2020年7月アーカイブ

cara1610.3.1.jpg

「ゴリアテの首を持つダヴィデ」は制作年代が特定されていない。1606年頃という説もあるし、死の直前1610年とする説もある。死の直前とする説は、ゴリアテのモデルがカラヴァッジオ本人であることに着目する。この絵の中のゴリアテすなわちカラヴァッジオの表情は憔悴しきっており、しかも初老の男のようでもある。1606年ごろのカラヴァッジオからは、こういう表情は想像できない。やはり死を目前に控えた、悩めるカラヴァッジオではないかというのである。

spain01.bees1.JPG

ヴィクトル・エリセは寡作な映画監督で、生涯に三つの長編作品しか作っていない。そのうち一本はドキュメンタリー映画だから、通常の劇映画は二本だけだ。1973年の作品「ミツバチのささやき(El espíritu de la colmena)」は、かれの最初の作品。テーマは子供の目を通じての、スペイン社会の現実だ。この映画は1940年のスペインの田舎を舞台にしており、フランコ政権が樹立したばかりで、スペインはまだ混乱を脱していなかった。そんなスペインが子供の目にどう映ったか。それをこの映画はあぶりだしている。

第八章は、漢訳では「入不二法門品」と題され、不二の法門に入るとはどういうことかについてがテーマだ。すなわちヴィマラキールティが菩薩たちに向って、不二の法門に入るとはどういうことか尋ねる。それに対して三十人あまりの菩薩たちがそれぞれの立場で答え、最後に文殊菩薩が議論をまとめるという形をとっている。その文殊菩薩のまとめを踏まえ、ヴィマラキールティが感想を述べる(ジェスチャーで表現する)というものである。

オスロ合意は、PLOにとって不本意な点が多かった。とくに東エルサレムの帰属問題と1948年以降パレスチナを追われてアラブ諸国に離散した人々の帰還権問題について、全く見通しが得られていなかった。しかしそれにこだわっていては前へ進めないという判断から、それらの問題は最終解決として先送りされ、とりあえずオスロ合意に基づく暫定自治を開始し、その後で最終解決に向けての努力をしようという方針をアラファトは立てた。

portugal04.vanda2.JPG

ペドロ・コスタはポルトガルのドキュメンタリー映画作家である。さまざまなドキュメンタリー映画で世界の注目を集めた。2000年に作った「ヴァンダの部屋」はかれの代表作だ。カンヌで話題になった。

edo007.tenma.jpg
(7景 大てんま町木綿店)

大伝馬町は、徳川時代初期には奥州街道の最初の宿場になっていた。その宿場に多くの伝馬が用意されていたことから大伝馬町と名づけられた。慶長二年(1597)に千住大橋がかけられて以降、最初の宿場は千住に移ったが、大伝馬町は引き続き栄えた。


cara1610.2.jpg

「洗礼者聖ヨハネ」は、カラヴァッジオが死んだ時に、舟の中に残されていた荷物に含まれていた。したがって彼の遺品ということになる。おそらく彼の最後の作品なのだろう。同じモチーフの絵が二点あったという。上のものはそのうちの一つである。もう一つは、特定できていない。

第六章は、漢訳では「観衆生品」と呼ばれ、前半では菩薩が衆生を観る観方について、後半では天女のあり方について説かれる。

マルクスの「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」を半世紀ぶりに読み返した。以前には岩波文庫版で読んだのだったが、今回は平凡社版で読んだ。翻訳者(植村邦彦)によると、岩波文庫版は第二版を底本にしておるそうだが、初版に比べると削除・簡略化が多いとのこと。その結果、初版に見られた「同時代の臨場感あふれる饒舌さ」が失われた。そこがもったいないと思うので、あえて初版による翻訳を試みたということである。

portugal03.light1.JPG

2012年制作のポルトガル映画「家族の灯り(O Gebo e a sombra)」は、マノエル・デ・オリベイラの遺作である。これを作った時、オリベイラは103歳になっていた。その年で映画を作ったものは他にいないのではないか。日本では新藤兼人が99歳で「一枚のはがき」を作ったのが最高齢の記録だ。

edo005.ekoin.jpg
(5景 両ごく回向院元柳島)

両国を含む本所の町は、明暦の大火以後にできた。まず隅田川に橋がかけられ、その東詰めに、大火で死んだ約十万人の人びとを弔うため、回向院が作られた。その回向院では、無縁仏を回向するために、年に二回勧進相撲が催された。それが今日の大相撲へと発展するわけである。

大江健三郎には、自分の小説の中でさまざまな文学作品を取りあげ、それへの注釈の形で自分の思想を吟味するという癖があった。「さようなら、私の本よ!」という小説では、セリーヌの「夜の果ての旅」を取りあげている。だが、詳しい注釈をしているわけではない。詳しい注釈はT・S・エリオットの詩に対して施され、「夜の果てへの旅」については、「おかしな二人組」の先例として紹介している程度だ。「おかしな二人組」というのは、大江が自身の晩年の三部作に冠した通称で、大江自身の分身と、それの更に分身と思われる人物との、おかしな二人組の繰り広げる物語を語ったものだった。その大江にとって、セリーヌの「夜の果ての旅」に出て来るバルダミュとロバンソンは、おかしな二人組の先駆者として映ったようなのだ。大江はその小説の中で、おかしな二人組が協力し合って、「ロバンソン小説」なるものを創作しようとするところを描いている。

ALS患者に対して薬物を投入し死亡させた医師二人が嘱託殺人罪で逮捕されたという。このニュースに最初に接した際には、事件の背景がはっきりしなかったので、なんとも判断のしようがなかったが、その後、新聞等で報道されていることからして、嘱託殺人で起訴されるのはやむをえないと考えるに至った。

cara1610.1.jpg

マルタ島を脱出したカラヴァッジオは、舟でシチリア島に向かった。シチリア島には、カラヴァッジオが若い時分に弟分として付き従っていたマリオ・ミンニーティがいたので、とりあえずかれを頼った。マリオはカラヴァッジオのために絵の注文を仲介したり、けっこうカラヴァッジオの面倒をみたようだ。シチリアでは、「聖ルチアの埋葬」とか「ラザロの復活」といった大作を描いている。

portugal02.yorugao1.JPG

2006年の映画「夜顔(Belle toujours)」を作ったとき、マノエル・ド・オリベイラは98歳になっていた。この映画をオリベイラは、ルイス・ブニュエルが1967年に作った「昼顔(Belle de jour)」の続編として作った。昼顔で描かれていた情景の40年後の出来事というような位置付けである。原題のBelle toujoursは、Belle de jourをもじったのだろうが、これは「いつでも美しい」という意味で、夜顔という意味はない。夜顔はフランス語でFleur de lune(月の花)と言う。

トランプが、オレゴン州ポートランドに軍装した連邦政府要員を派遣して、実力でデモを鎮圧する動きを見せた。トランプはこの動きを、シカゴやアルバカーキでも実施する意向を示している。これに対して、地元当局は、違憲な武力行使だとして批判しているが、トランプは聞く耳をもたない。これらの都市は無法な暴力都市になっているから、法と秩序を取り戻すための必要な措置だと言って、開き直っている。

十大弟子や三人の菩薩たちらがいずれも尻込みしたあとに、世尊は文殊菩薩(マンジュシリー)に向ってヴィマラキールティを見舞うように命じる。文殊菩薩も初めは躊躇していたが、仏陀の力添えを得て、自分の能力のままに談論してみましょうと言って、見舞いに行くことにする。文殊菩薩は智慧第一の菩薩とあって、世尊のまわりにいた大勢の人々は、きっとすばらしい法音を聞くことができるだろうと期待して、文殊菩薩のあとに従っていった。

イスラエルの建国時点(1948年)での人口(非ユダヤ人を含む)は約65万人だったが、1990年代半ばには400万人を超えた。その大部分は海外からの移入である。イスラエルは国力の増強という目的もあって、世界中に存在するユダヤ人を積極的に受け入れた。イスラエルにやってきたユダヤ人の多くは、もといた国での迫害を逃れるためにやってきたのだった。1967年の第三次中東戦争以降アラブ諸国からやってきたユダヤ人や、1980年代末以降にソ連からやってきたユダヤ人はその典型だった。

portugal01.home1.JPG

ポルトガル出身の映画監督マノエル・ド・オリベイラは、二十台で監督デビューしたものの、本格的に映画作りをするようになったのは七十歳以降だという変わり種である。老いてなお映画の情熱を失わなかったのは、日本の新藤兼人と似ているが、新藤の場合には若い頃から百歳になるまで、絶え間なく映画作りをしたのに対して、オリベイラの場合には、七十を過ぎてから旺盛な映画作りを始めたという違いがある。

トランプが、この11月の大統領選挙で敗れた場合にも、何かと理屈をつけて選挙結果を認めず、ホワイトハウスに居座り続けるという意向を、色々な機会に言明していることから、その可能性が現実味を帯びてきた。そこで、そうなった場合、事態はどのように展開していくのか、各方面でシミュレーションが始まっている。

edo003.yamashita.jpg
(3景 山下町日比谷外さくら田)

外桜田とは、日比谷門から半蔵門にかけての内堀の外側一帯をさしていった。今日でいえば、国会や裁判所を始め、日本の中枢機能が集中しているところ。徳川時代には、大名や大身の旗本の屋敷が集まっていた。

cara30.1.1608.1_edited-1.jpg

カラヴァッジオにとって、ナポリは居心地がよかったはずだが、八か月あまりで去り、マルタ島に向かった。目的はマルタ騎士団の騎士になることだった。かれがなぜマルタ騎士団の騎士になりたがったのか、その理由はいろいろ推測されているが、日頃騎士を気取り、それがもとで殺人まで犯したカラヴァッジオには、騎士への強烈なあこがれがあったようだ。なお、マルタ騎士団というのは、十字軍の産物として生まれたものであり、ヨーロッパじゅうの騎士が名声を求めて集まっていた。カラヴァッジオは貴族ではなかったが、画家としての名声が、認められたのだろう、暖かく迎えられた。

釈迦は十大弟子に続いて菩薩たちにヴィマラキールティを見舞うように命じるが、かれらも十大弟子同様尻込みする。やはり顔向けできないというのだ。

この秋の十月に、先年ロシア旅行をともにした仲間とポルトガル、スペイン方面へ旅行する計画だったが、コロナ騒ぎで、どうしたものかと思案する折合、期限も近づいたこととて、この際どうしたらよいか、戦略的な決定を迫られる段取りとなった。そこで我々は、東京のさるレストランに集り、戦略会議を催した次第だった。我々の世代は、重大な決定をする際には対面で話し合うという癖がついているので、いま流行のリモート会議ですますわけにはいかなかったのである。

マルクスとエンゲルスは「共産党宣言」の中で社会主義理論の批判を行っている。社会主義理論には様々な形態があると彼らは言い、それらを分類しているのであるが、分類の基準は階級である。没落しつつある階級(貴族階級など)の社会主義は反動的な社会主義であり、勃興の過程にあるブルジョワの社会主義は保守的社会主義であり、中産階級の社会主義は空想的社会主義である。それらに対してプロレタリアは基本的には共産主義を目指す。それゆえ社会主義はプロレタリアにとって、乗り越えられるべきものである、というのが彼らの見方であった。

jap78.sono4.JPG

中原俊の1990年の映画「櫻の園」は、女子高生たちの青春を描いた作品。出演した俳優のほとんどはオーディションで選ばれた少女たちとあって、みな幼いところを感じさせるが、中には大人びた者や、不良っぽい者もいる。その彼女らが、精いっぱい声を張り上げながら、青春を謳歌するというのが、この映画の見せどころ。少女の当事者にも受けそうな雰囲気の映画である。

edo001.yukibare.jpg
(1景 日本橋雪晴)

上の絵は、第一景「日本橋雪晴」。雪晴の景色ではあるが、全体の冒頭、春の部の最初に置かれている。

小説「夜の果ての旅」の内実は、語り手たるフェルディナン・バルダミュの放浪の旅である。その放浪の旅を小説は「夜の果ての旅」というタイトルにしているわけだが、「夜の果ての旅」(Voyage au bout de la nuit)とはどういう意味か。「夜の果て」といえば、普通は夜明けを連想するが、この小説からはそういう印象は受け取れない。夜はいつまでも明けないばかりか、かえって深まるばかりのようである。だから明けることのない夜の、暗闇の底を旅するといったイメージに受け取れる。それならなんとなくわかるような気がする。主人公フェルディナンド・バルダミュの旅は、目的地をもたない、したがって果てることのない旅なのだ。

cara29.1607.1.jpg

「キリストの鞭打ち」もナポリ滞在中の作品。サン・ドメニコ・マジョーレ聖堂の祭壇画として描かれた。福音書の中のキリストが鞭うたれる光景をモチーフにしている。この絵の中のキリストは、筋骨隆々とした姿で描かれており、罪人としての弱々しさは感じさせない。だが、周囲の男たちは邪悪な表情をしており、画面全体には暴力的な雰囲気がただよっている。

kkurosawa08.sanpo1.JPG

黒沢清の2017年の映画「散歩する侵略者」は、SF映画の一種といってよいが、ほかのSF映画とはかなり趣を異にしている。これは異星人による地球攻撃の話なのだが、異星人が直接地球を攻めるわけではなく、何人かの地球人に乗り移り、その地球人が攻撃の手引きをするというもの。その点は怪談仕立てになっているわけで、怪談話が得意な黒沢の趣味を盛り込んでいる。

第二章以下で、このお経の主人公であるヴィマラキールティ(維摩詰)が登場して、大乗仏教の基本的な思想を、菩薩を含む色々な人との対話を通じて展開していく。かれはヴァイシャーリーの城内に住んでいるが、世尊の注目を引こうとして病気を装う。自分が病気であると知れば、世尊が見舞をよこすだろうと思ったからだ。果たして世尊は、かれの病気を知って、弟子たちや菩薩たちに、見舞に行くように命じる。だが誰も行きたくないという。そのわけは、かつてヴィマラキールティから厳しく批判・説諭されたことがあり、顔向けができないからだという。お経は十人以上の弟子や菩薩たちがヴィマラキールティから受けた批判や説諭の内容をまず紹介していくのである。

1989年に東西冷戦が終焉する。ベルリンの壁が崩壊し、東欧の社会主義政権が相次いで倒れ、ゴルバチョフのソ連がペレストロイカを進め、西側との平和共存を目指した結果だ。ソ連が消えるのは1991年12月のことだが、それを待たずに冷戦から降りていたのである。

kkurosawa07.dagereo1.JPG

黒沢清の2016年の映画「ダゲレオタイプの女(La Femme de la plaque argentique)」は、日仏合作ということになっているが、事実上は、黒澤がフランスに招かれて作ったフランス映画だ。スタッフもキャストもフランス人だし、言葉もフランス語だ。かつて黒澤明がソ連に招かれて「デルス・ウザーラ」を作ったのと同じと考えてよい。

edo000.jpg
(名所江戸百景目録)

歌川広重は、葛飾北斎と並んで、徳川時代の浮世絵版画を代表する画家である。その名声はヨーロッパにまで及び、いわゆるジャポニズム・ブームを呼んだほどだ。かのゴッホも広重に啓発され、模倣した作品を残している。北斎もそうだったが、大胆な構図の風景画が、ヨーロッパの先鋭的な画家たちの目に斬新に映ったのであろう。北斎といえば、米欧では日本文化を代表するような扱い方をされているが、広重の意義もそれに劣らないと言うべきである。

cara28.1.1606.2.1.jpg

1606年5月に、カラヴァッジオは殺人事件を起こしてしまう。相手はラヌッチオ・トマッソーニ。かつてフィリーデ・メランドローニを愛人にしていた男で、カラヴァッジオとは長い付き合いがあった。その二人が殺し合いをした理由は詳しくはわかっていないが、色々なことで対立していたようだ。殺し合いは一対一ではなく、数人のグループ同士だった。その乱闘でカラヴァッジオ自身も、頭部に大けがをした。この事件をデレク・ジャーマンは、「カラヴァッジオ」という映画の中で、女をめぐるいざこざからというふうに描いている。映画ではレナという女をめぐって二人は三角関係にあったが、ラヌッチオがレナを殺したと知ったカラヴァッジオが復讐したということになっている。

維摩経の序章としての第一章は、仏国土の清浄について説く。仏国土は本来清浄なものであるが、それが不浄に見えるのは、見る者の側に問題があるのであって、仏国土に問題があるのではない。仏国土自体は清浄なのである。だからその本来の姿を見るように衆生を教導するのが大事なのであるが、それを行うのが菩薩の使命である。そう言って菩薩のあるべき姿について説くのである。それゆえこの部分は、仏国土の本来の姿と、それを衆生に教導すべき菩薩の心得について説いたものだといってよい。仏国土が何かについては、それは衆生そのものに他ならないといわれる。だから仏国土の清浄とは、衆生の清浄ということを意味する。衆生は本来、清浄なものなのである。

マルクスとエンゲルスが「共産党宣言」を書いたのは1848年のことだ。それから170年たった現在でも、この本は読む価値がある。歴史的な文献としてではなく、社会の分析と変革への重要な手引きとしてだ。この本は資本主義社会の基本的な特徴を分析したうえで、それを変革するための条件と、変革の主体について明らかにしている。この本が主張していることは、資本主義社会とは、ブルジョワジーとプロレタリアートの二大階級からなる社会であり、最終的にはプロレタリアートがブルジョワジーを倒して共産主義社会を打ち立てるというものだ。マルクスとエンゲルスはそうした主張を、単に願望としてではなく、歴史的な必然として提示したのだった。

kkurosawa06.kisibe4.JPG

黒沢清の2015年の映画「岸辺の旅」は、亡霊たちをテーマにしたものだ。その亡霊たちが、亡霊らしくはなく、あたかも現実界の人間と同じように振る舞うというのがこの映画のミソで、これを見ると、人間界と幽界との境界があいまいになる感覚に見舞われる。黒沢清にはもともとそう言う傾向があったが、この映画にはそれが極端な形で出ている。

kiyo1956.jpg

「十一月の雨」は、昭和31年(1956)の白寿会に出展したもの。時に清方は七十八歳だった。これも「朝夕安居」同様、東京の庶民の暮らしをモチーフにしているが、その服装等から見て、やはり明治の昔の暮らしぶりのようである。清方は、明治という時代に特別の愛着をもっていたようだ。そうした愛着は、随筆からもうかがえる。

ルイ=フェルディナン・セリーヌは、日本語での翻訳もあるが、あまり読まれているとは言えない。彼の母国フランスでも、いまでは忘れられた作家になっているらしい。だから小生も、彼の名前ですら知らなかった。はじめて彼の名前に接したのは、近年読んだ大江健三郎の小説「さようなら私の本よ」を通じてだった。その小説の中で大江は、セリーヌを現代フランス文学の異端の大家のように描いていたものだ。その評価の仕方に面白いものを感じたので、小生はセリーヌの作品を読んでみようという気になったのだった。

cara27.1606.1.jpg

ジェノヴァからローマにもどったカラヴァッジオは、教皇庁の馬丁組合から絵の注文を受けた。完成すれば、聖ピエトロ聖堂に展示されることになっていた。画家としては、聖ピエトロ聖堂に自分の作品が展示されることは最高の名誉と考えられていた。カラヴァッジオにとってもそうだったにちがいない。かれはそれまで何度も、聖ピエトロ聖堂のための仕事をしたいと思いながら、実現しなかったのだ。

kkurosawa05.sonata2.JPG

黒沢清の2008年の映画「トウキョウソナタ」は、リストラで解体の危機に瀕した家族の物語である。近年の日本社会は、リストラで生活基盤を失う人や、最初から非正規雇用で不安定な生活を強いられる人が増えているので、この映画はそうした世相を如実に反映したものとして、他人ごとではないという気持ちにさせられる。ホラー映画が得意だった黒沢としては、シリアスな作品だ。

先日は、トランプが大統領選挙に負けたにかかわらず、引き続き大統領の座に居座り続ける可能性が云々されていることを紹介したが、それとは全く反対に、トランプが大統領選挙を投げ出して、下りてしまう可能性を指摘するものもある。そういう指摘が、FOXニュースなど、ほかならぬトランプ応援団から出ているというので、一定程度の信憑性をともなって流通しているそうだ。

維摩経は般若経の思想を一層深めたものである。おそらく般若経の成立から程ない頃に、般若経の思想をより一層明確なものにするために作られたものであろう。般若経の思想は空という言葉に要約され、それを独特のロジック(鈴木大拙のいう即非の論理)で展開したものだったが、維摩経はその空の思想を、更に深めた形で展開した。また、般若経における大乗思想も一層深められた。それは仏国土の概念において顕著である。仏国土とは、現世とは異なったところにある理想的な場所などではなく、現世がそのまま仏国土なのだとし、その仏国土に生きている衆生が、修業をすることで菩薩となり、ほかの衆生をさとりに向けて教導すべきだということを強調するのである。

1987年の12月に、ガザ地区で自然発生的に始まったパレスチナ人のイスラエルへの抵抗は、やがてヨルダン川西岸へも波及し、全占領地での全面的な抵抗運動へと発展していった。これをインティファーダという。インティファーダとは、アラビア語で蜂起とか反乱を意味する言葉で、大規模な民衆蜂起を意味するものとして使われている。

kkurosawa04.kairo1.JPG

黒沢清の2001年の映画「回路」は、日本流ホラー映画といったところだ。日本流と言うのは、怪談仕立てになっているからだ。幽霊が出て来て人々を驚かす。しかも驚かすだけではなく、次々と不可解な死に方に誘い込む。それも人類全体がやがて死滅するのではないかという瀬戸際まで人類を追いつめる、といった具合で、やや大袈裟なところが子供だましのようにも見えるが、怪談の伝統を踏まえて、一応大人でも見られるものにはなっている。

今年11月の米大統領選挙でトランプが勝つ可能性はほとんどないだろうと見られている。本人もそのことを自覚していて、もし選挙に負けても、大統領に居座る方策を案じているのではないか、という観測が方々で打ち出されている。NEWSWEEK最新号に出た記事(How Trump could lose the election and still remain president)などは、その典型的なもので、それを読むとぞっとさせられる。そんなことがもし起こったら、アメリカはもはや民主主義国家とは言えない。トランプという独裁者が好き勝手に振る舞う専制国家というべきである。

kiyo1948.jpg

「朝夕安居」は昭和二十三年の日展に出展したもの。三つの巻物の形にしてあり、それぞれ朝昼夕の庶民の暮らしぶりが描かれている。その生活ぶりというのは、明治二十年代の東京の庶民の暮らしぶりを回想したものだという。現実の東京の庶民は、敗戦後の混乱の中で、その日暮らしに追われており、とても安居とはいかなかった。

cara26.1605.2.jpg

「書き物をする聖ヒエロニムス」は、カラヴァッジオがボルゲーゼ枢機卿への贈り物として描いたものだ。それにはワケがある。1605年の7月に、カラヴァッジオは傷害事件を起こしたことでジェノヴァに逃走するハメになった。相手は公証人のマリアーノ・パスクワローネ。原因ははっきりしないが、女をめぐるいざこざだったとの指摘もある。結局カラヴァッジオは、パスクワローネと示談してローマに戻ることができた。その示談の成立に、ボルゲーゼ枢機卿が一役かった。カラヴァッジオはそのお礼に、この絵を贈ったというのである。

第十七節以降は、それまでの部分(前半)で説かれたことの繰り返しがほとんどであり、また、前半に見られた論理的な(形式論理から見た)矛盾が一層強まっているように思われる。そこで、節ごとに一々詳細に言及するのではなく、特に目をひく部分を取りあげたい。

ロシアの憲法が、国民投票を経て改正された。ヴラヂーミル・プーチン大統領の仕込んだ改正だという印象があまりに露骨なので、これをプーチンの憲法改正と呼ぶ向きが、ロシア国内を含めて、強く指摘されている。実際この改正によって、プーチンは2036年まで大統領の座にとどまれる可能性が高まったし、その他の点でも、執行権力の強化が図られたようだ。というのも小生は、まだ改正憲法全文をつぶさに読んでいないので、いずれ詳しく読んだうえで、小生なりの批評をまとめてみたいと思っている。

「哲学の貧困」をマルクスはフランス語で書いた。ドイツ語に翻訳されたのは(マルクスの死後)1885年のことで、その折にエンゲルスが長い序文を付した。序文といっても、本文の解説というのではない。ロートベルトゥスへの批判が主な内容だ。ロートベルトゥスはマルクスの批判者で、マルクスが自分の説を剽窃したといって非難した。その非難が的外れであることを、この序文で主張しているのである。

kkurosawa03.charisma2.JPG

タイトルにある「カリスマ」とは、謎の樹木の名称である。その謎の樹木に多くの人々が翻弄されるさまを描いているこの映画は、実に奇妙な印象を与える。樹木をめぐって人間同士が対立しあうとも、また樹木が人間を罰しているとも解釈できる。人間同士の争いはよくあることで、それには色々な理由があり、その理由の一つに謎の樹木があってもよい。また、樹木が人間の不遜さを罰するという意味では、現代的な黙示録とも解釈できる。どちらにしても奇妙な映画である。

kiyo1946.jpg

清方は敗戦を疎開先の御殿場で迎えた。敗戦はやはりショックだったようで、しばらく制作から遠のいたのだったが、翌昭和21年に、戦後初めての日展が開催されると聞いて、急に創作意欲がわいてきて、一気に描き上げたという作品が、この「春雪」と題する一点だ。

鄭義の小説「神樹」には、抗日戦の話題が出て来る。この小説は中国近現代史が大きなテーマとなっており、その歴史が抗日戦と内戦を抜きに語れない限り、当然のことかもしれない。小生は中国の現代文学をそう読んでいるわけではないが、莫言の歴史ものなども抗日戦の話題を扱っており、中国人にとって抗日戦の話題はいまだに身近なようだ。

cara25.cara1605.1.jpg

カラヴァッジオは、ナヴォナ広場付近にあるサン・タゴスティーノ聖堂から、「ロレートの聖母」をモチーフにした祭壇画の注文を受けた。バリオーネ裁判が終わった1603年頃のことで、この注文品を翌々年の1605年に納品したようである。結構時間がかかったのは、丁寧に現地取材をしたからと言われている。ロレートとは、キリスト伝説にまつわる土地で、トレンティノの近くにある。そこへキリストの生家がイスラエルから飛来してきたという伝説が生まれ、大勢の人々の信仰を集めていた。

CURE:黒沢清

| コメント(0)
kkurosawa02.cure1.JPG

黒沢清の1997年の映画「CURE」は、連続猟奇殺人をテーマにしたサイコ・サスペンス映画である。殺人場面が頻出し、それがいかにも陰惨なので、見ていて衝撃を受ける。なにしろ、人の首を十文字状に切り裂き、しかも殺人を犯している人間が、当該行為について明白な意識をもたない。つまり催眠状態で犯しているのである。そこが非常に気味の悪さを感じさせる。

第十節から第十六節にかけては、金剛般若経のもたらす福徳について説く。その際に使われるロジックが独特のもので、これを甚深と言ったり、即非の論理と言ったりする。甚深とは、この経の中で用いられている言葉で、第十四節に出て来る。即非の論理は鈴木大拙が使った言葉で、通常の論理とは異なった金剛般若経独自の論理をさした言葉である。

1982年から1985年までの、三年にわたるレバノン戦争は、ベギンが仕掛けたものだった。ベギンの狙いはパレスチナの代表たるPLOを殲滅することだった。エジプトとの平和条約締結に成功したベギンは、もはやアラブ側が一体となってイスラエルに対立する事態を恐れることはなかった。それまでのアラブ連合軍は実質上エジプト軍が主体になっており、そのエジプト軍が参戦しないアラブ軍は敵にはならなかったからだ。また、折からイラン・イラク戦争がおこり、イラクは対イスラエル戦争に戦力を割ける状態ではなかった。ひとりシリアのみは、イスラエルに敵対していたが、シリアの戦力は大して怖れる必要がなかった。さらに当時のアメリカの政権は、レーガンが担っていたが、レーガン政権はイスラエル贔屓だった。つまり状況がベギンにとって非常に都合よかったわけだ。ベギンはこれをPLOつぶしの千載一遇のチャンスと受け止め、レバノンを根拠としていたPLOに攻撃を仕掛けたわけだ。

kkurosawa01.doremi1.JPG

1985年の映画「ドレミファ娘の血は騒ぐ」は、黒沢清にとって商業映画第二作だ。一作目の「神田川淫乱戦争」はピンク映画だったが、「ドレミファ」もまた当初はピンク映画として構想されたということだ。そんなこともあって、露骨な性的描写が多い。若い男女のセックスとか、若い女のマスターベーションといった具合だ。

最近のコメント

アーカイブ