2020年9月アーカイブ

天児慧の「中華人民共和国史新版」(岩波新書)は、中華人民共和国の誕生から習近平の登場する2012年頃までをカバーしている。新中国の通史という触れ込みだが、カバーする期間に着目すれば、一応そう言えるかもしれぬ。その通史を著者は、五つのファクターを意識しながら書いたということらしい。その五つのファクターとは、革命、近代化、ナショナリズム、国際的インパクト、伝統のことを言う。革命に着目するのは、新中国が社会主義革命によって成立したという建前からすれば穏当なところだろう。だがどんな革命だったのか、それが必ずしも明らかにはされていない。この本を貫いているのは、新中国の歴史を革命の進展として見るのではなく、権力闘争の歴史としてみる視点というふうに伝わって来る。だから、21世紀の中国がどんな体制の国なのかそれが不明瞭になっている。権力闘争の結果たどりついた体制というだけで、それが果たして社会主義国家といえるのかどうか、そのへんが曖昧になっている。

yamamoto01.carni1.JPG

山本政志の1982年の作品「闇のカーニバル」は、16ミリの低予算映画である。山本自らカメラを持って撮影した。筋書きらしいものはない。新宿あたりにたむろする若者たちの行動を、ドキュメンタリー風に追ったものだ。若者たちの生きざまは、刹那的で快楽至上主義といったもので、いささかの理智をも感じさせない。低能動物のように、なにも考えずに生きている。こういう人種には、今の日本では居場所がないと思うのだが、この映画が作られた頃の日本は、バブルに踊った時代で、ゆとりというものがあり、このようなゴクツブシどもにも生息する空間があった。そういう意味で、時代を感じさせる映画である。

edo043.edobasi.jpg
(43景 日本橋江戸ばし)

43景から夏の部に入る。その夏の冒頭も日本橋の景色である。この絵は、日本橋の上から、下流の江戸橋方面を眺めた構図。日本橋の欄干が大きく描かれ、背景との間でアンバランスなコントラストを演出させるところは、広重一流の遠近法である。

remb47.1.1.jpg

水浴するスザンナをめぐる逸話は聖書外典「ダニエル書」に出て来る。スザンナは名士ヨアキムの妻だったが、その美しさにユダヤの裁判官の長老二人が横恋慕し、強姦しようとする話である。これをレンブラントは視覚的イメージとして描いた。師のラストマンがチョークで描いたデッサンを参考にしたというが、構図を大胆に変えてある。ラスマトンのデッサンは、腰かけるスザンナと、背後から彼女に話しかける老人たちが描かれているが、この絵では、老人の一人がスザンナに襲い掛かり、スザンナは怯えた表情を見せている。

唯識二十論

| コメント(0)
「唯識二十論」はヴァスパンドゥ(世親)の主著の一つで、唯識派の基本思想を述べたものである。中観派と比較した唯識派の思想の根本的な特徴は、中観派が自我と対象を含めた現象的世界のすべてについて、その実在性を否定し、すべては空であると主張したのに対して、唯識派は、対象的な世界は心から生じる表象であって、それ自体としては実在しない、だがそれらの原因となる心は存在すると主張するところにある。心の存在にもとづいて対照的な世界を説明することから、唯心論とも言える。唯心論といえばイギリスの哲学者バークリーが思い浮かぶが、唯識派の思想は、西洋の学者によってバークリーの唯心論と比較されることが多いのである。

資本論は商品の分析から始まる。商品というのは、交換つまり売買を目的に生産されるもので、当然価格がついている。マルクスはその価格の根拠としての人間労働を考察したうえで、その人間労働の受肉したものが価値だとした。労働価値説である。労働価値説は、マルクスが経済学研究を始めた頃には、経済学の常識になっていた。その労働価値説にもとづいて、商品の価値を分析し、商品の取引の過程を通じて特殊な商品としての貴金属が貨幣に転化するさまを分析した。更にその貨幣が資本へと転化する過程を追っていくのであるが、その叙述の方法はヘーゲルの論理学のそれを強く感じさせる。マルクスのそうしたところについては、資本論とヘーゲル論理学の比較として、興味深いテーマになるだろう。

jap83.ing1.JPG

中田秀夫の1998年の映画「リング」は、その後のホラー映画ブームの火付け役となった作品。あるビデオテープを見ると、その一週間後に死ぬという設定で、そのビデオを見てしまった主人公の男女が、その呪いから解放される道をさぐるというような筋書きだ。

edo041.itigaya.jpg
(41景 市ヶ谷八幡)

市ヶ谷八幡神社は、いまの市ヶ谷駅の北西、小高い台地の上にある。文明八年(1476)、太田道灌が江戸の鎮守として、鎌倉の鶴ケ丘八幡宮を勧請して作った。もとは市ヶ谷御門の内側にあったが、寛永年間に現在地に移された。丘の上にあることもあって、鶴ケ丘八幡にちなんで亀ヶ丘八幡と呼ばれるようになった。

莫言を読む

| コメント(0)
莫言がノーベル賞を受賞した2012年前後には、ほとんどの日本人は村上春樹の授賞を期待していた。莫言は隣国中国の作家であるが、日本ではほとんど無名の存在で、したがってその作品も知られていなかった。莫言の小説を原作とする映画「赤いコーリャン」が世界的評判をとったことは、一部の映画ファンのなかで話題となったが、なにしろこの映画は、中国人の抗日闘争をテーマとしたものであり、日本兵の残虐さが大袈裟に描かれていたので、日本では悪質な反日映画と受け取られ、上映はされたものの、評判はよくなかった。そんな莫言が、ほかでもない村上春樹をさしおいて、同じアジア人作家としてノーベル賞を受賞したというので、日本じゅうがあっけにとられたものである。

remb42.1.1.jpg

今日「夜警」の通称で知られるこの絵は、正式には「フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ヴァン・レイテンブルフ副長のひきいる部隊」という。部隊とは、当時オランダに存在した市民軍の一部である。この市民軍は、対スペイン独立戦争で大活躍したのだったが、戦争が終わったあとも、引き続き維持され、いざというときに備えていたのだった。市民軍はいくつかの部隊からなっていたが、そのうちの一つからレンブラントに集団肖像画の注文があった。注文主は、フランス・バニング・コックである。コックは俄か成金で、豊かな財を持っていた。その金でレンブラントに自分が属する市民軍部隊の集団肖像画を描かせたのであった。かれの部隊に限らず、ほかの部隊も競って自分たちの集団肖像画を描かせたそうである。

jap81.kaidan3.JPG

小林正樹の1965年の映画「怪談」は、小泉八雲の一連の怪談話に取材した作品。四編の話をオムニバス風に並べたものだ。四編のうち「雪女」と「耳なし芳一」は例の有名な「怪談」から、「黒髪」と「茶碗の中」は他の短編小説集から、それぞれ取り上げている。

昨日は、かかりつけ医師のいるクリニックで、市の定期健康診断を受けた。そのなかで身体検査というものがあって、身長や体重などフィジカルなデータを測られる。身長と体重および肥満度などを一度に計れる便利な機会に乘ったところ、体重は58キロになり、小生の生涯最重記録を更新した。一方身長のほうは、166.4センチで、これは若い頃より6ミリ縮んでいた。その理由を小生は、骨が委縮したせいだと常々考えていたのだったが、もしかしたらそうではなく、単に頭が禿げたせいではないかと思ったりした。頭が禿げたぶん、髪の毛の厚みが追加されなくなったために、6ミリ縮んだように見えるのではないか。

中辺分別論は、唯識派の祖であるアサンガ(無着)がマイトレーヤ(弥勒菩薩)の教えを書き留めたものに、アサンガの弟ヴァスパンドウ(世親)が注釈を施したものであるとされる。マイトレーヤは実在の人物とは思われないので、実質的にはアサンガとヴァスパンドゥの共作なのだろう。唯識派の根本思想の一つ、三性説を詳しく述べたものだ。

米紙TIMEが2020年の最も影響力ある100人の一人に伊藤詩織女史を選んだ。パイオニアの部で選ばれた彼女は、日本でいままで強姦されても泣き寝入りしていた女性たちとは違って、強姦されても黙っていないと声を上げ、心無い連中の誹謗中傷を乗り越えて、女性の権利擁護に尽くしたことが評価された。

小島晋治、丸山松幸共著の岩波新書版「中国近現代史」は、1840年の阿片戦争から1980年代初頭までの中国近現代の通史である。日本の近現代史は、1853年のペリーの黒船来航から始まるわけだが、中国はそれより十数年前にイギリスとの戦争に敗れたことで、いやおうなく西洋諸国の圧力にさらされるかたちで近代史への扉を開かされたといえる。その後日本は西洋からの圧力に耐え、独立国家としての面目を保ったのに対して、中国は半植民地化され、苦難の歴史を歩んだ。その違いはどこから来たか。この本はそんな疑問に一定程度答えてくれる。

spain27.lucia1.JPG

ラテン系の民族は一概にセックス好きという印象が強いが、なかでもスペイン人は、日々おおらかなセックスを楽しんでいるようだ。そのスペイン人の映画監督フリオ・メデムも、セックスをモチーフにした映画を作った。2001年の作品「ルシアとSEX」は、そんなメデムの代表作である。

edo039.adumabasi.jpg
(39景 吾妻橋金龍山遠望)

吾妻橋は安永三年(1774)、墨田川の五番目の橋としてかけられた。徳川時代では最後の橋である。この絵は、その吾妻橋を、金龍山浅草寺とともに眺めた構図。背景に富士山が見えることから、吾妻橋の上流から眺めたかたちだ。手前に舟がつないであるから、おそらく竹屋の渡しに係留されているのだと思う。

米最高裁判事のルース・ベイダー・ギンズバーグの死去にともない、その後任人事をめぐって大騒ぎになっている。トランプと上院共和党は、大統領選の前に指名手続きを終わらせたいのに対して、バイデンと民主党は、大統領選後になすべきだと主張している。じつは四年前の大統領選挙のさいにも、それより数か月前に死んだ判事の後任指名を、選挙後に延ばしたということがあった。その際には、共和党側の強い意向に民主党側が譲歩したのであったが、今回はその共和党が、前例を無視して、早めに指名しようとして動いているわけだ。

remb38.1.jpg

「皮をはがされた牛」は、レンブラントとしては珍しいモチーフなので、その真偽が問題になったこともあるが、今日ではレンブラントの真作と広く認められている。こうしたモチーフを選んだのは、なにごとにも挑戦を惜しまないレンブラントの向上心の現われだと解釈されている。

「知恵のともしび」は、ナーガールジュナの著作「中論」へのバーヴァヴィヴェーカ(静弁)による注釈である。バーヴァヴィヴェーカは、中観派のうちの自立論証派に属する人で、帰謬論証派が論争相手を論駁することで自分の正統性を主張するやり方に対して、自分の意見を積極的に主張するという方法をとっている。その方法とは、六世紀ごろの仏教思想家ディグナーガ(陳那)が確立した論理学を駆使して自分の正当性を主張するというものである。

今日の朝日新聞の朝刊に「ライオン10万円 猫より安い」という見出しを見て、小生はライオンがこの値段で、ペットショップで売られているのかと思ったら、そうではないらしい。日本の動物園には、繁殖した動物を相互に交換する慣習があるようで、その場合にライオンに付けられる値段の相場が10万円だというのだ。

マルクスの経済学研究の成果は、「資本論」という形で現われる計画であった。その全体像のうち、マルクスの生前に公表されたのは、今日「資本論」第一部とされている部分であり、残余の部分については、エンゲルスの手によって、「資本論」第二部及び第三部という形で公表されたことは周知のとおりである。

spain26.otto1.JPG

フリオ・メデムの1998年の映画「アナとオットー(Los Amantes del Círculo Polar)は、両親同士が再婚した義理の兄妹の恋愛をテーマにした作品だ。兄オットーの父は、妻と離婚してアナの母と結婚した。アナの父は交通事故で死んだのだった。オットーとアナはもともと同じ学校に通っていて、互いに好意を抱きあっていたのだったが、かれらの両親が結婚したのは偶然のことだった。オットーは、父親が母親と離婚したことにわだかまりがあったが、アナと一緒に暮らせるのがうれしかったので、母親と一緒に暮らしながら、週末にはアナのいる父親の家で過ごすのだった。

ジャパンライフ事件はこの国の無軌道ぶりの一端を見せつけた。未曽有の規模の詐欺事件ということもあるが、時の権力者が、その詐欺に何らかの形でかかわったという嫌疑が広くいきわたり、国全体が詐欺劇場の観を呈したものだ。

edo037.hashiba.jpg
(37景 隅田川橋場の渡かわら竈)

橋場の渡しは、今の言問橋のやや上流で、浅草の橋場と向島の寺島を船で結んでいた。荷風散人の小説「隅田川」の舞台となったところ。隅田川の渡し場としては、最も古いといわれる。かの在原業平も、この渡しで舟に乗ったものだ。その折に京を懐かしんで詠んだ歌、「名にしおはばいざこととはん都鳥わが思ふ人はありやなしやと」。言問橋の名称は、この歌から来ている。

莫言の小説「酒国」にはさまざまなテーマが込められているが、中心となるのは酒と人肉食である。莫言の猥雑で豊穣な世界のなかで、人肉食が正面から取りあげられているのは、この小説の中だけだ。このショッキングなテーマを莫言はなぜ、持ち込んだのか。人肉食といえば、日本では大岡昇平の「野火」が思い浮かぶ。大岡の描く人肉食は、飢餓に迫られての極限的な行為であり、したがって極めて倫理的な意味合いを付与されている。それに対して莫言の描く人肉食は、そうした倫理的な意味合いを持たされていない。かえって祝祭的な雰囲気に包まれている。

remb36.1.1.jpg

「目をえぐられるサムソン」も劇的な一瞬をとらえた作品。サムソンは旧約聖書の士師記に出て来るユダヤ人の英雄で、ユダヤ人を苦しめていたペリシテ人を相手に、たびかさなる武勇を示したが、それは神の力添えの賜物だった。ところがある時一時的に神の加護が無くなったところをペリシテ人に襲われ、両目をえぐられてしまう。この絵は、その場のシーンを再現したものだ。

spain25.alex1.JPG

アレハンドロ・アメナーバルの2009年の映画「アレクサンドリア(Agora)」は、古代末期のエジプトで活躍したギリシャ系女性天文学者ヒュパテイアの半生を描いたもの。彼女はキリスト教会の迫害を受けて、無残な殺され方で死んだ。キリスト教史の暗黒面のヒーローといえるので、キリスト教国ではあまり触れたがらないテーマだ。それをあえてとりあげたアメナーバルは、無神論者なのかもしれぬ。

雑誌「世界」の最近号(2020年10月号)が、「攻撃する自衛隊」と銘打って、最近の自民党政権による好戦的な傾向を分析している。その動きの象徴的なものは、イージス・アショアの配置を断念するかわりに、敵基地攻撃能力の獲得を追求しようというものだ。イージス・アショアはもともと、敵からのミサイル攻撃の防御を目的したもので、あくまでも自衛のための措置と言っていたものが、積極的に敵国の領土内の基地を攻撃しようというのは、先制攻撃の要素が強いというべきであり、したがって自衛を逸脱したものと言わざるをえない。

中論は中観派の祖ナーガールジュナ(龍樹)の主著である。般若経の空の思想を詳細に展開している。般若経は大乗仏典の中でもっとも古く成立し、大乗仏教の根本思想を説いたものであるが、その成立にナーガールジュナがかかわっている可能性があると言われる。それは、ナーガールジュナが放浪の末大竜菩薩に出会い、その菩薩から般若経を授与されたという伝説が物語っている。

先日、ドイツやロシアへ一緒に旅行した仲間と、神田小川町のイタリアレストランで会った。例の如く、大声を張り上げながら、老人らしい話題に花を咲かせるうちに、大坂なおみ選手の話になった。いまアメリカで起きている深刻な人種差別問題に、彼女が声を上げ、脅迫の恐怖を覚えながらも、人種差別への反対を表明し続けたのはすばらしい。日本では、スポーツ選手や芸能人が、政治的なイシューをめぐり発言することはタブー視されており、アメリカでさえも、一定のリスクを伴うと言われているが、そういう風潮のなかで、毅然として自分の意見を表明したのは、誰にもできることではない。

吉田孝は、日本の古代史が専攻だそうだ。その吉田が、「歴史の中の天皇」においては、天皇制の歴史を東アジアの政治情勢との関連で論じた。同じ岩波新書に入っている「日本の誕生」は、それより十年ほど前に書いた本だが、ここでも日本の古代史を、東アジアとの関連においてとらえている。標準的な日本の古代史は、中国をはじめ東アジアとの関連を、当然考慮に入れることはあっても、それは付随的な位置づけで、日本という国を動かしてきた要因は、主に日本内部から生じて来たと考えた。吉田はそれに対して、東アジアからの影響こそが、日本の歴史を動かしてきた主な要因だったとらえるわけである。

spain24.flying1.JPG

アレハンドロ・アメナーバルの2004年の映画「海を飛ぶ夢(Mar adentro)」は、尊厳死をテーマにした作品だ。ホラー映画やサスペンス映画など娯楽性の強い映画を作ってきたアメナーバルとしては、めずらしく社会的な問題に取り組んだもの。

自民党内の、猿芝居を思わせる権力闘争の結果、大方の予想通り菅前官房長官が新しい総裁、つまりこの国の首相になった。国民の多くは、この結果に異議を唱えていないということらしいが、ひとり複雑な気持ちを抱いている人々がいる。沖縄県の人々だ。菅新首相は、安倍前総理とかぶさる期間官房長官を務めてきたし、その立場から、沖縄の民意を無視して辺野古の米軍基地建設を進めてきた。首相になっても、その立場はかわらないだろう。むしろ、安倍前総理以上に、辺野古基地建設の推進に前のめりになるのではないか。沖縄の人々の大部分は、そう受け止めているのではないか。

edo035.suijin.jpg
(35景 隅田川水神の森真崎)

水神の森は、いまの墨田川神社のことで、もとは浮島神社といった。東京都が整備した白髭東防災拠点の中にある。梅若伝説で有名な木母寺の南側である。浮島神社と呼ばれたわけは、この地が一段と高くなっていて、墨田川が氾濫して洪水になっても、ここだけは水没しなかったからだという。

remb12.35.3.jpg

「ペルシャザルの饗宴」と呼ばれるこの絵も、ドラマチックな雰囲気を強く感じさせる作品だ。旧約聖書のダニエル書に出て来る逸話に取材したもの。ペルシャザルは、バビロン王ナボニドゥスの子で、次期バビロン王になるはずだったが、ユダヤ人を迫害したことで滅亡したというような話である。

廻諍論は、ニヤーヤ派の実在論批判に続いて、小乗仏教のアビダルマ思想を批判する。アビダルマもニヤーヤ派同様実在論の立場に立っているので、ニヤーヤ批判と同様の批判がなされてしかるべきなのであるが、仏教である点ではナーガールジュナと同じ基盤に立っている。そこでアビダルマ批判は、ニヤーヤ派批判とは多少異なる趣を呈することとなる。ナーガールジュナは、ニヤーヤ派の実在論を、専ら論理的な見地から批判したのであるが、アビダルマについては、仏陀の教えに反していると批判するわけである。

いま話題の「ドコモ口座」による詐欺事件。これがネットの見出しに載った時、小生は「どこもろざ」と読んでしまい、どこかの劇場の名かと思ったりした。ところが同じような読み違えをしていた人が他にもいた。人気のあるニュース案内人ビート・たけしだ。たけしも当初、これを「どこもろざ」と読み、どこかの劇場の名かと思ったそうだ(TBSの「Nキャス」で披露)。

spain23.others2.JPG

アレハンドロ・アメナーバルの2001年の映画「アザーズ(Los Otros)」は、スペイン流の幽霊映画である。日本で幽霊映画といえば、生きている人間が幽霊に悩まされるというパターンがほとんどだが、この作品は逆に、幽霊が生きている人間に悩まされたり、幽霊同士が脅かしあったりする。実に奇妙な映画である。

マルクスの思想が人類史上に持つ意義は、資本主義社会の歴史的な性格を解明し、それには始まりと終わりがあると指摘したことだ。資本主義社会が、歴史上の一時期に成立した限定的なものであって、やがては終末を迎えると指摘したことは、大方の人間にとってはショッキングなことだった。とりわけ社会科学者を自認している連中は、資本主義こそは永遠に持続するものであって、それに代替する制度はあり得ないと思っているから、マルクスの主張はスキャンダラスでさえあった。そういう意味では、ニーチェと似たところがある。ニーチェはキリスト教道徳の起源と、その歴史的な制約性を指摘し、キリスト教徒が考えるような永遠不変なものではなく、かえって粉砕すべきできそこないの制度だと指摘した。マルクスもまた、資本主義社会を粉砕すべきだと主張したわけだが、ニーチェがキリスト教への敵愾心から、その粉砕を主張したのに対して、資本主義社会には、崩壊へ向かっての衝動というか、必然性があると主張したのだった。

edo033.yotugi.jpg
(33景 四ツ木通用水引ふね)

四ツ木通用水とは徳川時代の上水の一つで、元荒川の瓦曽根から水を引いて、四ツ木を通って向島まで水を供給していた。しかし水質が悪く、時に海水が交ったりしたので、飲用には適さず、廃止されてしまったが、用水路そのものは、後々迄残った。それを埋め立てたのが、現在の曳舟通りである。

莫言には自己引用癖があって、小説の中でたびたび自分の作品や自分自身を引用或は言及する。これは、大江健三郎を模倣したのか、あるいは彼自身のこだわりなのか。大江の場合には、自己引用癖が現われるのは晩年の作品のなかであり、それも後発の作品が以前の作品を引用するような形をとった。そこから、一連の作品が相互に響きあうような独特の効果を生み出し、複数の作品が一つの世界を共有しあうような体裁を呈した。大江は、最初は大した意図があってそうしたのではないようだが、やがて意図的にそうしたスタイルを追求したようだ。そのことを通じて、大江が影響を受けたらしいバルザックの人間喜劇の世界を再現しようとしたのかもしれない。

remb11.35.2.jpg

レンブラントには、モチーフとなったものをなるべくドラマチックに描くという傾向が強くあった。この「イサクの生け贄を天使に止められるアブラハム」も、そうした傾向が強く現われている作品だ。これを見る者は、あたかも自分の眼前で実際に起きていることを目撃しているかのような錯覚を覚えるほどだ。

spain22.openy4.JPG

アレハンドロ・アメナーバルの1997年の映画「オープン・ユア・アイズ(Abre los ojos)」は、ある男の夢の中の世界を描いたものだ。スペイン語の原題は「目を覚ませ」という意味。これは主人公の男が目覚ましの警告音に設定した女の声なのだが、その警告音で映画は始まる。そこで男は、目を覚まして街へと出かけていくのだが、それが夢の中の世界らしく、街には誰もいないのだ。そんなわけで、映画の全体がその男の夢のようでもあるし、また一部は現実のようでもあるという具合で、実に複雑な構成になっている。ともあれ夢の中の世界をあたかも現実の世界のように描いている点で、サイケデリック映画と言えよう。

「廻諍論」は、ナーガールジュナ(龍樹)の著作「論争の超越」の漢訳である。ナーガールジュナは中観派の創始者といわれ、般若経の空の思想を深化・発展させた。「廻諍論」は「中論」と並んでかれの代表作である。七十の詩頌とその解説からなっている。詩頌とは韻文であり、暗記しやすいように出来ているが、簡潔すぎてわかりにくいという短所がある。そこで解説が必要になるが、「廻諍論」ではそれを、ナーガールジュナ自身が行っている。

著者は日本の古代史が専攻だそうだ。その著者が、日本の天皇制を、古代から現代までの長い時間軸のなかで見るとともに、東アジアとのいわば国際関係のなかで位置付けようというのが、この本の基本的な視点だ。というのも、日本の天皇制とは、古代に成立して以降いくつかの大きな変換を経ており、またそれとの関連で東アジア諸国との間で強い影響を及ぼしあってきた。それらを視野に置かない限り、日本の天皇制を正しく理解できないというのが、著者の考えだ。

f1194.JPG

マイケル・ムーアは、現代政治を厳しく批判するドキュメンタリー映画作家として知られる。かれの批判は、主に共和党の政治家たちに向けられる。だから共和党からは蛇蝎の如くに憎まれている。とりわけ共和党の憎悪の対象となったのは、ブッシュ政権を批判した「華氏911」だ。これは息子ブッシュを戯画的に描く一方、共和党議員たちの偽善的な態度を皮肉っぽく描いていたので、モデルにされた人たちからは、強い反発を受けた。

各派閥の支持を受けて、菅候補の圧勝は間違いないと思われていたが、どうのその流れに変化が生じる可能性が出てきた。菅候補が、党・内閣の人事は自分の一存で決め、派閥の意向は無視すると発言したためだ。これには、二階派を除く各派閥は反発するはずだ。菅候補の勝利は各派閥の支持があってこそだ。その支持は当然、見返りとセットになっている。その見返りである人事をめぐって、派閥の意向を無視するとあっては、派閥として菅候補を支持するモチベーションがなくなる。そんなわけで、菅候補の独断的な姿勢に反発した派閥が、岸田候補に鞍替えする可能性はゼロではなくなった。

edo031.aduma.jpg
(31景 吾嬬森連理の梓)

吾嬬の森は、今の墨田区の北東部、東武亀戸線の沿線にあった。北十軒川が旧中川に合流するあたりである。そこに日本武尊の妃弟橘媛をまつった吾嬬権現社があって、その境内に巨大な楠がたっていた。大きく二股に別れていたので、人々はそれを連理の楠と呼び、神木として仰いだ。

remb10.1.35.1.1.jpg

レンブラントは、自分自身の自画像と妻サスキアの肖像画を熱心に描いたのだが、二人そろってポーズをとっている絵は、この作品くらいだろう。レンブラントは、放蕩息子を気取って酒場で気勢を上げ、妻のサスキアはそれを鷹揚に見守っているというような構図だ。

角川書店刊仏教の思想シリーズ第11は「古仏のまねび<道元>」と題して、道元の生涯と思想をテーマにしている。担当は高崎直道と梅原猛。高崎はインド哲学が専門で、道元の専門家ではないが、だからこそ道元を仏教全体の大きな流れのうちに位置付けられる資格があると梅原は言っている。その道元の思想は「正法眼蔵」に集約されているが、これがまた世界一難解といってよいほどむつかしい書物だと梅原は言う。小生も同感で、今の自分の知力を以てしては、十分に理解することができないでいる。いつか読みこなせる日が来ることを願っているが、生きている間にその日が来ることを期待できるかどうか、甚だ心もとない。

マルクスほど現代思想に大きな影を落とした思想家はないであろう。影響といわず単に影というのは、その影響の仕方に複雑なものがあるからだ。マルクスの思想に共鳴して、それを自己の思想的な基盤に据えるような、いわばプラス方向での影響もあれば、その思想に反発して、なんとかそれを無力化しようとするマイナスの方向での影響もある。どちらにしても、マルクスは熱く論じられてきた。その最大の理由に、マルクスの思想が現実の歴史を動かしてきたということがある。ソ連はじめ20世紀に成立した社会主義国家が、どれほどマルクスの思想を実現したのか、議論の余地はあるが、まがりなりにもマルクス主義の名を掲げたのであったし、資本主義を擁護する思想家たちも、マルクスの思想的意義に鈍感ではありえなかった。かれらはかれらで、マルクスを意識しながら、資本主義体制の美点を強調せざるを得なかったわけだ。

spain21.tesis1.JPG

アレハンドロ・アメナーバルは21世紀のスペイン映画を代表する監督である。1995年に「テシス(Tesis)」でデビューした。23歳の時である。当時のスペイン映画界の観客動員記録を塗り替えるヒットだったそうだ。実際観客を楽しませてくれる映画だ。アメナーバルには、映画というものは芸術性ではなく興行性を重んじるべきだという持論があったようで、デビュー作のこの作品で、その持論を実践して見せたというわけだろう。

トランプは、米軍の戦死兵士に敬意を払わないし、場合によっては侮辱することもある。そういってトランプを厳しく批判する記事が米紙The Atlanticに掲載された(Trump: Americans Who Died in War Are 'Losers' and 'Suckers')。記者は同紙の主任編集員ジェフリー・ゴールドバーグ。この記事を読むと、トランプの人間性がよく見えて来る。かれにとっては、金にならないことをするのはバカのやることで、利口な人間は、金にならない無駄なことはしない。兵役に志願して命を失うことは、もっとも馬鹿げたことである。そういうトランプには、世の中に、金以外に重要な価値があることなど考えられない、と、この記事はトランプの人間性を厳しく批判している。

edo029.sunamura.jpg
(29景 砂むら元八幡)

砂村は、いまでは砂町と呼ばれ、江東区の東側にある。その一角に八幡神社があって、元八幡と呼ばれている。この神社は平安時代の末期からあった古いものだが、寛永六年(1629)に今の深川の地に移されて富岡八幡宮となった。そこで古い社殿を元八幡と呼ぶようになったのである。

莫元の創作年表を見ると、1996年発表の「酒国」は、かれの一連の本格的長編小説の走りとなるものだということがわかる。その三年後には「豊乳肥臀」を書いており、以下堰を切ったように多くの長編小説を書いた。それらが、幻覚的リアリズムという評価を得て、ノーベル文学賞を受賞したことはよく知られている。

remb09.34.2.jpg

レンブラントは生涯に夥しい数の自画像を描いた。油彩、版画を併せると百点を超える。こんなに多くの自画像を描いた画家は他にいない。ゴッホも多くの自画像を残したが、その数はレンブラントの半分以下だ。レンブラントは、自分の肖像をモチーフにしたばかりではない、作品のなかで群衆の一部に自分の姿を描き加えるなど、要するに自分の姿にこだわったのである。

cubric12.doc3.JPG

スタンリー・キューブリックの1964年の映画「博士の異常な愛情」は、原題を Dr. Strangelove or: How I Learned to Stop Worrying and Love the Bomb というが、米ソの核戦争がテーマだ。頭のいかれたアメリカの将軍が、独断でソ連への核攻撃を空軍に命令する。それを受けて、水爆を積んだ爆撃機が一斉にソ連攻撃に向かう。事態を察知した大統領は、急遽安全保障会議を開き対応を協議する。同時にホットラインを通じてソ連の首相とやりとりし、最悪の事態を避けようとする。しかし事態の悪化を止めることはできず、アメリカ側の爆撃機がソ連国内に水爆を投下する。それに対してソ連側も反撃。地球は核兵器によって破壊される、というような、ぞっとする内容の映画だ。

アメリカの軍隊は、伝統的に共和党寄りだった。軍人出身の大統領アイゼンハワーは共和党員だったし、過去の大統領選挙では、軍人たちの共和党候補への支持が目立った。トランプでさえ、軍人からの支持はヒラリーを上回ったのである。ところが最近、そうした傾向に異変が起きているという。バイデンへの支持がトランプを上回ったとの調査結果が出ているのだ。

法華経は28品からなっている。一時に成立したものではなく、ある時間の範囲内で順次積み重なっていったと考えられる。紀元50年から150年頃までの間に成立したらしい。もともとは27品であったが、天台智顗の頃に「提婆達多品」が「見宝塔品」第十一の次に加わって28品となった。

安倍晋三総理の突然の辞任を受けて、さっそく自民党の総裁選びがはじまったが、総裁選の公示をまたずに、次期総裁が決定したようである。例によって派閥間の談合が行われ、その結果、岸田、石破のグループを除いた全派閥が菅官房長官に一本化したと報道されている。今回は、自民党員の広い参加を得ておこなうのではなく、実質国会議員だけで決めようということだから、これで結果は決まったといえるのである。いつものこととはいえ、自民党の体質を思い知らされる。国民の目を無視して、自分たちのうちわの都合だけで、次の総裁、つまり総理大臣を決めようというわけだ。

中東は日本から距離が遠いので、地政学的な条件から外交上大きな意義を占めることはなかった。特に戦後においては、日本はアメリカの属国のような立場になり、独自外交を展開する余地はあまりなくなった。日本の戦後外交は、基本的にはアメリカの外交政策に乗ったものにならざるを得なかった。それを踏まえたうえで、国連の政策と歩調をあわせるというのが日本外交の基本的な方向性だったということができる。

cubric11.lolita3.JPG

スタンリー・キューブリックの1962年の映画「ロリータ」は、ナボコフの有名な小説を映画化したものである。小生は原作を読んでいないので、比較することはできないが、聞くところによれば、ナボコフはこの映画に失望したというから、原作の雰囲気とは違ったもののようである。原作では、ロリータはローティーンの少女ということになっており、その少女に中年男が異常な愛を向けるというものだったようだが、この映画の中ではロリータはハイティーンになっており、しかも性的な場面は全くといってよいほど出てこない。原作はその部分を売り物にしているわけなので、それが出てこないでは、気の抜けたサイダーのようになってしまうだろう。

edo027.kamata.jpg
(27景 蒲田の梅園)

蒲田は梅作りに向いた土壌を生かして、多くの梅園があった。鑑賞用ではなく、梅干しが目的の白梅が栽培されていたが、花の盛りの時期には、近隣のみならず、各地から大勢の人々が訪れた。東海道を行く旅人や、参勤交代の大名行列も立ち寄ったという。

最近のコメント

アーカイブ