ガルブレイスの不完全競争論:ゆたかな社会

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ガルブレイスは、高度に産業化した社会では完全競争の前提がなりたたず、完全競争を前提とした伝統的な経済学の考えは通用しないとした。その背景には、大企業の発展がある。大企業は、小さな企業や自営業者のように、市場に対して受動的にふるまうのではなく、市場に一定の影響を及ぼすことができる。市場の不安定な動きに対しては、それを緩和するような手段を大企業はもっている。激しいインフレなど市場の強い圧力にさらされると、小さな企業や自営業者は壊滅的な打撃をうけることがあるが、大企業にはそれをやりすごすための様々な資源がある。市場に対して受け身に対応するばかりでなく、自分から積極的に市場を支配することもできる。このような状態では、伝統的な完全競争モデルが通用しないことはあきらかである。ところが、経済学者たちはあいかわらず、伝統的な考え方にしがみついている。そうガルブレイスはいって、経済学は抜本的に変わらねばならぬと主張するのである。

ガルブレイスは、市場に対する大企業の影響力を強調するが、それによって大企業を批判するばかりにはとどまらない。大企業の行動様式を批判するものは、とかく大企業のマイナスの影響を指摘し、それを従来の競争的な資本主義から独占資本主義への転換であるとして、とかく否定的に見るものが多かった。だがガルブレイスは、大企業の行動様式のもつマイナスの面だけではなく、プラスの面にも注目する。

政府が市場に介入すようとする場合、その政策は市場のプレーヤー全体を視野にいれたものでなければならなかった。ところが大企業が巨大な規模になると、その大企業の行動をコントロールすることで、市場全体を好む方向へ誘導することができるようになった。ゆたかな社会つまり高度に発展した社会においては、大企業の力が圧倒的であって、その力をある程度コントロールできれば、経済全体をコントロールできるようになる。そのようなガルブレイスの考えは、「独占資本主義」ならぬ「大企業資本主義」ともいうべきものだ。

ガルブレイスのこのような考えは、シュンペーターの資本主義論に似ているところがある。シュンペーターは、企業の大規模化が官僚主義と計画の優位をもたらすというふうに考え、それをもとに社会民主主義的な未来像を示したのであったが、ガルブレイスにはそのような政治的な傾向はない。ガルブレイスが大企業について注目するのは、その政治的な可能性ではなく、あくまでも市場に対する影響力のほうであった。シュンペーターは、大企業のもたらす官僚制度を通じて社会全体の計画化を考えたわけだが、ガルブレイスは、大企業にターゲットを絞ることで、政府は効率的に市場を動かすことができると考えたのである。

完全競争モデルにおいては、個々のプレーヤーに自主的に行動する能力はなく、市場の動きに対して受動的にふるまうだけだ。その受動的な振る舞いが社会全体としては一定の方向性につながっていく。その動きをアダムズミスは神の手にたとえたわけだが、大企業が支配的な役割を果たすような社会においては、完全競争のモデルはなりたたない。ところが、上述したように、主流派の経済学はいまだに完全競争のモデルにしがみついている。それは一つには惰性によるのであろうが、それ以上に、完全競争モデルが生産の拡大といったドグマと親和的だからだ。この生産の拡大というか、生産中心主義は、資本主義経済のお題目のようなもので、それを放棄して、生産そっちのけで分配を云々するのはけしからぬ社会主義者の発想だとして嫌悪されるのである。

ガルブレイスは、ゆたかな社会には十分な余裕があるので、これ以上生産を拡大させることよりも、いまあるゆとりを適正に分配して公正な社会を作る努力をしたほうがよいと考える。そういう考えは、主流の経済学者にとっては、資本主義システムを覆そうとする不埒なものにほかならなかった。

ともあれ、ガルブレイスのような考えが出てくるというのは、社会の実態が変わってきたということを反映しているのである。社会の実態が、主流派の想定するような完全競争型の資本主義システムから、大企業が大きな影響を発揮する不完全競争型のシステムに移行しているのであるから、そうしたシステムの特徴をよく踏まえたうえで、経済理論を展開する必要がある。ところで、大企業が中心となる高度資本主義の段階では、大企業の役割が増大する一方、政府もまた大きな役割を果たさざるをえないようになる。完全競争モデルの場合には、神の手に大部分ゆだねておいてすむことが、不完全競争モデルにおいては、政府による計画的なコントロールの重要性が高まる。社会の実態の変化が政府の役割の変化を要請するのである。

こういうわけであるから、ガルブレイスの理論は一見純経済学的議論のように見えながら、その実、社会変革への展望を含んだきわめて政治的意味合いを感じさせるものなのである。ガルブレイスが主流派の経済学者たちからひどく嫌われたのは、かれの危険な政治的傾向に、主流派が危機感をもったからだといえる。






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