2019年12月アーカイブ

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「琴高群仙図」は、琴高とその弟子たちにまつわる故事をテーマにした作品。琴高とは、中国の列仙伝に登場する仙人で、つぎのような逸話がある。琴高は趙の人であったが、山奥に住み、多くの弟子を持っていた。ある時弟子たちに向って、これから湖に潜って龍の子をとってくるから、皆は私の帰りを潔斎して待っていなさい、と。弟子たちが言われたとおりにして待っていると、赤い鯉に乗った琴高が水中より現われて、斎場の祠の中に座った。

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オーギュスト・ルノワール(Pierre-Auguste Renoir)は、日本人が最も好きな西洋画家の一人だ。日本人は、西洋画の中でも印象派の画家たちが好きだが、ルノワールはその印象派を代表する画家として受け取られている。たしかにルノワールは印象派の画家としてキャリアを出発したし、また印象派のチャンピオンとしての印象が強いのであるが、自分自身は印象派に括られることに満足しなかった。実際、ルノワールの初期の印象派風の絵と、晩年の絵を比較すると、そこにかなりの相違が認められる。ルノワールは、生涯を通じて、たえず自分からの脱却を試み、新たな画風に挑戦し続けた画家といってよい。その点では、生涯にめまぐるしく画風を変えたピカソに通じるところがある。

「意味の深みへ」所収の小論「意味分節理論と空海」は、真言密教の言語哲学的可能性について論じたものだ。真言密教は、仏教の教派の中でも特異な言語哲学を有している、と井筒俊彦は言う。真言という言葉は「真の言葉」を意味する。その真の言葉が存在を生みだす。真の言葉とは究極的には大日如来のことである。大日如来は言葉として存在する。その大日如来が自己分節した結果我々の日常的な経験世界が生まれる。仏教の常識では、我々の日常的な経験世界は虚妄として、その実在性を否定されるのだが、真言密教においては、それは大日如来が法身説法したものとして実在性を持つ。この世界は大日如来が言葉として顕現したものなのだ。

オウム真理教に取材した「A」や、東日本大震災の状況をリアルタイムで紹介した「311」などで知られるドクメンタリー映画監督森達也の最新作「新聞記者ドキュメント」を、英紙ガーディアンが取り上げて、紹介傍ら論評している。この映画は、最近菅官房長官との対立で話題となっている東京新聞の女性記者望月さんの取材の様子を追ったものだ。その様子を通じて、日本社会における言論の状況が浮かびあがってくると、この記事は解説しているのであるが、それを読むと、小生などは一日本人として、この国の未来に危惧を覚えざるをえない。

エリュクシマコスの提案に基づき各自エロースをたたえる言論を披露することが決まると、ソクラテスがパイドロスを言論レースのトップバッターに指名した。神々の加護のもとにエロースをたたえよというのだ。そこでパイドロスが口火を切った。かれの言論は以下のようなものだ。

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ベルナルド・ベルトルッチの1970年の映画「暗殺の森(Il conformista)」は、一ファシスト党員による反ファシストの大物クアドリ教授夫妻暗殺をテーマにしたものだ。暗殺の舞台はフランスのある森のなかである。ただこれだけのことを二時間近くかけて描いている。多少冗漫といえば冗漫な作品だ。

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「叭叭鳥図」は、雪村の作品で唯一制作年が明らかである。着賛に天文二十四年(1555)九月とある。この年、雪村は満五十歳前後で、もっとも脂ののったときだった。着賛は、鎌倉円覚寺黄梅院の僧景初周隋で、四印同人と号した。かれは本図を、易の卦「泰」にことよせて解釈した。泰の卦は、順風をあらわし、季節としては早春にあたる。この絵はだから、早春のおだやかな季節感をモチーフにしていると考えられる。

「憂い顔の童子」は、「取り替え子」の続編ということになっている。この二作に「さようなら、私の本よ!」を加えたものを大江は「奇妙な二人組」シリーズと銘打っている。奇妙な二人組というのは、第一作では大江の分身古義人と伊丹十三の分身吾良の組合せだと了解されたが、第二作目はかならずしも明瞭ではない。この小説では、吾良の存在感はほとんどないし、また筋書きのうえで古義人と吾良とが切り結ぶところもない。古義人は時折吾良のことを思い出しては、自分の少年時代を回想するくらいだ。なにしろこの小説の中の古義人は、自分が生まれ育った四国の山の中で暮らしていることになっており、勢い自分の少年時代を回想するように動機づけられているといってもよいのだ。

いわゆるIRをめぐる汚職事件が世間を騒がせている。これは自民党の政治家が、日本のIR参入を狙う中国の賭博業者から賄賂を受け取ったという嫌疑である。よくある汚職事件の構図ではあるが、ちょっと見逃せない深刻な部分を含んでいる。この議員がIRの旗振り役として、制度の成立に大きな役割を果たしていたこと、またこの制度のもたらす甘い汁を中国の賭博業者が狙ったということだ。

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最晩年のモネは、睡蓮を巨大な画面に描き、それらを美術館の周囲の壁に展示して、人々がまるで睡蓮に囲まれているような気持ちになれることを望んだ。その望みはかなえられ、モネが描いた巨大な睡蓮は、クレマンソー大統領の計らいで、パリのオランジュリー美術館の壁を飾ることになった。今現在、モネの睡蓮の連作画は、二つの展示室にわけて八点が掲げられている。

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ベルナルド・ベルトルッチ1964年の映画「革命前夜」は、ベルトルッチの自伝的な色彩の強い作品だといわれている。北イタリアのパルマを舞台に、コミュニズムを信奉するブルジョワ(イタリア語でボルゲーゼ)の一青年の悩みのようなものをテーマにしているのだが、その青年がベルトリッチの分身のようなものだというのだ。たしかにベルトルッチはパルマの出身だし、ブルジョワ出のコミュニストでもあった。同時にこの映画は、スタンダールの名作「パルムの僧院」をある程度下敷きにしているという。スタンダールのほうは、すでに忘れてしまったが、主人公の名がファブリツィオ(原作ではファブリス)であったり、その叔母の名がジーナだったりするのは共通している。

先日安倍総理が、インドのモディ首相との間で予定していた首脳会談を中止したが、理由は治安が極度に悪化していることだと伝えられた。治安を悪化させているのは、インド各地で沸き起こっている政府への抗議デモだ。特に首都のニュー・デリーでは、デモの規模は大規模なものになっている。その理由は、モディ政権が進めているヒンドゥ・ナショナリズムというべき政策にある。この政策は、ヒンドゥ教徒を優遇する一方、イスラム教徒を差別するもので、差別された形のイスラム教徒が抗議デモとか暴動騒ぎを引き起こしている形だ。

饗宴読解

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プラトンは、最初のイタリア旅行から帰った40歳頃に、アカデメイアに学園を開き、弟子に教える一方、旺盛な著作活動を始めた。この40歳頃から60歳頃までを、プラトン著作活動の中期と呼ぶのが大方の了解となっている。「饗宴」は、その中期のうちの比較的早い時期に書かれたと思われる。というのも、この著作では、イデア論をはじめ、プラトンの主要思想がそれほど深くは論じられておらず、初期の対話篇を特徴づける倫理的なモチーフが取り上げられる一方、師ソクラテスへの強い尊敬の念が窺われるからである。

東電福島第一原発には汚染水がたまる一方だが、その最終処分についての方針が、政府によって示された。海洋に放出するか、大気に放出するか、その両方を組み合わせるか、この中から選びたいというのである。この案を提示したのは経産省である。小委員会の議論の中では大きな異論は出なかったから、今後この前提に基いて方針を作成し、なるだけ早い時期に実施したいという。だが経産省は、この方針の合理性については、納得できる説明をしていない。過去にそうした前例があるばかりだと言うのみである。それでは国民は納得できないだろうし、まして地元の人たち、とくに漁業の人たちは余計に納得できないだろう。なんのことはない、「放出」という言葉を使って、原子力汚染物質をばらまこうとしている、といふうに受け取るのが自然ではないか。

西ドイツの講和問題は、西ドイツのNATOへの加盟を前提としていたことから、講和が発効すると、さっそく西ドイツの再軍備が課題となった。この点では、戦争の放棄と戦力の不保持を定めた憲法を持つ日本の講和問題とは決定的に異なる。日本は非武装のまま講和をすることになったのだが、ドイツは再軍備を条件に講和を実現したのである。そんなわけであるから、日本がその後、再軍備に熱心でなく、またアメリカに再軍備を迫られても、なるべくそれをサボタージュしようとする動きが見られ、そうした動きのなかで、なし崩し的に再軍備が進んでいったのとは異なり、西ドイツの場合には、本格的な再軍備が進んでいった。

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ミケランジェロ・アントニオーニといえば「愛の不毛」三部作に代表されるような男女の愛の不毛を描き続けたのだが、1982年の映画「ある女の存在証明(Identificazione di una donna)」も、その延長上にある作品だ。妻に逃げられた中年男が、あいた隙間を他の女で埋めようとするが、なかなか思うようにいかない、その理由はどこにあるのか、そんなことを問いかけているような映画である。

アメリカの宗教勢力のうちでも最も規模の大きい福音派は、トランプのコアな支持層として知られている。歴史的にみても、福音派はアメリカの政治に大きな影響を及ぼしてきた。この宗派は、二・三十年ごとに宗教的な高揚を示し、そのたびごとに宗教親和的な大統領の誕生に寄与してきた。ロナルド・レーガンを大統領にしたのもこうした福音派の宗教的感情の高揚だったのであり、その宗教的高揚がトランプを大統領にしたわけなのだった。

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松に鷹は、戦国時代に好まれた画題。鷹の勇猛で精悍な姿が、戦国武士たちの嗜好にかなったからだ。この「松に鷹図」も武将の求めに応じて描いたものだろう。雪村の画法の神髄がよく発揮されている作品である。双福一対からなる。上は左手のもの。松の老幹に、一羽の鷹がこちらに背を向けて止まっているところ。その表情は精悍そのものである。

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20世紀に入るとモネは専らジヴェルニーの自宅の池の睡蓮を描くようになった。その数は膨大なものだ。睡蓮は、季節の移り変わりや、見る角度によってさまざまな表情を見せてくれるので、描き飽きるということがなかったのである。1908年のジェフロワ宛の手紙にモネは次のように書いている。「この仕事に没頭しきっています。これは私のような老いぼれの能力を超えた仕事です。でも私は私が感じていることを表現したいのです」。彼が睡蓮を描き飽きなかった理由の一端がこの文章には示されているようだ。

アラヤ識というのは、唯識派の基本タームで、意識の深層をさす言葉だ。西洋哲学に比較した東洋思想の特徴は、意識の表層部分だけに着目するのではなく、深層部分にも着目することだ。意識というのは、表層のもっと深い部分に別の領域が開いている。これを下意識とか、深層意識とかいうが、それを唯識派の哲学ではアラヤ識という。この言葉を井筒俊彦は、東洋思想に共通する深層意識のあり方を表現した言葉として用いるわけである。この言葉は、東洋哲学を論じる際の、もっとも基本的なタームとして使われる。ひとり唯識派のみならず、東洋哲学全体にとっての、共通タームとしてだ。

元TBSジャーナリストによる強姦事件は、刑事事件としては司法の門前払いにあったが、民事事件としては、「同意なき性行為」が認定されて、倍賞金の支払いを命令する判決が出た。そのことについて小生も、このブログで私見を披露したところだ。小生はこの問題に接して実に不愉快な印象を持ったのだが、その印象は判決後の加害者の言動によっていよいよ強まった。この加害者は、あくまでも「合意の上での性行為」だったといって、被害者をうそつきよばわりしているのである。いったいどういう神経でそんなことを言えるのか、小生には腑に落ちないのだが、どうもこの男は、自分を過大に評価しているようなのである。その過大な自己意識が、このように高圧的な姿勢に通じていると思われるのだ。

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花筐というと、世阿弥の能を想起するが、大林宣彦の2017年の映画「花筐」は、筋書きの上では殆ど関係はない。「殆ど」というのは、映画の一部で、花筐らしい仕舞の一部が披露されるからだ。筋書きの上では、檀一雄の短編小説集に取材しているらしい。こちらは、筆写は未読なので、どこまで原作を生かしているのかは、判断できない。

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「夏冬山水図」のうち冬図は、雪山と川と月をモチーフにしている。画面奥に切り立った雪山があり、月はその背後から上っているところ。ちょうど満月だ。この月があるために、画面に独特の趣が出ている。

「大江健三郎作家自身を語る」と題した本は、大江へのインタビューを編集したものである。インタビューの趣旨は、大江の作家活動五十周年を記念して、作家としての自分の人生を振り返ってもらうというもの。インタビュアーは、読売の記者で、大江のエスコート役をつとめたことがある尾崎真理子。相手が女性ということもあり、またその女性が大江の作品を広く深く読んでいるということもあって、彼女の質問に対して大江は率直に答えるばかりか、質問にないことまで饒舌に語っている。これを読むと、大江健三郎というのは、実に饒舌な作家だとの印象が伝わって来る。もっとも饒舌でなければ、作家は勤まらないのかもしれないが。

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最晩年のモネはもっぱら睡蓮を描いた。かれはジヴェルニーの家に、「水庭」と呼ばれる二つ目の庭園をつくり、そこに日本風の橋のかかった池を掘り、その池に睡蓮を植えたのだったが、睡蓮が成長して見事な眺めを呈するようになると、それを描くのを楽しみにしたものだった。その睡蓮の絵は、1890年代の後半から登場するが、1900年代になると、もっぱら睡蓮ばかり描くようになる。

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「野のなななのか」というタイトルを見た時、何を意味しているのか見当がつかなかった。「なななのか」という劇をもとにしていると聞いて合点がいった。「なななのか」とは、なのかをななつ、つまり四十九日という意味なのだと。その意味するとおり、大林宜彦のこの映画は、ある人生の終わりと、それを受け止める人々の鎮魂の気持をテーマにしている。そしてそれをメーンテーマにしながら、日本の近代史の一コマを描いているのだが、その描き方には多分にアンゲロプロスの作風に通じるものを感じさせる。アンゲロプロスがギリシャの近代史を描いたような感覚で、日本の近代史を描いていると指摘できると思う。

日本では、いわゆる強姦事件が無罪になるケースが多い。多いどころか、ほとんどが無罪になる。それを見こんで始めから告訴をあきらめる被害女性も多い。そんなところから、日本は強姦天国と言われることもある。そんな例は日常的に見せられているところだが、このたび、民事事件とはいえ、強姦が裁判所で認定され、加害者に賠償命令が出されるという事例があった。この判決は、今後の日本における強姦事件への向かい方に多少なりとも影響するのではないか、そう思わされる部分もある。もっともこの判決は、強姦という言葉は使っていない。「合意のない性行為」という言葉を使っている。

弁論の技術すなわち弁論術について、ソクラテスはそれを話すことと書くことにわけて考える。話すにせよ書くにせよ、その内容、つまり話されることと書かれることに違いはないだろうから、分けて考える必要はないようにも思えるが、ソクラテスがそれをわざわざ分けて考えるのは、それなりの理由があってのことだ。それは、話すことは、基本的には一時的なことで、後には形を残さないのに対して、書くことは後に形を残すことだ。書くことは後に書かれたものを残し、それがいつでも読まれる状態となる。ということは、書かれたものには、それ自体に自立した存在意義があるということだ。

大学入試問題が迷走している。先日は入試改革の二本柱といわれた英語の民間試験が中止になったし、続いてもう一本の柱とされた記述式問題の導入も延期になった。その理由は納得できるもので、中止あるいは延期の判断は正しいといえる。もしそのまま強引に実施されていたら、大きな混乱と将来への禍根を残すところだった。

ドイツの講和問題の解決は、日本より遅れて、1955年までかかった。それには、ヨーロッパにおける冷戦の複雑な状況と、ドイツを占領していた四か国の思惑の違いが働いていた。ヨーロッパの冷戦は、東アジアにおけるような熱い戦争にはならなかったが、もし戦争になったら第三次世界大戦に発展し、ヨーロッパはもとより、人類文明の破滅につながりかねない深刻な問題だった。そういう状況の中で、ドイツ全体を対象とした講和条約は、当分非現実的だった。

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大林宣彦は1980年代に尾道を舞台にした映画シリーズ、いわゆる尾道三部作をとった後、1991年にやはり尾道を舞台にした映画「ふたり」をつくった。後に尾道を舞台にした作品を二つ作り、新尾道三部作と銘打った。大林は尾道出身ということもあるが、尾道の町は絵になる風景が広がっているので、繰り返し映画化するだけの動機を与えてくれるということだろう。

桜を見る会をめぐる一連の騒ぎは、この国の政治の劣化を改めて国民に見せつけた。多くの国民は、モリカケ問題がよりスケールを大きくして再現され、しかもよりたちの悪いものになっていることに、ある種の既視感を以て接したのではないか。色々な人がこの問題を論じており、論点は出尽くしたといってよいほどなので、小生が付け加えることはないが、この問題を日本のメディアのあり方に結びつけて論じているものに強い印象を持ったので、それを紹介しておきたい。

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「夏冬山水図」双福は、「風濤図」とだいたい同じころに描かれた。夏図には、深山幽谷の奥をめざす高士とその従者を、冬図には、わが家への道を急ぐ農夫と漁夫が描かれている。どちらも、単に山水を描くにとどまらず、人間の生活をただよわせているわけである。

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モネは、1899年の秋から1901年の初春にかけて三度ロンドンを訪れ、テムズ川の眺めだけを描いた。その数は100点以上に上る。うち37点を「テムズ川の眺めの連作と称して、1904年の6月にデュラン=リュエルの画廊に展示した。

井筒俊彦の小論集「意識の深みへ」の冒頭を飾る「人間存在の現代的状況と東洋哲学」は、グローバル化時代における異文化間のコミュニケーションの可能性について論じている。異文化間のコミュニケーションの問題は、いままでにもなかったわけではないが、それは局所的な問題にとどまっていた。ところがグローバル化が進んだ今日では全地球的な規模で問題となっている。というのも、グローバル化は全世界を巻き込む形で進行し、そこに地球社会とでもいうべき、いまだかつて存在していなかったものが現出するようになった。そういう段階においては、異文化間のコミュニケーションの問題は、全地球規模において生じるようになるわけである。それは、異文化間の差異を解消し、各文化を均一化させる方向へ進む傾向を持つ一方、異文化間に深刻な対立を生むようになる傾向もあわせ持つ。その対立は、全地球を巻き込んだ形で進まざるを得ないから、対立はある種の戦争状態をもたらすであろう。

先日トランプの発した大統領令が物議をかもしている。これはユダヤ人を人種に基づいて定義したもので、人種としてのユダヤ人の保護を目的としたものだと説明されているが、それについてほかならぬユダヤ人コミュニティが強く反発しているのだという。その理由は、この大統領令が、かえって反ユダヤ主義(Anti-Semitism)を煽るというのだ。なぜそうなるのか、小生にはわからぬことが多い。

弁論術の技術的な部分についてソクラテスは、弁論家たちによるさまざまな技法を紹介する一方、自分自身の見解も打ち出す。それには、大きくわけて二つのものがあった。一つはディアレクティケーと総称されるようになる(二つの種類の)手続きであり、もう一つは魂の導き方についての技術である。

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本多猪四郎の戦争映画「太平洋の鷲」は、山本五十六の軍人としての半生を描いたものだ。1953年に公開されたところに、歴史的な意義がある。戦後日本映画界は、米占領政権の検閲方針のもとで、チャンバラ映画や戦争映画の公開を禁止されていた。日本側の立場から日本の戦勝を描くことは固く禁じられていたし、ましてや軍人を讃美するような映画はご法度だった。それが1952年の講和・独立を契機に、解禁となった。この映画はそうした時流に乗って、日本の「偉大な」軍人山本五十六を、正面から取りあげたのである。山本五十六といえば、真珠湾攻撃を成功させた偉大な軍人であり、日本人にとっては、東郷平八郎と並ぶ軍神のような存在だった。戦後敗戦への反省が深まるなかで、無能な軍人ばかりいたおかげで日本は負けたのだというような言説もあったが、そういう中で山本五十六は、唯一といってよいほど、全国民から敬慕される軍人となったのである。

イギリスで総選挙が行われ、ボリス・ジョンソン率いる保守党が、サッチャー時代以来の、地滑り的といってよいほどの勝利を収めた。これで懸案となっていたブレグジットが実現する運びになる。決められないイギリス政治が、やっと決められるようになったと歓迎する向きがある一方、ブレグジットによって生じる混乱を懸念する意見もある。いずれにせよ、ボリス・ジョンソンが勝利したという認識が支配的だが、小生などは、コービンの労働党がオウンゴール的な形で敗北したと見る方がよいのではないかと考えている。なにしろ労働党の負け方は半端ではないのだ。

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「風濤図」は、天文十七年(1548)前後に円熟期を迎えた雪村の代表作。風に騒めく波を超えて進む帆掛け船のけなげな様子を描く。本図を収めた古い箱の表に「山水帆掛け船 雪村筆」と記されていることから、もともとは山水帆掛け船と題されていたことがわかる。「風濤図」という題は、近年つけられたものである。

「二百年の子供」は、児童文学を意識して書いたそうだ。つまり子供を読者に想定して書いたということだが、それにしてはむつかしすぎるのではないか。この小説の文章を読みこなすには、高校生レベルの読解力が必要に思える。なかにはませた子もいるので、そういう子には読解できるだろうが、標準的な子供を前提にすれば、やはり中学生以下にはむつかしいと思える。何しろ大江は、悪文との評判があるくらいで、大の大人が読んでもわかりにくいところの多い作家だ。いわんや子供においてをや、である。

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1892年から翌年にかけて、モネはルーアン大聖堂を描いた一連の作品を制作した。とはいっても、現地で完成させたわけではなく、大まかに描いた後で、1894年にジヴェルニーのアトリエで完成させた。なおモネは、アリスの夫が1891年に死んだことで、その一年後に正式に彼女と結婚していた。

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篠田正弘の映画「少年時代」は、井上陽水の同名の主題歌のほうが有名になったが、映画のほうも悪くはない。原作は藤子不二雄(A)の同名の漫画で、大戦末期に疎開した子供の体験を描いている。その体験は、転校生としていじめにあったとか、仲のよい友達ができたとか、子ども同士の勢力争いに巻き込まれたとか、よくある話ばかりで新味はないが、なんとなく観客をいい気持にさせる魅力がある。

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米誌TIMEが恒例のPerson of the Yearに、今年はスウェーデン人の16歳の少女グレタ・トゥンベリを選出した。彼女は、先日の国連集会の場で、地球の存続のために人類が立ち上がることを訴えて一躍世界の注目を浴びた。だが彼女のそうした活動は、急ごしらえのものだったわけではなく、何年も前から行ってきた活動の集大成だったということだ。つまり彼女は、年少にかかわらず、筋金入りの活動家なのである。その彼女を小生などは、今年のノーベル平和賞にもっともふさわしい人と考えていたが、最近のノーベル財団は、目がきかなくなったと見えて、彼女を選出することはなかった。TIMEが彼女を今年のPerson of the Yearに選出したことは、TIMEの良識を感じさせる。

蝉の声やムウサの女神たちの手前、対話を続けることにしたソクラテスとパイドロスは、何について話したのだったか。それはそもそもパイドロスがこの日の話題としてとりあげた弁論術であった。パイドロスから、リュシアスの弁論術について、範例を示しつつ聞かされたソクラテスは、その欺瞞性を暴露するために、自分自身で相対立した内容の物語を語りつつ、弁論というものの様々な条件について語ったのであったが、いまやそれを体系的に整理することで、弁論の本来のあり方を明らかにしようと思ったようなのだった。

日本の講話問題は、日米安保条約の締結とセットになっていた。日米安保条約は、アメリカによる日本占領を、一部とはいえ継続させることを目的としたものだったが、それには朝鮮戦争を象徴的事態とする東西対立が強く影響していた。アメリカは、この対立を勝ち抜くために日本の基地を必要としていたし、日本も又、共産主義の脅威から身を護るために、アメリカの武力を必要としていた。そうした両者の思惑が一致したところで、日米安保条約と、アメリカを中心とした西側戦勝国との講和条約の締結が成立したのである。

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成瀬巳喜男の1953年の映画「あにいもうと」は、室生犀星の同名の短編小説を映画化したものだが、すでに戦前の1936年に木村壮十四が映画化していた。わずか20年足らずでの再映画化というのは、このテーマが当時の日本人に受けていたということだろう。それにしては、登場人物たちの考え方がかなり古風なので、今見ると時代の流れを強く感じさせられる。

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「百馬図帖」は、雪村が鹿島神宮に奉納したもの。画帳に馬の絵を貼り付けたもので二種類ある。一つは横長の図面を貼り付けたもの、もう一つは縦長の図面を貼り付けたものである。奉納の時期は記されていないので明らかでないが、雪村が小田原に滞在した頃に、北条氏の武運を念じて奉納したと考えられている(鹿島大神宮は武神である)。そうだとすれば、天文17年前後ではないか。

世論調査で定評のあるアメリカの調査機関ピュー・リサーチ・センターが、中国の国家イメージに関する世論調査を世界34か国で実施した。それによれば、中国が嫌いだと答えたアメリカ人は60パーセント、同じく日本人は85パーセントだったそうだ。アメリカの隣国であるカナダでも、67パーセントの人が中国を嫌いだと答え、ヨーロッパ諸国でも中国のイメージは悪かった。スウェーデンは70パーセント、フランスは62パーセントの人が中国に否定的だった。

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モネは1890から翌年にかけて、ジヴェルニーの家の付近にあった畑の積わらを沢山描いた。モネの晩年の画業を飾るものとして、一連の連作があるが、これはその最初のものになった。作品の数は十点以上にのぼる。それぞれ、季節ごとや、日の移り変わりの特徴をよくとらえており、それらを並べて見ることで、全体としての作品のメッセージを読み取れることができるようになっている。

本質とは、西洋哲学の伝統においては、或るものが何であるかという、その何であるかについての定義というふうに考えられている。それは通常、類と種差という形で表明される。たとえば人間については、人間とは理性的な動物である、というふうに。動物が類で、理性的が種差である。本質についてのこの定義は、アリストテレス以来の西洋哲学の大前提になっている。

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この写真は、英紙ガーディアンに載っていたもの。ショッキングな映像が印象的だったので、引用した次第。全裸の男女が重なりあうようにして横たわっている。この人たちはこれを通じて、皮を剥がれた動物をイメージしてもらいたいのだそうだ。そう言われれば、人間の裸体に血のこびりついた様子が、皮を剥がれた動物、たとえば鶏やウサギを連想させる。

これまでの対話を通じてソクラテスは、恋の狂気に駆られた者が、狂気の故に悪いことをするのではなく、むしろ良いことをするのだということを、論証したのであるが、次いで、その恋する者と、彼が恋する愛人との間にどのような関係が成り立つのかについて、例の魂の似姿の比喩を用いながら考察するのだ。その比喩とは、魂は三つの部分からなっていて、そのうち二つは馬で、一つは御者であり、二つの馬のうち一つはすぐれた馬であり、もう一つは悪い馬だということだった。

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1993年公開の映画「まあだだよ」は、内田百閒の晩年を描いた作品である。内田百閒といえば、漱石門下の文人で、戦時中には文学報国会への入会を拒絶するなど、気迫ある男として知られていた。その百閒の生き方に黒澤は共感したのだろう。この映画の百閒の描き方には、人間としての強い共感が込められている。

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「楊柳水郭図」は、中国の画風に倣った初期の作品。江岸の楊柳の陰で、碧水に浮かんだ水郭を描いたこの絵の構図は、伝馬遠作「周茂叔愛蓮図」を基にしていると思われる。構図を借りながらも雪村は、動静と陰影を加え、自分らしさを表現している。

前稿で、「取り替え子」で触れられていたランボーの詩「Adieu」に拙訳を施したところ、同じ小説の中で触れられているオーデンの詩も訳す気になった。これは「Leap Before You Look」という題名の詩で、日本語では「見る前に跳べ」ということになる。この詩を大江は、勇気を鼓舞してくれるものとして引用していたのだが、他の小説のなかでも、もっと本格的な形で取り上げていた。その小説は「見る前に跳べ」というタイトルで、まさにオーデンの詩のタイトルをそのまま用いたのだった。その小説の中でのこの詩の引用のされ方は、何事も見た上でなければ、つまり安心したうえでなければ跳べない日本人の臆病さを揶揄するといったものだった。「取り替え子」のなかには、そうした揶揄の感情はない。年齢の経過が、大江に心境の変化をもたらしたのかもしれない。

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「日傘を持った女」とほぼ同じころ、モネはアリスの娘たちがボートに乗っている絵を何点か描いた。これはその一点。二人の若い女性がボートに乗って、なにやら語らいあっている。その姿勢には、若い女性の屈託のなさが表れている。

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黒沢明の1991年の映画「八月の狂詩曲」は、長崎の原爆災害が一応のモチーフのようなので、狂詩曲というよりはレクイエム(鎮魂曲)といったほうがふさわしいかもしれない。実際この映画の中では、家族を原爆で失った老婆たちが、般若心経を読む場面が度々流される。土地柄、讃美歌を歌わせてもよいところかもしれない。

あらゆる人々の魂は、かつて一度は真実在を見たことがある。何故なら、「人間がものを知る働きは、人呼んで形相(エイドス)というものによって総括された単一なものへと進みゆくことによって、行われなければならないのであるが、しかるにこのことこそ、かつてわれわれの魂が、神の行進について行き、いまわれわれが<ある>と呼んでいる事物を低く見て、真の意味において<ある>ところのもののほうへと頭をもたげるときに目にしたもの、その物を想起することにほかならないのであるから」

日独両国とも、講和条約締結と主権の回復には、冷戦が強く影響した。冷戦で世界が東西に分かれてにらみ合うという状況の中で、両国ともに西側諸国だけとの講和という形をとった。その結果、日本の場合にはアメリカへの依存・従属を深め、ドイツは国の分裂という事態に見舞われることとなった。

夢:黒沢明

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黒沢明の1990年の映画「夢」は、日米合作ということになっているが、それは資金の上のことで、中身は純粋な日本映画である。日本ではなかなか映画作りをできなくなった晩年の黒澤に、ハリウッドのワーナーが資金援助して、黒澤の好きなように映画を作らせてやったということらしい。

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「辛螺に蘭図」は、落款に「中居斎雪村老翁筆」とあるところから、雪村四十歳頃の作品と考えられる。当時は齢四十をもって老人と称するのが普通だったからだ。モチーフは、辛螺の貝殻に植えられた蘭の花。辛螺は田螺に形の似た巻貝で、そんなに大きくはない。そこに欄を植えるというのだから、小さな種類の蘭なのだろう。

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1883年、モネはオシュデの妻アリスとその子供たちとともにジヴェルニーに移り住んだ。ジヴェルニーはモネの最後に落ち着いた土地である。後年その土地に立派な家を建てたモネは、アリスと正式に結婚し、睡蓮の花を描きながら、幸福な晩年を送るようになる。

これまで、本質実在論の諸タイプについて見て来たが、その本質実在論の対極にあるのが禅である。禅は二つの点で、本質実在論とするどく対立する。禅はまず、本質そのものを認めない。本質の実在どころか、その意義そのものを否定するのである。禅はまた、神の存在を認めない。というか神の問題を回避する。これは禅が仏教の一つの流派であり、したがって宗教であるらしいことを考えると、奇異なことのように思えるが、そもそも原始仏教というものは、神を問題とはしていなかった。原始仏教の問題意識は、輪廻から超脱して存在することをやめることであった。存在することをやめれば、あらゆる煩悩から解放されるからだ。仏教というのはしたがって、自力で以て煩悩から解放されることを目的としており、そこに神が介在する必要はなかった。その原始仏教の問題意識を、禅はもっとも純粋な形で受け継いでいるのである。

北朝鮮外務省の日本担当副局長なる人物が、日本の安倍総理に言及して、雀の電脳水準以下だと罵倒したそうだ。これは朝鮮中央通信を通じて発表した談話のなかで出てきた言葉で、安倍総理が北朝鮮の発射した超大型放射砲を弾道ミサイルと取り違えたことを馬鹿にしたもの。この人物はご丁寧にも、北朝鮮は近いうちに本物の弾道ミサイルを発射するつもりだから、弾道ミサイルがどういうものか、よく見ろとも言ったそうだ。また、「安倍は本当にどれ一つ不足がない完ぺきな馬鹿であり、二つとない希代の政治小人だ」とも言ったそうだ。

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デレク・ジャーマンがAIDSで死んだのは1994年2月だが、その前年に最後の作品「BLUE」を作った。一応映画ということになっているが、普通の意味での映画ではない。映画とは、活動写真から始まった歴史が示すとおり、映像が不可欠の要素と考えられて来た。ところがこの作品には、一切の映像がない。あるのは、ブルー一色に染まった画面だけだ。その画面の背後から、あるいは手前から、男のつぶやきが聞こえて来る。そのつぶやきとは、おそらくジャーマンその人の声なのだろう。

ソクラテスは魂の似姿を、神と人間とに共通したものとして捉える。ただ完成度の違いがあるだけだ。神の魂の似姿は完成されているので、二頭の馬はいづれも御者の言うことを聞き、スムーズな動きをする。それに対して人間の魂の似姿は不完全なので、二頭の馬のうち一頭は御者の言うことをきかず、そのためにスムーズな動きが出来ないのだ。これら魂の似姿は、折に触れてこの世界の外側に出て、そこで真実の世界を見る。そのさまをソクラテスは次のように描写する。

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