般若心経を読む

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般若心経は、最も古い大乗経典である般若経典のなかで、最も短いものであり、また分かりやすいので、在俗の人びとが読経するのに都合がよく、日本の仏教各宗派では、浄土宗を除く各宗派で広く読まれてきた。とくに、禅宗では、法事の席で必ず読まれている。その読まれているお経は、唐の三蔵法師玄奘が漢訳したもので、正式には「般若波羅蜜多心経」という。般若は智慧をあらわすサンスクリット語パンニャーの音訳、波羅蜜多は悟りを得て彼岸に至る道とか、完成とかいった意味の言葉パーラミターの音訳、心経はエッセンスといった意味である。これを要するに完成した悟りへの道であるところの智慧のエッセンスという意味である。

般若経の基本思想である空の思想および般若経独自の縁起思想を展開していることから、一応、般若経典の中では、最後にあるいは最後近くに成立したものと考えられる。お経のスタイルとしては、観自在菩薩が舎利弗に語り掛けるという形をとっている。菩薩を登場させているところに、法華経など後期大乗仏典へのつながりが見られる一方、阿羅漢の舎利弗に大きな役割を果たさせているところに、古層の仏典とのつながりを見ることができる。

漢訳で320字程の短いお経であるが、書かれている内容は壮大である。それを単純化して言うと、前半では空の思想を説き、後半で般若経独自の縁起思想を説き、最後に智慧の呪文を唱えるという構成である。

ここでは、テクストに沿いながらお経の意味を読み解いていきたい。テクスト本文は、中村元・紀野一義訳注になる岩波文庫版を活用した。まず、漢訳の原文を載せ、それについての読み下し文及び解説を付するというかたちで説明したい。

般若波羅蜜多心経  唐三蔵法師玄奘訳
観自在菩薩行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。度一切苦厄。

観自在菩薩が般若波羅蜜多を行深せし時、五蘊は皆空なりと照見し、一切苦厄を度せり。

観自在菩薩が智慧の完成を実践していた時に、存在するあらゆるものは皆空であると見極め、一切の苦厄から解放された。五蘊とは、色・受・想・行・識をあわせたものを言い、あらゆる存在を包括した概念である。そのあらゆる存在が皆空であるとさとったというのが、冒頭のこの部分の意味するところである。

舎利子。色不異空。空不異色。色即是空。空即是色。受想行識亦復如是。

舎利子よ、色は空に異ならず、空は色に異ならない。色は即ち是れ空、空は即ち是れ色である。受想行識もまたかくの如し。

色とは形というような意味である。物質といってよい。それが空であるとは、実体がないということである。実体がないという意味は、色という言葉があらわす概念は単なる思考の産物であって、それ自体としての存在は持たないということである。受は感性、想は表象、行は意志、識は知識のこと、それらもまた実体を持たないとされる。

舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。不増不減。是故空中。無色無受想行識。無眼耳鼻舌身意。無色声香味触法。無眼界。乃至無意識界。

舎利子よ、是れ諸法は空相にして、生ぜず滅せず、汚れず浄らかならず、増さず滅せず。この故に空中には、色なく受想行識なく、眼耳鼻舌身意なく、色声香味触法なく、眼界なく、乃至意識界なし。

諸法とはすべての存在をいう、それが実体をもたないと説く。実体がないから、生ずるということも滅するということもなく、汚れているとも浄らかだともいえず、増すことも滅することもない。この故に空の中には、色もなく受想行識もない。眼耳鼻舌身意といった感性や知性でとらえられる対象もなく、色声香味触法といった感覚の対象もない。目で見える存在もなく、意識でとらえられる存在もない。すべては実体をもたないからである。

以上が、般若経の根本思想である空の思想を簡略に説いた部分である。以下、般若経独自の縁起思想が説かれる。

無無明。亦無無明尽。乃至無老死。亦無老死尽。無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故。菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。心無罜礙。無罜礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。究竟涅槃。三世諸仏。依般若波羅蜜多故。得阿耨多羅三藐三菩提。

無明なく、無明の尽きることなく、乃至老死なく、老死の尽きることなし。苦集滅道なく、知なくまた得なし。得なきをもってのゆえに、菩提薩埵よ、般若波羅蜜多に依るがゆえに、心に罜礙なし。罜礙なきがゆえに、恐怖あることなし。一切の顛倒夢想を遠離し、涅槃を究竟す。 三世諸仏も、般若波羅蜜多に依るがゆえに、阿耨多羅三藐三菩提を得たり。

無明は伝統的な十二因縁の最初に来るもので、すべて因縁は無明すなわち無知に始まり、老死に終わる。十二の個々の間にはそれぞれ因果関係があるので、最初のものを否定すればすべてが否定される。ここでは、無明を否定することで、老死に至る十二因縁のすべてを否定するわけである。因縁を否定するということは、この世界そのものを否定することにほかならない。苦集滅道は四諦といわれ、釈迦の初転法輪の根本思想である。簡単にいうと、すべては苦であり、苦の原因は煩悩であり、煩悩を滅することがさとりにつながり、そのためには修すべき道がある、という四つの真理をあらわす。その真理もないというのであるから、この世のすべては幻のようにはかないと言っているわけである。そのことを理解することにより、心にさわりがなくなり、一切の邪念を離れ、涅槃の境地に達する。三世の諸仏もそのようにして、悟りに達したのである。

最後に、般若波羅蜜多の呪文の功徳について説かれ、その呪文を合唱してお経を終わる。

故知。般若波羅蜜多。是大神呪。是大明呪。是無上呪。是無等等呪。能除一切苦。真実不虚故。説般若波羅蜜多呪。即説呪曰。羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶。般若心経

故に知るべし、 般若波羅蜜多は 是れ大神呪なり、是れ大明呪なり、是れ無上呪なり、是れ無等等呪なりと。 能く一切苦を除き、真実にして虚ならざるがゆえに、般若波羅蜜多の呪を説く。即ち説いて曰く、 羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶

般若波羅蜜多の呪文の功徳について説いた後。その呪文が披露される。その意味は、「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸いあれ」(中村等訳)





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≪…五蘊とは、色・受・想・行・識をあわせたものを言い、あらゆる存在を包括した概念である。そのあらゆる存在が皆空…≫で、数の言葉ヒフミヨ(1234)を人の形態空間(ニッチ)で量化(認知経験)する・・・

 【量化って】に、

 E=mc²は、般若心経と同じ 
 
 との記事がある。

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