2020年12月アーカイブ

資本論第三巻は、総題を「資本主義的生産の総過程」として、剰余価値の利潤への転化と、それの各プレーヤー(資本家、地主、商業資本及び金融資本など)への分配について論じている。これにエンゲルスは結構長い序文を付している(小生使用の普及版で35ページを占める)。この序文は二つの部分からなり、その一つは刊行が遅れたことへの言い訳、もう一つは同時代の経済学者への批判である。

徳川時代を通じて日本と中国(清国)との間には正式な外交関係はなかった。徳川幕府は、中国人商人が長崎で貿易活動をするのを許してはいたが、日本人が中国に渡るのは許さなかった。そんな日本が中国と正式に向き合うのは1862年(文久二年)のことである。この年徳川幕府は千歳丸を上海に派遣し、中国側代表との接触を試み、ある程度の関係を結ぶことに成功したのである。

us13.bond3.JPG

1934年のアメリカ映画「痴人の愛(Of Human Bondage)」は、ベティ・デヴィスを大女優にした記念すべき作品である。というのも、小生のようなベティ・デヴィスのオールド・ファンにとっては、彼女を一躍大女優に押し上げたこの映画は、実に記念するに値するのだ。

edo095.konodai.jpg
(95景 鴻の台とね川風景)

鴻の台は、江戸川の下流、いまでいえば千葉県の市川市にある高台である。付近に下総の国府があったことから国府台と呼ばれたのが始まりだが、台地の下を流れる川にコウノトリが飛来したことから鴻の台とも呼ばれた、

vela36.1.jpg

フアン・マルティネス・モンタニェースは、ベラスケスより40歳も年長の彫刻家で、ベラスケスの少年時代には、セビーリャを根拠地として活躍していた。そのモンタニェースが、1635年に宮廷より招待された。フェリペ四世の騎馬像の彫刻を作成するためである。

「化城喩品」第七は、「五百弟子授記品」へのつなぎの役を果たす章である。釈迦仏は、五人の高弟に授記した後、大勢の人々を次々と授記していく。授記とは、成仏を約束することだが、人はなぜ成仏できるようになるのか、その因縁を語るのがこの「化城喩品」なのである。つまりこの「化城喩品」は、仏になるための条件と、実際に仏に成った人たちの行いについて語るのである。例によって譬喩を通じて語られる。「化城宝処の譬え」である。

マルクスの単純再生産モデルは、理論上の仮定としてはありえても、現実的にはありえない。単純再生産モデルは、剰余価値のすべてが非生産的に消費され、あとかたもなくなってしまうことを想定していたが、現実には、剰余価値の一部は、生産の拡大のための追加資本として使われるのである。この追加資本の部分が、生産の拡大をもたらす。

us12.yve2.JPG

ベティ・デヴィスはアメリカ映画史上最高の女優の一人だと言われる。独特の風貌と妖艶な雰囲気が強烈なインパクトをもって迫って来る。小生が彼女を映画で見たのは、ウィリアム・ワイラー監督の「黒蘭の女」が最初だったが、それ以来すっかり彼女にのぼせ上ってしまい、是非こんな女を愛人にしたいと、未成年にして思ったものだ。

edo093.niijuku.jpg
(93景 にい宿のわたし)

にい宿のわたしとは、旧日光街道が亀有で中川をわたるところに設けられていた。旧日光街道は、千住大橋を超えたところで奥州街道から別れ、亀有を経て日光方面に向かっていたのである。このわたしを渡ったところの宿場を新宿と言った。

西門鬧が三度目の転生をして豚となるのは1972年のことである。その豚としての彼が死ぬのは1981年のことだから、転生豚としての西門鬧の生涯は1970年代をほぼカバーしているわけだ。その七十年代は、他の時代と比較して次のように言われる。「五十年代はまあ純潔で、六十年代は狂気のいたり、七十年代はびくびくもので、八十年代は顔色窺い、九十年代ともなれば邪悪の限り」。七十年代がびくびくものなのは、毛沢東の死を挟んで、中国がどの方向に進んでいくのかはっきりしなかったことを反映しているのではないか。

vela36.0.jpg

ベラスケスは、フェリペ四世お抱えの宮廷画家として、フェリペ四世の肖像画を多く手掛けているが、この絵は、「フェリペ四世の騎馬像」と同じ頃に制作したもの。騎馬像が公的な空間で人目に披露することを目的に描かれたとすれば、これは王の個人的な鑑賞を目的に描かれたのだと思われる。

us11.tletter2.JPG

ジョゼフ・L・マンキウィッツはポーランド系のユダヤ人である。映画作りではあまり思想性を出すことはなかったが、なぜか保守派から目の仇にされ、いわゆるマッカーシズムの嵐のなかで、レッド・パージされそうになったこともある。監督協会会長になったときに、人種差別主義者のセシル・B・デミルから攻撃され、ジョン・フォードに擁護されたというエピソードは有名である。

いわゆる「桜を見る会問題」に関して、支持者を集めての宴会に安倍事務所側が経費の一部を補填していたことが明らかになった。この問題については、安倍前総理は一貫して、そのようなことはないと明言してきたわけで、事実との食い違いが浮かび上がった形だ。安部前総理は、補填したのは秘書の一存でしたことで、自分は一切知らなかったと言い抜けるつもりのようだが、いかにも見え透いたやり方に見える。

前稿の表式は、部門Ⅰと部門Ⅱとが互いに作用しあって、全体として見れば、単純再生産がとどこおりなく実現することを示していた。その場合に前提となるのは、部門Ⅰの生産物である消費財と、部門Ⅱの生産物である生産財とが、もれなく売れるということだった。つまりその年に生産されたものは、その年のうちにもれなく売れると仮定することで、単純再生産が成り立つというわけだった。しかしこの仮定はかならずしも現実的ではない。というのも、この仮定では、部門Ⅰのcも部門Ⅱのcも全部売れるということになっているのだが、現実にはかならずしもそうではないからである。固定資本の更新については、特別な事情が働くので、その年に作ったものがその年のうちにすべて売れきれるというわけにはいかないのである。

日本の近代は、俗に言う黒船来航から始まった。日本は海外から押し寄せてきた圧力に促されて、長い間の鎖国状態を脱し、国を世界に向かって開くと共に、近代的な国づくりに邁進して行った。それはある程度成功した。1868年の明治維新は新しい国づくりを画する出来事だったが、それからわずか30年ほどの間に、日本は近代的な国づくりの基礎を築き、世界の強国へと羽ばたいていくのである。

us10.umbear2.JPG

フィリップ・カウフマンによる1988年制作のアメリカ映画「存在の耐えられない軽さ(The Unbearable Lightness of Being)」は、チェコの亡命作家ミラン・クンデラの同名の小説を映画化したもの。20世紀後半における世界文学最高傑作といわれるこの作品を、小生は大変感心して読んだので、どのような映画化されているか非常に関心があった。ごく単純化していうと、原作の雰囲気をかなり忠実に再現している。筋書きはほとんど原作をなぞっているのだが、映画向けに多少脚色しなおしている。原作は、時間の流れを無視して、前後関係が入り乱れているのだが、この映画は一直線の流れの中に再編成している。つまり主人公たちが出会ってから死ぬまでの間を、直線的に描いているのである。

edo091.uketi.jpg
(91景 請地秋葉の境内)

請地とは本所の北側に広がる一帯の地名。いまでいう墨田区の向島あたりだ。その向島四丁目に秋葉神社がある。遠州の秋葉大権現を勧請したもので、火よけの神として尊崇された。特に大名火消の点から、大名の庇護を受けたという。

vela35.4.jpg

「バルターサル・カルロス皇太子騎馬像」は、レティーロのサロンを飾る五点の騎馬像の中で最も出来の良い作品である。父王フェリペ四世の騎馬像が真横からの構図なのに対して、こちらは斜め前方から見た構図である。その為、人馬が背景から飛び出してくるような躍動感を強く感じさせる。

法華経「授記品」第六は、五大弟子のうち舎利弗の授記に続いて、ほかの四人の高弟に釈迦仏が授記するさまを語る。授記とは、成仏を約束することである。その授記について法華経は、五大弟子のほか多くの修行者にもあいついで行うさまを語る。「五百弟子授記品」においては、富楼那、憍陳如など千二百人に対して、「授学無学人記品」においては、阿難、羅睺羅など二千人に対して、「勧持品」においては、喬答弥、耶輸陀羅など大勢の比丘尼たちへの授記が行われるさまを語るのである。このように大勢の人々が成仏できるというのは、あらゆる衆生には仏性が宿っていて、だれでもそれなりの修行をつめば成仏できるとする法華経の思想の現われということができる。

社会的総資本は、個別資本を総和したものである。だからその運動は、個別資本の運動と基本的には違ったものではないが、しかし個別資本だけを見ていては見えないものが見えて来る。たとえば、資本を形成しない商品の流通である。資本を形成しない商品の流通とは、労働者による消費と資本家による私的消費を含んでいる。これらの消費は、個別資本だけを視野に入れている限りは、前景には出て来ずに、背景に沈んだままである。ところが社会的総資本を論じる時には、総資本の循環の不可欠な要素となる。

taiwan05.kokui.JPG

侯孝賢が2015年に作った「黒衣の刺客(刺客 聶隱娘)」は、一応台湾映画だが、中国の古代史に題材をとった武侠映画である。武侠映画というのは、武術の達人が悪党相手に暴れまわるというのがパターンだが、この映画の場合には、その武術の達人は女ということになっている。しかも、その女に武術を教えたのも女の導師である。これは中国が男女平等を重んじる文化を反映しているのかといえば、そうでもないらしい、中国でも女が武侠になって暴れまわるという伝説はほとんどないらしいし、また道教の導師に女がいたという話も聞かないから、これは侯孝賢の創造ということなのだろう。女が武術で活躍する話は、日本ではくノ一伝説として残っているが、中国では、そういう伝説は聞いたことがない。やはり中国は、男尊女卑の国柄なのである。

edo089.matsu.jpg
(89景 上野山内月のまつ)

上野不忍池のほとりに、奇妙な形の松の木がたっていて、月の松と呼ばれていた。11景には、清水の舞台のあたりから見下ろした不忍池と、そのほとりに立っている月の松の様子が描かれているが、この絵はその月の松をクローズアップして描いたもの。

西門鬧が牛に転生してこの世に登場するのは、1964年10月1日のことだ。この日、牛の市場が開かれ、そこに牛を見に行った藍瞼が、西門鬧の生まれかわりである仔牛を見て、一目で気に入ってしまい、自分の家に連れ帰ったのであった。おそらく生まれて間もない時のことだったと思う。西門鬧がロバとして死んだのは1960年のことだから、四年ぶりに転生したわけだった。

vela35.3.jpg

レティーロ内の「王国の栄光と王たる徳のサロン」には、五点の騎馬像が飾られていた。先王フェリペ三世とその王妃マルガリータ、現王フェリペ四世とその王妃イサベル及び次代の王と嘱望される皇太子アルカーサル・カルロスを描いたものである。

taiwan04.kohi2.JPG

侯孝賢の親日家ぶりは日本映画界でも評価されて、松竹は会社設立百周年記念映画の製作を、かれにまかせたほどだ。かれはそれに応えて、日本にわたり、日本の金で、日本人の俳優をつかい、日本語の映画を作った。2004年の作品「珈琲時光」がそれである。このタイトルは、コーヒータイムとかコーヒーブレークを意味する台湾言葉で、これだけからは、台湾映画を連想させるが、中身は純粋な日本映画に仕上がっている。

資本論第二部第17章「剰余価値の流通」は、商品形態で存在する追加剰余価値を実現するための追加貨幣はどこからくるのか、という問題の解明にあてられる。資本主義的生産の本質は剰余価値の生産であるから、その発展にともなって経済の規模も拡大し、その拡大した部分が新たな貨幣需要を呼ぶ。なぜなら剰余価値は貨幣を通じて実現されるほかはなく、その貨幣が社会的に不足していては、正常な形での剰余価値の実現ができないからである。

菅首相がいわゆる「ゴーツー」事業を、一時的ではあるが、全国一律に中止すると決定した。ついその前までは、引き続き実施すると明言しており、その根拠として、旅行による移動はコロナの発生と結びついていないと言っていたのだが、それが急に中止の決定になったわけだ。その影には菅政権への劇的な支持率低下という事態がある。政権発足時には歴代政権と比較して高い支持率を誇っていたものが、わずか三か月で、40パーセント前後の低い支持率へと変った。不支持のほうは五割に迫っている。このままだととんでもないことになる恐れがある。そうした懸念が今回の決定に結びついたと見える。

エズラ・ヴォーゲルは「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の著者として日本では人気がある。一方、鄧小平の伝記を書いたことで中国人にも人気がある。そのヴォ―ゲルが、1500年にわたる日中関係の歴史を研究した本「日中関係史」を書いた。本人は日中どちらかに肩入れしているわけではなく、かえって日中両国の双方の味方だと言っている。その日中両国の関係が、近年あやしくなっている。日中両国は本来友人同士であり、仲よく共存すべきである。ところが対立がエスカレートしている。どうしたら対立を乗り越えて、本来の望ましい関係に戻ることができるか。そんな問題意識からこの本を書いたそうだ。読んでの印象は、第三者の視点から日中関係のこれまでの歴史を振り返り、未来に向けて望ましい関係を築いてもらいたいという気持ちが込められていると感じた。

taiwan03.konan2.JPG

侯孝賢(ホウ・シャオシェン)は、台湾近現代史にテーマをとった作品をいくつか作っている。1989年の「非情城市」はその代表作で、先の大戦で敗戦国となった日本が台湾から去ったあとに、大陸からやってきた蒋介石の一派が、現地の反抗分子を弾圧するところを描いていた。1995年の「好男好女」は、戦前戦後に生きた二組の台湾人男女の生き方がテーマである。二組のうちの一組は、戦前には抗日戦への参加を望んで大陸にわたり、戦後は台湾に戻って来るも、反国民党の運動を弾圧されて、不幸な一生を終えるという筋書きである。

edo087.onogasira.jpg
(87景 井の頭の池弁天の社)

井之頭の池は神田川の源流となるもの。もともと水量の豊かな湧水池であったものを、家康がこれを水源として、江戸への上水供給を目的に神田上水をつくった。それが今日の神田川の由来である。神田上水が完成したのは、三代将軍家光の時。その家光が、井之頭池を訪れた際に、これを井頭と命名したと伝えられている。

雑誌「世界」の最新号(2021年1月号)が、「ポスト・トランプの課題」と題する特集を組んでいる。トランプ以後というよりは、アメリカは何故トランプという現象を生んだのか、という問題のほうに重点がある。何本かの興味ある文章が寄稿されていて、小生は現代政治を考えるうえでのいくつかのヒントのようなものを得た。中でも最も参考になったのは、金子歩の小論「犬笛政治の果てに」だ。

vela35.1.jpg

マドリード市街の東にレティーロ公園がある。これはスペイン王室の離宮として16世紀に造営されたものだ(レティーロとは離宮というような意味)。いまでは広々とした公園になっているが、かつては豪壮な建物がつらなっていた。1632年に着工し、最終的な形になったのは1640年である。中心となる建物は1635年には完成した。そこに、建物内部を装飾する目的で、膨大な芸術作品が集められた。絵画だけでも800点に上るという。

法華経「草喩品」第五は、「譬喩品」、「信解品」との一連の流れの中で位置付けられる。「譬喩品」では、仏による衆生の救済が仏の立場から説かれ、「信解品」では仏によって救済される衆生の喜びが、修行者の立場から語られた。「薬草喩品」は、そうした仏による救済を、再び仏の立場から説いたものである。それは、例によって譬喩を通じて行われる。薬草の譬えがそれである。大雲が降らす雨は、大地の植物を一様に潤すが、それを受ける植物は、それぞれのあり方に応じてそれを受け止める。仏と衆生との関係もそれと同じことである。仏の教えの本質は一相一味といって、すべてのものに平等に与えられるのだが、衆生にはそれぞれ能力の相違があるので、その能力に応じて受け取るのであり、仏も又そうした能力に応じた方便を用いて教えを説く、というのが薬草喩品の基本的な内容である。

資本の回転という概念をマルクスは、当初生産資本の回転について論じていた。生産資本を含めた資本の総循環については、資本の循環という言葉を用いていた。要するに、貨幣による資本の調達、それの生産への投入、生産された商品の流通からなる全体を資本の循環と言い、その中の生産資本にかかわる部分を取り出して、資本の回転を論じたのであった。論じる対象は固定資本と流動資本である。この両者では回転期間が異なる。そのことによってどのような問題が生じるか。それを解明するのが「資本の回転」という概念の役目だったわけである。

taiwan02.hou02.hijo1.JPG

台湾の映画監督侯孝賢には、台湾近現代史に題材をとった一連の作品がある。1989年の映画「悲情城市」は、1945年の日本の敗戦に始まり、蒋介石の国民党政権が台湾に樹立されるまでの期間を描いている。流通している見方では、日本による植民地支配から解放されて、国の自立に向って動き出した時期ということになるようだが、この映画の視点は、それとは微妙に異なっている。日本への批判意識はほとんど現前化せず、そのかわりに国民党への批判意識が前面に出ているのだ。あたかも、日本による統治時代のほうがましだったと言いたいかのようである。

edo085.tameike.jpg
(85景 紀の国坂赤坂溜池遠景)

紀伊国坂は、いまでいえば、赤坂御所と弁慶池に挟まれた坂。赤坂とも言った。そこから赤坂という地名が生まれたのである。徳川時代には、赤坂御所のある土地には紀州藩の中屋敷があったので、その脇の坂を紀伊国坂と呼んだわけである。

西門鬧が最初に転生したのはロバだった。かれは豊かで働き者の地主であったが、おそらく国共内戦の混乱の中で、殺されてしまったのである。死後閻魔大王の前に突き出されたかれは、熱した油で揚げられるなどの拷問を受けて、罪を白状しろと迫られる。それに対して彼は、自分は無実だから人間に戻してほしいと主張する。そんな西門鬧に閻魔大王は、もう一度この世で生きるチャンスをくれたのだった。だが、期待に反して、ロバとして転生させられたのである。

vela32.1.jpg

「十字架上のキリスト」と題されたこの絵は、マドリードにあるサン・プラシド修道院の注文を受けて制作したもの。一応宗教画ではあるが、普通の宗教画とはだいぶ雰囲気が異なっている。宗教画は宗教的な厳粛さを狙うものだが、この作品は、厳粛さよりも美しさとか品格を強調している。それに応じるように、普通採用される「キリストの磔刑」という題名ではなく、「十字架上のキリスト」と題したわけであろう。

taiwan01.dong3.JPG

1984年の台湾映画「冬冬の夏休み」は、侯孝賢監督自身の少年時代の回想を描いた作品だそうだ。侯孝賢は、どういうわけかは知らぬが、日本贔屓と見え、「非情城市」では、大陸からやってきた蒋介石より、追放された日本人のほうがずっとましだといった描き方をしていた。この「冬冬の夏休み」でも、そうした日本へのこだわりが垣間見える。舞台となった屋敷は日本風の建物だし、映画の冒頭とラストシーンでは、日本の唱歌が流される。冒頭の卒業式のシーンでは「仰げば尊し」が歌われるのだし、ラストシーンでは「兎おいしふるさと」のメロディが流されるのだ。これらは日本統治時代の名残ということだろうか。

マルクスは、資本の循環という概念と並んで、資本の回転という概念を持ち出してくる。資本の循環というのは、資本がその目的たる剰余価値の実現のために通過する総過程をさし、単純化していえば、資本の流通過程と生産過程を合わせたものである。流通過程を通じて、労働力を含めた生産手段を調達し、それらを組み合わせて生産を行い、生産の結果得られた生産物を、再び流通過程に投げ入れて(剰余価値を含めた)商品の価値として実現するわけである。これに対して資本の回転とは、マルクスによればもっぱら生産過程にかかわる概念である。生産過程に投げ入れられた生産手段が一回転する期間、それを簡単にいえば、資本の回転期間ということになる。

タイトルにある中国の行動原理とは、政府を中心とした中国の主に対外的な行動を動かしている原理のことを、著者は意味している。その中国の対外行動を著者は困ったものだと見ているようだ。かなり自己中心的で一方的だ。それは日本に対する官民あげての攻撃ぶりを見れば明らかだ(2012年に日本政府の尖閣諸島国有化直後の反日暴動はその最たるものだった)。一方で中国人は、「中国は・・・相互に尊重しあい、公平で正義に則った、協力的で互恵的な新しい国際関係を推進してく」と、世界に対して大見得を切る。そういう中国の行動ぶりが、著者の目にはかなり特殊に映るということらしい。

jap85.para1.JPG

河瀬直美の2017年の映画作品「パラレルワールド」は、20分たらずの小品である。筋書らしいものはない。若い男女の初恋らしいものを、情緒豊かに描いている。映画としては、大胆な試みといえる。短編小説という分野が成り立つのであれば、短編映画も成り立つだろう。それも映画独自のロジックに基づいて。そんな意欲を感じさせる作品である。

edo083.jpg
(83景 品川すさき)

品川は東海道の最初の宿場であり、また漁場でもあった。目黒川の河口に牛の舌のように洲崎がのびていて、そこに漁師たちが住んでいた。漁師たちは、とった魚を幕府に納めるかわりに、ここでの漁猟を許されていた。

vela31.jpg

ベラスケスは1630年の暮にローマを引き揚げ、帰国の途に就く。途中ナポリに立ち寄り、フェリペ四世の妹マリア・アンナの肖像画を制作した。王の命令によるものという。帰国したベラスケスは、バルタサール宮殿内の一角に専用の仕事場を与えられ、制作に励むようになる。1630年代は、画家としてのベラスケスにとって、もっとも充実した時代となる。

法華経「信解品」第四は「譬喩品」第三の続編あるいは姉妹編のようなものだ。「譬喩品」においては、仏から授記を受けて、未来の成仏を確約された舎利弗について、本人の舎利弗が喜んだのは無論、その場に居合せた他のものたちも歓喜した。自分らにも、舎利弗同様成仏の可能性があると思ったからだ。これについて釈迦仏が、仏の立場から衆生の救済について語る。それを三界の火宅という譬喩を通じて語ったので、「譬喩品」といわれるわけである。それに対して「信解品」は、弟子の立場から救済されることの喜びについて語る。それを同じく譬喩を通じて語るのだが、その譬喩というのが長者窮子の譬えである。この譬えを通じて、長者が息子を常に思いやっているように、仏が仏子をつねに思いやっていることへの確信が語られる。題名にある信解とはその確信をさして言うのである。

資本主義的経済システムは、これを大きく区分すれば、生産過程と流通過程からなっている。生産過程は剰余価値を生みだす。流通過程はその剰余価値を実現する。ものを作っても、それが売れなければ何の意味もない。流通過程はしたがって、資本主義的経済システムにとって不可欠な部分である。

jap88.bugi3.JPG

藤田敏八は日活ロマンポルノの旗手として知られ、若い頃の桃井かおりに濡れ場を演じさせたりしていたが、商業映画も手掛けた。1981年の作品「スローなブギにしてくれ」は、かれの商業映画の代表作だ。もっとも制作費をわずかに回収できたくらいで、ヒットはしなかった。一方、同名の主題歌は大ヒットして、いまでも日本の歌謡曲のスタンダードナンバーになっている。

昨日(12月4日)の菅首相の記者会見をテレビで見ていて、思わずのけぞってしまった。コロナワクチンの開発の目途が見えて来たことを踏まえて、取材記者が「いつ頃摂取できるようになるか」と聞いたところ、「現時点で政府から予断をもってその時期を明確にすることは控えたい」と答えたからだ。

edo081.jpg
(高輪うしまち)

東海道は、泉岳寺のあるあたりで、海に面して、片側だけに町屋がある片側町になっていた。そのあたりを車町、あるいは牛町といった。寛永十一年(1634)に、増上寺の造営にともない、京都から牛持ち人足が呼び寄せられ、建築材料の運搬に従事させられ、そのままこの地への定住を許されたことから車町とか牛町とか呼ばれるようになったのである。
莫言のノーベル賞授賞理由に、「幻覚的(Hallucinatory)リアリズムが民話・歴史・現代と融合している」とあった。その意味が小生にはよくわからなかった。幻覚はある種の現実かもしれないが、普通の感覚では、幻覚と現実とは正反対のものだろう。それが何故結びつくのか、そこがまずわからなかった。またその幻覚的リアリズムが民話・歴史・現代と融合すると言うのもしっくりしない言葉だった。一つだけピンときたのは、こうした言葉によって莫言の作風を紹介しようというのは、莫言の小説世界が世間の常識をはみ出しているからだということだった。

vela30.4.jpg

ベラスケスがヴァティカンに住んでいたのはそう長くはなかったようだ。やがてかれはメディチ家の世話になる。そのメディチ家の邸宅は、ヴィラ・メディチといって、スペイン広場の階段を上ったあたりに、いまでもある。その邸宅の庭園を、ベラスケスは二点の絵に描いた。

jap87.aini1.JPG

1990年台ごろから、日本も国際化が進み、外国人が多くやってくるようになった。なかでも中国人は、流入外国人としてはもっとも大きな割合を占め、従来からの在日韓国・朝鮮人にひっ迫する勢いを示すようになった。そういう傾向を背景にして、日本人の外国人差別意識も高まって行ったのではないか。柳町光男の1993年の映画「愛について、東京」は、そんな外国人への差別意識を強く感じさせる作品である。それまで外国人を主人公にした映画がほとんどなかったなかで、この作品のインパクトは大きかったようだ。それも否定的な意味で。この映画が公開されるや、中国人への差別意識に反発した団体が抗議のアクションを起こし、柳町らはその抗議を受け入れて、作品を再編集した。現在DVDで見られるのは、再編集後のバージョンで、オリジナルに比べて15分ほど短い。

学術会議の人事に菅首相が介入した問題をめぐって、政権側では問題をすり替えて学術会議への非難を繰り返し、それに呼応する形で自民党が学術会議の政府からの切り離しを言い始めた。いまの学術会議は、自民党政権に批判的だから、人事への介入を通り越して、いっそその存在を抹消してしまおうというわけだ。

資本論第二巻の総題は「資本の流通過程」である。第一巻は「資本の生産過程」であり、その主な内容は、剰余価値の源泉についての考察であった。それに先行するかたちで価値形態論が論じられ、特殊な商品としての貨幣の本質が語られた。資本はその貨幣の形を通じて自己の運動を貫徹する。資本の目的は剰余価値の獲得である。剰余価値は資本の生産過程を通じて生まれるが、無条件に実現するわけではない。それが剰余価値として実現するためには、生産された商品が適正な価格で売れなくてはならない。すなわち資本は流通過程を通じてはじめて自己の目的たる剰余価値の取得を実現できるわけである。マルクスが資本の生産過程に続いて資本の流通過程をくわしく論じるわけはそこにある。

イランの核科学者モフセン・ファフリゼデが殺害された事件は、状況証拠からしてイスラエルの仕業と思われている。なぜそんな無法なことをしたのか。イスラエルはイランの核開発に脅威を感じており、それをマヒさせるために、イランの核開発をリードしてきたファフリゼテを殺害したのだろうとする見方が流通している。この殺害に対して、イラン側がすくさま報復を声明するなど、過剰な反応を示したことがそれを裏付けていると見られてもいる。

著者は中国史の専門家のようだが、中国は嫌いだという。ではなぜ中国を専門にするかというと、それは中国が面白いからだという。我々日本人は、長い歴史的な背景から中国を理解したつもりになっているが、じつはわかっていない。中国人の発想がわからないのだ。だから不気味に感じたり、著者のように嫌いになる日本人が多い。今の日本に充満している中国嫌いは、そんなことが原因で起きている。だから、中国と付き合おうと思ったら、中国人の発想の仕方と、それにかかわる論理を理解しなければならない。どうもそんなことを著者は言いたいようである。

jap86.tizu1.JPG

柳町光男の1979年の映画「十九歳の地図」は、中上健次の同名の短編小説を映画化したものである。小生は原作を未読だが、中上の代表作は何篇か読んでおり、その印象からすれば、この映画は中上的な雰囲気をよくあらわしていると思える。中上の小説の特徴は、日本社会の矛盾を一身に背負ったような男が、自分の宿命をクールに受けとめるといったものだ。そういう中上的な特徴が、この映画にはよく出ているのである。

edo079.sinmei.jpg
(79景 芝神明増上寺)

増上寺は浄土宗の関東大本山だが、徳川家の菩提寺でもあったので、江戸市内では上野の寛永寺と並んで繁栄を誇った。その増上寺に隣接して、大門の向かって右側に芝神明神社がある。毎年九月に行われる祭礼は、十日間も続くので、だらだら祭と呼ばれた。また、この時期には秋の長雨と重なるところからめくされ祭とも呼ばれた。

最近のコメント

アーカイブ