2020年5月アーカイブ

「経済学・哲学草稿」が思想界に与えたインパクトのうち最も重用なものは「疎外論」であろう。マルクスはヘーゲルの疎外論の一つの応用例として自分の疎外論を展開する。ただし単なる応用ではない。単なる応用では模倣になってしまう。ヘーゲルは自然や人間を含めての世界全体を絶対精神が自己疎外(外化)したものととらえたわけだが、マルクスには絶対精神などという観念はない。そのかわり類的存在という概念を持ち出す。類的存在というのは、対象のもつ本質的なあり方という意味である。マルクスの疎外論は、その類的存在としてのあり方からの疎外という形をとっているので、あるものがその本来のあり方から逸脱しているという意味になる。それが人間の場合には、人間が人間本来のあり方から疎外されているという主張になる。

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瀬々敬久の2018年の映画「菊とギロチン」は、関東大震災後の大正末期の暗い時代を背景にして、女相撲とアナキストの触れ合いをテーマにした作品だ。女相撲とアナキストでは、接点がないように思われるが、どちらも官憲に目の敵にされていたという共通点がある。この映画はその共通点を踏まえながら、権力と庶民との戦いを描いたものである。それに震災直後に起こった朝鮮人虐殺など、当時の日本における異様な出来事をからませている。かなり政治的なメッセージ性の高い映画である。

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昭和初期の鏑木清方は、「築地明石町」を始めとして、人物画を好んで描いた。「三遊亭円朝」もその一点。清方は、円朝とは子どものころから見知っていた。父の経営するやまと新聞が、円朝の人情噺を筆記して、それを掲載していたということもあって、清方はその筆記を手伝ったこともあるようだ。また、十七歳の時には、円朝の旅行に随行して、各地を回ったりしている。そんな誼から、清方は円朝に非常な親しみを抱いていた。

小説の中で動物に重要な役割を果たさせているものを、小生は俄かには思い出せない。例えばカフカのように、犬を惨めな死の隠喩として語った作家はいたが、それはあくまでも一時的な隠喩としてだ。小説の全体にわたって、あたかも登場人物の一員であるかのように、動物に重要な役割を与えているものは、なかなか思い浮かばない。ミラン・クンデラの小説「存在の耐えられない軽さ」は、動物を一人の登場人物と同じく重要なキャラクターとして位置付けている。

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聖マタイは「マタイによる福音書」の著者であり、エジプトで殉教したと言われる。その殉教は、国王の恋を邪魔したことで憎まれ、暗殺されたのだという。その前にマタイは、死んだ王女を生き返らせる奇跡を行っていたのだったが、新しく王になったヒルタコスが、その王女の美しさに恋をして妻にしようとしたところ、聖マタイが反対した。そこで怒ったヒルタコスが、刺客を派遣して、マタイを殺させたというのである。

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瀬々敬久の2018年の映画「友罪」は、過去の辛い体験にさいなまれている人々のトラウマ的な感情をテーマにした作品だ。そういう点では、心理劇といってよいが、単なる心理劇ではなく、ドラマティックな要素も持っている。見る者に考えることを迫る作品でもある。

対治邪執とは、誤った見解を克服することである。凡夫はもとより二乗の修行者でも、仏教の教えを曲解するものがある。そうした曲解を克服して正しい理解をさせることが対治邪執の目的である。しかして誤った見解(邪執)はすべて、ものを実体視すること(我見)に基づいている。したがって、ものを実体視することがなければ、誤った見解もなくなる。その実体視には二種類ある。一つは人我見、一つは法我見である。人我見は凡夫が陥りやすい実体視、法我見は修行者でも陥りやすい実体視である。

第二次世界大戦の終了に伴う国際問題の一つとしてヨーロッパでホロコーストを生き延びたユダヤ人の処遇問題があった。特にアメリカがこの問題に熱心になった。理由は明確ではないが、生き残りのユダヤ人をアメリカに受け入れるのがいやだったからだという説もある。ともあれアメリカは、ヨーロッパの生き残りユダヤ人をパレスチナに移住させることを主張した。一方パレスチナの委任統治の主体であったイギリスは、その要求を拒否した。従来アラブ側との間で結んでいた約束(パレスチナへのユダヤ人移民の制限)がその理由だった。だがイギリスは、パレスチナに対していつまでも責任を持つつもりはなかった。そこでパレスチナ問題の解決を、できたばかりの国連に丸投げした。

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瀬々敬久の2010年の映画「ヘヴンズ・ストーリー」は、人間のサガを黙示録的に描き出したものだ。テーマも壮大だが、描き方も壮大だ。なにしろ四時間半を超える大作である。だから劇場公開に際しては、途中で休憩時間を挟んだというくらいだが、当日の観客は、退屈はしなかっただろうと思う。よく作られているので、退屈を感じさせないのだ。

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昭和五年の作品「浜町河岸」は、「築地明石町」、「新富町」とあわせて美人画三部作を構成する。構図も似ており、サイズも同じであることは、清方がこれら三つの作品をシリーズものとして意識していたことをあらわす。浜町河岸には、清方は五年ほど暮らしていたので、町の雰囲気は実感としてわかっていた。その町に相応しいのは、庶民の娘といわんばかりに、この絵のモチーフは平凡な町娘だ。

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デル・モンテ邸に隣接してサン・ルイジ・デイ・フランチェージ聖堂がたっている。その聖堂のコンタレッリ礼拝堂を飾る絵を、カラヴァッジオは受注した。この礼拝堂は、枢機卿マッテオ・コンタレッリが買い取ったもので、ここを優れた絵で飾ることはかれの念願だった。ところがその念願がかなう前に死んでしまったので、自分の死後その念願を実現せよとの遺言を残した。遺言執行人は、当時ローマで一流と言われた絵師の中からカラヴァッジオを選んで、「聖マタイの召命」及び「聖マタイの殉教」の連作を註文したのである。数ある絵師の中からカラヴァッジオが選ばれたのは、聖堂と近所付き合いのあったデル・モンテの口利きもあったのではないか。

まよい(不覚)とは、心の真実のあり方(心真如)がすべての衆生に平等に備わっていることを知らないために、さまざまな心の動き(心生滅)が現れることを言う。しかし、その心の動きが、さとり(覚)と全く別のものだというわけではない。世間で人が道に迷うのは、方角を立てるからで、方角を決めなければまようことがないのと同じである。さとりもまよいも、同じ一つの心の状態なのだ。

「経済学・哲学草稿」は、マルクスの経済学研究の最初の成果である。もっともこれはマルクスの生前には出版されず、死後かなり経過した1932年に公開された。公開されるや大きな反響を呼び、いわゆる初期マルクス思想をめぐって、さまざまな研究を引き起こした。マルクスがこの草稿で追及しているのは、大きくわけて二つの事柄、一つは資本主義的生産関係の本質、とりわけ資本と労働との関係であり、もうひとつはヘーゲル弁証法の批判を通じて、弁証法を変革の原理にしようとする試みである。その文脈で、疎外とその克服が、否定の否定という言葉で語られるのである。

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瀬々敬久は21世紀に入るとピンク映画から足を洗って普通の映画を作るようになったが、2004年に久しぶりにピンク映画を作った。「肌の隙間」である。これはたしかにピンク映画なのだが、その範疇にはおさまりきれない複雑なメッセージを含んでいた。それが話題を呼び、一般の映画館でも公開されたという、いわくつきの作品である。

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「築地明石町」から二年後に、鏑木清方は「新富町」を描いた。前作同様美人画で、前作が市井の女性をモチーフにしていたのに対して、この絵のモチーフというかモデルは、つぶし島田の髪型から知れるように、芸者である。新富町は、関東大震災までは、府内有数の三業地の一つだった。また、歌舞伎小屋があったりして、結構賑やかな土地であった。

ミラン・クンデラは饒舌な作家だといった。彼の代表作「存在の耐えられない軽さ」を読むと、語り手の饒舌な語り方がひしひしと伝わってくる。普通の場合語り手は、自分自身の存在を主張したりはしない。語り手はあくまでも語り手であり、彼が語るのは登場人物についてなのである。あるいはそうあるべきなのである。ところがクンデラの小説の語り手、彼はそれを「著者」といっているが、その言葉で自分自身をさしているのであり、その著者は彼の場合、小説の一登場人物であるかの如く、饒舌に自己を主張する。彼は単なる小説の語り手ではなく、語り手を騙った登場人物の一人なのだ。

村上春樹が二か月おきにFM東京でやっているディスクジョッキーを、小生はまだ一度しか聞いていないが、このたび特別編をやるというので聞いてみた。その特別編というのは、約二時間枠のもので、村上がこれをやる気になったのは、コロナ騒ぎでなんでも自粛を強いられている人々の無聊を慰めたいと、かれなりに社会奉仕精神を発揮したものらしい。

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ホロフェルネスの首を切るユーディットの話は、聖書の「ユディト記」にもとづいており、さまざまな画家がモチーフとしてきた。もっとも有名なものとしては、ミケランジェロの天井画やクラナッハの連作があり、また近代ではクリムトが取り上げた。サロメと違って妖女ではなく、ユダヤ民族の救世主なのであるが、男の首をナイフで切り落としたという行為が、烈女としての彼女のイメージを形成した。

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瀬々敬久の1999年の映画「アナーキー・インじゃぱんすけ 見られてイク女」は、瀬々得意のピンク映画の一つの頂点となるものだ。副題に「見られてイク女」とあるように、多少変態気味の女が主人公だが、もっと重要な役割を果たしているのは、この女と変な因縁から結ばれた男と、その二人の仲間たちである。かれらは女を買うことでつながっているのだが、一人の女を共有するわけではなく、また性的な嗜好で結ばれているわけでもない。テンデバラバラな気持ちから女を買うのであるが、その買い方はそれぞれユニークである。

検察官幹部定年騒ぎの当事者である東京高検の某検事長が、週刊誌に接待かけマージャンをすっぱ抜かれて、辞職を余儀なくされた。この問題について小生は、別稿で当人が自発的に辞職したらどうかと勧めていたが、当人が自発的に辞職する様子は見えず、また安倍政権も、強い批判を浴びて延長法案を棚上げしたにもかかわらず、世間の鎮静化を狙って、当初方針通りこの男を検事総長にするつもりでいることが露骨に伝わってきたところ、この事態になったわけだ。

衆生の心は、心真如と心生滅とからなっている。この二つは異なったものでありながら、同じ一つの心の二つの面である。心真如のほうは、心の基層部分ともいうべきもので、心の真実のあり方がそこで生起している。そのようなあり方を如来蔵とも呼ぶ。如来と同じ真実のあり方がそこにあるという意味である。心生滅のほうは、心の表層部分ともいうべきもので、そこでは現象的な経験世界が生滅している。要するに衆生の心は、心の真実のあり方としての不生不滅の心真如の上に、生滅を繰り返す現象的な世界である心生滅とが乗っているような形をなしている。この両者が、重層的な形ながら和合している姿を、アラヤ識という。

1933年にナチスが政権を取り、ユダヤ人への迫害が強まると、多くのユダヤ人が身の危険を避けてパレスチナへ逃げてきた。ナチスは当初、ユダヤ人をパレスチナに送ることに協力したので、ユダヤ人は怒涛のような勢いでパレスチナへやってきたのだ。1930年代なかばの数年間で、5万人以上のユダヤ人がパレスチナに移住したとされる。その多くは裕福なユダヤ人たちだった。イスラエル国家にとっての原始的蓄積にあたるものを、この裕福なユダヤ人たちの財産が提供したといえる。

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瀬々敬久は、ピンク四天王に名を連ねるなど、ピンク映画で実績を上げた監督だ。ピンク映画というのは、ポルノ映画の一種ではあるようだが、ポルノ映画が専ら性的興奮を目的としているのに対して、物語としての面白さを合わせて追及するところに特徴があるらしい。その反面、性的興奮は抑えられぎみになるので、中途半端さがものたりないという意見もある。

コロナウィルス予防の目的で、抗マラリア剤のハイドロクシクロロキンを、トランプが毎日飲んでいると明かしたことが大きな話題になっている。というのも、この薬品はコロナウィルスに有効だと証明されたわけではなく、一方重大な副作用が懸念されているからだ。

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「築地明石町」は、昭和二年(1927)の第六回帝展に出展して、大変な評判となった。清方自身もいささか恃むところがあって、大きな反響を喜んだようだ。この絵は、鏑木清方の代表作として、いまでも評価が高い。

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アレクサンドリアの聖カタリナは、四世紀初頭に殉教した聖女。殉教して天国に召されたカタリナは、聖母マリアに気に入られ、イエスと婚約させられたという伝説があるくらい、聖女の中の聖女とされる。彼女が殉教した原因は、時のローマ皇帝マクセンティウスの誘惑をはねのけたからとされる。それ以前に彼女は、皇后をキリスト教徒に改宗させていた。

立義分において本論の大綱を述べた後、解釈分はその詳細を説明する。解釈分は三つの部分からなる。一に顕示正義、二に対治邪執、三に分別発趣道相である。顕示正義とは、正しい教え、すなわち心が真如と生滅からなるということを提示するものであり、対治邪執とは誤った見解、すなわち生滅心の生んだ仮象を実像と取り違える過ちを正すものであり、分別発趣道相は、以上を踏まえて、心を悟りに向けて促すものである。

マルクスの「ヘーゲル法哲学批判序説」といえば、次のような刺激的な一節が思い浮かぶ。「ラディカルであるとは、事柄を根本において把握することである。だが人間にとって根本は、人間自身である」(城塚登訳、岩波文庫版から引用、以下同じ)。マルクスがこう言うわけは、キリスト教にせよ、ヘーゲルに代表される国家論にせよ、人間が脇へ追いやられ、人間が作ったもの、つまり宗教とか国家といったものが人間を支配している事態は倒錯しているのだと主張したいからだ。それ故、「宗教の批判は、人間が人間にとって最高の存在であるという考えでもって終わる」と言うのである。

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2005年の映画「約束の旅路(Va, Vis Et Deviens)」は、エチオピアのユダヤ人をテーマにした作品だ。小生はあまり事情に詳しくないのだが、歴史のいたずらというか、エチオピアには黒人のユダヤ人がかなりいるのだそうだ。その黒人を、宗教的にはユダヤ教徒という理由から、イスラエル政府が正式なユダヤ人と認めて、イスラエル国内への受け入れをした。どういう事情からかは、小生にはわからない。ともあれその受け入れは二波にわかれ、1984年のものをモーゼ作戦、1991年のものをソロモン作戦と称しているそうである。この映画が描いているのは、ソロモン作戦である。

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大正八年(1919)、文展は解散して、新たに帝展が発足した。鏑木清方は、その前年に文展の審査員になっていたが、引き続き帝展の審査委員になった。張り切った清方は任務に精励したが、そのため自分の制作がおろそかになり、長い間のスランプに陥ったという。スランプから脱したのは、第四回帝展に「春の夜の恨み」を出した頃からだが、第六回の帝展に出展した「朝涼」で、完全にスランプから脱したと清方は「画心録」に書いている。

チェコ人であるミラン・クンデラは、チェコの作家フランツ・カフカを強く意識していたようである。理由は二つある。一つはカフカが「カフカ的世界」と呼ばれるような不条理な世界を描いたこと。もう一つは二人の境遇がよく似ていることだ。「カフカ的世界」についていえば、クンデラは同時代のチェコがまさにそれだと感じた。クンデラはそこで生きることが出来ずに、異国であるフランスで生きることにしたのである。そのことが第二の事態、つまり境遇の相似につながった。カフカはチェコに住みながら他国語であるドイツ語で書き、クンデラはフランスに住みながら他国語であるチェコ語で書いた。そのようなあり方を、ドルーズはマイナー文学と言った。クンデラもカフカ同様にマイナー文学の作家になったわけだ。

検察幹部の定年を政権の意志によって延長できるとする法案が、野党のみならず、法務省幹部OBや一般国民を巻き込んだ騒ぎになっている。とくに、法案をごり押ししようとする動きに危惧を表明する意見が数百万単位でツイートされたことは、日頃こういう問題にはあまり関心を示さなかった国民が、これを深刻に受け止めていることの表れだろう。安倍応援団はこれをでっち上げなどといって貶めているが、そういう性質のものではあるまい。

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これもマグダラのマリアの悔悛あるいは回心をモチーフにした作品。福音書におけるマグダラのマリアの事跡は、イエスの晩年にかかわるもので、すでにイエスに従う女性として描かれており、それ以前の回心についての記述はない。したがって、マグダラのマリアの回心にかかわる話は、みな伝説とか臆見のたぐいである。それゆえ、その場面をテーマにするものは、作者の創造によるものが多い。カラヴァッジオの場合も例外ではないだろう。

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スティーヴン・スピルバーグの2005年の映画「ミュンヘン」は、1972年のミュンヘン・オリンピックにおける、パレスチナ人のイスラエル選手への攻撃をテーマにした作品だ。この攻撃でイスラエル選手とスタッフ計11人が殺害されたのだったが、映画はその攻撃を描くというよりは、これに怒ったイスラエル政府が、パレスチナ人の有力者に報復攻撃をするところを描いている。だから復讐劇だということもできる。それをスピルバーグは、「事実をもとにした」と言っているが、それについてイスラエル政府は公式にはなにも言っておらず、したがってどこまでが事実に合致するのか、明らかでないところが多いようである。

トランプがホワイトハウスでの定例の記者会見の場で、コロナウィルスへの自らの対応ぶりを、例によって自画自賛したところ、それを批判した女性記者に激怒して、会見を中断して立ち去ったということを、時事新報を始め日本のメディアも紹介し、中にはトランプの唯我独尊的な姿勢を批判するものもあったが、日本のメディアが全く取り上げないことを、アメリカを含めた欧米のメディアは報じている。それを読むと、小生は、日本のメディアの特異性を感じないではいられなかった。

第一段「因縁分」で本論の動機を述べた後、第二段「立義分」では、本論の構成が述べられる。義という言葉は、論の大綱を意味し、それを立てるというのであるから、本論の構成を述べるというわけである。だから、いわば目次のようなものにあたる。

第一次世界大戦終了後、ヴェルサイユ条約によって、敗戦国の処分についての大枠が決められ、オスマン・トルコは領土(支配地域)の大半を奪われることとなった。すなわちアラブ人地域の大部分が、サイクス・ピコ密約にしたがって、英仏の間で分割されることとなったのである。その割り当てを具体的に決めたのが1920年4月のサンレモ会議であった。この会議の結果、シリアとレバノンの地域がフランスに、トランスヨルダンを含むパレスチナとイラクの地域がイギリスに割り当てられた。これは、統一した独立国家を夢見ていたアラブ人を裏切るものであり、また、アラブ世界の中に人工的な国境線を引くものだった。それまで、アラブ地域では、部族による分断はあったものの、国境という概念はなかった。そこに英仏が、恣意的な形で、つまり自分たちの都合に合わせて、人工的な国境を引いたわけである。

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2007年公開の映画「レバノン」は、1982年6月におきたイスラエルによるレバノン侵略をテーマにしたものだ。この侵略戦争は、当時レバノンを拠点としていたPLOを叩き潰すことを目的にしてイスラエルが始めたもので、イスラエルによる一方的な戦争といってよかった。この戦争の結果アラファトらはチュニジアに拠点を動かすことを余儀なくされ、レバノンにいたパレスチナ人の多くが殺された。陰惨な難民大量虐殺事件も起こっており、ベトナム戦争とならんでもっともダーティな戦争といわれている。そのダーティな戦争を、戦争を仕掛けたイスラエル側の視点に立って描いたのがこの映画だ。

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大正十三年(1924)、朝日新聞が月めくりカレンダーのモチーフに美女画を採用することとし、清方にも注文がきた。そこで清方は、カレンダーらしく肩の凝らない絵として、女の何気ない表情を描いた。「襟おしろい」と題するこの絵がそれである。

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マグダラのマリアは、イエスの処刑の場に立ち会った女性として、福音書の中に出て来る。イエスの死体に香油を塗るため、油を収めた器をもっていたとされるので、彼女を描いた絵は、その器を持った姿であらわされることが多い。「悔悛のマグダラのマリア」と題したこの絵では、マリアは器を以てはおらず、そのかわりに足元に置いている。

「大乗起信論」は大乗仏教の入門書として、また「大乗仏教の本義を説き示す、根源的な仏教解説書」として、日本では仏教者の間のみならず、仏教研究者の間でも重要視されてきた。鈴木大拙や井筒俊彦といった思想家たちも、「大乗起信論」から大きな影響を受けている。ところがその成立については、従来異説が並びとなえられて来た。一説には、起信論そのものがいうように、馬鳴菩薩が作り、新諦三蔵が訳したといい、異説には、これはインド人ではなく中国人が書いたものだという。馬鳴菩薩とは、紀元前後に活躍したインド人だと言われるが、その事跡をたどることはできないでいた。また、新諦菩薩は中国の南北朝時代の梁で活躍していたといわれる。その新諦菩薩が、馬鳴菩薩の書いた「大乗起信論」を、紀元六世紀ごろに中国語に訳したという見方が従来有力だったのだが、その見方を決定的に否定する研究が、近年、日本人によって発表された。仏教学者の大竹晋が、2017年に発表した「大乗起信論成立問題の研究」という本の中で、「大乗起信論」は、中国南北朝時代に存在していた中国人によって、中国語の先行文献をもとに、パッチワーク的につなぎあわせて作ったものだと証明したのである。仏教学者の佐々木閑によれば、この証明は反駁できないもので、将来にわたって定説となるだろうという。

ユダヤ人についてのブルーノ・バウアーの侮蔑的な非難に対してマルクスは、ユダヤ人としての資格において反論するわけではない。バウアーはユダヤ人が解放されるためにはまずユダヤ教から解放されることが前提だと言っているが、これはユダヤ人の本質を宗教的な存在、つまりユダヤ教の信徒であることに求めているということだ。ところでそのユダヤ教とはいったい何ものなのか。その点についての解明、つまりユダヤ教の本質についての言明に、マルクスの現代社会についての認識が込められている。「ユダヤ人問題によせて」の後半部分は、そうしたマルクスの認識が展開されている部分である。

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2012年公開の映画「クロエの祈り(Inch'Allah)」は、カナダ・フランス合作の映画であるが、テーマはパレスチナ問題だ。カナダ人の女性医師がパレスチナの難民キャンプで人道支援活動に従事している。彼女はパレスチナ人がユダヤ人に迫害される様子を毎日見聞しているうちに、現実の非合理さを感じるとともに、自分の無力さをも痛感させられるというような内容で、パレスチナ人に同情的な視点から描かれている。だが、ユダヤ人を強く非難するというのでもない。製作スタッフの出自は詳しくわからないが、監督のアナイス・バルボ=ラヴァレットはパレスチナ人ではないようだ。

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鏑木清方は、大正十二年(1923)の郷土会に「桜姫」と題する作品を出展した。清玄・桜姫ものに題材をとったものだ。これは清水寺の僧清玄が、高貴の姫君桜姫に懸想したうえで悶死し、死後も桜姫にまとわりつくという物語で、徳川時代には大変人気のある話として、さまざまな狂言の材料となっていた。もっとも有名なのは、四代目鶴屋南北作「桜姫東文章」、清方はこれを材料にして、この絵を描いたようだ。

ミラン・クンデラが「存在の耐えられない軽さ」を発表するや、大変な評判を呼んだ。それには題名が大きな働きをしたのだと思う。存在と軽さという組み合わせが意外だったからだろう。存在というのは抽象名詞であって、それが軽さと結びつくことは普通はない。軽さと結びつくのは物理的な意味での存在者であって、非物理的で抽象的な名辞である存在ではない。にも拘わらずクンデラは、存在を軽さと結びつけた。しかも耐えられない軽さと。

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聖家族のエジプト逃避は、ジョット以来多くの画家が取り組んで来たテーマだ。ロバに乗った聖母子と、ヨハネの組合せというのが多いが、ほかに何人かの人間を配する構図もある。また、聖家族が休息しているところを描いたものもある。カラヴァッジオは、休息する聖家族の前に、天使があらわれて、かれらを慰藉するために楽器を弾いているところを描いた。こういう構図は珍しい。おそらくカラヴァッジオの独創ではないか。

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過日イスラエル映画「オマールの壁」について紹介したが、「パラダイス・ナウ」は、同じ監督ハニ・アブ・アサドが八年前の2005年に作った作品だ。前作はユダヤ人によるパレスチナ人の迫害がテーマだったが、こちらはパレスチナ人によるイスラエルへの自爆攻撃がテーマだ。

佐々木閑は仏教学者で、鈴木大拙の研究もしており、大拙の名著といわれる「大乗仏教概論」を日本語に訳している。これは英語で書かれたもので、欧米人にとっては、仏教理解のための入門書のような役割を果たしている。もっとも大拙の仏教論には、西洋の仏教学者を中心に強い批判があると佐々木は言う。大拙のいう仏教は、釈迦の創始した仏教とは似ても似つかない。それは仏教よりもヒンドゥー教に近い。いづれにしても本物の仏教ではないと言うのだ。そこは佐々木も賛成していて、大拙の仏教は大拙教と言うべきかもしれないなどと言っている。

第一次世界大戦は、パレスチナを含むアラブ世界に甚大な影響を及ぼした。この地域を支配していたオスマン・トルコはドイツ、オーストリアの側について、イギリスやフランスと戦ったのであったが、その戦いに敗れたために、広大な支配圏を失い、その後を英仏両国が埋めることになった。アラブ世界は、オスマン帝国の支配から解放されて、英仏領国の帝国主義的侵略の対象とされたのである。したがって、アラブ世界は世紀の転換を経験することとなったわけだが、なかでもパレスチナ地域の被った転換はもっとも大きなインパクトをもった。

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2013年公開の映画「オマールの壁」は、パレスチナ人のユダヤ人への怒りをテーマにした作品だ。パレスチナ人ハニ・アブ・アサドが監督したパレスチナ映画ということになっている。そのような触れ込みでカンヌの国際映画祭に出品され、特別審査員賞をとった。アカデミー賞にも出品したが、受賞することはなかった。アカデミー賞を主宰するハリウッド映画界はユダヤ人が牛耳っているので、そのユダヤ人が悪者にされているこの映画が、受賞するはずもないのである。しかし、そのユダヤ人から目の敵にされているパレスチナ人が、こういう映画を作ったということに、歴史的な意義を認めるべきだろう。

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鏑木清方は、金鈴社に出展するかたわら、自分の門下生らが組織する郷土会というものへも出品した。ごく身内の自主展覧会といったものである。そこに出展した一枚に「刺青の女」というものがある。タイトルの通り、刺青を施した背中をもろ肌脱ぎに披露した女の表情を描いている。

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カラヴァッジオは、ダルピーニのもとにいた時、多くの人間と知り合いになった。画商のヴァランタンもその一人だった。カラヴァッジオをデル・モンテ枢機卿につなげたのもヴァランタンだとされる。ヴァランタンはカラヴァッジオの多くの作品を売りたてる一方、売れる絵の制作を強く勧めた。当時よく売れた絵と言えば、宗教画だった。ジュビリーを控えて、需要が多かったのである。

日本人は宗教心に薄いとよく言われる。それは、宗教をどう考えるかにもよる。世界でもっとも多い宗教人口を抱える一神教(ユダヤ・キリスト教及びイスラム教)の立場からみれば、そう言えるかもしれない。現代の日本人にかかわりの深い宗教といえば、仏教と神道ということになるが、これらはどちらとも一神教ではない。なかには浄土宗のように、阿弥陀仏に帰依するという点で一神教に近い宗派もあるが、それを奉じている日本人は一部である。大部分の日本人は、一神教とは縁遠い。そんなことから、一神教を奉じる人からは、日本人は宗教意識が薄いと言われるわけである。

コロナ騒ぎをめぐって、トランプの中国攻撃が激しさを増している。大した根拠も示さず、コロナウィルスは中国で人為的に作られたと触れ回り、それを根拠に責任を取らせようとしている。それには損害賠償要求も含むという。こうした中国攻撃が、自分自身の政治的責任を棚上げする目的からなされているのは、見え透いたことだと思われるのだが、それを笑ってばかりもいられない。ヨーロッパ諸国や、オーストラリアといった白人国家も、最近はトランプに口裏を合わせて、中国の責任を大声で追及するようになってきたのだ。

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スティーヴン・ダルドリーの2008年の映画「愛を読むひと(The Reader)」は、ナチスの戦争犯罪裁判をテーマにした作品だ。ナチスの戦争犯罪については、裁く側の視点から描いたものが圧倒的に多い中で、この作品は裁かれる側の視点から描いた数少ない映画だ。その裁かれ方に納得できない部分がある。裁かれる人間、それは中年にさしかかった女性なのだが、その女性が生涯ただ一度の恋をしながら、おそらく事実とは違った認定をされて罪を背負う、というような、見ていて多少の切なさを感じさせるような映画だ。スティーヴン・ダルドリーが監督したこの映画は、ドイツを舞台にして、一応米独合作という形をとっているが、全編英語である。

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大正六年(1917)、鏑木清方は文展に出典していた画家仲間数名とともに、金鈴社という団体を作って、自主展覧会の開催を開始した。文展には、清方によると、うるさい制約があったようで、そうした制約を離れて自由に描きたいという動機から、そのような団体を作ったようだ。その第一回展覧会を、日本橋の三越で開いたが、そこに清方は「薄雪」と題した作品を出展した。

ゲーテ生誕200周年にあたる1949年に、当時アメリカに住んでいたトーマス・マンは、ドイツに招かれて、ゲーテを記念する講演をした。そのテーマは「ゲーテと民主主義」であった。マンがなぜ、このテーマで講演する気になったか。また何故、15年も前に追われたドイツに戻る気になったのか。くわしいことはわからない。ゲーテの生誕200年を記念して、是非講演をしてほしいという依頼はドイツからあった。マンといえば、当時のドイツを代表する知性だと、誰もが思っていたから、ドイツの宝ともいうべきゲーテをたたえる人としては、マン以上の適任はないと、ドイツ人なら誰もが思っただろう。だがそれにしては、腑に落ちないこともある。ドイツの敗戦直後にマンは、ドイツ人はドイツという国家を捨てて、ユダヤ人のようなさすらいの民となって世界中に散らばる方がよいと言っていた。何故ならドイツ人に国家を持たせると、ろくなことはないからだ。そんな風に祖国に毒づいていたマンが、その祖国に戻って、祖国の生んだ偉大な人間をたたえる講演を引き受けたというのは、腑に落ちないことと言って、見当違いではない。

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「バッカス」は、若者をモチーフにしたカラヴァッジオ初期の風俗画の仕上げのような作品である。これ以後カラヴァッジオの作風は、風俗画から宗教画の方へと移っていくのである。この「バッカス」は、デル・モンテ枢機卿が、友人のトスカーナ大公にプレゼントすることを目的に描かせたもの。バッカスをモチーフにしたのは「病めるバッカス」以来のことだが、この二つを比べて見れば、長足の進歩を見て取ることができる。

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フレッド・ジンネマンといえば、ゲーリー・クーパーをフィーチャーして、孤独な保安官が悪党どもに単身立ち向かうところを描いた「昼下がりの決斗」を作って、西部劇に革命的な変革をもたらしたと評価されている。それから12年後の1964年に作った「日曜日にも鼠を殺せ(Behold a Pale Horse)」も、やはり孤独な男が強い男を相手に単身立ち向かうところを描く。その点ではこの二つの作品は相似的だ。

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