勅使河原宏「砂の女」:安部公房の不条理文学を映画化

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勅使河原宏の1964年の映画「砂の女」は、安部公房の同名の小説を映画化した作品。安部公房の不条理文学の傑作といわれる原作の雰囲気をよく表現し得ている。安部公房自身が脚本を書いたというから、自作の雰囲気を大事にしたかったのだろう。

砂のもつ生きもののように自律的な存在感がよく出ている。これは文字では表現できないことなので、映像の出番である。安部はそれを十分に心得て、脚本を書いたのだろう。

安部自身の意図は別として、この映画はある種のディストピアの非情さをよく表現できている。そのディストピアは、外部の者の眼には不条理きわまりないが、そこで生きている人間にとっては、自分の世界そのもので、そこから外に出ていくことは、自分のアイデンティティが失われることを意味する。そのアイデンティティに固執する女を、岸田今日子が心憎く演じている。その岸田の力に男がついに屈服し、ディストピアに適応していくことの恐ろしさみたいな感じがよく伝わってくる。

なお、映画のロケは、静岡県御前崎の浜岡砂丘で行われたそうだ。ここには小生も若いころにいったことがあり、熱した砂で足の裏を消毒したら、頑固な水虫がなおった。福島原発事故がおきるまで、浜岡原発が立地していた。原発の施設ができたのは、1970年以降のことなので、この映画の中には、その片鱗も出てこない。





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