例を見る。ユダヤ教は、神が無から世界を創造したとする。これは、キリスト教やイスラームも受け継いだセム的宗教の基本的な考え方である。この考え方によれば、神は世界の外側から働きかけて、世界を作ったということになる。神は世界を超越した存在なのだ。これに対してカッバーラーは、神を世界から超越した存在だとは見ない。神は世界にとって内在的な存在なのだ。つまり、神が自分自身の内部から世界を生んだという見方をする。というより神が顕現したもの、それが世界だと見るわけである。

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デレク・ジャーマンの1990年の映画「ザ・ガーデン(The Garden)」は、同性愛者(男色者)の受難をテーマにした作品だ。この映画が描く受難には二通りある。一つは肉体の受難、もう一つは精神の受難だ。肉体の受難は拷問による死によって、精神の受難は嘲笑によって表現される。

韓国政府は、日本に通告していたGSOMIAの破棄を、昨日、期限ぎりぎりのどん詰まりになって、延期すると発表した。いままでの韓国政府の振舞いからすると、意外に映る。その理由を、自称識者たちはさまざまに説明して見せているが、やはり米国の圧力に屈したとみるのが自然だ。トランプ政権は、この問題については、背景に日韓間の歴史問題をめぐる軋轢があることを棚上げしながら、GSOMIAの破棄がアメリカに及ぼす害悪を無視できずに、韓国政府を締めあげたのだと思う。アメリカにとって、日韓はともに子飼いの犬のようなものだ。その犬同士が喧嘩するのはかまわぬが、それが主人である自分の立場を危うくするのは許せない。そう考えたうえで、そうした行為をとっているのは韓国のほうであるから、とりあえず韓国を締めあげようということだったと思う。そうしたアメリカの意向に、韓国政府が屈したということだろう。

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達磨は禅宗の開祖であるから、禅僧たちによってその像が描かれてきた。達磨像のポーズにはいろいろのものがあるが、もっとも多いのは、上の絵のような半身像であり、大きな目をぎょろりと向いている姿である。この絵は、こうした構図の達磨像の最も初期のもの。作者は墨渓である。

小説のタイトル「取り替え子」には、いくつもの意味が多層的に含まれている。というか作家によって含められている。それらの意味を、読者に向かって解き明かす役目を果たすのは大江の妻の分身千樫である。三人称の形式をとっているこの小説は、出だしからずっと大江の分身古義人の立場から語って来たのだが、最後の章で俄然千樫の視点に立った書き方をする。そのことで小説に構造的な変化が生まれ、また、女性である千樫の視点から書けるという効果も生まれた。視点が多数あるというのは、小説にとっては、独特の効果を生むものだ。まして女性の視点が含まれている場合には、なおさらである。

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1878年の冬、モネ一家はアルジャントュイユを引き払い、やはりセーヌ川沿いの街ヴェトゥイユに移り、そこでオシュデの家族とともに暮らした。オシュデは美術商で、妻のほかに6人の子どもがいた。その妻とモネは、カミーユの死後懇ろになるのである。そしてやがて二人は再婚することとなる。

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デレク・ジャーマンの1988年の映画「ウォー・レクイエム」は、ベンジャミン・ブリテンの合唱曲「死者のためのミサ曲」を映画化したものだ。合唱曲の映画化だからミュージカル仕立てになっている。その合唱曲は、戦争詩人として知られるウィルフレッド・オーウェンの詩集を主な材料とし、それにある教会のミサ曲を加えるという形になっている。そのオーウェン詩集の冒頭を飾る「奇妙な出会い」は、イギリス兵とドイツ兵との奇妙な出会いを歌ったものだが、そこにはある物語が含まれていた。その物語をこの映画は、一応メーン・プロットにして、拡散しがちな映像に一定の秩序をもたらしている。その物語というのは、イギリス兵が洞窟の中で出会ったドイツ兵を、かつて自分が殺していたというものだった。そのドイツ兵は、イギリス兵に向って、わたしはお前が殺した敵兵だと言う。それを聞いたイギリス兵は、相手を殺さざるをえなかった自分の境遇を、戦争が強要したことに深い怒りを覚えるというものである。

ソクラテスが話したことの概ねを、念のために言っておくと、それは次のようなことであった。恋する者は必然的に嫉妬深くならざるをえないから、保護者として、また交際の相手として、どうみてもけっして有益な人間ではない。また、恋する者は、みずからの甘い恋の果実をできるだけ久しい間たのしむことをのぞんで、愛人ができるだけ長い間、結婚せず、子供がなく、家を持たずにいるようにと祈るだろう。更に、そういう人は恋の続いている間は有害で不愉快な人間であり、恋がさめてからは不実な人間になる。要するに恋する者の愛情は、けっして真心からのものではなく、ただ飽くなき欲望を満足させるために、相手をその餌食とみなして愛するのだということを知らねばならない、というようなことであった。

戦後、ドイツの新憲法制定が日本より2年以上も遅れたのは、統一ドイツの姿が見えてこなかったからである。その原因は主にソ連にあった。ソ連(ロシア)は、国境の西側から度々侵略を受けて来たという歴史を持ち、第二次大戦においてもドイツによって侵略されたという苦い記憶があった。それゆえ、統一ドイツが未来のソ連にとって再び重大な脅威となることを嫌った。そんなわけで、統一ドイツに関する協議には加わらなかった(1947年12月15日には米英仏ソの外相会議が決裂している)。それどころか、ソ連が分割占領していた東ドイツを、ソ連の衛星国家として再編し、傀儡政権に運営させようとする意志を露骨に示した。

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「ラスト・オブ・イングランド」は、イギリスの終末という意味だ。終末であるから、イギリスという国の滅亡を意味しているわけだ。世界ではなく、イギリスが滅亡するというのはどういうことか。そこには、デレク・ジャーマンの個人的な事情がひそんでいるようである。ジャーマンは、前作「カラヴァッジオ」の制作を終えた頃、HIVの陽性が判明した。同棲愛者のジャーマンにとっては、宿命的な成り行きだった。ジャーマンは死を強く意識したのだろう。その死の意識がこの映画には反映しているのではないか。ジャーマンにとって、自分が死んだ後も、イギリスが存在し続けることは、ありえなかったのだ。なにしろイギリスは、マクベスを生んだ国だ。そのマクベスは、自分が死んだ後も世界が存在し続けることは絶えられないことだと叫んだのである。ジャーマンにとっては、世界ではなく、とりあえずイギリスが問題だった。そこでイギリスは、自分の死と運命を共にすべきものと考えたのだろう。

トランプ政権のポンペオ国務長官が、イスラエルによるヨルダン川西岸の入植地を容認する宣言を出した。これまでのアメリカの歴代政権が、ヨルダン川西岸のイスラエルによる入植活動は、中東和平にとって障害になるという姿勢をとってきたものを、トランプ政権がそれをひっくり返す形で、イスラエルの入植地を認めることは、将来的にヨルダン川西岸がイスラエルに併合されることを認めたと受け取られる。いうまでもなくヨルダン川西岸へのユダヤ人の入植は、イスラエルによるパレスチナ侵略の中核をなす不法行為である。それを容認することは、強盗に追い銭を与えるようなものだ。

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二天は剣豪宮本武蔵の雅号で、水墨画の印として用いていた。また武蔵の剣法の流儀名として二天一流と称した。武蔵は剣法家ではあるが、絵や彫物にも才能を示し、素人の余技ながら優れた作品を残している。徳川時代初期の人ではあるが、室町時代の墨画の延長として、ここに紹介しておきたい。

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1878年1月、モネはアルジャントゥイユを去り、パリのエダンブール街に数か月仮住まいした。その間に革命記念日の喧騒に遭遇し、それを見た興奮を一点の作品に表現した。「モントルグイユ通り」と題したこの作品は、パリ革命の最初の記念日6月30日の町の喧騒を描いたものだ。

本質に普遍的本質マーヒーヤと個体的本質フウィーヤがあるとして、個体的本質に実在性を認めるのは理解できる。そもそも個体とは実在する個物を想起させるからだ。これに対して普遍的本質に実在性を認めることは、少なくとも西洋哲学的な思惟に慣れている者には、むつかしいのではないか。何故なら普遍的というのは、あくまでも人間の思惟が作り出したもので、したがってあくまでも概念的なものだからだ。概念は実在とは異なった範疇に属するものである。ところが、この普遍的本質に実在性を認める考え方が、東洋思想には珍しくない。というより、普遍的本質に実在性を認める考え方のほうが、東洋思想では主流となっている、と井筒俊彦は主張する。

米誌TIMEが、恒例の Next100(影響力ある100人) に、日本の政治家小泉進次郎を選んだ。理由は、日本憲政史上最長の在任期間を誇る安倍晋三総理大臣の後継者として、これからの日本をリードする存在だということだ。なんといっても日本は、まだ一流国の仲間と認定されているから、その指導者となるべき人物は、国際的に見ても影響力のある政治家と認定されるわけだ。

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カラヴァッジオは、イタリア・ルネサンス最後の巨人であり、またバロック芸術の先駆者といわれる。その陰影に富んだリアルな画風は、近代絵画のさきがけというにふさわしい。そんなカラヴァッジオだが、私生活はスキャンダルに満ちていた。いかがわしい連中と町を練り歩いてはスキャンダルを引き起こし、その挙句に殺人まで犯して、38歳の若さで死んだ。

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室町時代には、相国寺を中心とした禅僧たちによる芸術アカデミーと並行して、将軍の近侍として仕える同朋衆と呼ばれる者たちも、独自のサークルを作っていた。彼らは、もともと将軍の身辺をめぐる雑役に従事していた者たちだが、その中には絵師、工芸師、庭師、能・狂言師など特技を持った芸能人の一団があった。彼らは禅僧と比べて身分は低かったが、将軍の権威を背景にして、一定の勢力を誇っていた。

「取り替え子」は、三人称で書かれている。大江は初期の短編以来「燃え上がる緑の木」に至るまで、基本的には一人称で書いて来た。それが断筆宣言から一転再開した「宙返り」で本格的な三人称を導入したのだったが、そうすることで物語り展開にかなりの自由度が生まれたようだ。一人称だと、どうしても狭い視点から語ることになるし、語ることにはそれなりの利点も無論あるのだが、壮大さには劣る。壮大な物語を展開するには、やはり三人称が有利だ。「取り替え子」というこの小説は、三人称の利点を最大限発揮しているといってよい。

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1877年にモネは、サン・ラザール駅をモチーフにした一連の絵の制作に熱中した。このために彼は、駅付近のモンソー街にアトリエを借りたほどだ。そして描き上げた作品九点をその年に開かれた第三回目の印象派展に出展した。例によって文学者のエミール・ゾラが絶賛してくれた。これらの絵を、「大画面に繰り広げられた近代絵画である」と言って。

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デレク・ジャーマンの1979年の映画「テンペスト」は、シェイクスピア晩年の有名な戯曲を映画化したものだ。筋書きとしては原作にかなり忠実であり、台詞も原作どおりだ。したがって非常にリズミカルに聞こえる。その一方で、ジャーマンらしい演出もある。登場人物がやたらに裸体になることやら、画面が陰惨なブルーに覆われていることなどだ。その陰惨な画面は、室内の人工的な灯りしかないケースにはそれらしく受け取れるが、屋外の光があふれているべき場面でも、同じように陰惨なブルーが支配している。というわけで、この陰惨なブルーは、デレク・ジャーマンのこだわりの色なのだろうと推測したりもする。

パイドロスがリュシアスの著書を読み終わったときにソクラテスが見せた反応は、パイドロスの予想に反して否定的なものだったが、ソクラテスはその否定的な意見を皮肉たっぷりに言う。まずはリュシアスの文章を褒めると見せて、じつはけなすのだ。彼がリュシアスを褒めると見せたのは、リュシアス本人ではなく、リュシアスの言葉を読んだパイドロスを誉めるというやりかたを通じてだ。「どうですか、ソクラテス、すばらしい話しぶりだと思いませんか」というパイドロスの質問に対してソクラテスは、「いや、神業といってもよいだろう。友よ、ぼくは茫然自失してしまったほどだ」と答えるのであるが、じつは「ぼくのこの感動は君のせいなのだ」と言うのである。リュシアス本人の著書ではなく、それを読んだパイドロスに感動したというわけである。つまりリュシアス本人のことはどうでもよいと言っているわけだ。

日本国憲法の制定は、対日占領政策としての戦後改革の総仕上げのようなものとして見えるが、実は、終戦後まもなく、戦後改革が本格化するまえに(1945年10月4日)、日本政府に対してマッカーサーから新憲法制定の指示が出されていた。その趣旨としては、第二次世界大戦における日本の敗北を真剣にうけとめ、今後二度と戦争をおこさないための保証を、憲法を通じて国際社会に約束させることにあったと思われる。そういう意味では、日本の武装解除と、未来に向けての非軍事国家としての歩みを、世界に向って約束させることに主な力点があった。勝者にとっては敗者の武装解除、敗者にとっては勝者の意向にそって未来に向かって不戦を誓うこと、それが新しい憲法に期待されたことだったといえる。

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デレク・ジャーマンは、いまではイギリス映画を代表する監督の一人に数えられている。みずから同性愛者であることを公表し、エイズにかかって52歳で死んだ。かれの作品には、同性愛を謳歌するようなところがあり、そのため男色映画というレッテルを貼られることもあった。

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まつり会館のそばにある駅から秩父鉄道に乗って長瀞に向かう。そこであの有名なライン下りをするつもりなのだ。長瀞駅の正面に切符売り場がある。そこで切符を買おうとしたら、ここで売っているのはBコースだけなので、Aコースを希望する人は、線路をわたって左に曲がってください。そうすれば、そこにAコースの販売コーナーがあるから。言われたとおりに線路を渡って左に曲がり、そこの販売コーナーでAコースの切符を買った次第。

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文清は15世紀半ばに活躍した人で、周文の弟子筋にあたり、松
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豊穣たる熟女の皆さんと秩父を歩いた。今回もM女は参加できなかった。小生は先日彼女と電話でやりとりをしたので、その際のことをT女とY女に語って聞かせた。体調が悪くて、いくつかの病気に同時襲来された上に、うつ病の症状が甚だしいのだという。人と話すのも億劫なので、電話がかかって来ても出ないようにしているそうだ。そう言ったところが、道理で何回電話をしても通じなかったわけだわ、と二人はため息をつく。少なくとも今年いっぱいは外出できる見込みはないので、年が改まって調子が上向いたら、どこかで食事でもしましょうと言って、電話を切った次第。来年の新年会にでもまた声をかけてみよう。

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アルジャントゥイユでモネが借りて住んだ家は、アパルトマン形式だったようだが、庭付きの洒落た住まいだった。この絵はその住まいを背景にして、息子のジャンを描いたものだ。この絵を見ると、モネの家族愛が伝わってくる。

西洋哲学では、本質は普遍者をあらわす概念である。本質とは、或るものが何であるかという問いへの答えであると言ったが、その「何であるか」は、普遍的な概念として与えられる。それは徹底的に抽象的なものだ。西洋哲学とは、個別者を抽象的な概念の枠組みに当てはめることを主な関心事としながら発展してきた。だから、抽象的なものへの偏愛というべきものを、西洋哲学は持っている。東洋ではそうではない。東洋思想の殆どは、普遍者という抽象的なものには満足しない傾向が強い。日本人も例外ではない。その代表者として井筒は本居宣長をあげ、宣長がいかに概念的・抽象的思惟を嫌ったかについて言及している。宣長にとっては、同じ東洋人である中国人の思惟でさえ、概念的・抽象的に映った。宣長は、そうした概念的・抽象的な思惟に代えて、個体的で具象的なものにこだわった。かれが言う所の「もののあはれ」とは、そうした個体的・具象的なものを言語的に言い現わしたものなのである。

先般の台風騒ぎで多大な犠牲を出した千葉県、その知事を務める某氏が、災害対応がひどかったといって日本中から批判されている。某週刊誌などは、某知事が災害発生の翌日に、公務を放り出して雲隠れし、千葉県内の自分の別荘に行っていたと報じたことで、批判の声はいっそうすさまじさを増した。某知事は、あれは別荘ではなく自宅なんですよ、と弁解したが、自宅だとしたら、千葉県民の災害の苦しみを放り出して、自分のことばかり考えていた証拠になるというので、もっとひどいということになる。そこで某知事への批判は、罵倒へとかわり、某知事はいまや日本中から袋叩きされている状態だ。

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殿山泰司は味のある脇役として日本映画には欠くことができない存在だった。新藤兼人の映画にも、新藤の監督デビュー作「愛妻物語」を手始めに、数多く出演している。この二人は、単なる監督と俳優という間柄を超えて、共通の目的を追求するいわば戦友のような関係だったようだ。だから殿山が死んだ後、新藤は「三文役者の死」という本を書いて、殿山の霊を慰めた。また、その本をもとに殿山の映画人としての半生を描いた。三文役者というが、なにも茶化した言い方ではない。殿山自身が自分を称してそう言っていたのを、殿山の人柄をよく物語るものとして、新藤が採用したということだ。

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赤脚子は霊彩同様、東福寺系の明兆一派に属する画僧だったと考えられる。十点余りの作品が伝わっており、いづれも赤脚子印を押してある。生涯の詳しいことはわかっていないが、その作品には、建仁寺の古心慈柏や東福寺の愚極礼才の賛がある。

大江健三郎が、小説の中で伊丹十三を描くのは、これが初めてではない。「なつかしい年への手紙」は、大江の自伝的な色彩が濃い作品だが、そのなかで少年時代を回想する際に、高校の同級生としての伊丹が出て来る。無論名前は変えてあるが。その伊丹は、高校生としてはませたところがあり、また独特の才能を持っていて、大江とは異なった感性を持つ人間として描かれていた。とはいっても、深く掘り下げた描写があるわけではない。思春期の真っ最中である大江少年が、まぶしい光のなかでちらっと垣間見た、才能に富んだ、生き方のうまい人間として、要するに生き方のある種の見本として、畏敬を以て描かれていたものだ。

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妻カミーユと息子のジャンをモデルにしたこの作品「散歩(La Promenade)」は、モネの前半生を飾る傑作といえる。モネはこの絵を、アルジャントゥイユの草原にイーゼルを立てながら、眼に入る光景を直接キャンバスに表現したのだったが、その光景は、刻々動く光と、ざわめく風とがうつろう壊れやすい眺めだった。その壊れやすい一瞬の眺めを、モネはキャンバスに定着させることで、そこに永遠へのつながりを見ようとしたのではなかったか。

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新藤兼人の1999年の映画「生きたい」は、姨捨山伝説にからませながら、現代人が直面している老人問題を、新藤らしくユーモラスに描いたものだ。姨捨伝説は、役立たずになった老人を、口減らしのために捨てることをテーマにしていたが、同じような問題は現代にもある。と言うか、現代は寿命が延びて長生きするようになった部分、役立たずの老人が多く生み出されている。そういう老人を、現代人は老人ホームに収容しているが、これは形をかえた、体裁のいい姨捨ではないのか。この映画には、そんな問題意識が込められているようである。

陰核(クリトリス)は、専ら女性の性的快楽に関わるものだと考えられて来たが、実はそれだけではなく、生殖にも深いかかわりがあるということがわかってきた。イギリスの研究者ロイ・レヴィン氏が、最近医学雑誌 Clinical Anatomyに起稿した小論のなかで、そのメカニズムについて報告している。

ソクラテスにせきたてられる形でパイドロスは、上着の下から書物を取り出して、それを読み始める。ソクラテスは草むらに横になってそれを聞くのだ。ソクラテスに限らず、横たわりながら人の話を聞くのは、ギリシャ人が好んだことのようだ。前にも触れたとおり「饗宴」のなかにもそうした光景が描かれていた。

日本でもドイツ同様、知識人による戦争への反省は見られた。日本の知識人は、ドイツとは違って、国外へ亡命することはなく、国内に踏みとどまったので、亡命ドイツ人のような気楽さで、祖国の戦争責任を追及するようなことをするものは、多くはなかった。また、ドイツの場合には、ナチスによる非人道的な犯罪が国際社会の指弾を浴びており、それに頬かむりできないという事情もあって、知識人の気持にはかなり屈折したものがあった。その屈折を踏まえて戦争責任を論じようとすれば、善いドイツ人と悪いドイツ人を区別し、自分は善いドイツ人の立場から悪いドイツ人を批判するという方法をとるしかなかった。ドイツの知識人は、かなり苦しい立場に立たされていたわけである。

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新藤兼人は荷風が好きらしく、「断腸亭日乗を読む」という本も出している。その断腸亭日常をベースにした映画も作っている。1992年の作品「濹東綺譚」がそれだ。この映画は、「断腸亭日乗」をもとに、荷風の半生を描きながら、その中に「濹東綺譚」の内容を挿話風に挟むという趣向になっており、あたかも荷風が「濹東綺譚」の世界を実際に生きたというふうに仕上げてある。

今年のMLBワールド・シリーズは異例なことが重なった。優勝したワシントン・ナショナルズは、前身のモントリオール・エズクポズ時代を含めて、球団創設以来50年ぶりのシリーズ出場で、しかも一発で優勝した。エクズポズがナショナルズに変る際には、球団の経営を引き受ける者がいなくて、大リーグ機構が直接経営したということもあり、長い間低迷していたのが、その後経営主体が現れてからは、徐々に他の球団並みになっていき、ついにワールド・シリーズ優勝にこぎつけたというわけだ。

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霊彩は、室町時代中頃に活躍した禅宗系の画僧。東福寺を拠点とした明兆の後継者的な位置づけの人である。詳しいことはわかっていないが、朝鮮側の文献から、寛正四年(1643)に外交使節として朝鮮を訪れ、その際に自作の「白衣観音図」を朝鮮王世宗に献上したとある。朝鮮王は代々儒教を信奉していたが、この世宗だけは仏教への信仰があつかった。そのことを知った霊彩は、白衣の観音図を自ら描いて献上し、世宗の歓心をかったというわけであろう。

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「ラ・ジャポネーズ(La Japonaise)」には日本人女性という意味もあるが、この絵の中の女性は日本人ではない。モネ自身が後に言っているように、最初の妻カミーユである。そのカミーユに日本風の衣装を着せて描いたわけである。ジャポネーズには日本風という意味合いもある。

意識といい、本質といい、西洋哲学のタームである。そのタームを用いて東洋思想を語るところに井筒俊彦の特徴がある。東洋思想特有のタームを用いて東洋思想を語れば、たとえば仏教固有のタームを用いて仏教を語れば、西洋的な思考をする人にはわかりにくかろうし、仏教のタームを通じてでは、ほかの東洋思想例えばイスラーム神秘主義の思想は理解しづらかろう。と言って、仏教とイスラーム神秘主義に通底するようなタームは、なかなか見つけづらい。そこを西洋哲学のタームを用いて説明すれば、なんとなくわかりやすい気がするものだ。井筒が東洋思想の解説者として世界的な名声を博しているのは、こういう事情が働いているからだと思う。

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新藤兼人の1988年の映画「さくら隊散る」は、演劇人の広島での被爆をテーマにしたものだ。被爆した人々の悲惨な死を描いている。新藤は、「原爆の子」を作って、広島原爆の非人間性を訴えたものだが、そこでは被曝による悲惨な死を直接描いたわけではなかった。この映画では、被爆した人々が、苦しみながら死んでいく過程を、至近距離から描いた。

2020年度から実施されるはずだった英語民間試験が土壇場で見送りとなった。土壇場というのも、申し込み受付手続きが始まる当日に発表されたということだから、その唐突ぶりは否めない。この事態の背景には、某現職文科大臣の、いわゆる「身の丈」発言があった。この発言が、図らずも当該制度の持つ矛盾点をあぶり出す形になり、それを国民の多くが知るに至り、このまま実施を強行しては、重大な反発を招きかねないとの、安倍政権の危機意識が働いた結果、今回の決定となったものだ。とすれば、某文科大臣は、皮肉めいた言い方をすれば、重大な問題をはらむ制度について、考え直すきっかけを作ったということになる。

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周文は如拙の後継者として、相国寺を中心とした官学アカデミーの主催者的な立場にあった人である。また足利将軍家お抱え絵師として、幕府から俸禄を貰っていたようだ。要するに一時代における日本画壇のリーダーであったわけだ。しかしその割に彼の作品ははっきりしない。現存する作品として、周文の真筆と断定できるものは一点もないのである。そんななかで、周辺的な証拠を手掛かりに、周文の作品と思われるものの発掘がなされてきたが、決定的なものは現われておらず、伝周文作と呼ばれるものが、何点かあげられるに過ぎない。

「取り替え子」は、伊丹十三の死に触発されて書いた小説だ。伊丹は、大江の松山東高校での同級生であり、かつ妻ゆかりの兄でもあった。そんなこともあって、生涯の付き合いを持つようになったのだが、その間柄には複雑なものがあった。伊丹のほうが一つ年上ということもあって、かれらの関係は完全にフラットなものではなかったらしく、どちらかというと、伊丹のほうが大江をリードしていたようだ。大江がゆかりと結婚したいと言った時、どういうわけか伊丹は大反対したのだったが、それがどんな動機に出たものなのか、大江はずっと考え続けていた、ということがこの小説からは伝わって来る。そんなわけで、大江は伊丹について不可解な思いをいっぱい抱えていたようなのだが、それが伊丹の突然の死によって、永久に解明できなくなった。しかし伊丹は、死に先駆けて、大江に対してあるメッセージを残していた。それはある種、遺書のようなもので、それを読み解くことで大江は、伊丹と自分との関係をトータルに理解しようと努める。この小説は、そうした大江の思いを、なるべく第三者的な視点から追いかけたものである。

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「読書する女(La liseuse)」とも、あるいは「春(Printemps)とも呼ばれるこの絵も、アルジャントゥイユでののどかな暮らしをテーマにしたものだ。草むらで腰かけて本を読んでいる女性は、妻のカミーユと思われる。彼女は大きな日よけ用の帽子をかぶり、ゆったりとした服を着て、熱心に本を読んでいる。

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新藤兼人の1981年の映画「北斎漫画」は、葛飾北斎の生涯を描いたものだ。画家としての北斎の全盛期よりは、駆け出しの時代と最晩年期に焦点を当てている。この頃の浮世絵師は、春画で稼いでいたようで、北斎も例外ではない。その春画をこの映画は漫画と言いたいようだが、北斎自身が出版した「北斎漫画」では、春画はほとんど見られない。その春画のうちでも最も有名なのが、女が巨大な蛸と戯れている図柄だが、その図柄のモデルになった女を、まだ若々しい樋口可南子が演じている。一方北斎は緒形拳が、北斎の娘お栄を田中裕子が演じている。その田中裕子演じるお栄は、夏の厚さに裸で寝ているが、その姿が小娘のように見える。田中裕子はこの時もう二十六歳になっていたはずだ。

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