2020年4月アーカイブ

1844年2月に発刊した「独仏年誌」に、マルクスは二つの論文を発表した。「ユダヤ人問題によせて」と「ヘーゲル法哲学批判序説」である。いずれも市民社会における人間の開放を論じたものだ。マルクスの生涯をかけたテーマは、共産主義社会の実現を通した人間の開放であったわけだが、それが早くもこの二論文でのテーマになっていたわけだ。この時マルクスは25歳の青年だった。

中東からモロッコにかけて広がる広大なアラブ世界は、16世紀以降オスマン帝国の支配下にあった。オスマン帝国はトルコ人の国家ではあったが、基本的にはイスラーム国家としての色彩が強かったので、イスラームという共通の絆に結ばれる形で、トルコ人とアラブ人とはするどく対立する事態にはならなかった。宗教が前面に出た結果、民族性が薄まっていたといえる。

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1995年のアメリカ映画「アウトブレイク(Outbreak)」は、感染症によるエピデミックをテーマにした作品である。エピデミックをテーマにした映画といえば、日本では、瀬々敬久の「感染列島」があげられるが、この映画はその原型ともいえるもので、エピデミック映画の古典といってよい作品である。

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文展へは毎年出展し、三回目以降は入選するようにもなった。清方は、文展をめざして大作を描くうちに、次第に挿絵画家から本物の画家になっていったという自覚を持ったという。実際、年を追って画風が変り、本格的な日本画家へと成長していったようだ。

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「リュートを弾く人」は、カラヴァッジオの初期を代表する傑作である。これには二つのヴァージョンがある。上の絵は、サンクト・ペチェルブルグのエルミタージュ美術館にあるもので、デル・モンテ枢機卿の友人、ヴェンチェンツォ・ジュスティアーニの注文を受けて描いたもの。リュートを弾く若者の表情をスナップ風に描いた風俗画である。

丸山真男は明治維新を、日本型絶対主義政権の樹立と捉えているようである。そして幕末における政治思想のうち、絶対主義につながるものを、時代をリードした思想として位置付ける。それは当時の日本においては尊王攘夷思想とりわけ尊王主義という形をとるわけだが、その尊王主義が天皇を絶対君主とした絶対主義政権を思想的に基礎づけるものとなったというのが、丸山の大方の見取り図である。

エピクロスの自然観、というか世界とか宇宙についての考えは、原子論に基いている。世界とか宇宙とかは、物体とそれを入れる空虚からなっている。物体は空虚がなければ存在する余地がないからである。しかして物体は、究極的には原子に還元できる。原子には色々な種類があって、それらが様々に結びつくことで、我々が見ているような世界が形成される。その我々の見ているところの世界は、無限な宇宙の有限な一部である。無限なというわけは、空虚には端がないからである。だから宇宙は無定形、無限定というほかはない。その無定形で無限な宇宙の一部として我々の生きている世界があるとエピクロスは考えるのである。

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大岡の小説「野火」を、小生は日本文学が生んだ最高傑作の一つだと思っている。テーマの重々しさから映画化には馴染みにくいと思われるのだが、市川崑が1959年にあえて映画化した。それがなかなかよくできていたので、塚本晋也が2015年に映画化した作品「野火」は、色々な面で市川のものと比較される。小生なりに批評すると、こちらのほうが大岡の意図したものに近いのではないか。

コロナウィルス騒ぎで、政府や自治体がいわゆる自主規制なるものを国民・住民に要請し、それに対して国民・住民は大した不平も言わずに従っている。これはあくまで「要請」であるから、国民は強制されているわけではないので、是非自主的に従っていただきたいと、為政者たちは言うので、小生もそのつもりで従ってきた。従うことの不都合と、従わないことの不都合を比較考量すれば、従うほうの不都合が小さいと判断したこともある。ところが世の中には、従うほうの不都合のほうがはるかに大きくて、従いたい意思があってもなかなか踏み切れない者もいるだろう。

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明治四十年(1907)、文展が創設された。これは京都を中心とする伝統的な日本画の団体日本美術協会と、岡倉天心らの日本美術院が合同したもので、今の日展の前身というべきものだ。その第一回の展覧会に、鏑木清方は「曲亭馬琴」と題する一点を出展した。結果は落選であった。入選した友人にそのわけを聞くと、語ること多きに過ぎたという批評を受けた。清方はその批評をもっともだと思ったが、後悔はしないと言った。自分としては自信があったのだろう。

「二つの同時代史」は、大岡昇平と埴谷雄高のかなり長い対談をおさめたものだ。彼らがこの対談をしたとき、二人とも七十代の半ばに差し掛かっていた。二人とも1909年に生まれ、この対談の数年後に相ついで死んでいるから、これはそれぞれの白鳥の歌をかわしあったものと言ってよい。二人とも言いたいことを言って、死んでいったのだから、さぞせいせいしただろうと思う。

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「女占い師」は、ローマの粋な若者がロマの女占い師に手相を見て貰っているところを描く。女は手相を見ると見せかけて、若者の手を握り、指輪を抜き取ろうとしているようにも見える。そんなところから、この絵は、「いかさま師たち」と似たような題材であり、描かれたのも同時期ではないかとの推測もなされたが、デル・モンテ邸に移ってからの作品だという解釈が有力である。

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塚本晋也はマンガチックなSFアクション映画からスタートしたが、2002年の映画「六月の蛇」は大分趣向の変った作品だ。これは欲求不満の女と、彼女にしつこくつきまとうストーカーの話なのだが、それが、本来はエロチックなのにかかわらず、あまりエロチックな側面は前面化せず、人間の愚かさというか、こういうことにならないよう気をつけましょうといった、妙な教訓を感じさせる映画なのである。

エピクロスは生涯に夥しい数の書物を著したといわれる。だが、そのほとんどが残っていない。わずかに残っているものが、日本語では岩波文庫で読むことができるが、それはディオゲネス・ラエルティオスのギリシャ哲学者列伝所収のエピクロスの部分に、いくらかの断片を併せたものである。ラエルティオスの列伝は、エピクロスに大きなページを割り当てており、エピクロスについての伝記的な記述と並んで、友人にあてた三通の手紙を載せている。その手紙に、エピクロスの思想が要領よく要約されているので、我々はそれを通じて、エピクロスの思想の輪郭を捉えることができるのである。

イスラエル国家の起源はシオニズムにある。シオニズムとは、エルサレムの地にユダヤ人の国家を作ろう、あるいは復活させようという運動である。この運動を組織的に展開したのは、イスラエル国家建設の父と呼ばれているテオドール・ヘルツルである。ヘルツルはオーストリア人であるが、新聞記者としてパリに駐在していた折に、ドレフュース事件を目撃し、大きな衝撃を受けた。ドレフュースは、フランス軍に忠誠を誓っていたユダヤ人だったが、人種差別の犠牲者になるかたちで政治的な迫害を受けた。スパイ容疑で逮捕されたのである。この事件が教訓になって、ヘルツルはユダヤ人国家建設の必要性を広く訴えるようになる。その主張がシオニズムに集約されていくわけである。

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塚本晋也の1992年の映画「鉄男Ⅱ BODY HAMMER」は、三年前の作品「鉄男」の続編であるが、ストーリー上のつながりは全くない。こちらは、子どもを含めて三人で幸せに暮らしていた一家が謎の集団に襲撃されたあげく、父親が肉体を改造されて、鉄の固まりにされてしまうというものだ。前作の鉄男はくず鉄のスクラップといったイメージだったが、こちらは鋼鉄で覆われたマッチョなイメージで、しかも躰のあちこちから機関砲が飛び出してくるといった攻撃的なイメージに変わっている。

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明治40年(1907)、鏑木清方は木挽町から浜町河岸に転居。同年催された東京勧業博覧会に「嫁ぐ人」を出展した。モチーフの嫁ぐ人とは、ほぼ中ほどで花束を持っている女性だろう。その女性を囲んで四人の女たちが描かれているが、彼女らは花嫁の心得を聞かせてみたり、あるいは自分自身の結婚のことを考えているのかもしれない。

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1595年から数年間、カラヴァッジオはデル・モンテ枢機卿の世話になる。枢機卿の屋敷は、ローマのナヴォーナ広場の東隣にあった。パラッツォ・マダーマという広大な邸宅だ。ここにカラヴァッジオは、弟分の美少年で、男色相手と目されるマリオ・ミンニーティとともに移り住んだ。この邸宅滞在中に、カラヴァッジオは一流の画家としての名声を確立していくのである。

徂徠学と国学とは、一見水と油のように見える。徂徠学はなんといっても儒学の一派であるし、要するに異国起源の学問だ。その異国起源のものを国学者たちは蛇蝎の如く忌み嫌った。宣長などはその最たるもので、漢(から)つまり中国を、悪人の跋扈する国であるかの如くに言っている。だから、その漢の学問に従事している徂徠も、悪人の仲間と見なされそうだが、実はそう単純ではない。両者の間には、独特の親縁性がある。そう丸山真男は見るのである。

スピノザが「知性改善論」の執筆を中断して「エチカ」の執筆にとりかかった理由について、小生はなにかの事情があったのだろうが、詳細はわからないと別稿で書いたところだが、その後ドゥルーズのスピノザ論を読んでいたら、その事情が明確に指摘されていた。スピノザが「知性改善論」の中で試みたことは、一応神を証明することであったが、それをスピノザは分析的な方法で以て証明しようとして、なかなかうまくゆかなかった。ところが、総合的な方法で以て証明するとうまくゆきそうだ。その方法を適用するには、特別の概念が必要になるのだが、それをスピノザは「知性改善論」の執筆がかなり進んだ時点で発見した。そこで、この概念を用いて神の証明をすればよいということになるが、それにしては、「知性改善論」の執筆が進みすぎていて、そこに訂正を加えようとすると、全面的に書き換えなければならなくなる。そこでスピノザは、新たに「エチカ」を書いて、自分の納得のゆく神の証明をした、とドゥルーズはいうのである。

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塚本晋也の1989年の映画「鉄男」は、ちょっとした反響を呼んだ。ローマ国際ファンタスティック映画祭グランプリをとったこともあって、国際的な反響にも発展したようだ。映画ならではのファンタジーを感じさせるからであろう。この映画は、スクラップ鉄になった男の話なのである。小説の中では、カフカが、巨大な虫になった男の悲哀を描いて世界中をびっくりさせたが、塚本は映画の中で鉄になった男を描いて、人々をびっくりさせたのである。

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鏑木清方は樋口一葉をモチーフにした絵をいくつか描いている。18歳の時に読んだ「たけくらべ」に感動して以来、一葉に読みふけったようだ。この絵は、一葉女史その人ではなく、彼女の墓をモチーフにしている。その墓に抱き着くようにして寄り添う一人の女は、「たけくらべ」の主人公美登利だという。

大江健三郎は、小説を書くために生れて来たといってよい。学生時代に早くも芥川賞をとり(飼育)、最後の長編小説(晩年様式集)を書いたのは78歳の時だった。そんな年で長編小説を書いた作家は、世界の歴史でも稀有である。ゲーテが「ファウスト」を完成させたのは死の前年81歳の時だが、ゲーテをそこまで駆り立てたのは旺盛な性欲だった。それに対して大江を老年に至るまで創作に駆り立てたのは、社会に対してのコミットメント意識だったように思われる。彼にとって生きることは書くことであり、書くこととは社会にコミットすることだったのである。

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カラヴァッジオは、プッチのもとを飛び出したあと、二三の画家のところに寄食したり、放浪同然の暮しを経て、カヴァリエール・ダルピーノの門人になった。ダルピーノは、カラヴァッジオよりわずか三歳年長だったが、当時はすでに一流の画家として、ローマでは有名であった。折からローマでは西暦1600年のジュビリーを控えて、方々で教会の建築や都市の改造が進んでいて、それらを飾るための絵画の需要が高まっていた。ダルピーノのもとには、大勢の注文が舞い込んでいたようだ。そんなダルピーノにとって、カラヴァッジオもそれなりの戦力になったはずだ。もっともカラヴァッジオは、ダルピーノが得意としたフレスコ画は、苦手であった。

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井筒和幸の1996年の映画「岸和田少年愚連隊」は、「ガキ帝国」同様少年の暴力を描いたものだ。ただし在日コリアンは出てこない。日本人の少年同士の暴力沙汰がもっぱら描かれている。その少年というのが中学生なので、見ているほうは途方にくれるところがある。中学生が徒党を組んで、やくざまがいに喧嘩をする。それも半殺しにするような派手な暴力沙汰だ。しかも、その中学生の男女が、セックスまでするとあっては、日本の未来が暗く見えて来るほどだ。

ジル・ドゥルーズは、スピノザに特別な愛着をもっているようだ。その愛着ぶりがどこから来ているかと言えば、それはスピノザがエピクロスやニーチェと同じ系譜の思想家だという認識からだろう。ドゥルーズ自身も、エピクロスやニーチェに親縁性をもつというふうに自己認識しているようで、その自己認識がスピノザへの愛着につながっているのだと思う。エピクロスとニーチェに共通するのは、快楽について肯定的であること、神を信じない、あるいは軽視すること、既存の道徳に否定的な態度をとることなのだが、そういう特徴をドゥルーズはスピノザにも見るのだ。

イスラエルの建国は1948年のこと。小生が生まれたのもその年であるから、同じ年月を生きてきたわけだ。その小生がイスラエルを強く意識したのは、1967年の第三次中東戦争だ。この戦争は、イスラエル対全アラブ世界の対立という様相を呈したが、イスラエルは破竹の勢いで、わずか六日間で完璧な勝利を収めた。この戦いに勝ったイスラエルは、ヨルダン川西岸、ゴラン高原、シナイ半島を占領し、その結果大量のパレスチナ難民が生まれた。パレスチナ難民は、イスラエル建国の際にも大量に生まれていたわけだが、いまや従来パレスチナであった地域がすべてイスラエルによって占領されたわけで、パレスチナ人は国家のよりどころを失うことになったわけである。

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1981年の映画「ガキ帝国」は、井筒和幸の出世作である。井筒和幸といえば、2005年に作った「パッチギ」が思い浮かぶ。「パッチギ」は、高校生レベルの日本人と在日コリアンの間の民族対立を描き、暴力的なシーンに彩られていた。「ガキ帝国」にもそうした要素は強く見られる。この映画にも在日コリアンが出て来るし、また暴力シーンが多く出て来る。というか暴力シーンだけからなりたっていると言ってよいほどだ。一方、在日コリアンは、集団として日本人社会と対立するわけではない。個人として出て来て、日本人とかかわりあう。

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「孤児院」と題したこの絵は、明治35年(1902)に日本絵画協会の展覧会に出展して銀賞を得たもの。銀賞とはいっても、その会における最高の賞であった。この展覧会の審査は二段階方式になっていて、最初は協会の任命した委員、再審査は岡倉天心以下の実力者があたった。最初の審査では、上村松園の「時雨」が銀賞をとったが、再審査で清方が逆転したと、清方の「自作を語る」にはある。ともあれ、これで以て、清方は画家として本格的なデビューを飾ったのだった。

「プライバシーが丸裸」と題して、NHKがIT時代における個人情報のあり方について特集する番組を放送した。これまでプライバシーの保護といえば、政府など公共の権力から個人の自由を守るという文脈で論じられてきたが、今日では巨大IT産業による個人情報の収集とそれによるプライバシーの侵害といった事態が強く懸念されるようになってきたという。その動きは、なし崩し的に進んできており、このままだと近い将来に個人のプライバシーは、それこそ丸裸にされるのではないかと強く危惧されるところだ。

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「トカゲにかまれた少年」も、「病めるバッカス」とともにカラヴァッジオの最初期の作品であり、おそらくプッチの家に寄食していたころに描いたものだろう。この絵にも、まだ稚拙さが感じられる。全体が暗い印象で、人物像がその暗さのなかに沈み込んで見えるほど、めりはりのはっきりしない絵である。しかし、なんとなく気迫のようなものは感じられる。

丸山真男の「日本政治思想史研究」は、徳川時代の日本の政治思想、それも儒学を中心に考究している。丸山がこの研究でめざしたのは、日本の近代化を推進した思想が、どのような地盤から生まれてきたか、を明らかにすることだった。丸山は、日本の近代化は、あたり前のことであるが、無から生まれたのではない、それを用意した母胎から生まれたのだと考えている。その母胎となったのは徳川時代の政治思想であったから、それを明らかにすることで、日本の近代化の思想的原動力となったものがよく理解できるに違いないと思った。それは直接的には、荻生徂徠の政治思想と宣長を中心とした国学によって担われた、しかして徂徠学は、儒学(とくに宋学といわれた儒学の流れ)の伝統の延長上にあるものであるし、国学は儒学の否定から出て来た。したがって、徳川時代の儒学を研究することこそ、日本の近代の政治思想を理解するためのかなめになる。そう丸山は考えて、徳川時代の儒学を中心とした思想の流れに焦点をあてて、日本政治思想史を書いたというわけであろう。

「エチカ」の最終章は、知性の能力または人間の自由についての考察だ。スピノザはそれをデカルトの批判から始める。デカルトは、知性を正しく捉えそこなったが、それは精神と身体を全く別のものとした結果だというのだ。全く別のものが、一緒になって働くことはない。しかし人間の精神活動というものは、身体を除外しては考えられない、というのがスピノザの基本的なスタンスなのである。たしかにデカルトは、全く異なった実体としての精神と身体が、脳の中にぶら下がっている松果体を通じて連絡しあっているとは言っているが、もともと何の共通性ももたないもの同士がどのようにして連絡しあうというのか。実際デカルトの説明は、明晰判明とはいえないと言って、スピノザはデカルトを厳しく批判するのである。

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「311」は、東日本大震災の直後に、森達也ら四人の映画人が被災現場に入って記録したドキュメンタリー映画である。目の前に広がる光景を淡々と映したもので、それを見ての驚きの声を聞くほかは、解説めいたものはほとんどない。映像自体が雄弁に物語っている。福島原発周辺では、うなぎ上りに上昇する原子力バロメータの数値とか、瓦礫がうずたかく積み重なった津波の現場とかだ。それを見ると、災害のすさまじさが皮膚感覚として伝わって来る。

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鏑木清方は、挿絵画家として出発したこともあって、初期の絵には物語性を感じさせるものが多い。「雛市」と題したこの絵は、清方23歳の時の作品で、やはり物語性を感じさせる。モチーフは、雛市での一こまだが、その一コマの中に、ひな人形をめぐって人々の見せる表情が、何かを物語っているように見える。

大江健三郎が、往復書簡の二人目の名宛人に選んだのは、南アフリカのユダヤ系女性作家ナディン・ゴーディマである。ゴーディマは南アフリカにおけるアパルトヘイトの暴力を批判していたことで知られていたが、大江はそれを踏まえて、日本における暴力の問題、とくに子供の暴力について問題提起する。その当時の日本では子どもの暴力が社会問題化していたのである。それについて、その責任を戦後の教育に押し付ける議論が日本では盛んであるが、それは違うだろうというのが大江の意見である。これに対してゴーディマは、子どもが育つ環境が大事だという、ある意味常識的な返事をしている。

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カラヴァッジオの最も早い時期の作品としては、「病めるバッカス」と「トカゲにかまれた少年」があげられる。どちらも、ローマに出て来てすぐあと、おそらく叔父のとりなしで、プッチという男のもとに寄食していた頃の作品だと思われる。このプッチという男は、教皇シクストゥス五世の姉の家令であったが、非常に吝嗇で、カラヴァッジオを召使としてこき使う一方、ろくなものを食わせてくれなかった。それでカラヴァッジオはプッチのことを、「サラダ殿下」と綽名した。サラダばかり食わされたからである。

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川本輝夫は、自分自身水俣病患者として、患者の救済と問題解決に生涯をかけた活動家である。その活動は世界中に知られ、かれが死んだ時には、日本人としては珍しく、海外のメディアも報じたほどだ。土本典明の映画「回想川本輝夫」は、その川本の半生を描いたドキュメンタリー映画である。川本は、裁判を通じてではなく、会社への直接行動を通じて要求を勝ち取っていった。その交渉ぶりには相手を圧倒するような迫力があった。またその威力に相手も強く出て、官憲に弾圧されたこともあった。しかし、川本は多くの患者に東京でのデモンストレーションを実施させ、世間の注目を集めることで、自分らの要求を広く知らしめ、要求の実現につなげていった。映画はそうした川本の戦いぶりを描いているのだが、43分間という短かさもあって、川本の活動が丁寧に描かれているとはいえないような気もする。かえって川本の強引なやり方が目を引くほどだ。

「エチカ」の感情についての章を、スピノザは自然への言及から始める。感情は自然に基礎をもつものと考えているからだ。というより、自然の活動性というか、自然の様態の如きものと考えているようである。人間は自然の一部なのであって、人間の中の精神もその例外ではない。精神は自然と異なったものではない。精神も又自然の一部なのである。だから精神が、それ自体として自立的に活動することはない。つねに身体と一体となって活動する。人間というものは、精神と身体が渾然一体となったものなのだ。スピノザは、精神が身体を支配することはなく、また身体が精神を支配することもないと言っているが、その意味は、精神と身体は相互に切り離しえないということなのである。

著者の土井敏邦は中東問題に詳しいジャーナリスト。イスラエルやパレスチナに滞在して、現地の状況を肌で観察してきたようだ。その結果抱いた印象は、「武力にものを言わせて、パレスチナ人を高圧的な態度で尋問し、暴行を加え、明確な理由もなく連行し、いとも簡単に銃口を住民に向ける、高慢で傍若無人の若いユダヤ兵」の姿に集約されるという。「この占領の実態を知れば知るほど、"ホロコースト"の悲劇を世界に向けて訴え続けるユダヤ人たちの声が、現在進行しているパレスチナ人に対する抑圧をカモフラージュするための"攪乱の叫び"のようにさえ聞こえてくる」というのだ。

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深作欣二の1988年の映画「華の乱」は、与謝野晶子の半生を描いた作品である。半生といってもカバーしているのは、晶子が鉄幹に恋をした明治三十四年から関東大震災直後の大正十三年までだから、実質二十三年間であり、彼女の生涯の一コマといってよいかもしれない。その期間に鉄幹との間に大勢の子供を作り、さまざまな人々と触れ合う。その中には一代の舞台女優松井須磨子や、アナーキストの大杉栄、そして有島武郎などがいる。とくに有島は、鉄幹に浮気されている間に、晶子が恋ごころを抱いた相手として描かれている。小生は晶子の生涯について詳しくないのだが、実際にこんなことがあったのだろうか。

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鏑木清方は、上村松園とならんで、近代日本画の基礎を築いた画家である。最後の浮世絵師とも呼ばれる。いずれにしても日本画の伝統を受け継ぎ、それを発展させたという意味で、日本の美術史上大きな役割を果たした。その神髄は美人画にあり、また風俗画も多く手掛けた。清方の風俗画は、瀟洒な随筆とあいまって、日本の一時期の断面を知るよすがとなっている。

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カラヴァッジオ(Caravaggio 1571-1610)はバロック美術の先駆者として、レンブラント、ベラスケス、フェルメールといった画家たちに多大な影響を与えた。また、徹底したリアリズムの画風は、バロック美術を超えて、近代美術に決定的な影響を及ぼした。美術史上、時代を画した偉大な画家といえる。

徳川時代の思想の歴史的展開は、まず官学とされた朱子学が主流を占めることから始まり、朱子学を乗り越えて、古いつまり本来的な儒学としての古学へと遡及してゆき、果ては儒学そのものへの疑問へと発展していくのだが、その到達点として、賀茂真淵と本居宣長による国学を位置づけることができる、というふうに子安宣邦は考えているようである。そのようなものとして国学は、徳川時代の思想の到達点であり、かつ近代日本への橋渡しをしたということになる。近代日本とは、明治絶対主義の国家体制をいい、それを思想的に支えるものとして、強力な国家意識があった。その国家意識の成立に、国学は多大な役割を果たしたわけである。

スピノザにとって精神とは、思惟するものである。ところで思惟とは、延長とならんで神の属性とされる。デカルトは思惟する精神と延長からなる物体を、二つの実体ととらえたわけだが、スピノザはそれらを、唯一の実体である神の属性としたのである。実体と属性との関係は、原因と結果の関係に他ならないから、精神はその原因を神に持つということになる。つまり、精神は神の思惟の結果としてあらわれるのであって、それ自身のうちに根拠をもつものではない。自己自身のうちに根拠を持たないということは、自立していないということを意味する。自立していないということは、自由ではないということを意味するから、精神は非自律的な存在だということになる。非自律的な存在とは必然的な存在ということを意味する。必然的な、という意味は、スピノザにあっては、根拠を他者のうちに持つということだ。この場合、他者にあたるのが神というわけだ。精神は神の思惟の結果あらわれるところの、必然的な現象なのである。

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パーシー・アドロンの1987年の映画「バグダッド・カフェ(Bagdad Café)」は、ドイツ映画ではあるが、舞台はアメリカであり、登場人物たちも英語を話している。こういうタイプの映画は、ヴィム・ヴェンダースの「ミリオンドラー・ホテル」以下、ドイツでは珍しくはないが、それにしてもドイツ人の観客には、字幕でもつけて見せるのであろうか。クリント・イーストウッドは、「硫黄島からの手紙」では、日本人には日本語を話させていたので、その部分については英語の字幕をつけたはずだ。

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円山応挙は動植物の写生図を数多く残したが、これは「百蝶図」と題して、夥しい数の蝶を、同じ平面に並べたもの。個々の蝶をよく見ると、同じ時期に見られないものも含まれているから、厳密な写生ではないことがわかる。応挙は日頃描きためていた蝶の写生図を、ここに一同に集めて披露したのであろう。

「暴力に逆らって書く」は、大江健三郎の往復書簡を集めたもの。1995年1月から2002年10月にかけて、11人の海外の知識人との間でかわされた往復書簡である。大江は1994年にノーベル賞を受賞して、世界的な名声を得ていた。その名声をもとに、朝日新聞が高名な知識人との往復書簡を計画したということらしい。それらの書簡は朝日の夕刊紙上で公開された。

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「浴女たち Les baigneuses」と題するこの大作は、ルノワールの遺作となったもので、かれはこの絵を、死の直前まで描いていたという。雄大な自然の中で、豊満な裸体をさらす裸婦のテーマは、最晩年のルノワールが好んだもので、この作品は、そんなルノワールの集大作といってよい。

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2013年公開のドイツ映画「おじいちゃんの里帰り(Almanya - Willkommen in Deutschland)」は、ドイツに移住したトルコ人家族の生活ぶりを描いた作品だ。監督のヤセミン・サムデレリはトルコ系のドイツ人であり、自らの家族の体験をもとにこの映画を作ったという。一家の長である祖父が、1960年代にドイツにやってくる。ゲスト労働者としてだ。その頃のドイツは、日本同様高度成長の只中だったが、深刻な労働力不足に悩まされ、多くの外国人労働者を招いた。ゲスト労働者とはそうした外国人労働者をさした言葉だ。ゲスト労働者の中で一番多かったのがトルコ人。そのトルコ人として、ドイツ社会で生きてきた祖父と、その家族の物語である。

コロナに関して隔離のガイドラインを出す一方、トランプは今の自分を過去の自分から隔離すると発表した。厳密に言えば、過去の自分の発言から、自分自身を隔離する、つまり過去の自分の言動には縛られないということを言いたいらしい。

スピノザの「エチカ」は、神についての説明から始め、以下精神、感情、知性の説明へと移ってゆく。なぜこのような構成をとったか。スピノザは、自分たち人間が生きているこの世界を、実体とその属性及び変容と考えており、それにしたがってこのような構成をとったものだ。実体が神に相当し、その属性及び変容が、我々人間が自分の生きている世界と解釈しているところのものにあたる。したがってスピノザによれば、「エチカ」の構成は、世界を説明するモデルとして、これ以外にあり得ない必然的なものだったわけである。

コロナウィルスが猛威を振るって、世界中が大騒ぎだ。こんな大きな騒ぎになったのは、欧米諸国が直撃されたからだろう。始めは中国にとどまっていたものが、イタリアを皮切りにヨーロッパ諸国に広がり、更にアメリカにも広がった。いまや感染者数ではアメリカが最高であり、それにイタリアやスペインなどヨーロッパ諸国が続く。今回のコロナウィルス騒ぎは、欧米の問題となっているわけである。

本書はアメリカ経済におけるユダヤ人の力について分析したものである。ユダヤ人はアメリカの人口の2パーセント余を占めるに過ぎない。にもかかわらずアメリカ経済を実質的に牛耳っているといわれることがある。それは本当か。というような問題意識から書かれたものだ。結論としては、ユダヤ人はアメリカ経済を支配するほどの実力までは持っていないが、一定の分野では圧倒的なシェアを誇っており、全体的に見てもかなりな力を発揮しているということだ。著者は、アメリカのユダヤ人とイスラエル国家との関係についてはほとんど触れていないが、アメリカ経済におけるユダヤ人の実力が、アメリカの政治に影響力を及ぼし、それがイスラエルのユダヤ人国家を中東の大国にしているのだろうと推測できる。

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フロリアン・ヘンケル・フォン・ドナースマルクの2006年の映画「善き人のためのソナタ(Das Leben der Anderen)」は、ベルリンの壁崩壊以前の東ドイツにおける、シュタージ(国家保安省)による国民監視の実態をテーマにしたものだ。オーウェルの「1984」を思わせるようなディストピアが、ベルリンの壁崩壊前の東ドイツでは市民生活を暗黒なものにしていたというような、政治的なメッセージが込められた作品である。その割には、筋書の展開に無理なところがある。この映画の主人公はシュタージの将校なのであるが、その将校が自分の仕事に疑問を持つようになる、というのが一つの無理、もう一つの無理は、彼が命じられた仕事(監視)の意味だ。一応は、反体制の疑惑がある芸術家を監視するということになっているが、実際にはシュタージ長官の私的な思惑がからんでいた。その長官は芸術家の恋人に横恋慕していて、芸術家を消して女を獲得したいと思っているのだ。それをシュタージの将校は知っていて、自分のやっていることに誇りが持てなくなったというのだが、これはあまりにも観客を馬鹿にした設定ではないか。

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