2020年2月アーカイブ

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竹をモチーフにしたこの一双の屏風絵は、題名にもあるとおり「竹」を通じて雨や風を描いている。その雨やら風は、表面上は目に見えないが、竹の動きを通じて伝わってくるように描かれている。その描き方から見て、左隻が雨、右隻が風を描いていることがわかる。

大江健三郎が、エドガー・ポーの詩「アナベル・リー」を自分の小説の中に取り込んだのは、小説の語り手つまり大江自身が、この詩に特別の思い入れを持っていたからというふうに書かれているが、またこの詩のイメージが、少女への偏愛というかロリータ・コンプレックスのようなものを、多少とも感じさせるからであろう。というのも、この小説の女性主人公であるサクラさんは、あるGIによって変態的な愛情を注がれていたのであるが、その愛情の注ぎ方がロリータ・コンプレックスを感じさせる一方、エドガー・ポーのアナベル・リーへの愛を感じさせないでもないからだ。

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ルノワールはイタリア旅行から戻ると、古典主義を意識した大作の制作に取り掛かり、翌1883年の春に完成させた。縦長の画面の三部作で、いずれもダンスのヴァリエーションを描いていた。一つは「ブージヴァルのダンス(La danse a Boujival)」といい、残りの二つは「田舎のダンス(La danse a la campagne)」と「都会のダンス(La danse a la ville)」のペアだった。これらの絵には、イタリアで研究したラファエロの最初の影響が見られる。

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深作欣二の1982年の映画「道頓堀川」は、宮本輝の同名の小説の映画化。大阪道頓堀界隈に暮らす人々の人生模様というか、生きざまのようなものを描いたものだ。ドラマチックな筋書きはない。鰥寡孤独の身で、アルバイトをしながら美術学校に通う青年(真田真之)と、偶然かれと出会ったことでやがて恋に落ちてゆく女(松坂慶子)を中心にして、真田が住み込みアルバイトをしている喫茶店の主人(山崎務)とその出来損ないの倅で、真田とは高校の同窓生だったという青年(佐藤浩市)がからんで、それぞれの人生模様が紡ぎ出されてゆくというような演出になっている。

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能「烏帽子折」は宮増の作品である。宮増には分らないことが多い。個人ではなく集団の名だという説もある。ほかに「鞍馬天狗」や「大江山」など多くの作品が残っており、いずれも演劇的な構成を特徴としている。この「烏帽子折」も同様で、台詞を中心にして演劇的な展開を持ち味にした作品だ。

ソクラテスがテオドロスを相手に行った議論は、その趣旨からいえば、テアイテトスを相手にしたものと変わらなかった。つまりプロタゴラスの説とヘラクレイトスの説を反駁することなのである。なぜ、蒸し返しともいうべきことをソクラテスがあえてしたかというと、この二者の説が、知識は感覚に他ならないとする主張を裏付けるものと判断したからだろう。ソクラテス自身が、この議論の終わり近くでそのように述べている。プロタゴラスの、人間は万物の尺度であるという説は、個々の人間が自分の知覚=感覚するものこそ知識の源泉だとするものであるし、ヘラクレイトスの運動実有説は、万物が動いていることを直接的に知るものは感覚であると主張している。だからこの二者の説を反駁すれば、知識は感覚であるという主張への打撃になるだろう、とソクラテスは考えるのである。

エドワード・W・サイードは、アメリカに居住するパレスチナ難民を自称し、パレスチナ人のために発言を続けた数少ない知識人だった。なにしろ、サイードも言うとおり、パレスチナ人といえばテロリストと決めつけられるくらい、国際的に評判が悪かった。そのパレスチナ人を擁護するサイードの発言は、ユダヤ人の影響力の強いアメリカはもとより、世界的な規模でも孤軍奮闘の観を呈していた。それでもサイードはめげることなく、パレスチナ人の立場に立った発言を続けた。1986年の著作「パルスチナとは何か」もそうしたパレスチナ擁護の目的で書いたものだ。

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深作欣二の1976年の映画「やくざの墓場 くちなしの花」は、映画はさることながら、主演俳優渡哲也の歌った主題歌「くちなしの花」のほうが、圧倒的に有名だろう。いまだに歌われている。この主題歌は映画の中では、エンディングのところで一コーラスが歌われるだけで、目立った扱いはされていないのだが、それ自体が独立した歌謡曲として、大ヒットしたものだ。

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先日(2020年2月23日)のNHKの古典芸能番組が、狂言「居杭」と能「烏帽子折」を放送した。どちらも一家三代が共演するという趣向で、狂言のほうは大蔵流宗家の大倉彌右衛門一家が、能のほうは観世流武田志房一家が出演していた。まず狂言のほうから紹介しよう。

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「藤花図屏風」は応挙の代表作と言ってよい作品。藤の花を写実的に描いていながら、単純な写実にとどまらない。対象を大胆に省略しながら、対象の持つ本質的な形象を浮かび上がらせるように描いている。

新型コロナウィルスの蔓延が収まらない状況の中で、東京オリンピックの開催を危ぶむ意見が世界中で出始めた。なかにはオリンピックの中止あるいは他都市での開催を真剣に論じるものまである。もっとも日本国内では、そういう意見は、有力メディアではほとんど報じられていない。そんなことをしたら、せっかく盛り上がっているオリンピック気分に水を差すことになるし、安倍政権に憎まれること請け合いだからだろう。

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ルノワールは1882年に初めての海外旅行をした。まず2月に北アフリカに行き、10月にはイタリアに行った。イタリアに行った目的は、ラファエロの作品を見ることだった。それまでの印象派的な画風にいきづまりを感じていたルノワールは、ラファエロから転換のためのインスピレーションを得たいと思ったのだった。

井筒俊彦の論文集「コスモスとアンチコスモス」のうち、同じタイトルを冠した小論「コスモスとアンチコスモス」は、コスモスとカオスの対立について論じたものである。コスモスというのは、井筒の定義によれば、「有意味的存在秩序」を意味する。有意味的存在秩序というのは、世界を存在者の意味のある秩序としてとらえることを意味している。世界の無数の存在が、それらの意味単位が、「一つの調和ある全体の中に配置され構造的に組みこまれることによって成立する存在秩序、それを『コスモス』と呼ぶのである」、と井筒はいうのである。どの民族にもそれ固有のコスモスがある。このコスモスがあるおかげで、当該コスモスの中に生きている人々は安心して生きることができる。これに対してカオスとは、そうした秩序が全くない混沌として受け取られて来た。その混沌は、とりあえずは、コスモスが成立する以前の状態をさすのが普通だった。というか歴史的な事実だった。世界は混沌から秩序へ、カオスからコスモスへ向かって進む、というのが、どの民族においても、歴史的な(あるいは神話的な)趨勢だったわけだ。

プロタゴラスやヘラクレイトスの説を前提とすればどのような帰結が生まれるか、それをソクラテスはあらためて確認する。プロタゴラスによれば、あらゆるものの尺度は人間であるということになるが、その人間とは個々の人間をさすから、個人の数ほど真理があるということになる。あらゆる個人は、自分を尺度として世界を解釈するのであるから、個人ごとに真理の内容は違ってさしつかえないということになるからだ。一方、ヘラクレイトスによれば、あらゆるものは動のうちにあり、静はないのだから、あるということはなく、なりゆくということだけがある、ということになる。しかし、プロタゴラスとヘラクレイトスの説についてのこうした解釈が、知識は感覚であるという主張とどういうかかわりがあるのか。そこをソクラテスはあいまいにしたままのように聞こえる。

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山下耕二は東映やくざ映画を代表する監督で、「山口組三代目」など実録物を多く作った。1975年の作品「日本暴力列島京阪神殺しの軍団」は、彼の代表作だ。映画の冒頭でフィクションと断っているが、それは方便で、実際には山口組の全国制覇の一幕を描いている。この映画には、日活の人気俳優だった小林明が、主演のやくざとして出演して話題となった。

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「寒菊水禽図」と題したこの絵は、「飛雁芙蓉図」と夏冬一対をなすもの。冬の冷たい氷の上を遊ぶ水禽を描いている。応挙四十一歳の時の作品である。

「美しいアナベル・リイ」というタイトルは、エドガー・ポーの詩「アナベル・リイ」からとったものだ。大江は当初この小説に「臈たしアナベル・リイ 総毛立ちつ身まかりつ」というタイトルをつけたのだったが、後に文庫化する際に「美しいアナベル・リイ」に替えた。「臈たし」云々は、日夏耿之介の訳語だが、いかにも時代がかっていて、今の日本には場違いと思ったのだろう。

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19世紀の末に流行したジャポニズム趣味に、ルノワールはあまりかぶれはしなかった。ゴッホやマネなど多くの画家が、作品の中でジャポニズム趣味を発散させているのに対して、ルノワールにはジャポニズムを感じさせるものは、ほんの少ししかない。「うちわを持つ女(Jeune fille au ventilateur)」と題されたこの絵は、その代表的なものだ。

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加藤泰はいわゆる任侠映画が得意で「緋牡丹博徒シリーズ」などを作っているが、1967年の作品「男の顔は履歴書」は一風変った任侠映画だ。これを任侠映画といえるのかどうか異論があるかもしれないが、一応義理と人情の板挟みになった主人公が、やくざ者を相手に大暴れするという点では、任侠映画の延長上の作品といってよいのではないか。

標記の言葉は実刑五年の判決を受けて、籠池泰典が発した言葉だ。籠池がこのように言う気持ちはわからないでもない。世間を大騒がせしたいわゆる森友問題では、不可解なことがあまりにも多く、また籠池一人の問題には止まらないところを、籠池一人がすべての責任を負わされて有罪判決を受けたと思われないでもないからだ。籠池は今回の判決を、安倍総理に反逆したことへのしっぺ返しとして感じたようだ。

産婆術の比喩を述べた後ソクラテスは、いよいよ本題に入っていく。それも単刀直入に。つまりソクラテスは、「何がそもそも知識であるか試みに言ってみたまえ」と、テアイテトスにいきなり問いをぶつけるのだ。すでに産婆術の比喩によって、自分の腹のなかにあるべきものに自覚的になっていたテアイテトスは、このソクラテスの問いに対して率直に答える。「何かを知識している人というものは、知識しているそのものを感覚(感受)しているものなのです。すなわち、何はともあれ今あらわれているところでは、知識は感覚にほかなりません」と。これに対してソクラテスは、議論のとっかかりが出来たことに満足し、そのうえで、「それが正に純正なものか、それとも虚妄のものか、一緒によく見てみようではないか」と言う。こうしてソクラテスによる、テアイテトスを相手にした産婆術の実践、すなわち思想の出産へ向けての試みが始まるのである。

加藤典洋の「敗戦後論」は、日本の戦争責任を論じたもので、発表当時左右両派から厳しい批判を巻き起こし、大きな論争に発展した。その論争を筆者は知らなかったので、何とも言えないが、今からこの本を読みながら思うのは、1995年という戦後半世紀たった時点でもそんな論争が起ったことに滑稽さを感じながら、その滑稽な状況が今なお続いているということだ。加藤は先日死んでしまったが、かれが生きている間には、かれの投げかけた問題意識に応えられるようななりゆきには、ならなかったし、この国は今後もそうはならないのではないかと、ちょっと思ったりもする。

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篠田正浩の1975年の映画「桜の森の満開の下」は、坂口安吾の同名の短編小説を映画化したものだ。原作は、無頼派作家とよばれた坂口の代表作というべきもので、桜の妖気に取りつかれた人間の魔性のようなものをモチーフにしている。短編小説ながら物語展開に劇的な要素があって、映画化にはなじむ。それを篠田は映画化したわけだが、一部脚色をまじえながらも、ほぼ原作に忠実な演出といってよい。

アメリカでは目下インフルエンザが猛威を振るっている。すでに2600万人が感染し、1万4000人以上の死者が出ているという。中国のコロナ・ヴィルスが大騒ぎを引き起こしているところだが、災厄の規模という点では、こちらのほうが桁違いに大きい。

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雲竜図屏風は京都の東寺観智院に伝来していたもので、灌頂の儀式に用いられていたという。水の儀式でもある灌頂の儀式には、水の王者である龍ほどふさわしいものはないということであろう。

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「テラスにて(Sur la terrasse)」と題されたこの作品も、レストラン・フルネーズのテラスを舞台にしたものだ。「舟遊びする人々の昼食」と同じ頃描かれたのであろう。「舟遊び」ではあまりはっきりとは描かれていなかったセーヌ川が、この作品では背景として大きく描かれている。

井筒俊彦の著書「コスモスとアンチコスモス」の第二論文「創造不断」は、道元の時間論をテーマとする。道元の時間論といっても、道元だけに特有の時間論ではない。道元を含めた東洋思想に共通する時間論の特徴を明らかにしようとするものだ。東洋的な時間論の特徴を井筒は、時間を切れ目なく連続した流れとしてではなく、瞬間ごとに断続していると見るところに求める。西洋では、絶対時間といって、事物の存在とは別に純粋な時間の流れがあって、それが絶え間なく続いて行くと見るわけだが、東洋の時間意識はそれとは真逆で、純粋な時間というものはなく、時間と事物の存在は別物ではない、と見る。そしてその時間は、連続して流れていくものではなく、瞬間ごとに新たに生み出されるのだと考える。そうした時間についての考えを井筒は、イブヌ・ル・アラビーの「創造不断」の概念に代表させ、その概念を用いて道元の時間論を考究するのである。

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ルキノ・ヴィスコンティの1974年の映画「家族の肖像(Gruppo di famiglia in un interno)」は、ある引退教授と奇妙な人々との触れ合いを描いた作品だ。バート・ランカスターが演じるこの引退教授はローマの高級マンションに一人暮らししているのだが、そこへ奇妙な人々が入りこんできて、老教授の静寂な生活を乱す。老教授は、初めは迷惑を感じるのだが、いつのまにか彼らが好きになる、という筋書きである。映画はこの老教授のマンションの部屋を舞台に展開する。野外の場面は一切ない。ただ老教授の部屋のバルコニーから、ちらりと垣間見られるだけである。部屋の内部を舞台にした映画としては、ヒッチコックの「ロープ」とか、コクトーの「恐るべき親たち」があるが、この映画はそれら先行作品に劣らぬ出来栄えである。日本で上映された際には大ヒットになった。

ソクラテスはテアイテトスに向かっていう。君のことをこのテオドロスがたいそう褒めているが、君が果たしてその通り素晴らしい少年なのか、確かめさせてくれたまえ、どうか期待を裏切らないでほしい、といった具合の言葉だ。するとテアイテトスは、テオドロスのいったことは冗談かもしれませんと謙遜しながら、ソクラテスの問いかけに真面目に答えていくのだ。

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「牡丹孔雀図」も三井寺円満院の祐常門主の依頼で描いた。応挙は農民出身で、主流派の狩野派にも属さなかったが、比較的若い頃から名声が高かった。その背景には、天皇家に連なる祐常門主や豪商三井家の保護があった。

大江健三郎には、自分は戦後民主主義の担い手だという自覚があって、民主主義がきらいな人たちを嫌悪していた。そうした嫌悪は、たとえば石原慎太郎のような反民主主義的な国家主義者を「あし(悪)はら」と呼んだり、江藤淳を「う(迂)とう」と呼んだりするところにあらわれている。ところが三島由紀夫に対しては、無論基本的には嫌悪しているようだが、評価しているところもある。その評価の部分を含めた自分の三島評を、大江は「さようなら、私の本よ!」の中で、披露している。

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1879年頃から、ルノワールは再びセーヌ河畔を訪れ、舟遊びする人々を描くようになった。「舟遊びする人々の昼食(Le déjeuner des canotiers)」と題したこの作品は、代表的なもの。パリ近郊のシャトゥーにある島のレストラン、フルネーズを舞台にして、そこのテラスで昼食をとる人々を描いている。

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ルキノ・ヴィスコンティの1972年の映画「ルードヴィヒ」は、数奇な行動で知られるバイエルン王ルードヴィヒの、即位から死までのほぼ生涯を描いたものである。ほとんどドラマ性はないと言ってよい。一人の王の生涯を淡々と描きだしている。そのせいかやたらに長い。オリジナルテープは四時間もあった。それを劇場公開用に三時間に短縮したのだが、それでも長い。小生はDVD用に復元されたオリジナル版を見たのだが、そんなに長くは感じなかった。そこはやはり映画作りの名人ヴィスコンティのこと。観客を飽きさせないように作ってある。

野球賭博でMLBを永久追放されたピート・ローズについて、トランプが名誉回復のうえ殿堂入りさせるべきだと主張しているというので、アメリカではちょっとした騒ぎになっているそうだ。アメリカではスポーツ選手に高いモラルを求める風潮があり、トランプの主張が通るかどうか、かなり悲観的といってよいようだ。

プラトンの対話篇「テアイテトス」は、プラトン中期の作品群の最後近くに位置するものと考えられる。この対話篇はテアイテトスを記念するかたちで書かれているのだが、テアイテトスが死んだのは紀元前369年であり、その年プラトンは60歳近くになっていたのである。また専門家の鑑定によれば、この対話篇の文体はプラトン後期の作品と共通するところが多いという。そんなことからこの作品は、プラトンの著作活動の中期から後期へと移行する過程に位置するものと考えられるのである。

前稿でイアン・ブルマに触れながら、先の戦争への向かい方をめぐる日本人とドイツ人の共通点と相違点について言及した。ここでは小生なりに、日独両国人の共通点と相違点を述べてみたい。まず、共通点であるが、両国人ともこの戦争の時期を本来の国のあり方から逸脱した時代だったと捉えていることだ。中には、極端な言い分もあって、この時代を賛美する者もいるが、それは例外あるいは少数派であって、ほとんど大部分はこの時代を、本来の国のあり方から逸脱した異様な時代として、マイナスに捉えていると言ってよい。

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ルキノ・ヴィスコンティの1969年の映画「地獄に堕ちた勇者ども(The damned)」は、ハリウッドのワーナーの金で作った映画で、オリジナルは英語である。俳優もダーク・ボガードやイングリッド・チューリンはじめ、ハリウッド俳優だ。テーマは、ナチス台頭時期における、大財閥内の権力争い。財閥は、鉄鋼界のクルップをモデルにしていると言われるが、事実とはかなり異なった脚色をしている。というのも、ナチス台頭期にクルップを率いていたグスターフは、ナチスに協力して戦後まで生き残り、ニュルンバルグ裁判でも戦犯指名されているが、映画のなかでは、権力を狙うものたちによって殺害されたことになっている。もっとも、クルップという名は出てこないし、一応架空の話というような扱いになっているのだが、しかしドイツの歴史を知っている者にとっては、そういう扱いはある程度の違和感を持たされるところだろう。

IMFがこのたび公表した日本経済についての年次審査報告なるものの中で、日本の消費税を20パーセントに上げるように提言した。これは長期目標であって、とりあえずは2030年までに15パーセントに引き上げ、2050年までに20パーセントに引き上げるのが望ましいとしている。我々日本人としては、いらぬお世話と言いたいところだが、IMFなりに真面目な提言ということらしい。

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七難七福図は、三井寺裕常門主の依頼を受けて描いたもので、任王経にもとづき人の七難七福のありさまをイメージ化したものだ。全三巻からなり、それぞれ天災、人災、福をテーマにしている。三巻とも優劣つけがたいが、福の巻がもっとものびのびとした筆づかいとの定評がある。

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「シャルパンティエ夫人と子どもたち」が成功したおかげで、ルノワールには裕福な人々からの、子供たちの肖像画を描いて欲しいという注文がくるようになった。そうした注文仕事は結構な金をもたらしたので、ルノワールは自分の主義に反しない程度に引き受けた。「イレーヌ・カーン・ダンヴェール(Portrait de Mademoiselle Irene Cahen d'Anvers)」と題したこの肖像画は、ルノワールの子どもの肖像画の中の傑作である。

井筒俊彦の論文「事事無礙・理理無礙」の後半は、イスラーム神秘主義の思想家イブヌ・ル・アラビーの存在論(「存在一性論」という)を取り上げる。それも華厳哲学のタームを用いて、イスラーム神秘主義の特徴を解明しようというのである。それを単純化していうと、華厳哲学の四種法界をベースにして、それにイスラーム神秘主義特有のものとして、「理理無礙」を加えるということになる。

以上で魂の不死・不滅についてのソクラテスの証明は終った。この証明を、21世紀の日本人である小生はなかなか受け入れがたいのであるが、紀元前399年にソクラテスの死に立ちあったギリシャ人たちは、納得した様子である。その彼らに向かってソクラテスは最後に、自分の魂が肉体を離れたあと、どのようになるのかについて語り掛ける。それは当時のギリシャ人の抱いていた神話的な考えのように聞こえる。この神話をソクラテスは、後に「パイドロス」の中で詳細に展開して見せるのだが、ここではそのさわりというべきものが語られる。

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ルキノ・ヴィスコンティの1960年の映画「若者のすべて(Rocco e i suoi fratelli)」は、イタリアのいわゆる南北格差をテーマにしている。豊かな北にあこがれて南部の貧しい地域からミラノにやってきた家族が、必死に生きるところを描いている。その中で感動的な家族愛と、一人の女をめぐる兄弟同士の相克がサブプロットとして差し挟まれる。三時間に及ぶ大作だが、筋の進行によどみがなく、観客を飽きさせない。そういう点では傑作といってよい。

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円山応挙といえば写生画といわれるほど写実的な絵が売り物だったが、初期には伝統的な技術に乗っかった絵を描いていた。それらの絵には、構図や色彩配置に、日本画独特の特徴を見て取ることができる。しかし応挙は単に伝統を受け継ぐことでは満足しなかった。そこに自分独特のものを追加し、新鮮な図柄を想像することをめざしていた。

大江健三郎といえば、初期の短編小説以来、暴力とセックスに大きくこだわってきた作家だ。代表作である「万延元年のフットボール」や「同時代ゲーム」は、この二つの要素が見事に融合して、たぐいまれな世界を現出させていたものだ。ところが、彼自身が「レイトワーク」と呼ぶ晩年の連作「おかしな二人組」シリーズになると、暴力はともかく、セックス描写がほとんど、あるいは全くなくなる。二作目の「憂い顔の天使」では、ついでのようにセックスが言及されることはあっても、正面から描かれることはないし、「さようなら、私の本よ!」では、セックスという言葉も出てこない。セックスレス化が進んでいるのである。

アメリカ上院によるトランプ弾劾裁判は、トランプへの無罪判決を出してあっけなく終了した。トランプはこれで自分の無実が証明されたといって胸を張っているが、ことはそう簡単なものではない。アメリカでは、裁判でクロがシロになること、つまり有罪があきらかなケースが無罪になることはよくあることで、これもその一例といえるのかもしれない。つまり、法形式的には無罪を勝ち取ったからと言って、不正を働いたという事実は消えないわけで、トランプには胸を張る資格はないといってよい。

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ルノワールのアトリエ近くには、フェルナンド・サーカスがロシュシュアール大通りに面して興行していた。そこにルノワールはたびたび足を運んだが、それは画家仲間ドガの影響だったといわれている。ドガは、サーカスや劇場での風俗的な光景を好んで画題に選んだ。

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2013年のイタリア映画「ローマ環状線、めぐりゆく人生たち(Sacro GRA)は、ローマ環状線の周辺で暮らす人々の日常を描いたドキュメンタリー映画である。ローマ環状線というのは、その名の通りローマ市街の外郭を環状に通る高速道路のこと。地図で見るとローマの町をすっぽり包み込むようにして通っている。市街に接するところもあれば、田園地帯の只中といったところもある。この映画を見ると、そうした田園地帯を走る場面も出て来るので、単なる都市高速というのでもなさそうだ。

民主党の大統領候補Pete Buttigiegのことを、小生は先日のこのブログでブッティジェグと標記したが、その後YouTubeなどで、ブティジェッジと発音されるということを知った。そのブティジェッジが、アイオワで開かれた全米最初の党員投票で、一躍フロント・ランナーに躍り出た。戦前の予想を覆すサプライズとして受け取られているようだが、老人ばかりがどんぐりの背比べをしていた状況が、これで大きく変わる可能性がある。もしかしたらトランプに勝てる候補になるかもしれない。

ソクラテスがアナクサゴラスに失望したワケは、アナクサゴラスが世界の究極原因としてのヌースを折角思いついたにも拘わらず、実際に世界における物事の原因を説明する段になると、他の自然学者と異ならない態度をとったことにあった。ソクラテスとしては、ヌースを究極原因として、それに基づいて世界の生成と消滅を説明して欲しかったわけだ。ヌースを説明原理とするといっても、単にむき出しのままのヌースでは能がない。ヌースつまり精神の産物であるような原理、そういうものが説明原理としてふさわしい。ソクラテスにとって、そのような原理とはイデアにほかならなかった。イデアはソクラテスによれば、自己同一的でしかも永遠に亡びない。もし魂がこのイデアと同じようなものであれば、魂の不死・不滅を証明できることになる。

オランダ出身のジャーナリスト、イアン・ブルマの著書「戦争の記憶・日本人とドイツ人」は、日本人とドイツ人の戦争への向き合い方について考察したものである。ジャーナリストらしく、インタビューを介して基本情報を収集し、その情報に基づいて、戦後の日本人とドイツ人が、先の戦争についてどのように考えているかを追求したものである。その結果ブルマがたどりついた確信は、日本とドイツでは相違点も多いが、共通点も多かったということだ。だが、ブルマは、あとがきの中で書いている通り、自分のこの本を以てしても、日本人は理解不能な特別な人種だという欧米人の偏見が正されなかったことを嘆いている。とはいえ、日本人の小生がこの本を読んでも、日本人の特異性を感じさせられないではいられない。その点、ドイツ人はヨーロッパ人種の一員として、人間としてノーマルなところのある人種だというような仮定が伝わって来る。そのあたりは、ドイツ人が自分たちの犯した罪に自覚的なのに対して、日本人が、政治リーダーを含めて無自覚的なことに対して、ブルマが強い違和感を覚えることによるのだろう。

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ルイス・ブニュエルは、フランスのブルジョワジーの背徳的な生き方を皮肉たっぷりに描くのが好きだったが、この「自由と幻想(Le Fantôme de la liberté)」という作品では、背徳性にプラスして欺瞞性まで描き出した。フランス人というのは実に欺瞞的な生き物であり、彼らにあっては、真実は欺瞞に内在するという格言が至上の価値を持つ。そんなフランス人の欺瞞性を見せつけられたら、当のフランス人をはじめ世界中の人間は、それをどう受け取ってよいやら途方にくれるに違いない。

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(ベテルギウスのイメージ図 ESOより)

オリオン座のα星ベテルギウスに異変が起きているというので話題になっている。昨年の秋ごろから明るさが弱くなり(つまり暗くなり)、すでにα星の資格を失って、β星のランクになってしまったという。この星はもともと変光星といって、明るくなったり暗くなったりを繰り返してきたのだが、今回はかなり様子が異なっている。どうも、星がその生涯を終え、超新星爆発に近づいているのではないかと推測されるのだ。

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十八世紀の後半、徳川時代の半ば頃に、日本画は円熟期を迎える。伊藤若冲、曽我蕭白、池大雅、与謝蕪村といった画家たちが輩出し、それぞれ独特の境地を開拓して、人々の支持を得た。そのなかで円山応挙は、写生を重んじ、写実的な絵を描いた。円山応挙が出ることによって、写生画への関心が一気に高まったのである。

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ルノワールは、第三回目の印象派展を最後に、セザンヌやシスレーとともに、印象派展への出典を取りやめ、再びサロンに出展するようになった。当時の取り決めで、両方とも出展するわけにはいかなかったのである。そのサロンには、1879年に「シャルパンティ夫人と子どもたち(Madame Georges Charpentier et ses enfants)」を出展して、みごと入選した。それが彼に、画家としての名声と、将来への見通しをもたらした。ルノワールは、あのやかましかった美術批評家たちの支持を取り付けたのである。

井筒俊彦の著作「コスモスとアンチコスモス」の冒頭を飾る論文「事事無礙、理理無礙」は、華厳哲学及びイスラーム神秘主義の存在論を通して、東洋的な存在論の(西洋に比しての)基本的な特徴について考察したものである。事事無礙は華厳哲学の、理理無礙はイスラーム神秘主義者イブヌ・ル・アラビーの、それぞれの存在論を規定する中核的な概念である。それらを詳しく検討することで、東洋的なものの見方・考え方が、とくに存在のそれについて、明瞭に浮かび上がってくると井筒は考えるのである。

2020年の1月31日を以て、イギリスのEU離脱すなわちブレグジットが決定した。今後一年近い移行期間を経て、来年の始めから本格的な離脱が実現する。これについては様々な意見があるが、小生にもそれなりの考えがあるので、それをここで披露しておきたい。

以上でソクラテスは、魂は合成されたものではなく、不可分で単一の形相をもつものであり、常に自己自身と同一であることを理由にして、魂の不死・不滅を証明したつもりになっていた。ソクラテスの定義によれば、亡びる、つまり死ぬとは、散り散りになって消え去ってしまうことを意味するから、散り散りにならないことを証明すれば、不死であることを証明したことになるからだ。ところがその説明に、ケベスとシミアスは納得しないようなのだ。しかし死にゆくソクラテスを前にしては、その疑問を率直に言えない。そこでもじもじしていると、ソクラテスは遠慮せずに疑問をぶつけたまえと言う。君たちが私に遠慮しているのは、私が死を前にして悲しんでいると思っているからだろう、そんな遠慮は無用だ、私は、悲しむどころか陽気な気持ちでいるのだ、と。

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阪本順治の2012年の映画「北のカナリアたち」は、ミステリー仕立ての人情劇といったところか。北海道の離島を舞台に、かつてそこで学んでいた六人の子どもたちと教師とが、二十年ぶりに再会し、一旦は失われた人間同士の触れ合いを取り戻すというような趣向だ。それだけだとただのお涙頂戴映画になってしまうので、そこにミステリーの要素をからめてある。そのミステリーを、主演の吉永小百合が心憎く演じる。彼女のおかげで、観客は一杯喰わされたかたちになるのだが、なにせそれを演じているのが吉永小百合とあって、化かされたと言って憤慨するわけにもゆかないのである。

毎年の恒例にしたがい、今年も新宿西口の居酒屋であひるの新年会を催した。寒風吹きすさぶ中会場に赴くと、すでにしずちゃんあひるとミーさんあひるが席についていた。簡単な挨拶をして部屋に入ろうとするとしずちゃんあひるに制止された。あなた中国には行ってませんか、と言うのだ。いや、行ってませんよと答えると、では中にどうぞという。いま中国で大流行の新型肺炎を心配しているのだ。その心配は家人もしていて、小生が家を出る時には大きなマスクを二枚も持たされたほどだ。

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「竹林に猿蟹図」は、雪村の最晩年、三春時代の作だろう。真竹の林の中で、蟹をつかまえよとする猿たちを描いている。蟹は藻屑蟹と思われる、それを一匹の猿が左手をのばしてつかもうとし、その背後では三匹の猿たちが様子を見守っている。猿たちの様子や表情からみて、前方にいて蟹をつまもうとしているのがボス猿なのだろう。

大江健三郎は、小説「さようなら、私の本よ!」を、「取り替え子」及び「憂い顔の童子」と併せて、「おかしな二人組」三部作と自ら呼んでいる。いずれにもおかしな二人組が出て来るということらしい。たしかに第一作目の「取り替え子」については、大江の分身というべき古義人と伊丹十三をモデルにした塙吾良が二人組、それもかなりおかしな二人組を作っているとわかる。ところが二作目の「憂い顔の童子」は、誰と誰がおかしな二人組なのか、よく見えてこない。この小説で古義人と最も親密にかかわるのはニューヨーク出身の女性研究者ローズさんなのだが、そのローズさんは、古義人とセックスするわけでもなく、また古義人の求愛を拒んだりして、どうも二人組として一体的に見えるようにはなっていない。その反省があったのかもしれない。三作目の「さようなら、わたしの本よ!」では、おかしな二人組が極端といってよいほど、可視化されているのである。

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